「ルイン君」
「うん」
 柔らかく穏やかな口づけを終え、レイヴァンはゆっくりと名前を呼んだ。
 深い、感慨の込められた声にルインは頷く。目元はわずかに赤く染まっている。
「ボクと、結婚してくれないかい…?」
 困窮するよう、とても、切ない表情で間近にある瞳をのぞき込み、問いかける。
 それは希求。叶えられて欲しい、懇願のひびき。
 ルインは、まだわずかに熱の余韻の残る、潤んだ眼差しでレイヴァンを見つめ返し。
「…結婚は、しない」
 ばっさりと。
「……ル、ルイン君…」
 とたん、レイヴァンの表情は悲嘆に打ちひしがれ、枯れた花のようにしおれ体勢もぐらりと傾いだ。
 へなーへなーとか、しおしおーとかいう効果音が彼の身体から実際にきこえてきそうだった。
「い、いや!ボクはキミがいないと世界の美しさを賞賛する心意気をきっと半分は失ってしまうんだ!ボクは諦めないよ、二人の結婚を阻む障害を、どんなものだって越えてみせる!そう、美しく!」
 と、思っていたら、レイヴァンは不死鳥のごとく速攻で立ち上がり拳を握る。
「ルイン君!君が結婚を思いとどまる理由はなんなんだい?ボクが美しすぎるとかボクが素敵すぎるとかそう言う理由なら遠慮は無用さ!」
「レイヴァンは素敵すぎるけどそうじゃないよ」
 むしろあんまり熱意の込められない感じで、ルインはさっくりと否定する。
「ボクとレイヴァンてやっぱり、結婚とかって少し違う気がするんだ」
 ルインは自分でも考えながら、手探りに想いを綴るように話し出す。
 結婚のことをよく知っているわけではない。世界にはきっといろいろな事情やいろいろな絆で結ばれた夫婦がいるだろう事もわかる。
「結婚ってやっぱり、どこか、相手を縛るところがあると思うんだ」
 もちろん浮気はだめだし、大きすぎる秘密もよくないし、どこかに行っても長く離れすぎてはいけないし。
「それは二人で決めれば良いことだと思うけど、でも、約束事がない二人って、あんまり夫婦とは言えないと思うの」
「…それは、そうかも知れないね」
 レイヴァンは、ルインになにひとつとして制限を求めたいと思って求婚したわけではなかったが。(ひとつ挙げるとするならば、ルインが他の異性と親密に接触することくらいか)
「ボクとレイヴァン、約束、要らないよね」
「…要らないね。なにも」
 望むことは、口で言えば伝わる。
 相手の嫌がることはしないし、嫌がることだと知れば二度としないし、
 何をしても楽しいし、何をされてもたいてい嬉しい。
 これをしましょう、これはしてはいけません、なんて、改めるところなど何もなく、本当に今のまんまで、ルインとレイヴァンの関係だ。
「心はずっとここにあるから、一生一緒に生きていくなんて、自然と叶うよ」
「言われてみれば、そうかもね」
 レイヴァンは思わず苦笑する。もしかしたらルインが言うほど、簡単なことではないと思うのも、大人の彼の意見なのだが。
(約束しないで、それを叶えてしまう方が、きっとずっと困難だよ?ルイン君)
 けれど、キミと歩む道なら、険しくとも茨の道でも、喜んで越えていける。
 そんな気もするよ。
「結婚は、そうだなあ。経済的な問題とかどっちかが病気とか、一日中一緒にいないと不満とか、愛情が重度に深刻になったら考えよう」
「どれも不穏だよルイン君!」
 いつもの真顔、意外と本気の顔でルインがつらつら挙げるのをレイヴァンは半ば涙目で肩を落とす。
「レイヴァンと結婚が嫌なんじゃないんだよ?」
 それに気がついたルインも、少しは慌てる様子で付け加える。
「ボクに何かあったとき、レイヴァンがほんの少しでも責任を感じるような、被るような関係が、あんまり魅力的じゃないだけで」
 もし結婚、という関係を結ぶなら、ひとりしか思いつかない。
 もちろん良いこともいっぱいあると思う。一緒に暮らすようになれば、より多くの時間を過ごせていろいろな話や、色々なことがもっと出来るようになるだろう。
「距離的に近くにいて過ごすのも楽しいけど、離れてても平気って言うか」
「うん」
「ずうっと逢わないでも、不安になったりしないというか。心配なんてなんにもしないで…ちょっと寂しいけど」
 ルインがひとつひとつを心から言うのがわかるので、寂しいといわれレイヴァンはたまらず小さな手のひらを握ってしまった。
 レイヴァンにも、よくわかる。
 離れていても、まあ、怪我の心配はしょっちゅうだが、今頃他の男性と、とか、ボクに愛想を尽かして、などという不安はない。
 出所が不明なほど、相手に対する信頼は絶大で、自分自身よりも信じられる。
「離れていても、心は一緒、というところかな」
「……そこまでは言ってないけど。そうだといいな」
 レイヴァンが微笑めば、ルインは正直に首を傾げつつ、ほんのりと、嬉しそうに目元を緩める。
「そうか、うん、わかったよ。結婚はすぐに必要なものではない。確かにそうだね」
 ボクとしたことが短絡的に話を急かしてしまって、ごめんよルイン君。
「ううん。プロポーズは嬉しかったよ」
 謝罪されて、さすがにルインも断ったことに対する罪悪感が芽生えてきたらしい。
「結婚して無くても、レイヴァンのことは大好きだし、これって恋って言うんだと思うし、ボクがレイヴァンのために出来ることならなんだってしたいと思うよ」
 真摯なきんいろの眼差しが、そう言いつのってくれる。
 その様子を嬉しいと思うと同時、いやそれ以上に、レイヴァンに沸き上がるのは愛情の気持ち。
 可愛らしいと思う。いとおしいと思う。
(まいったなあ)
 気持ちが通じ合ったと知って、単純に触れたいと思うのはレイヴァンだけなのだろうか。
「レイヴァンがそうしたいならいつでもボクを好きにしていいし」
「ぶっっ!?」
 不意打ちすぎる一言に、レイヴァンはまともに吹き出した。何もかも頭から吹っ飛んだ。
「ボクも触りたくなったらレイヴァンに触るよ。あんまりそういう気持ちになることはないけど…」
「るるるるるるいんくん・・・っっ!え、その、気持ちはとても嬉しいのだけど!開けっぴろげなところはキミの魅力のひとつだけど!ボクとしてはもっと自分を大切にして欲しいなうんっ!!」
「そっか。そうだよね。こういう事ははっきりしておこうと思ったけど」
 ルインは素直に頷く。というかルインは知識はあっても事情には疎そうなところがある。
 事情に明るい男のレイヴァンの方が真っ赤になって慌てるというのも、ある意味滑稽な話だ。
「そ、それも焦ることはないさ。ボク達の気持ちがひとつなら、そんな問題は些細なことさ」
「うん」
 もうひとつ頷いて、ルインはふと、気がついたようにぽんと手を打った。
「子どもが出来たらさすがに結婚しよう!責任とるよ!」
「ルイン君…!!!」
 レイヴァンは今度こそ脱力というか、がっくりと地面に膝を着いた。
 そんな無責任な真似、このボクがすると思うのかい?今は授かり婚という言葉もあるけれど…!
 というか今思ったのだけど婚前のルイン君に手を出すなんて、それこそ罪深いような気がしてきたよ!
 なんかもう、色々とルインにも自分にも突っ込みたいことが満載すぎる。
 レイヴァンは衝撃が大きすぎて、さすがにしばらく起きあがれそうもない。
 だから、少しずつ近づく足音にも気がつかない。
 しゃがみ込むレイヴァンの前に、ルインは向き合うように膝を着いて。
 レイヴァンがようやく顔を上げ、目が合う。ルインは少し照れくさそうに頬を染め、微笑んだ。
「レイヴァン、好きだよ」
「……ボクもキミが、大好きだよルイン君」
 ………なんかもう、それ以外の問題なんてどうでもいいような気がしてきた。



 





 翌日、早朝。
「やあ、おはようディア君。相変わらず早いのだね」
「……おお」
 ユオも早いが先に降りてきたのはディアだった。
 洗顔を終えたさっぱりした顔で、今からジョギングにでも行こうかというラフな格好で、一階のロビーに現れた。
 そこにはちょうど、紅茶を煎れ終えたところのレイヴァンがいて、一杯どうだい?とディアに薦める。断る理由が何だか思いつかず、ディアはカップを受け取った。
「…オメー」
「プロポーズは断られてしまったよ」
 レイヴァンは自分のカップに口を付け、さらりとそう告げてきた。
 昨日はあの騒動のあとで、しばくぞと脅したディアだが、さすがに何を言うべきか言葉が見つからない。
「……」
「みんなに迷惑を掛けて、済まなかったね」
「いや…べつに。でもセツナにはしばらく黙っておいた方が良いんじゃねえか」
「ああ、そうだね」
 レイヴァンは失恋の痛手など感じさせないさわやかさで笑う。
 いや、求婚を断られたからと関係が終わったかは、ディアには解らないのだが、セツナはきっと、どんな説明をしても自分の所為だと気に病んでしまうだろう。
「しばらくは嘘でも良いから、婚約者とうまくいってる風に振る舞えよ」
「もちろん!今のボクは美しさと愛で満たされた世界一幸せ者だからねっ!」
「?ああ、まあ、いつもの調子でなんも言わなかったら良いんじゃねえか?」
 わりとどうでも良さげにディアは言い捨て、紅茶をぐいと一気に煽る。
「じゃあ、ランニング行ってくっから」
「解ったよ!そうそう、ディア君!」
 ああ?出だしに呼び止められ、険しい形相を隠そうともせずディアは振り返る。
 レイヴァンは本当、満ち足りた、朝にしてはちょっとばかりうっとうしい幸せそうな顔で。
「キミも恋をすると良いよ!きっと世界が十倍も百倍も美しく魅惑的で素晴らしく映るから!」
「あああ?あーもういい。テメーに付き合ってる暇なんざねえ」
 プロポーズを断られた翌日にしては、妙なテンションだ、とは思ったが、ディアはそれ以上追求をせずに(面倒くさいし)、宿屋の出入り口へと小走りに去っていった。
 その背中を見送って、それでもレイヴァンの顔はにこにこと締まりがない。
 一日経って、色々と考えて眠らず朝を迎えて、レイヴァンは思ったのだ。
 確かに結婚は素敵だ。この先の選択肢のひとつであることにかわりはない。
 けれどボク達はそうでなくても良い。
 焦ることはないのさ。したいと思ったらすればいい。それが十年後でも五十年後でも、それがボク達の進む道なのだから。
(それにねルイン君)
 ボクはたった今、思っているよ。
 ルイン君がそばにいたら、もし四六時中そばにいるようになったら、ボクは五秒おきにキミを抱きしめたい衝動と戦わないといけなくなる。
 恋は美しい。そしてなんと恐ろしいものなんだろうね?
 キミがきっと恥ずかしがってしまうように、ボクもそんな自分を恥じてしまうと思うから、ボク達はそれで良いのかも知れないね。
 ルインの顔を思い描く。レイヴァンの頬は自然と緩む。
 離れていても、心は一緒。
 いつか自分が、彼女に告げた言葉。
(ボクはいつでも、キミの味方さ)
 いつまでも。












 

 


レイルイらしい終着点にたどり着けていると良いのですが。
いつまでも清らかフラグも立った ←
(2010.3.21)