満天の星空にキミがいる。
 満天、というのは正しくはないかも知れない。そこは天も地もなく星で埋め尽くされた不思議な空間だった。
 夜を思わせる空間に、キミがひとり立っている。
 キミは武器を手に、何かと対峙している。苦しげに眉をひそめる姿に胸が張り裂けそうになる。
 待っていて、今すぐに駆けつけるから!
 声を上げて手を伸ばし、足を進めようとするのだけど届かない。
 ボクはまるで、違う場所からこの光景をのぞき見ているかのよう。
 だから何も出来ない。
 キミが攻撃を受け、血を流し、膝を着くのを見ても、手を差し伸べることも回復の呪文で傷を癒やしてあげることさえ。
 ―――――背筋が冷えた。
 頭上に迫る一撃。盾を構える余力すら残らない彼女は、まともにその攻撃を受け―――――!
(ルイン君!)

 

 

 

 

 



 飛び起きた。
 名前を呼んだ、それが夢か現かの判断もつかず、レイヴァンは荒い息を整えようと服の胸元を掴んだ。
 全身に汗をかいていた。つめたい汗は体温を奪い目覚めをさらに悪いものにする。
 彼の寝付きは良い。夢を見たとしても朝からすっきりと頭は冴えている。
 なのに今日に限ってこんな、悪夢。悪夢など。
 レイヴァンはひらいた両手に顔を埋めた。動悸はちっともおさまらなかった。
 ああ、そうか。そうなのだったね。
 ルインは旅人。強大で醜悪な魔物の待ち受ける、危険な洞窟に赴くことも日常茶飯事。
 そしてレイヴァンと、ほんの少しの例外を除いて同行することはない。
 いつこんな風に、自分のいないところで大怪我を負い、ましてや命を落とすか、解らないのだ。
(こんな…たまらないね)
 現実のものとなってしまったら、もしかしたら立ち直れないかも知れない。
 寝起きのレイヴァンの思考は沈みがちだった。いつもなら不吉な暗示も即座に吹き飛ばし、美しく立ち直ってみせるものを。
 ルインは友人だった。大事な友人だ。
 しかし最近は、友人、という言葉だけでは説明がきかない、特別な存在であるということに気付いていた。 
 まっすぐに見えて、すこしだけ癖のある赤い髪。物事を冷静に見つめ、けれど常に思いやりに溢れた金の眼差し。レイヴァンを見つけて、花が咲くような笑顔を浮かべる。
 あの少女を、自分のあずかり知らぬところで失う日が、いつか来るなんて。
「…ボクとしたことが!」
 レイヴァンはベッドから飛び降りた。いつもなら絶対にしないような、寝間着を脱ぎ捨て放置して、身支度もそこそこに部屋を出る。
 階段を駆け下りて宿屋の入り口にまっすぐに抜ける。朝陽がまぶしくまぶたを刺した。それにも構わず当たりを見渡す。
 目印を見つけ、レイヴァンはほっと胸をなで下ろした。夢と理解していても、無事な姿を見るとやはり息をついてしまう。
 探し求めたルインは、今日は朝から宿屋前の掃き掃除をしていた。小鳥と戯れる姿も愛らしく微笑ましい。しかし今のレイヴァンは、それをじっくり見守る心境ではなく、足早に側に寄った。
「あ、おはようレイヴァン」
 ふわりとした微笑みを向けられて、それは朝陽よりもレイヴァンのまぶたに突き刺さる。
 心が締め付けられる心地がする。これが切ないということなのかい。
 挨拶を返すよりも早く、レイヴァンはおのれがなすべきことをまっさきに遂行するべく、ルインの両肩に手を置いた。
 真剣な眼差しで、じっと、見つめ合う。何かの思考が介在する前に、彼は一息に告げた。
「結婚しよう、ルイン君!」
「なんで?」
 ほぼ即答のルインの返事は、とりあえず三文字だった。



 

 






 好きな人に結婚しようなどと告げられたら、普通の女の子は飛び上がって喜び、目をハートにして頷いたりするんだろう。
 しかしルインは違った。真っ先に理由を問うた。
 レイヴァンの意図が理解できなかったからである。いや、彼の意図が理解できなかったことは一度や二度ではないのだが。(たぶんレイヴァンもルインに言われたくはないだろう)
(普通、結婚する理由といったら…)
@経済的・もしくは社会的地位向上・維持のため。ルインとレイヴァンはそれぞれ今の現状と収入に満足しており、それぞれ困ったことはない。
A種の存続のため、子供を産み、育てるため。これはまあ、人間の大儀すぎる命題であり、こんな理由で結婚する二人は今時少ない。
B恒常的に、相手と添い遂げるため。一人では寂しいから。
(B番…)
 そこまで予想を立てたはいいが、自分の思考に没頭するのを中断し、ルインは改めてレイヴァンを見上げた。
 そして説明を待った。
 しかし、どうしたことだろう。今日のレイヴァンはいつもと違うのだ。
 いつも綺麗にセットされていて乱れのひとつ無い自慢の金髪は、後ろ髪が跳ねていて寝癖のままだし。
 自分でアイロンかけをきっちりしていると思われる皺知らずの服装も、よれよれでよく解らないジャケットだし、足下にいたっては片方がスリッパだ。
 指摘した方が親切だろうか。いやしかし、こんな自分の姿に気がついたらレイヴァンはショックで落ち込むかも知れない…。話をきいてあとでそっと教えよう。
 ルインはそういうことにしておいた。よく見ると頬にシーツのあとまである。
「夢を見たんだ」
 そう告げる、レイヴァンの顔色がさっと曇るのを見て、ルインも寝癖どころではなくなった。
「キミが…」
「ボクが?」
「…口に出すのも恐ろしいよ。ああ、ボクを許して欲しい。ボクの望みなんかではないんだ。あるいは、心のどこかで恐れていたことが現れたのかも知れない」
「ボクが酷い目にあったんだね」
 何だ、そんなことかととっさに思ったが、レイヴァンの顔色は見る間に白くなっていく。
 身体の横で垂らされた、拳をにぎる手はかすかに震えているようだった。
「夢だよ、レイヴァン」
「わかっているよ」
 ルインはそっと、レイヴァンのかたくにぎられた拳に指で触れた。
「ボクは平気だよ」
「ルイン君、ごめんよ」
 伸ばした手をそうっと慎重に引かれて、ぎゅうっと抱きしめられた。
 いつも丁寧に扱ってくれるレイヴァンにしては、強い力。身体もすこし震えているのが解って、ルインは背中に手を回した。
「もしかしたらキミは、突然いなくなってしまうかも知れない、と…おろかなことを考えてしまったんだよ」
「今に始まったことじゃないよ」
 レイヴァンの心境が深刻なことはわかったが、かえって淡々とルインは告げた。なだめるかのよう。
「ボクもレイヴァンも、いつどこでどうなるか解らないよ」
「…ああ、そうだね。ボクはそれをすっかり失念していたよ」
 ぎゅう、とルインの熱を、感触を確かめるかのよう、レイヴァンの腕の力が強くなる。
 痛くはないが、すこし息苦しい。それに、今さら胸が騒いできた。
「キミに、いつでも会えるような気がしていたんだ」
「いつでも会えるよ」
「それでも…」
「レイヴァンはセツナさんのものだよ」
 冷静な声に、レイヴァンの心臓は確かに、一瞬だけ止まった。
「ボクは、知ってるんだよ。レイヴァンはいつか、セツナさんのために死ぬんだ」
「…そうだね」
 初めて目にしたとき、魂が震えた。
 この人に違いないと思った。黒い艶髪と凛とした眼差し。あの人のためなら、地獄にでも赴く。どんな苦痛も、ともにしこの身を盾とする。
 ふたりは主従ではない。レイヴァンはセツナに、愛情と献身でもって側にいると決めているだけだ。
「そうだね。ボクは、キミのためには死なないだろう」
「うん。ボクだってそうだ。ボクが死ぬときは、レイヴァンのためじゃないよ」
 至極当然といったように言われてしまい、勝手な話だがレイヴァンは何だか泣きたくなった。
 ルインは続ける。
「崖の話って知ってる?たとえ話の。例えば崖の両端にレイヴァンと他の誰かがぶら下がってて、どうしてもどちらかしか助けられない。ボクはレイヴァンじゃない方を選ぶ」
 何十何百と、似たような場面に遭遇したって。
「選んで、レイヴァンが大怪我したり困ったり大変だったり、いろんな結果があるかも知れないけど、レイヴァンじゃない方を選ぶ」
 それでボクがあとで後悔したり、もしかしたら泣いちゃったりするかもだけど。
「それと同じで、たぶん死ぬときもレイヴァンのためじゃなく死ぬんだ」
「……それは…」
 最初は落ち込みかけたレイヴァンだが、ルインの声、眼差し、話し方を聞いているうち、ある可能性に気がつく。
 ルインは。
「ボクを、一番信頼してくれるってことかい?」
「そうだよ」
 何があったって、レイヴァンなら大丈夫だという、揺るぎない信頼と、ルインにとっては最大級の、無意識の甘え。
「そうか。そうだよね。キミはそういう人だ」
 そっと、レイヴァンが腕の力を緩めてくれたので、ルインはすこしだけ離れる。
「でも、何があっても死なせたくないと思うのは、ボクの勝手かな?」
 青い瞳が悲しげに、再び曇る。ボクだって、レイヴァンにはずっと生きていて欲しいよ、と告げようとする。それよりも前に。
「ボクはキミのためには死ねない。でも、キミのために生きたいと思うよ」
(いい台詞だなあ)
 熱っぽく告げられ、ルインは頭の整理が追いつくより早くそう思い、ずっとこの台詞を覚えておこうなどとのんきに考える。
 両手をとられて、そっとにぎられる。
 見つめ合う、レイヴァンの眼差しはいつにも増して真剣だった。
「ルイン君。ボクはキミと生きていきたい」
「うん」
 忘れていたかのように、ルインの胸がどきりと鼓動を打った。あれっ?
「ボクと、生きてくれないかい?」
(あれっ?)
 とたん、頭のシナプスがつながったかのように頭が回り始める。しかし回転はスムーズになるどころか混線して大騒ぎを始める。
「急な話で済まないね。ああ、ボクとしたことが、まったくもって美しくなかった。返事は急がないから、どうか考えてみて欲しいんだ」
 レイヴァンの方も、とたん我に返ったように焦り頬を染める。
「でも、信じて欲しい。ボクは真剣だよ」
「そうなの?」
「もちろんだとも」
 うん、うん、とお互い二回ずつ頷きあって意思確認。
 アレ、何だろうこれ。
 勢いよく話を盛り上げたはいいが、いかんせん急ぎすぎた感で、ルインもレイヴァンもぎくしゃくと、表情も強ばっている。
「じゃ、じゃあルイン君!お仕事中に邪魔して済まないね!じゃあまた!」
「うん、じゃあ!」
 みょうにせわしなく、しゅたっ!と手をかざしてレイヴァンは早足で宿に戻っていった。
 ルインは倒してしまっていたほうきを拾い、柄を握りしめ、もう一度、今あった出来事を思い出そうと…
「あれ?」
 みるみる間に、顔が熱くなる。
 なんだろうあれ。あれ?
「レイヴァン、今のぷろぽーず?」
 背中を追いかけて聞き直すのはナシだろうか。ナシだろうな。























一足飛びに話が飛んだ。
(2010.3.17)