ルインはいつも通りの仕事を終え、とりあえずリッカと従業員に挨拶をすると誰にも不審を悟られずにひとりになった。
悟られては、ないと思う。
身体を動かしている間は思考を遮断することが出来た。集中して没頭した分、いつもよりずっと早くに彼女の仕事は終わってしまった。
もう大丈夫だよ、ありがとうルイン。ゆっくりしておいで。
労ってくれるリッカに、自分はちゃんといつも通りに笑えただろうか。
っていうか今どんな顔をしているんだろうか。とぼとぼ道を歩いていけば行くほど、時間が経てばたつほど頭が沸騰して熱が出そうになる。
誰かに、言うべきか、とは、思わないでもなかった。
しかし、何を、どうやって?
ルインの疑問視はすべて、今朝のレイヴァン自身に向けられるものであり、他の人に訊いたって答えは得られはしない。
では自分は何を相談するつもりか。プロポーズされたが応えるべきか?レイヴァンは何を考えていると思うか?
(意味無いなあ)
やはりレイヴァンに直接尋ねなければ、答えなんて出はしない。
誰のどんな憶測も推量も意味を成さない。きかなければ。
もう一度、会わなければ。
なぜかミリエッカの顔が浮かんだ。紫の瞳が恋しいような気がした。
いま彼女が目の前に現れたらたぶん抱きついてしまうだろうと思った。見渡して、いないことに安堵した。
(私だけで何とかしなくちゃ)
ルインは鼓動を打ちすぎて息苦しい、心臓を押さえながら足を早めた。
頭の中がレイヴァンのことばかりで回っている。会いたいのか会いたくないのか次第にわからなくなってくる。
夜になって、レイヴァンから伝言が届いた。
星が綺麗ですよ、一緒に観に行きませんか、といつも通りのような散歩の誘い。
夕方まで歩き回って疲れてふて寝していたルインは、向こうからもたらされたチャンスに飛び起きた。
その誘い、乗るよ!乗ってやるよ!とばかりに慌てて支度を整える。
いつも通りにドラゴンメイルを着込んでいると、伝言に来た宿屋の同僚でもある女性に必死に着替えを要求された。
「せっかく夜のデートなんですから、もっと!もっとこう気合い入れましょう!」
「ええー、でもレイヴァンだよ」
しかし、今から話すだろう内容を考えて、ルインは押しつけられたワンピースを抱きしめて赤くなる顔を隠す。
「……わかった、着ていくよ」
ぱっと、その女性の顔に安堵が広がるのを見て、それだけでもう、ルインは着替える価値はあるなと思う。
滅多に着ない、若草色のワンピース。裾がひらひら、足下がすーすーする。
何だかすごく張り切っててボクひとりバカみたいなので、禍々しくごっついはおうのおのを抱きしめてお守りがわりにして赴くことにした。
今から向かうのは高レベルの宝の地図などではなく、雑魚しかいない平穏なセントシュタイン平原なのだが。
そして立ち向かう相手は魔王でもなんでもなくレイヴァンであるのだが。
ルインは表面上はそこそこいつも通りに待ち合わせの丘までたどり着いた。
風が良く通って見晴らしが良い。草の背丈は高くなく足取りも軽…いというわけにはいかないが。
星は綺麗だ。確かに綺麗。到着するまでの道中も何度か頭上を見上げて息をついた。
城下の明かりが遠くに見える距離であるが、それでも星明かりだけで明るい。ルインは知る、数少ない星座を見つけてああ今日も空が広い。
呆然と思う。そうして、いつしか視界の先に色素の薄い影が見えた。彼は白いマントを羽織っている。
「こんばんは、ルイン君…来てくれてありがとう」
「…こんばんは、レイヴァン」
思った通り、レイヴァンは先にいてルインを出迎えてくれた。スカートにケープを羽織ったルインの姿にレイヴァンはすこし目を瞠ったが、微笑みをくれるだけで何も言わずに手招く。
「ちょうど良い席があるんだ。どうぞ」
椅子にぴったりの切り株の上に、ハンカチを広げ、ルインの着席を促してくれる。
座ると、さっと膝掛けが用意される。見上げればレイヴァンは水筒から紅茶を注いでくれている。どこまでも手際が良い。
「レイヴァンも座りなよ」
たしたしと、まだ余裕のある切り株の端を叩く。二人で座れば身体が否応にもくっついてしまうが、発言したときルインはその事を考慮していなかった。
「心配無用さっ。今夜のボクに椅子は必要ないよ」
紅茶のカップを手渡されて、ルインはレイヴァンの青い光を宵闇の中に探した。
それは容易に見つかるけれど、朝の陽の中よりも彼の表情が見辛いことは確かで。
その見ている前で、レイヴァンは長身を折って、ルインの前に片膝をつき、仰ぎ見るように。
まるで、忠誠を誓う騎士のポーズ。切り株の上のルインと膝を着いたレイヴァンはそれでようやく視線が近くなる。
(ああ、そっか。返事を)
「ルイン君、ボクは」
「レイヴァン待って」
ルインは、手のひらを上げてレイヴァンの言葉を遮った。彼の言葉を聞くまいとしたわけではない。
その前にルインには聞くべき事があった。
「レイヴァンボクと結婚したいの?」
「今朝も言ったとおり、本気だよ」
直接的な疑問は、簡潔に肯定された。
「結婚する意味ってどこにあるの?」
心底不思議だ、と言う風にルインは目を瞬いて、レイヴァンを見つめる。
レイヴァンは表情を、曇らせることも不快に歪ませることもなく、静かな微笑みをたたえてその視線を見つめ返す。
「結婚が悪いとかそういうつもりはないんだ。とても素敵なことだと思う。けれどボク達にあえて必要なものでもないと思う」
「ルイン君は意義を求めるかい?」
「意義…うーん。っていうか、今のまんま、ボクはレイヴァンと一緒に過ごしたり話したり時々お茶したり出来たら満足なんだよ」
ルインの屈託のない物言いに、嘘はないのだろうが、いつもより落ち着きのない瞳の揺らぎはレイヴァンにも見て取れる。
きっと彼女はレイヴァンの突然の要求に戸惑っているのだ。
結婚を、ルインを特に望んだことはない。想像すらない。けれどレイヴァンはルインにとって、ずいぶんと大きな存在になっていて。
だからどうしたらいいのかわからなくなって説明を求める。
「それはもちろん、これからも変わらない、なにひとつ変わらないボク達の関係だよ」
レイヴァンの言葉に、ルインはほっと頬を緩める。しかし彼の言葉には続きがあった。
「でもボクはすこし、それでは寂しい。朝一番にキミの顔を見て、一日の終わりにおやすみと告げたい」
「…それだけ?」
それならば今のままでも、宿屋で寝食を共にする日も多いのだからやはり変わりないように思える。
「…手をつないだり、キスをしたり、柔らかな頬に触れたりしたい」
「……」
「そしてそれをキミと交わすのは、生涯ボクだけの特権であって欲しい」
平然と話をきいていたルインの顔面が、真剣な言葉の雨にみるみる赤くなっていった。
これは、セツナさんにも、実は今まで交際してきた女性達にも、ほとんど抱いたことのない希求。
「ボクは、夫という肩書きが欲しいのではないよ」
レイヴァンは真摯な眼差しでルインを見つめ続け、笑顔で告げる。
「キミが欲しいんだ」
自分の欲求をさらけ出すのは、品性に欠け美しくないことだと思っていた。
けれど今のレイヴァンは、それは違う、と断言できる。ルインを求める気持ちは、自分の中のどんな感情より尊く誇らしく、美しいと思える。
「けしてキミに束縛を強いたりしない。したくない。けれどこの先も、生涯尽きるまで、キミの一部で良い。独占したいんだ」
「…難しいね」
「そうだね難しい上に、勝手な言い分だね」
切り株の上でいつしか膝を抱え、真っ赤な顔を隠すように縮こまるルインは、困惑しきったようにだがそうつぶやく。レイヴァンも苦笑する。
「…でも、それならわかるよ」
ルインのきんいろの瞳が、そうっと、レイヴァンをうかがう。
「私にもわかる。私もレイヴァンが欲しい」
今度は、レイヴァンの顔が真っ赤に染まる番だった。
まっすぐな眼差しに見つめられ、とたん冷静さを取り戻した顔つきで、ルインはいつも通り淡々と言うのだ。
「一日の、十分でも一分でも、一秒でもいいや。レイヴァンが私のことで頭をいっぱいにする時間があればいいなとか、思うよ?」
「…そう、なのかい?」
それにしてもルイン君控えめすぎないかい?ルイン君が、そう思ってくれるだけでもものすごく光栄なことだけども。
「だってレイヴァンボクのことアウトオブ眼中だと思ってたから。そういう意味で」
…ルイン君アウトオブ眼中は若干死語の様な気がするよ。
「でも、レイヴァンの頭を完全にボクでいっぱいには出来ない。私の頭をあなたでいっぱいにすることも無理な相談だけど」
「そうだね」
優先するべき道理、理性、愛情の取捨や分配を、お互い一番とかそれだけに絞るとかは、考えられない。
大切なものはみんな大切。どれひとつも譲れない。その時その時で二人の選択はいくらでも変わっていくだろう。
ある意味で器用。そして不器用なのだ、お互い。
「けれどもルイン君。キミと会っているときは、キミのことで頭がいっぱいなんだって、ボクも最近気付いたんだ」
「ふーん…ボクも今日はレイヴァンに驚かされてレイヴァンのことばっかり考えたよ、疲れたよ」
レイヴァンは、本当に疲労感たっぷりにつぶやかれて、嬉しそうに微笑んだ。
「それは…」
ルインの赤い髪と、頬の間に手を滑らせる。は、と金の瞳に意識が浮かぶ。
何か口を開く前に、柔らかく唇がふさがれた。
「……キスするの?」
「…もう、してしまったけど」
了承も得ずに、紳士からはずれた行いをしてしまった。いとおしさが溢れて止められなかった。ごめんよ、とあんまり悪気の感じられない謝罪。
ルインは言い遅れたとばかりにすこし不満げにレイヴァンを睨んだが、やがて、いま起こったことを認識するのにタイムラグがあるのか、瞬きを繰り返して。
「目を閉じる?」
「いいのかい?」
「レイヴァンなら何されてもいいや」
台詞だけ見れば投げやりなことを言って、ルインはかすかに潤む瞳をごまかすかのよう、自ら目を閉じて顎を上げる。
レイヴァンは真っ先にまぶたに唇を落とす。こめかみ、鼻の頭、頬、といたわるような口づけを落として。
「好きだよ」
耳元に小さく囁く。
ああなんかそれやっと聴けた。
ルインはそれでほっとしてしまって、あとはもう触れられる熱に何が何だかわからなくなった。
星を見に来たはずが、二人ともちっとも空を見ることなく、何も見えない。
一番そばにいるひとのことしか、いまは何も。
ちゅ、ちゅーしただけですよ!(笑)
(2010.3.19)