長編「我が名は破滅」直後





 レイヴァンがその道を通ったのは偶然で、
 ルインがその道にいたのも偶然だった。
 セントシュタインの中でもめずらしくひとけのない、隙間を縫うような路地裏だ。
「…ルインくん?」
 遠目にも赤い髪と小柄な姿は明らかで、レイヴァンは確信を持って呼びかけてみる。
「……」
 ゆっくりと、声に気がついたようにルインがこちらを向いた。様子がおかしいと一目で見抜いて、大股に距離を詰める。
「…どう、したんだい?」
 顔をのぞき込むように、腰をかがめて目線を近づける。
 ルインの黄色の目がひとつまたたいて、レイヴァン、と名前を呼ばれ少し安堵する。
 うん、とこたえて優しくうながすよう頷き返す。いつも感じられるルインの目映いほどの精彩はどこにも見受けられず、レイヴァンを落ち着かない気持ちにさせる。
「ルイーダの酒場に、行ったんだ」
「うん」
 ただ相づちを打つ。
「みんなに会いに行ったんだ。そしたら今、出かけてていないみたい」
「…うん」
 ルインはゆっくりとレイヴァンから視線を外すと、広場の方へと歩みを再開しようとする。
(ル、ルイン君が、なんて事だろう!この美しいボクの顔を見ても笑顔を浮かべてくれないなんて!それどころか、視線を外して会話も打ち切ってしまうなんて!)
「ルインくん、なにか、あったのかい?」
 おろおろしながら小さな背中に声をかける。ルインは足を止め、くるりと振り返る。
「…やっぱりわかるかな。もー、ずっとこんな調子なの」
 いつにもましての真顔で。いや、少し困っているようにレイヴァンには見える。
 レイヴァンといるときのルインはいつも、心から楽しそうな笑顔でいることが常だった。みんなのやりとりを離れて見守る、冷静な姿も知っているけど、こんな不安定に揺らぐところは見たことがない。
「つらいことが…あったのかい?」
 答えを求めての問いかけではなかったし、相手にもそれが伝わったのかルインは弱々しく苦笑した。
 しかしその答えが、無言の肯定の表情が、レイヴァンの胸に突き刺さる。
 こんな。こんな表情をさせたいわけではなかった。
「ルインくん…!つらいことがあるなら無理に笑うことはないさ、さあ!ボクの胸で思う存分お泣きよ!」
 ばっと両腕を広げ一心に訴える。
 ルインはそれに、笑いもしなければ怒りもしない、淡々としたいつもの突っ込みもなく。
 本当に困ったように、レイヴァンの顔を見上げてくる。
「泣き顔、怖いんだって」
「構うもんか!キミの方が恥じるというなら、ボクが包み隠してあげるとも!」
「服を汚しちゃうし」
「心配無用だよ!そんなことでボクの美しさは曇らないしね!」
「レイヴァン…困らない?」
「むしろ大歓迎さ!どーんと突っ込んでおいで」
 ずっとお迎えポーズで中腰のレイヴァンは、テンポ良く受け答えてくれる。
 ルインはそれでも、迷うように真顔で瞬きを繰り返していたが、一歩、二歩、とレイヴァンに近づいて。
 最後の一歩は、飛びつくように、腕を伸ばす。
「…っ、…っっ、う、う…っ」
 肩を、震わせて、声を殺してルインが泣いている。
「……ルイン君。うわーんって言ってごらん」
 背中に両腕を回して、レイヴァンは静かに囁く。ルインは一度、ひくっと喉を鳴らして。
「う、うあ、うあああああんっ」
 しがみつく手も、震える全身も泣き方も何もかも、その痛みを受けるかのように引き裂かれるように悲しい。
 レイヴァンはいっそうの力を込めて抱きしめる。背を頭を撫でる。
 ふれたのはこれが初めてではないのに、細すぎる肩に狼狽えもする。
(ルイン君)
 しがみつく手に力がこもるたび、返事のように名前を呼ぶ。心の中で。
 声も泣き顔も、誰にも、自分さえも見てはいけないもののように、ずっとぎゅっと抱きしめて離さずに。
 護るような気持ちで、レイヴァンはルインを宥め続けた。







(泣くのって、重労働…)
 ルインは石の階段の一番上に腰を下ろし、寝転がって瞼の熱を冷ましていた。
 レイヴァンが冷やしたハンカチをくれた。綺麗な刺繍があって、いいにおいがする。
 泣きすぎて疲れた。喉は枯れてるし頭は痛い。
 けれど、胸にわだかまっていたものが少しは晴れたような気になる。気になる、と言うのが微妙なところ。
 レイヴァンに、少しだけ話した。大事な人を、いっぺんになくしてしまって、生まれ故郷にも帰れなくなったのだと。
 彼は思ったとおりに、何も言わずに辛かったのだね頑張ったね、とだけ。
 そして何も言わずに飲み物を買いに行ってくれた。
 少し気まずそうにするルインを一人にするため。このままの顔では仲間達にも誰にも、会うことは出来ないというのを、言わずに解ってくれている。
(レイヴァンってそういう人だよね)
 そして、本当の一人にしたりはしない。
「待たせたね、ルイン君、そんなところに寝ていては身体を冷やしてしまうよ」
「レイヴァン」
 自らにかかる影に顔を上げ、半身を起こす。レイヴァンが石畳の隣に腰を下ろし、飲み物を持ってきてくれた。
「ありがとう」
 言って受け取って、ストローに口を付ける。甘い味。ルインが普段あまり飲まない果物ジュースだったが、とても美味しい。
 一息ついて、頭がぼうっとしていた所為なのか、ルインはとたんに我に返る。
「レイヴァン、ごめんね。ごめんね。本当に」
「…ボクの方は謝られる心当たりがないけど?」
「……ありがとうレイヴァン」
 レイヴァンが、めずらしく何も言わずに笑顔を返してくれる。
 ルインはそれを見上げていたたまれ無さが高まる。なんだろう、これ。隠れたい。
(今ステルス使ったらだめかな)
 駄目だろうなあ。だいいち賢者に転職されていてつくはどうを使われたら意味ないしなあ。
 思考がぐるぐると回る。ぐるぐる。ルインはたまらなくなって再び頭を倒した。
「うー」
 倒れた先は冷たい石畳の上ではなく、緩く導かれたあたたかな。
 レイヴァンの膝の上。
「ルイン君…そうやって丸くなると猫みたいだね」
「……にー」
 とてもとても安心できる、レイヴァンの膝の上で顔を隠すように丸くなる。
 猫なら。本当に猫なら隠れなくても堂々とレイヴァンの隣にいられるのに(オマールみたいな顔になりたい)
 隠れたい。隠したい。意味がわからない。ぐるぐる。
「レイヴァン…猫なら飼ってくれる?三食おやつと昼寝つき?」
「ふふふ。ボクは人間のキミが好きだよ」
 膝の上の赤毛の猫は、微笑ましげにつぶやかれた言葉にぴくっと身体を震わせて。
「にゃあー」
 いたたまれ無さを鳴いてごまかす。
「ルイン君が、誰にも捕らわれず自由に立ち振る舞うのが好きだよ。自分のことを後回しに、自然に気遣える優しくて強いところはとても、尊敬しているよ」
 なでなでと、丸まったまま頭を撫でられる。子供扱い、否、仔猫扱い。
「キミのまっすぐな眼差しは、とても美しくてボクは好きだよ」
(いつだったか…これと真逆のことがあったなあ)
 セツナ達に虐げられまくってその日はレイヴァンがたまたまへこんでいた。
 そのレイヴァンの側にルインはしゃがみ込んで、賛辞しまくった。やっぱり真顔で。
(ボクはレイヴァンのことが好きだよ)
(自分のことが大好きなところも、他人が大好きなところも、綺麗なものをたくさん見いだせるところも)
(端っこの席を誰かのために空けておけるレイヴァンを、尊敬してるんだよ)
 あのころ、なんのてらいもなくぽんぽんと好き好き言ってのけた自分を、他人みたいに思う。
 明日は解らないけど。明日になるといつもの自分に戻っている気もするけど。
 今は無理だった。隠れたい。
 これって、もしかして恥ずかしいっていう気持ち?
「わかった」
 頷く。顔はまださすがに隠したまま。
「レイヴァンが好きって言ってくれるなら、人間のルインを頑張るよ」
「うん!ボクはいつだってキミの味方さ」
 そうっと、顔を上げてのぞき見してみる。レイヴァンと目が合う。
 慌てて再び顔を伏せてしまう。
 ありがとう、って言いたいんだよ。ちゃんと顔を見て言いたいんだよ。
(レイヴァン、すき)
 頭の中でつぶやいてみる。のたうち回りそうになる。
 今も、あのころと気持ちは変わらないのに、今もレイヴァンを好きで尊敬しているのに、顔を見て同じように言えるとは思えない。
 変わっちゃったんだろうか。人間になったから、レイヴァンを好きな気持ちも変わってしまったんだろうか。
 せっかくレイヴァンが好きと言ってくれたのだから、あんまり変わりたくはない。
 これは、隠そう。いざとなったら本当にステルス使って逃げるしかないけど。
「今は無理」
「どうしたんだい?だいじょうぶだよ、ボクの愛は年中無料奉仕だからね!すぐに元気そうに振る舞うことはないさ」
「うん。そっちはもうそろそろ大丈夫」
 今度はルインも知らない胸の痛みと、付き合っていくすべを見つけなくては。





 


福音ワールディリア

 

 

 



泣き方を教えてもらう。
そしてルインちゃんおめでとうの話。
ていうかルインがレイヴァン好きすぎるという話

で、翌日から本当にいつも通りに戻れるレイルイです(愛)

(2010.1.5)

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