2 2週間前
式当日が近づくと、分刻みのスケジュールになってきた。
レイヴァンとルインは極力手作りの式にこだわって、披露宴のようなことはせずに公園の一角を借りてガーデンパーティーをしようかと話し合っている。
借りるものは衣装と教会のほんのひとときと、神父さんだけだ。
あとは全部、自分たちの手で作ることにした。
「こういうの、美しくないってレイヴァンは思う?」
「にゃー」
「まさか。結婚式は花嫁が主役。キミの思うとおりの式にしなくては意味がないさ」
セントシュタイン郊外にある、もともとは別荘だった一軒家を中古購入し、改装してふたりはゆっくりと各々の私物を運び込んでいた。
古びたお家はまだまだ、改善の余地が多いが、壁紙の張り替えもペンキの塗り替えも全部ふたりでやるつもりだ。
屋根を何色で塗ろうか、庭をどう造っていこうか、ひとつひとつ考えるのも今から楽しみだった。
パーティー会場を飾るサテンのリボンを縫いながら、いろいろと計画を練るのも楽しい。
結婚式が迫ると普通はもっと余裕が無くなりそうなものだが、いつになってもルインもレイヴァンものほほんとしていた。
「ルイン君は、高砂席に座ってスポットを浴びるのが気詰まりなんだね」
真剣に作業に没頭するルインの横顔を穏やかに見つめ、レイヴァンが呟いた。
ルインはゆっくりと顔を上げ、心持ちばつが悪そうにこっくりと頷く。
「うん。同じ高さにいろんな人がいれば良いんだけど、ステージって苦手なんだよ」
「先人に倣った式もそれはそれで素敵だけど、違う形式だったからって美しくない、なんて事はないさ!なんと言っても美しいこのボクと、ルイン君がいるんだから!」
室内だというのに、レイヴァンの頭上からライトが照らされるかのよう。きらきらっと陶酔した表情になったかと思えば、いつもの笑顔になる。
「たとえ普段着のままでも、ボク達ならば美しい結婚式になるさ」
「美しいかはともかく、いい結婚式になると良いね」
さっくりとルインは言いはなって頷く。関係が婚約者になったふたりは今日も息ぴったりである。
パーティーで並ぶ料理のレシピもふたりで考えた。さすがに調理はプロに頼むことになるが、訪れた人、通りすがりの人、誰にでも振る舞えるよう、誰もが喜んでもらえるよう、色々なことを考える。
招待カードも席次表も作らない。知人友人に口頭で伝えはしたが結婚式の案内も出していない。
来てくれたら嬉しいが、変に構えなくていい形式にしたかった。
サプライズなプレゼントや演出、会場のレイアウト、サービス精神過剰なふたりからはアイデアが尽きない。
それらを吟味して取捨選択し、けして多くはないプログラムを作り上げる。
「うん、楽しみ」
「そうだね、きっとみんなも楽しんでくれる」
「にゃーあ」
家族三人、いやふたりと一匹水入らずで、今度は造花を作っていく。
生花も多く使うが、ふたりの作った造花は生花にも劣らない精巧なできばえのものになる。
会場に置かれた小物に着ける予定の、淡い色合いの造花たち。
「ふたりでお家でこうやってると生活に困って内職してるみたいだね」
「い、いやいや!ルイン君にそんな苦労をさせないようボクは生涯美しく現役であり続けるよ!」
「もはや何の現役か分かんないけど、レイヴァンだからいいか」
「にゃーう」
「ルイン君…っ!」
顔色を変えずに淡々とルインは告げ、レイヴァンが悲しみに打ち震えているのにも構わず、そのまま。
「レイヴァン、そのまんまでいてね」
静かに告げる。
「変わっても良いけど。はげてるレイヴァンとか中年太りレイヴァンとか、それはそれで将来楽しみだけど」
「ルイン君…!そんな美しくないボクを想像しないで!」
「ボクが最初に、いいなあって思った、酒場の席の端っこを空けておいてくれる、今のレイヴァンでいてね」
どんなふうに変わっても。
「そんなレイヴァンだったら、私はこの結婚でほかになんにもいらないや」
「…ルイン君」
ルインはほにゃりと微笑みを向ける。出逢った頃はこんな笑顔を見られるなんて、レイヴァンは夢にも思っていなかった。
酒場の端っこの隣の特等席。レイヴァンは、ルインの語るこのエピソードを知らない。
けれど、そんな自分であり続けたいと思う。泣き方も知らなかったちいさな少女の、涙も笑顔もこの先、ずっと見守っていきたい。
ほかに何も要らない、と言う彼女に、尽きることない幸せをあげたい。
「でもルイン君、幸せは増えていくものさ。これからはボク達二人で増やしていける」
「これから」
「にゃー?」
不思議そうに声を上げるレインを膝に抱き上げて、レイヴァンはほがらかに笑う。
「例えば、レイン君が来てくれてボク達が家族になれたように」
ルインは要領を得たというようにぱっと表情を明るくさせる。
「かぞくか。そうか。うん、ボク達、家族になるね。増やせるんだね」
自分で言っておきながら、レイヴァンはぽっと頬を染めた。けれど幸せな未来に家族が増えるという展望は欠かせないものだ。
もし子供が出来なくても変わらないけど、ふたりの間に子供が出来たら、今よりもっと幸せだと思う。それは想像だけで確かなことだ。
「わんさか産まれると良いね。私妊娠頑張るよ」
「わんさか…!いや、それはとても素晴らしいけど出産は大変だから…!」
「大変で幸せなのが良いよ。そのほうがいい」
まるでその大変さが伝わってこないが、ルインは微笑んだ。
レイヴァンは微笑み返して、細い肩をそっと抱き寄せる。
困難さえも幸せに感じる、そんな相手に出会えたことが一番の幸福なのかも知れなかった。
一日がめまぐるしく動いていく。
ふたりで過ごす時間は心が落ち着いて過ごせるけど、その分それまでの反動も大きいらしく、ルインはいつの間にかうたた寝をしていた。
「はっっ!今日は薬草を摘む日!」
やけにはっきりとした寝言を言い放ちながらルインは飛び起きた。しかしゆっくりとあたりを見渡し、おだやかな木目の柱を見渡して、我に返る。
「ルイン君、疲れているんだね。ゆっくりお休みよ」
レイヴァンはずっと片付けをしてくれていたらしい。
言葉に甘える気になれず、もそもそと掛けてくれていた布団から抜け出しソファから降りる。
「…っ、アレ…」
立ち上がろうとして顔を下に向けると、ぽろりと足の上に水が落ちた。
水は目からこぼれている。一滴に留まらず、ぽたぽたと地面と足下を濡らした。
「…どうしたんだろ」
ぐいぐい目元を擦って首を傾げてると、レイヴァンが大あわてで近寄ってきてルインの目の前に跪いた。
「ルイン君」
「うん…なんか夢を見た気がするんだけど」
「……ルイン君、ホームシックなんだね」
優しい微笑を浮かべ、手を伸ばすレイヴァンに、ルインは再度首を傾げる。
そう言う顔をしているよ、と囁かれる。
「うちは、ここだよ?」
家はまだ慣れないが、レイヴァンとレインのいる、ここがルインの家だ。落ち着く場所だ。
「けれどキミはずっと、ガトゥーザ君やキオリリ君、オマール君と、ずっとずっと一緒にいたから」
頬を撫でられる。レイヴァンの声は責める響きやかなしい響きはなく、ただ幼子に優しく話しかけるようなものだったので。
ルインはそれを、すんなり受け入れて頷く。
「…ガトゥーザにもずっと、会えないんだ」
オマールは相変わらず戻ってきていなくて、最近ガトゥーザも王都を離れることが多かった。こちらはちょくちょく戻ってきているようだが、忙しいのかちゃんと話す機会がない。
「結婚したら、みんなと何かが変わるって事もないと思うけど、でもなんか、もっといっぱい話したかった。話したい」
今までも、ルインの方からみんなと離れたり、長い間会えない期間はあった。
それに話すことは、今じゃなくても出来るけど、なぜだろう、今、会えない今、とても会って話したいと思うことが多かった。
「キオリリとは会えるけど。前よりずっとたくさん話したり出来て嬉しいけど、4人揃うって事は今度からずっと難しくなると思う」
レイヴァンがルインの手の上に手を重ね、じっと言葉を聞いていた姿勢のまま、ひとつ頷くようにまたたきをして。
「会いに行ったらいい、ルイン君」
弱気なキミも愛らしくて新鮮だけど、希望を口に出すに留めるのは、非生産的だと思わないか?
「会いに行く」
その提案に、ルインの目にぱっと光が宿った。
情報を集め、彼らがどこにいるのか、何をしているのか、探り当てるのはもしかしたら無粋かも知れないけれど、それを知ったときに見なかったことにして引き返す事も出来る。
今までだったら、きっとルインはそうしていただろう。好奇心を殺して生きることは、彼女には困難であり苦痛を伴うものだった。
(探すな、詮索するな、とは言われなかった)
一目でいい。一言でいい。会って言葉を交わすだけ。それだけのことが、どうして今まで思いつきもしなかったんだろう。
「結婚式の準備があるよ」
本来なら秤にかけるにもばかばかしい自分の置かれた状況を、ルインは口に出したが、まるで阻まれているかのような物言いになった。
「どちらかが大事かは、今は考えなくて良いよ、ルイン君」
レイヴァンは、未来のルインの旦那様は、すべて解っているという顔で笑ってみせる。
「どちらをしたいかだよ、キミが決めることだ。そして結婚式の準備はボクがひとりでだって華麗に進めておくよ。それともボクでは、頼りにならないかな」
とんでもなかった。この世で一番、信頼という言葉を覚えるひとだから、恋をして結婚までしたいと考えているのだ。
「キミはキミのしたいように、今は遠く離れたふたりに会いに行って、ふたりがどうしているかを見てきて行動を決めるといい。心が落ち着いたら、ボクのところへ帰っておいで」
つないでいた手を一度ほどいて指を絡めると、薬指の指輪がお互いに触れた。
「わかった。会いたいから、会ってくる。急いで戻ってきて、結婚式もちゃんと間に合わせて楽しいものにするよ」
ルインの瞳にもう迷いはなく、彼女は真顔で宣言する。
「それでこそルイン君だ」
笑ってくれるレイヴァンの首もとにきゅっとしがみついて、少しの間、このひとの強さと優しさを充電させてもらう。
「ありがとう、レイヴァン。好きだよ」
「…ルイン君…ボクもキミを」
「じゃあそうと決まれば行ってくるよ!」
背中に手を回し、抱き返そうとしたレイヴァンをすり抜けて、ルインの動きは速かった。
「今からかい!??」
「今からだよ!結婚式もちゃんとするんだから大急ぎでふたりを捜さなくちゃ、特にオマール!」
彼の失踪は二月以上も前だ。情報を探るのは困難を極めそうである。
「にゃー、にゃー」
「ありがとうレイン!行ってくるよ、じゃあレイヴァンっっ」
「あ、ああうん!気をつけていっておいで!」
走り去りかけて、ルインは振り返る。そして真顔で、当たり前の話をするみたいに。
「愛してるよー」
「………っっっ!!!」
不意打ちにレイヴァンはひっくり返った。レインがにゃあにゃあ騒いで心配している。
レイヴァンの愛しいひとは、肝心なことは言わせてくれないのに、自分だけさらっと言って去っていってしまった。
「ボクも、愛しているよ」
帰ったら、抱きしめて返事をしたい。
それはこれからも、繰り返し交わされる言葉であるだろうと思うけれど。
(2010.6.14)