1 三月前



「結婚しようかと思います」
 ルイーダの酒場のいつもの席、いつもの顔ぶれでのランチタイム。
 卓上には大皿料理が並び、各人小皿に取り分けて好きなだけ食べる。早い者勝ちだ。
 今日のメニューはキオリリの希望で魚のカルパッチョ、トマトとチキンのラビオリ、ポテトグラタン、グリーンサラダ。デザートはプディングの予定で、今から楽しみだ。
 楽しみだった、が。
 ルインが唐突に、ラビオリを呑み込んだかと思うとそう発言した。
「あ、そう」
 確かに、一瞬とはいえ止まった時間を再び動かしたのは、オマールだった。
「…びっくりした。そうなの?ルイン?もうすぐなの?」
 キオリリもようやく、不意を突かれた表情のまま確認のため繰り返す。
「うん。とりあえずみんなには言っておこうと思って」
 普段から、お互いのプライベートにはあまり関わり合わない付き合いをしている。
 誰と、どんな交友関係を結ぼうと、口出しもしなければ手出しもしない。
 ただ、招集をかければすぐに駆け寄ってきて、どんな難題にも強敵にも立ち向かう、暗黙の了解があった。
 言ってしまえば、仲間としての信頼はあるが、それ以外の馴れ合いは極力してこなかったのだ。
「…そうかよ、おめでと」
 それでも、突然にだって(と言うかいつだってこの赤いのは唐突に話を持ってくる)、告げられた言葉には感慨を覚えた。
 ずっとともに過ごしていたのだ、何も見ず考えずに、一緒にいたわけじゃない。
 ガトゥーザはそう言うと、ルインに笑顔を向ける。
 手を伸ばして、いつものようにわしわしっと頭を撫でようとしたが、思い直すように引っ込めた。
 ルインの視線が一瞬、その手を追うようにさまよって、ガトゥーザの顔に戻ってくると、はにかむように笑う。
「ありがとう」
「おう、しっかりやれよ」
 お式は三ヶ月後で、まだ詳細は決まってないけど、都合が合えば来て欲しい。ルインはそれだけ三人に告げた。
「招待状も出さない、小さい式をやるつもりだから」
 豪華なおもてなしは出来ないけど、良かったら。
 そう告げるルインは、いつもの真顔だったけど、あとはもうもくもくとポテトグラタンを頬張ってたりしていたけど。
 瞳はきらきらとしていて、頬の端が赤みを帯びていて。
 そう言えばルインの髪はずいぶん伸びた。今では肩に着く。出逢った頃はどこか不思議で性別を感じさせなかった雰囲気が、今は和らいで、ずいぶんと優しく、あまい。


(ルイン、恋をしてるんだ。お嫁さんに、なるんだ)
 キオリリはふっとその事実に胸が熱くなった。
 自分でも驚くほど、嬉しかった。何というのだろう、感動、しているのだろうか。
 あの、小さく危なっかしく、すばしっこい、不思議な瞳のルイン。
 自分の意見はしっかりと主張するくせに、いつだって誰かのために走ってる、優しい子。
 そっか。ルインが、誰かと、そのひとと幸せになりたいって思ったんだね。
 キオリリはルインの交際事情に詳しくもなければ、結婚相手に確信も持てない。色々な人と仲が良いんだなと思っていたから。
 けれど、本当に嬉しかった。心の底から祝福してやりたい。
 何か、お祝いが出来たらな、と思う。きっとガトゥーザだってそう思うはずだ。
 

 食事を終えて、それぞれ解散になったとたん、男性陣がばらばらに立ち去っていこうとしたので、キオリリは正直狼狽えた。
「どこに行くの」
「ちょっと所用が出来たから数ヶ月留守にする」
 真っ先に、オマールの感情を廃した声が答えて、隣で立ち上がっていたガトゥーザもわずかに目を瞠った。
「オマール」
「…式には間に合わないかも知れないね。でも急用だから」
 ルインが、ほんのわずかに寂しさを隠せずに名前を呼んだのが解った。オマールは意外にも、若干声を和らげて答える。
 ふたりのそのほんのちょっとの変化に、キオリリもガトゥーザも気づけるぐらいには、付き合いが長い。
 けれど、しばらくこの街から離れたいという、彼の心境がふたりともわかるのだった。
 やっぱりそのくらいの間、ふたりはふたりを見てきていたのだから。
「そうか、気をつけて行けよ」
「うん、じゃあ」
 あとはもう何の妨げもなく、オマールは杖をとって酒場を出て行った。
 ピンクの後ろ頭が遠ざかる。ひとりで、ちゃんと無事に戻ってくるかな。所用が方便だと、キオリリにだって解るから。
 見送ったルインはしょんぼりして見えたが、すぐ思い直したようにガトゥーザを見上げる。
「ガトゥーザは?」
「ああ、俺もちょっと用事を思い出してな。でもま、大した用事じゃねえよ。すぐ帰ってくるわ」
 立ち上がった彼の手元に、ちょうど良くルインの頭があって、また上げかけた手を、不自然なまでにぐーるぐる腕を回してごまかす。
(…ガトゥーザ、そう言えば頻繁に頭撫でてたんだなあ)
 頭とか、肩とか、側にあれば定位置みたいに、ぽんぽんぽんぽん置いていた。
 オマールにもそうだがルインに対しては、本当にぽんぽんしたりわしゃわしゃしたり、時にバイオレンスに殴ったりはたいたりも日常茶飯事。
 大袈裟に見えることもあったが、キオリリにも見慣れたふたりのやりとり。
(変わっていくんだ)
 ガトゥーザの手を、ルインの瞳が見つめて、それでもそっと視線を顔に戻して、笑う。
「うん」
 彼女の眼差しにも、確かにキオリリと同じ思いが込められているのを感じた。
 これからこの関係も、変わっていくんだ。




 友人と会う約束があるというルインと別れ(友人にも結婚の報告だろうか)、キオリリはそっとガトゥーザのあとをつけた。
 ガトゥーザのこのあとの用事など、無かったはずだ。つまりは明らかに、ルインの結婚を知ってから出来た用事なのだ。
 彼のことだ。サプライズな祝福方法を思いついてその準備と言うところだと思うのだが、どうにも気配が硬質すぎる。
 なぜ、歩きながら剣呑な気配をこうも放たねばならない?
(まさか、ガトゥーザもルインのことを?)
 思い当たった可能性に自分で吹き出した。いやいやいやいや。その可能性も否定できないにしろ、今は気を引き締めろ。尾行の最中だった。
 ガトゥーザはどうやら探し人を訪ねているらしい。色々と思い当たる節を聞き込み周り、やがて。
(あ)
 キオリリも見たことのある、馴染みのある深い赤髪の青年と出会った。
「よお、ディア」
「よー、ガトゥーザ。どうしたよ。…なんかあったか?」
 さすが気配にさといレンジャーも兼任するバトルマスターであるディアは、現れたガトゥーザのほがらかとは言い難い気配に眉をひそめた。
 ふたりは顔見知り以上に親しく交友があったので、いつもとの違いにも敏感だ。
「いんや。ちょっと寝不足なんだろうよ。ところで、レイヴァン見なかったか」
「レイヴァン?」
 物陰に伺ってふたりを見つめるキオリリは、息を詰めた。
 レイヴァン。ディアの仲間の魔法使いだ。金髪の。
 綺麗な顔をした男だった。出逢うたびに違う女性に声を掛けていた、軽薄な印象が強い。
 彼はルインともとても気があっているようで、いつ見ても仲が良さそうに笑っていたのを思い出した。




 ガトゥーザは、地面を蹴るようにして歩を進め、気がつけばセントシュタインの外壁を越え、平原の半ばまで来ていた。
「このへんでいいか」
 独り言を呟くように落として足を止める。振り返れば、あとを黙って着いてきた青年の顔が目に入った。
 わずかな困惑をにじませ、それでも散歩を楽しむかのよう、微笑んで視線を受け止めるのは、長身の魔法使いレイヴァンだ。
「どうしたんだい、ガトゥーザ君。いきなりこんなところに連れだして。そろそろ理由を聞かせてもらえるかな」
「おう、いいぜ」
 低い、声で答え、それでもガトゥーザは笑って見せた。
 ようやく種明かしできるのが嬉しくてしょうがないといった響きがあった。
「俺と勝負しろレイヴァン」
 レイヴァンは、想定外というわけでもなかったようだ。
 わずかに薄青の目を瞠っただけで、困ったように微笑み返す。
「どうしてそんな話になったんだい?」
「俺が、あいつの暫定保護者だからだ」
 ガトゥーザはきっぱりと告げる。レイヴァンに向ける眼差しはその闘志と同じく厳しく強い。
「父親がわりの師匠さんは長いこと留守にしちまってる。式にも間にあわねえかもな。だからといって無視は出来ねえ」
「キミが、ボクと戦う理由にはならないよ」
「なるな。親父と戦う度胸もねえやつに娘はやれねえ」
 ガトゥーザは、いつも肌身離さず持ち歩いている愛用の槍を、草の地面に横たえた。
 その他、身に忍ばせている小刀や刃物をぽいぽいと散らし、手袋も外し、しまいにはブーツも脱ぎ捨てた。
「本来俺とルインは他人だ。妹みたいに大事に思ってるとか気色悪いこと言うつもりもねえ。だからお前らのどうこうに口出す資格はねえわな」
「そんなことは言わないけれど」
「言えよそこは。けれどまー、俺はパーティーのリーダーやっててね。なんかあったとき俺がフォローしてやるってのは思ってんだよ」
「ああ、そうだね。キミが慕われていることも、キミがみんなを大事に想う気持ちも、見ていれば解る」
「見ただけで解られてたまるかってんだ」
 風が強く吹いて、レイヴァンの長い髪と裾を乱す。その一瞬の隙をついて、ガトゥーザが地を蹴った。繰り出された拳をレイヴァンは一撃目は避けたが、追撃の一手はもろに頬を打った。
「うっ…」
 一歩、後退したものの、体勢を立て直したレイヴァンは、ぽんと服を払うと、もう一度ガトゥーザと対峙する。
「欲しけりゃ奪ってみろ。や、べつに俺のもんじゃねーな」
 セルフツッコミをしながら、それでも構えを解かないガトゥーザの視線はいっそう、鋭さを増す。
「ボクはキミと戦わない」
 受ける、レイヴァンの眼差しも、先ほどとは変わって真剣なものになった。
「どんな理由があっても、ルイン君の大事な仲間を、傷つけるようなことはしない」
「あっそうかよ。俺は殴る」
 拳が突き出されて風がうなり声を上げる。レイヴァンは避け、防御はするもののけして手は出さずに、そのうちの何発かは受けてしまってよろめく。
「それがてめえの女の護り方か!」
 声を荒げるガトゥーザに、体勢を崩したままレイヴァンは顔を上げる。
 その胸ぐらを掴み上げ、ガトゥーザはもう一撃、拳を固め、
「惚れた女のために俺を殴ることも出来ねーのか!」
「!!」
 レイヴァンの肩があがり、ふっと、風を切って。
 ガトゥーザの顔面に、叩き付けられた。
「…ッッへぶぁっ!」
 非常にかっこわるいうめき声を上げて、ガトゥーザが倒れ込んだ。人体急所の眉間にぶち込まれた拳は、予想以上に重々しかった。
「や、やるじゃねえかげふっ!!」
 ガトゥーザをやっつけた!レイヴァンはレベルがあがった!!
「ちょ、いやいやいや!!大丈夫かいガトゥーザ君!今のはつい…!」
「謝るんじゃねーよげふげふ」
 大あわてで駆け寄るレイヴァンの手を拒否しつつ、ガトゥーザはほっと息をついた。
 しかしレイヴァンは空気も読まずに、けれど必死に言いつのってくる。これだけは伝えておきたいと言わないばかりに。
「どうか、誤解しないで欲しい。彼女のためといってボクが暴力をふるうことは今後もあって欲しくない。今のは、その、ボクがルイン君を愛していないと言われたような気がしたから…その、カッとなってしまって済まなかった」
「……」
 ゆっくり、身体を起こすガトゥーザに、レイヴァンはその場に膝を着く。
「ボクとルイン君の絆は、他の人から見ると少し変わって見えるかも知れない…説明が難しいのだけど、それでもボクは生涯、ルイン君を護り幸せにする為に努力を惜しまないつもりさ」
 穏やかな声で、レイヴァンは告げる。解って欲しいと言うよりは、その事実を誇らしく思っているかのような響きがあった。
「そうだね。ガトゥーザ君に言うのが礼儀なのかも知れないね」
 神妙な眼差しで、ゆっくりと頭を下げる。
「どうか、ルイン君と添い遂げる許しをくれないか」
 その声は切実に、思いの丈が込められているようで。
「あー、いーよ持ってけ。て、べつに俺のじゃねーよ」
「あっさり!??」
 思わずレイヴァンは耳を疑って顔を上げてしまう。ガトゥーザはけろりと頷く。
「だから俺のじゃねーっつってんだろ。これは単なるなんつうか通過儀礼?女共には、チビにも言うなよ」
 立ち上がったガトゥーザは、鼻血を甲で拭うと投げ捨てた衣服や武器を拾い集め、さくさく撤収作業に入っている。
「もちろん言わないとも!これは男同士の硬い神聖なる約束さ!」
 生真面目に瞳を輝かせ、同意するレイヴァンをげんなりした目で見ながら、それでも去り際、ガトゥーザはぺこ、と一秒きっかり、頭を下げた。
「んじゃま、よろしく頼むわ」
   

 




 セントシュタインに戻る途中の岩陰に、しゃがみ込んで膝を抱えたキオリリと遭遇した。
「のぞきか、いやらしいやつ」
「……ありがとう、ガトゥーザ」
「おう」
 久しぶりに声を出したかのような、かすれた声に短く答える。
 5発、入れてやった。人数分きっちり。あれ?もう一発は誰の分だっけと不思議に思うのだが、脳裏には虹色の羽根の輝きがちらつくだけではっきりとしない。
「……寂しい」
 キオリリが、草原を赤く染め上げていく夕陽に、吸い込まれ消えていくような呟きを漏らす。
 たったの一言に、彼女の万感が込められている気がして、ガトゥーザは黙り込んだ。
「うれしい…寂しい」
「泣くな」
 短く告げたあと、ガトゥーザはばつが悪そうな顔をして、昔なじみのまっすぐな紫の髪をぐしゃっと撫で、その場をあとにする。
「やっぱいま、泣いとけ」
「…っ、うわあああああん」
 肩を震わせ、泣き声が上がる。
 もう子どもではないから、ガトゥーザは聞かなかったことにして歩き出す。
 気は済んだが晴れはしない。
 ひとつの別れには違いなかった。
 ただ門出には相応しくない。自分たちには相応しくないから、今だけ少しだけ、顔をしかめる。













(2010.6.13)