3 一日前
「オマール見っけ」
ルインは弾む息と、達成感を隠す気もない様子でそう宣言した。
目の前には探しに探した仲間の魔法使いが、心底辟易した様子で、眉をひそめてこちらを見ている。その表情すらもはや懐かしい。
ここはエルシオン学園にある、歴史的重要書類や書籍、記録をもおさめる、世界でも指折りの蔵書数を誇る図書館の一角である。
彼は、地震がひとたび起きれば埋没しそうな本の海に、ひとり佇んで大量の書き付けをしているところだった。
約三月前に王都を離れた魔法使いの足跡を追うのは、ルインの全力を持ってしても容易ではなく、かなりの時間がかかってしまった。
オマールははじめ二週間ほど世界中のあちこちを(キメラの翼を多用したらしい)、せわしく行き来しており、それを追う間なんども行き詰まっては足踏みしてしまった。
そして最終的にここ、エルシオン学園に彼がいると聞いて駆けつけた。今は教職として学園に従事しているモザイオが、少しは事情を知っていたのも有り難かった。
オマールは2ヶ月近く、学園に入り浸って魔法について学んでいる。と言ってもほぼ独りで調べ物をしたり、森に出向いて実験をしていたり。時に教職員やゲンカク教授にものを尋ねることもあるらしいが。
「何でここにいるの、今は式の準備で忙しいんじゃないの」
オマールはいつも通りの不機嫌な様子のまま、とても正論である疑問をぶつけてきた。
「オマールに会いたくて会いに来たよ」
それに答えるルインの返事は、なにひとつとして要領を得ない、テストだったら0点ものの内容の無さだった。
「…じゃあ目的は果たされたね。帰れば?」
ルインの顔を見てすぐの間は、さすがのオマールにも動揺が見られたが、彼はすぐにいつもの調子と冷徹とも言える態度を取り戻して、冷静に言いはなった。
ルインは聞いていないわけではなかったが、オマールの隣の椅子にかけて、こちらを見てくれない横顔をじっと見つめた。
「………」
「……なに、気が散るんだけど」
「久しぶりのオマールを堪能してる」
「うざい。その上気持ち悪い」
心底うっとうしがられてルインは満足そうに笑う。
彼が用事があると出て行って数ヶ月。どのような思惑で、どんな用事で帰らぬままだったのか知らなかったけれど、危険や怪我や、災いが彼の身に及ばぬようで、良かった。
彼は傷つきやすく優しい人だ。一見冷たい態度や言葉は、表面上は本心でも彼のすべてではない。
ルインはすでにそれを知っているし、キオリリもガトゥーザも同様だろう。
本当に他人を疎ましく思っている人間の、回復魔力がこんなに高いわけがない。
エルシオンに来てからずっと、魔法使いの基盤や基礎呪文の勉強ばかり、する必要はないはずだ。
ルインはもう、知っているのだ。レインが母親に毎日聞かせてくれる、一生懸命頑張っているお友だちの話。魔法使いになりたいその子が、オマールを先生と呼んでいること。
(結婚式に、来てほしかったけど)
目的は達成できたから、いい。彼はここにいて、ルインの知る彼のまま。
顔を見られて、言葉を交わせたから、満足だ。ルインの胸の中の空虚さは、確かにあたたかい何かで満たされた気がした。
「じゃあ、帰るよ。邪魔してごめんなさい」
すっくと立ち上がり、にこにこと笑顔のままルインは来たときと同じように宣言する。
「何しに来たんだよ」
オマールは心底迷惑そうに顔をしかめる。だから会いに来たと言ったはずだが、ルインの愛はなかなか魔法使いに届かない。
「ボクに不足していたオマール分が充電されたので帰ります!」
「頭痛くなってきた」
本当にオマールは机に突っ伏して頭を抱えた。
君に何が不足というのだろう。何が必要だと。
「…結婚式より僕の顔を見るのが大事だって言うの」
ばかばかしい、と冷笑さえ浮かぶけれど。
「大事だよ」
ルインの返答は、もしかしたらオマールにも予想できていたかも知れない。
「結婚式より、オマールの方が大事だよ。うん、結婚式も大事だけど」
おめでたい、思考回路の持ち主。結婚相手が不憫にさえ思える。たとえルインが結婚式について言ったのであって、結婚相手をないがしろにしたわけではないと、解っていてもだ。
「顔が見たかったのは、ただのボクの感傷だよ」
見慣れた、真顔でルインはそう言って、今度こそ書架の細い間を縫って立ち去っていった。
時間にしてほんのわずか、久しぶりの会話。
けれどオマールはあまり久しぶりという気はしなかった。飽きるくらい思考したので。
(馬鹿みたい)
手のひらにじっとりと汗をかいていた。本物という存在は、頭の中をあっという間に凌駕するぐらい強烈だ。
……消えてなくなればいいのに。
跡形もなく、頭の中の何かと、胸の奥の重く煩わしいものが。
そんな思考に落ち込んでふさいでいる間も、基礎魔法の教本やテキストを作っていると何も考えずに済んだ。
気がつけば呪文系統別に作り上げていった問題集や実習項目は、膨大な量になっている。
(…どうするの、これ)
仕方がないので整理をはじめる。あの鈍くさく要領の悪い泣き虫は、泣き言が多くオマールを苛立たせるが、生真面目さだけは認めてやってもいい。
(これだけあれば、僕はもう要らないだろう)
作った資料を、丸ごとやろう。彼女が変わらずやる気を持続させれば、それなりにそこそこの魔法が使えるようにはなるはずだ。
本格的に上達を目指すなら、もっと良い魔法使いに師事すればいい。酒場にいるのだから、出会う機会はいくらでもある。
(僕が誰かに何かを教えるなんて)
「………」
しかし、まあ、これを渡しに行くためには、セントシュタインに戻らなくてはならない。
オマールは溜息のためにひらいた唇を、しかしぐっと引き結んだ。
ルインがオマールに逢いにエルシオンに辿り着いた日は、結婚式の前日という話だった。
「君、馬鹿?死んだ方が良いよ」的なオマールの罵倒が聞こえた気がしたが、ルインはとりあえず満足して、レイヴァンの元に戻ってきた。
「このお馬鹿が!一片死んでこい!」
「いたっっ」
彼の代わりにガトゥーザが脳天チョップで叱って迎えてくれた。なんだこのパーティー愛。ルインはこの期に及んでもにやにやと口元がだらしなかった。
「…ルイン君…!」
両手を広げ、お出迎え体勢だったレイヴァンはガトゥーザのチョップに先を越されて立ちつくすしかない。
ルインが帰ってきたのは陽も沈んだ夜だったので、前日のリハーサルも何もない。このまま最終の打ち合わせだけして、当日の本番を迎えるしかなかった。
「待たせてごめんね、レイヴァン。みんなもごめんなさい。ありがとう」
ルインはずっと不在にしていたわけではなく、オマール捜索の間も準備のため戻ることもあったが、それでもみんなに迷惑をかけたことに変わりはない。深々と頭を下げる。
「もういいんじゃない。オマールには会えたんだね?」
「うん、相変わらずだった。ちょっと肩こりとかひどそうだったけど」
「どんな感想だ」
キオリリとガトゥーザも、ほっとした様子で笑顔を浮かべる。
しかしして、こんな談笑をしている時間はないのだった。
教会やパーティー会場となる庭先では早朝から準備で忙しくなる。
「ルインちゃん、衣装合わせるからこっち来てっ」
ミリエッカがぱたぱたと駆けてきて、ルインの腕をひっつかむとすごい勢いで引きずっていった。バトマスの力に抗えるはずもなく、ルインはあっという間に式場の花嫁控え室まで連行されていく。
「ルインくーん!」
しばらくぶりの再会を喜ぶことも、レイヴァンには許されない。一言も話せないなんて、なんて無情…!嘆きの声を上げるレイヴァンの後頭部を、小気味よい音が殴打した。
「やかましい、騒ぐなレイヴァン」
「っっ、セツナさん!」
涼やかに響く声と、振り返った先にいる人物の姿を見て、レイヴァンの顔がぱっと笑顔に華やぐ。
セツナと一緒に、ディアもユオも揃っていた。
かなり当初から申し出てくれ、レイヴァンの仲間達も結婚式の準備を手伝ってくれている。
「来てくれたんですね…!」
「まあ、こんな公共の場で馬鹿を晒されたら身内の恥だしな」
「というか、ルインちゃんのためです」
「レイヴァン最後の日、か…」
「そこは独身最後の日、とちゃんと言ってくれたまえよ!」
みんな、相変わらず愛に溢れすぎたコメントである。
セツナは神妙な眼差しで、レイヴァンをじっと見据え、
「未だにお前が結婚など、しかもルインと…悪い夢を見ているようで現実感はないが」
「セツナさん!??」
わずかに眉を下げ、セツナはそっと告げる。
「しっかり、やれ。きっとお前なら騒がしいだろうがいい家庭が築けるだろう」
レイヴァンは、思いがけない言葉に胸が熱くなるのを感じた。
「セツナさん…」
「ルインを護れよ。泣かせたら承知しないからな」
「はいっ、もちろんですとも、このボクの美しさにかけて!って、何でセツナさんがルイン君の親のような目線!??」
動揺していたら、ディアとユオの双子の兄妹にも、両側の肩をポン、ポンとされ。
「てめえは良いけど、ルインに要らない苦労はさせんじゃねえぞ」
「浮気したらザキですよ☆」
「あれ?ボクの幸せは?」
もちろんルイン君に苦労はさせないし、浮気なんて滅相もな…え?そこは信用がない?
愛する仲間達が愛する人を大事に想ってくれるのは、レイヴァンにも嬉しい限りだが、なぜだろう、涙が溢れて止まらないよ…!
「やっぱり重いよね」
「修行が足りないよルインちゃん。ほらあ、動かないの」
花嫁の着るドレスは丈が足下まであって何重にも重ねられていることもあって身動きが困難だった。
衣装は綺麗だが、いつも身軽な格好で飛び跳ねているルインには少し窮屈だ。式が終わったら正直脱ぎ捨てたい。
ミリエッカは、兄嫁のナインの時にも手伝ったらしく、迷いなくぎりぎりとルインをコルセットで締め付けてくれる。痛い痛い痛い。
いや、女の人本当に尊敬する。
「このヴェール、君が作ったのね」
「そう。やっと完成したのに、ルインちゃんなかなか戻ってこないから」
一緒に手伝ってくれるキオリリに話しかけられ、ミリエッカはにっこりと笑い、衣装立てに飾られたヴェールを見つめた。
ドレスに合わせて仕立てられたロングベールは素人の作とは思えないほど、きちんとしている。シンプルなデザインだがチュールの端を彩るレースも素敵だ。
「身長が近くて良かったね。長さはばっちりよ」
顔をのぞき込むように笑いかけられ、ルインもミリエッカの紫の瞳に笑い返した。
仲間よりもずっと、心が頼って甘え続けてきた大切な少女。こんな時まで甘えてしまって、でもルインはそれを悪いとは思わなかった。
ミリエッカのためにルインが何かをするのは当たり前のことであるように、その逆も当たり前のこと。そう、口に出さずとも思い合ってると信じている。
「ありがとう、ミリエッカ。とっても素敵だよ。明日は、ミリエッカがついててくれると思って頑張るよ」
「そう、頑張ってね。ドレスの裾を踏んづけちゃうなんてお約束、ナシだよ」
くすくすと笑いあう少女たちに目元を和ませて、キオリリはふっと屈み、ルインの耳元に声を落とす。
まるで秘密を、話すよう。
「…ルイン、明日は一緒に、バージンロードを歩いてもいい?」
ルインが、ぱちりと両目を瞬いて、さらりと垂れる紫の毛先、褐色の頬をたどり、仲間の目を見据えた。
「アタシと腕を組んで、教会に入場するのはいや?」
「……」
ルインはふるふると首を振った。父親のない娘が、兄や親戚とバージンロードを歩くことはままある。
キオリリが、一緒に歩いてくれる?
「じゃあ、明日はキオリリとも、一緒に結婚式だ」
「うん。そうね。いいかな」
「いいよ」
ルインは即答して、顔が緩み、頬が朱を帯びるのを止められなかった。
結婚は素晴らしいことだけど、式自体をそんなに重要視して考えたことはなかった。こんなに、幸せな気持ちになれると思ってなかった。
そして迎えた翌日、式本番のその時に、まだひとつ、大きなサプライズがルインを待っていた。
教会に、キオリリと並んで入場する。緊張はないが高揚感はある。顔を上げて、花嫁姿に参列してくれている知人、友人たちが笑顔で拍手を贈ってくれる。
その中で、ルインは、花嫁にあるまじきことであるが、我が目を疑ってまたたきを繰り返す。
視線の先、今からキオリリと歩いていく赤いビロードのバージンロード。
その先に待つ、いつもより輝いて見える新郎姿のレイヴァンと、隣の祭壇に立つ、祭礼用の白い服を着た神父さん。
ふたりの男性は新婦の驚きを見て取ったのか、くすりと笑いあう。
緑の髪をした神父さんは、厳かな雰囲気に似つかわしくなく、にやりとした。
レイヴァンが、そんな彼女の動揺を宥めるかのように、微笑んで手を差し伸べてくる。
さあ、おいで。ボクの花嫁さん。
(2010.6.15)