2 安藤参戦
突然だが、俺のひとつ飛ばして隣の席に安藤という男がいる。
「鹿子木ってさ、」
短髪がよく似合う、感じのいい顔立ちの男が何気なしに話しかけてきた。
そういやあ、一年の時は違うクラスだったからか安藤とこうして改めて話すのははじめてかもなと思いながら。
「2組の中水流と同棲してるんだって?」
またこの話題か。がくりと肩を落としつつ、そこのところはきちんとしておくべきと正直に話す。
「いや、家の事情で預かってたけど、もう引っ越したから今は別だ」
このやりとりも、事実が浸透すれば次第になくなっていくだろう。
下品なヤジがなくなるかと思うだけでも何だか泣けてくるぐらい喜ばしい。
俺だってトシゴロなのだ。平然としてはいてもいやなものはいやである。
「ふうん…」
こう返すと大概のヤツは、多少の落胆を見せたりさらにからかってやろうとするのだが。
安藤は首をすこしかしげて、それだけ言って納得したようだ。
めずらしい。
俺はちょっと、安藤の顔に注目した。その表情は、今までの会話相手にはない、どこか安堵のような、哀愁のような。
「鹿子木ってさ、」
すこし間を置いて、さっきと同じ切り出し方をされる。
思わず身構えて、うんと促す。
いやな気配は、感じていたんだ。最初から、さ。
「中水流のことどう思ってんの?つきあってんの?」
「……えー…」
露骨に、顔が歪むのが解った。こういうふうに、ストレートに訊いてくるヤツは実はあんまりいない。
「つきあってない」
俺のあからさまな不機嫌をどう思ったのか、安藤の表情からは何も読み取れない。
「でもかわいい。妹みたいなヤツだな」
言ってみて、顔が緩んだのが解って、照れくさくってむりやりに引き締める。
それをじっと見ていたらしい安藤がいきなりぶはっと大袈裟に吹き出した。
「なんだよ」
「い、いや。愛されてんだなあ、中水流って」
ほっとけ。すっかりふて腐れるように、俺は安藤から顔を背ける。
しばらく経って、静かになったと思って目を向けると、安藤はまだそこでじっと俺を見ていた。
なんだか、微笑ましいというような、けど意味深な表情で。
※※※※※
「安藤?陸上部だろ」
陸上部だったんか。俺は一年の時からの友人に、なんと無しに安藤について話を振ってみた。
「細いけどタッパあるしなあ、もてるんじゃね?なんかいつ見てもいろんなヤツに囲まれてる、人気者って感じ?」
「ふうん」
俺自身は陸上部にも安藤にも接点はなかったので、あまり意識したことはなかったが、たしかに休み時間ごとに誰かと一緒にいて笑っている気がする。
「あと、一年の時は二組だった。お前の雪見ちゃんと同じ」
にやにや笑う友人の顔に軽く拳を当てる。平和主義者というか、主夫である俺の手は繊細なので本当に軽く。
大袈裟にヤツはのけぞって、けどまだへらへら笑い続けている。
こいつをはじめ、周りは俺と雪見の関係を誤解し続けている。ま、俺のほうが変わってるってのは解るんだけどさ。
「なんか、安藤が俺と雪見の関係を訊いてきたんだよ」
「おっ、ライバル登場ですか。盛り上がるねえ、学園ラブコメッすねえ。乗り換えられるのはやくね?きっしっしいたっ!ちょ、主夫の均くん包丁持つ手大事にして!」
なに言ってやがる。調子がいいったらねえ。
俺が帰宅部を貫き、家に帰れば家事の一切を取り仕切る主夫であると、知っているものは学校にはそんなにいない。
少しぐらいならプラスポイントだろうけど、さすがに主夫レベルなのは俺の名誉に関わるだろう。中学生はナイーブだ。
得意料理は筑前煮ですが何か?特技はまつり縫いですが何か?
「…自分で自分の首絞めたくなってきた…」
「そんなんじゃ安藤に雪見ちゃん取られちまうぞー」
「安藤が雪見のこと好きって勝手に決めつけるなよ」
べつに、好きじゃないとも決めつけられないが。
「第一、ふたりがどうにかなっても俺には関係ないって。つきあってないんだから」
「うっわ、いやだねこの男は強がっちゃって。そんなこと言って、雪見ちゃんがデートに夢中で構ってくれなくなったら嫌なくせに」
強気で断言したはいいが、おばちゃんのような口調ではやしたてられて、その様子を想像してみた。
何とも言えない、いやーな気分になって、
「だめだだめだ、雪見にはまだ早い!門限六時は死守させる!」
「お前はオヤジか」
※※※※※
「安藤くん?うん、知ってるよ」
穀粉堂のプリンがあるけどうちくる?のひとことで雪見はうれしそうにやってきた。
別にもので釣らなくても三日とおかずに遊びに来るが。
「いや、あのさ、いま俺のふたつとなりが安藤でさ」
なんか、ここまで来ると踊らされているような気がしないでもない。
安藤は何もしていないし、変わらず雪見にモーションをかけているという話も聞かないのだが、あれ以来妙に、俺に話しかけてくる。
一緒に雪見と暮らしていた頃のこととか、家ではどういうふうなのかとか。
き、気にしてないぞ。別に気にしてない。
「安藤くんがどうかした?」
プリンのカラメルで口の端を汚しつつ、純真な眼差しの雪見を目の前にすると、こう。
「お前、あの、安藤となんかあった?一年のころ」
はい、気にしてます。ものっそい気にしてます。
俺もけっきょく、家に雪見とふたりでいると虚勢も解けると言うことだ。
「…んー?なんもないけど?」
しばし思い起こそうと空を見上げたが、けっきょくは首を振る。
改めて、何も思い当たることがないと確信したらしく、うんうんと頷く。
「安藤くんはクラスの誰ともきさくに話してたからなあ。あたしとは、そうだな、お弁当の話はよくしたよ」
「弁当?」
うん、と雪見は頷いて。手つかずの俺のプリンを見つめているので無言で差し出してやった。
「安藤くんっていっつもパンかコンビニ弁当とかだったんだよ。あたしの弁当が美味しそうだねってほめられた。時々おかず分けてあげたり」
「…って、おい。一年の時の弁当って」
「うん、均くんの愛の詰まったお手製弁当。ちゃんとママに作ってもらったって言ってたよ!」
一日も欠かさずにこさえ続けた俺の努力の結晶。雪見の言にほっと一息つく。
雪見の要求とはいえかにさんウインナーとかキャラ弁とか、(実は結構嬉々として)作っていたとは知られるわけにはいかない。
しかし、弁当のやりとりか。やっぱ、そう言う下りで仲良くなったんじゃないのか…?
雪見はそう思っていないだけで、安藤のほうは解らない。
「…そっか、いや、唐突に訊いて悪かったな。何でもないんだ」
「うん、別にいいよお」
気にしたふうもなく笑う雪見。プリンを前に機嫌がいいのだと解釈して、俺は不審に思われなかったと安堵した。
……が、そんな考えはプリンふたつ分より甘かったようで。
※※※※※side雪見
「安藤くん、ちょっといいかな」
あたしは、西棟階段を駆け下りようとする安藤くんを見つけて呼び止めた。
授業が終わればすぐに部活動に向かっていく彼は多忙。だから昼休みの今の時間、ひとりになる移動中しかチャンスがない。
「中水流?なんか久しぶり。うん、どうしたん」
安藤くんは突然現れたあたしにびっくりしたみたいだけど、すぐに笑顔になっていつも通りに返してくれた。
なんか気合いを入れてきたのにあたしのほうが怯んでしまうよ。
「あー、いそがしい?なんか急ぎのとちゅうだったらごめん。ちょっとで済むんだけど」
「いいっていいって。グラウンドでサッカーの予定だったけど俺ひとり遅れても」
安藤くんはやっぱりきさくだ。今からあたしが言おうとしていることが、この時になってちくちくと胸に突き刺さるみたい。
特別教室の集まるこっち側は、昼休みとはいえ静か。誰かにきかれる心配は少ないと思う。
もし、均くんに知られたら。ううん、だめ、きかなくちゃ。
あたしがきかなくちゃ。きく前からびびってる気持ちをふるいたたせ、あたしは本題を切り出した。
「あのね、ひとしく、鹿子木くんと最近よく、話すんだよね」
「鹿子木?ああ、うん、席近くなったら話す機会増えたかな」
「均くんにきいてね、なんとなく、この前こっそり見に行ったんだよ。十分休みにね、ちょうど安藤くんと均くんが話してた」
「うん?」
あたしが何を言おうとしているか、やっぱり安藤くんはぴんと来ないみたいで首をかしげる。そりゃそうだよね。
あたしはもしかすると、とんでもなく失礼なことを言う。
「これはあたしのカンだけど、間違ってたらホントごめんだけど、ぴーんと来ちゃったからこうしてきたわけで、あたしは放っておけないの」
「う、うん。ごめん、中水流。俺には良く話が分かんない」
あたしも分かんないよ。けれど、そうなんだと思うだけで胸がもやもやして我慢が出来なくなってくる。
「もし勘違いだったら殴って良いからっ。均くんには内緒にしてね、ねっ!」
あたしはめいっぱい念を押して、息を吸うと一息に言った。
「安藤くんは、均くんのことが好きなんだよねっ!?」
あたしをダシに、均くんに近づこうなんて許せないよ!
※※※※※side雪見
恋するあたしだからこそ、ううん、均くんを好きなあたしだからこそ、わかっちゃった。
いつも笑顔の安藤くんが、均くんと話してるとき3割り増しキラキラしてた。
目とかウルウルしちゃってた。こんなこというと雪見の話は要領が悪いと均くんに怒られそうなんだけど、少女漫画とかであるキラキラの背景が見えたんだよ。
これは、同じ男の子の友達を見る目じゃないよ、絶対違うよ!
安藤くんは、他の誰とも違う目で均くんを見てる。それは間違いないんだ。
それを見つけちゃったからには、あたしは黙ってるわけにも行かないわけで。
「……えーと」
確信を持って言ったんだけど、安藤くんは思いきり困った顔をしていた。にが笑いってヤツだ。
「……」
なんか言ってくれないと、だんだんあたしもいたたたまれなくなるんですけど。
ち、ちがったの、かな。いや、間違いないはず。安藤くんがなんか言うまで、待ってみる。
「…中水流は、鹿子木のことが好きなんだなあ」
「!!?な、え?あたし?」
ぽつりと言われて顔が真っ赤になるのがわかった。な、何も言ってないのに。
わ、わかっちゃうのかな、だったら恥ずかしいな!
熱を持てあますほっぺを両手で冷やして狼狽えていると、安藤くんはとても落ち着いた様子で、今度はちゃんと笑った。あたしは思わずほっとしたけど、すぐに心臓が跳ねた。
「うん、鹿子木は俺が君狙いだと思われてるみたいだけど、それはフェイクで、俺の目当ては最初から鹿子木だ」
「―――――――!!」
ちょ、ちょう展開来た。来ちゃった。ただでさえ均くんてば強敵なのに男の子の恋のライバルとかどうすれば良いんだろう。
早くもあたしの頭はパニックで、普通の感覚すら無くしかけちゃってる。
そんなあたしを落ち着かせるように、ゆっくりと安藤くんが言ってくれる。
「このこと、鹿子木には言わないよ。だから中水流も、鹿子木には言わないでくれよ」
恥ずかしそうに目元を細めて、逆光がまぶしく髪の毛に反射してる。
何というか、本当に格好良くて、あたしは思わずうなずき返してしまった。安藤くんはありがとうと言って足取り軽く階段を下りていく。
(あんな格好いいひとに勝てるのかな…)
あたしの思考はまだ現実に戻ってこない。
※※※※※
安藤が雪見のことをちょっと気にしてるんじゃないか、という疑惑が俺の中で一応落ち着いて以降、また元通りになった。
というか、心持ち安藤と会話する機会が増えた。ような気がする。
気がするというのは俺の主観だが、気にかかる要因が無くなった以上安藤を避ける理由はどこにもなく、俺と一番席の近い男子だから、授業のこととか自然とそう言う流れになった。
と言うかアレ?俺って安藤を避けていたのか、と言う自覚もあいまって、安藤のひとの良さがよりまぶしく映る。
馬鹿騒ぎの冗談もやらかすが人の嫌がることは察して絶対しないし、話題は豊富だし空気読むしこりゃあ人気者だわと本当に感心する。
すっかりうち解けてきて、昼飯を一緒に食っているとき、本当に安藤がいつもパン食やら、とにかく栄養が偏りそうな献立なので、俺のからお裾分けしてやる。
俺が作ったとはもちろん言ってない。男子には特に言いたくない。
安藤はまあ、言いふらしたりはしないと思うが、ううむ。
「うまいな、このきんぴら」
「肉巻きアスパラもやるよ、ほれ」
爪楊枝でつまんでいく安藤の、パンの袋にひょいひょいとおかずを運んでやる。
それを見た周りの奴らが「安藤が餌付けされてる」と笑うのだが、もう珍しくもない。
「陸上部でがんばる安藤の肉体は、実はうちの弁当で作られている」
わざと神妙に言えば、周りはどっと吹き出した。が、当の安藤はにこにこしていて。
「……」
俺を見る目がふと、意味深に細くなった気がして口の中のものをごくりと飲み込む。
「そう、学校での一番の楽しみが鹿子木家の弁当だったりしてー」
気のせいかと思うぐらいすぐに、安藤も軽く乗ってくる。俺はそれにほっとするが、
(…あれ?)
「……」
周りの奴らが散っていって、安藤がこちらを見る。目が細くなる。いつもの笑顔。人好きのする。
「……このあと時間ある?」
なぜか悲しそうな顔になって、安藤が言った。
アレ?
俺は心底、手のひらににじむ汗の理由がつかめなくて言葉も出ずに頷くしかない。
※※※※※
誰もいない場所での密談、と言えば屋上が定番かも知れないが、うちの学校はリアルに立ち入り禁止だ。
なので校舎裏にやってきた。ほとんどは薄暗いが、この校舎裏は日当たりが良く風当たりもいい。
俺たちは無言でそこまで連れ立っていくと、距離を置いて向き合った。
まるで今からケンカを始めるみたいな、端から見るとそう見えそうな雰囲気が漂っている。
(い、いや、ケンカなのか?しかしなんで?)
安藤の意図がつかめないので、俺はひたすら緊張して立ちつくすしかない。
ただ、席替えをしたときからずっと感じてはいた、安藤の微妙な空気、俺に向けられている何かの思惑。
それがようやく明かされるらしい、そう感じ取って無駄にびびってしまう。
「ずっと、言いたかったことがあるんだけど、ふつう、言わない方が良いことだろうけど」
安藤がふいに切り出した。
誰もいないところ、話がある、と言われて思いつくのは決闘か。あとは。
―――――告白だったらどうしよう。
思いついた考えに自分で脱力する。慌てて顔を引き締める。
安藤は真剣な顔をしてるからな!まじめに聞け、俺!
「とあるひとの姿を見ていたら、言いたくなったんで、言おうと思う。」
「お、おう」
どんなことを言われるのか、まるで予想がつかなくて動悸が激しくなる。
――――実は俺、中水流のことが好きで、君を利用して近づこうとしていたんだ。
潔い安藤らしい、こんな打ち明け話だろうか。もっとも可能性の高そうな予想を浮かべてみたが、見事二秒で打ち砕かれた。
それはもう、180度三回転ひねりぐらいの方向違いの言葉で。
「俺、ずっと鹿子木が気になってた」
「……」
「……」
――――――一度息を吸って、吐いてから。
「はい??」
「一年の時、中水流に話を聞いてたときから、気になってて、何度か教室まで見に行ったこともある。同じクラスになって嬉しかったし、席が近くなって実はすごい動揺してて、でも話せるようになったら、もっと気になるようになってて」
「ちょ、ちょ、ちょ!」
一度決めてしまえば男らしく潔い安藤の口は止まりそうもなく、恥じらって目を伏せるどころか真っ向から俺を見つめて淀みなくすらすらと!
お、俺かよ!後ろを振り返ってみるが当然誰もいない。安藤は間違いなく俺に向かってこれらの台詞をぶつけてきている!
※※※※※
「…こんな事言われたって、困るってか気持ち悪いだけってのはわかってるんだけど、とりあえず知って欲しかったんだ、俺の気持ち」
俺が硬直して突っ立っているのを見て、安藤は気遣うようにそう言ってきた。
いや、正直困ってるが!どうしようもなく困ってるんだが!
気持ち悪い、とは違うような気がするんだよな…安藤いいヤツだしな…。
「その、なんで俺なんだよ。他には、いなかった?そう言うヤツ」
「…どうかな。こんな風に思うのは初めてで、しかも男子相手にってのは俺自身戸惑う部分もあったけど」
そりゃそうだろ。どこか抜けた物言いの安藤に呆れながら、黙って先を待つ。
「技術家庭での手先の器用さとか、料理の味とか、面倒見が良くって過保護だったり、一緒にいるとほっとするとことか」
オイオイオイなんかいくつかスルーできない箇所が見受けられるんですが。
こっぱずかしい台詞の羅列もあえて置いておいて、俺は即座に突っ込んだ。
「りょ、料理の味とかって、まさかあんどー…」
「だって中水流言ってたから。均くん本当に料理上手なんだよって。一度ぽろっと漏らしただけだから本人は覚えてないかもね」
「あああああああ雪見ー!!」
頭を抱えて間違った名前入力みたいな絶叫を漏らしてしまう。こんなところからも漏れていた。この調子だとポロポロとばれてそうだな俺の秘密!!
「本当に、俺の思い描いた理想そのものなんだ。自分でも何でって思うけど」
「いや本当なんで、だよ。家庭的ってんなら女子もいるって。むしろ女子のがいるって」
「でも俺は鹿子木じゃなきゃ駄目なんだ!」
熱っぽく告げられて卒倒しそうになる。どうしよう、本当どうしよう。
「頼む、鹿子木、秘密にして欲しいのは変わらないけど、ふたりの時だけで良いんだ、俺の…!」
両肩をがっしと掴まれて詰め寄られる。ちょ、大声で叫べば良いのかこれ?
あれ、これ気がつけば俺生まれて初めての告白じゃねっつか相手男とかどんだけ!(涙)
「俺の、母さんになってくれ!!!」
「……」
「……」
―――――――――ぶつん。
何かの、たぶん俺の、緊張の糸が切れた音が聞こえた気がして、それはもう、まさしく最ッ高に不機嫌な、すさまじく据わった目で安藤の顔面を見上げた。
「か、かこ…」
さすがにぎょっとした安藤は俺から離れてくれたが、もちろんそんなことでおさまりはしない。
「なんっっじゃそりゃあああああ!!!」
俺のめいっぱいの叫びがこだまつきで響き渡った。
※※※※※
「うち、父子家庭なんだよ」
さすがに騒ぎすぎたため、場所を非常用階段の影に移動した。
俺は真っ赤に染まった顔を(怒りと羞恥で!)見せないため、背を向けたまましんみりとした安藤の話を聞いていた。
「母親は物心つく頃に他に男作って出て行ったらしい。おぼろげにしか覚えてないけど、あと父親の話でも、家のことも俺たちのことも関心のない人だったらしい。だからまあ、未練とかないし慣れたけど、やっぱりずっとどこかで他の友達が羨ましかった」
俺はききながら、雪見のことを思い出していた。
「まあ親父も俺も不器用で家事もろくに出来なくて、でも何とかここまでやってこれたし、慣れたんだけど、慣れたと思ってたけど…ずっと母親の存在を思い描いてた」
こんな母親がいたら、こんな人が俺の母親だったら、実の母は絶対にしてくれなかったこともしてくれるような。
「テレビの女優でも何でもさあ、近いかもと思ってもこれだ!と思う母親像がいなくってさ、まあ一種妄想なんだけど。だから鹿子木を見たときは本当びっくりした」
「顔か!?この顔か?お前の理想の母親像ってのは少年顔!?」
「いや顔じゃなくて」
さっくりと否定されていたたまれ無さが強くなる。普通こういうのは打ち明け側の安藤がもっと動揺しても良いはずだが。
「何度、母さんって間違えて呼びそうになったことか」
「俺は小学校の先生か。じゃなくて!」
だんだんまどろっこしくなってきて、俺は振り返ると安藤と向き合った。
階段に腰掛けて俺を見上げる安藤の眼差し。微妙に狼狽えてしまうが、そうか、そうだったのか!
これは甘えたがる子供のような目だったのか!もしくは絶対の信頼!みたいな。
「もう中学二年だってのに、おかしいだろ。でも中水流が羨ましくて、本当に嫉妬でどうにかなりそうだったんだ。鹿子木は俺の母さんだと何度牽制しそうになったことか」
「いや違うだろ、認知してねえからな!?っていうか雪見にナニ言いそうになっちゃってんの?俺はなあ!」
ごほんと咳をして。言いたいことがちゃんとまとまり切れてはないのだが、伝えるべきことは今言うべきだ。
「雪見は雪見で大事だし、安藤のことはそれはそれ、そのー、いいヤツだと思ってんだよ!母親とかそんなのはまー、驚いたし物理的に無理だが、なんだ、まあ、うん」
俺は、なんかこう、雪見に出会ってからうすうす感じていたことなんだが。
「時々面倒見るぐらいには融通きかすから、それで勘弁してくれ」
慕われると、甘やかしてしまうようだ。ああー。
「……俺が勝手に母さんって思ってるのは良いのか?」
「…人の譲歩案を速攻砕かないでくれよ、頼むから」
せめて父さんにしてくれと思う俺は、もうかなりのところで負けているような気がする。
※※※※※※※※
最近、雪見の俺を見る目が変わっているような気がする。
ちょくちょくクラスに顔を出すようになったし(からかわれるのを俺が嫌がるので最近遠慮していたのに)、特に安藤と話しているときは、本当にじっっ、といった感じで凝視している。
割ってはいることもしばしば。
な、なんなんだろう、雪見から、安藤に対する敵意のようなものすら感じるんだが。
「…今日の数学、俺確実に当たるじゃん。予習やってきて無くてよ」
「へえ、鹿子木って予習とかちゃんとすんの。えらいんだな」
「そうだよ、均くんはまじめでえらいんだから」
こんな具合に、普通に話してても棘のある口調で、安藤をつつくような言動を取る。
雪見っぽくないなとは思うが、どうにも事情が聞き出せずに俺ひとり居心地の悪い思いをしているようで。
「―――安藤くんと均くんさ、最近前より仲良くなったよね」
「へっ?そうか?」
いきなり振られて反応が鈍い。けど改めて考えると若干、話したりする機会は増えているような気がしないでもない。
ぶっちゃけたぶん、より安藤が俺に構うようになったからなのか。俺も謎が解けてすっきりした分気兼ねなく話せるようになったからか。
「なんかあった?」
「え?いやー、なんかあったちゅーか…」
あったと言えばあったが、これは安藤の事情だから、俺の口からしかも教室で話すわけにも行かず。
「――――まあ、あったといえばあったけど」
俺に向けられた問いに、安藤はにこりと笑い、組んだ手に顎など載せて、雪見へと身を乗り出す。
「中水流には秘密だよ。」
「……おい」
「―――――――っっ!!」
不敵な、気さくな人気者の面影などどこへやら。
挑発としか思えない安藤の物言いに、雪見の顔は見る間に真っ赤に染まる。
「だめーっ、ひっ、ひとしくんはわたさないんだからー!!」
「こっちだって、中水流に独占させるつもりはないからね」
ばちばちと、俺の目の前を熱い火花が飛び交う。
あのー、俺の意志ってヤツは無視ですか。
手のかかる子供をふたり抱えた親、みたいっていうんだろうか。
こんなどうしようもなく、きっとどんどんと絆されてしまう俺って。
(2009.11.13)
(2010.7.17)