マカロン
リッカの宿の、舞台裏。調理人が腕をふるう厨房とはまたべつに、こじんまりとした従業員用キッチンがある。
ここで住み込みのものの食事を作ったり、お茶を沸かしたりと様々な用途で日々利用される。本格的ではないが器具も揃っており、小さいがオーブンもある。
ルインは勤めを終えたところで、お茶でも煎れようと足を向け、漂ってくる甘い匂いに首を傾げた。
何かお菓子作ってるのかな?
従業員には女性の比率も、甘いものを好む人も多いから、何ら不思議な光景ではない。
ルインは邪魔になりそうなら出直そうか、と思いつつ、ぴょこっと扉の影から顔を出した。
「レイヴァン」
気がつけば声に出して名前を呼んでしまった。邪魔になりそうなら、とかいう考えが吹っ飛んでいたが、まあ声に出してしまったのだからしょうがない。
「やあ、ルイン君、お疲れ様!」
今日は非番のはずのレイヴァンは、白いエプロンと三角巾をきっちりと巻いて、コックさんの出で立ちだ。
「セツナさんのお菓子?」
「そうだよ!今日はこれさ!」
レイヴァンはルインに、ページの開かれたレシピ本を寄越してくれた。
挿絵はころっと丸い、ビスケットを重ねたようなお菓子。
レイヴァンはなんでも上手で、お菓子だって今まで色々な作品を見てきた。食べさせて貰ったこともある。
プロのパティシエに劣らないんじゃないかと思うほど、彼は上手にどんなお菓子も作ってみせる。すべてはセツナに喜んで貰いたいがため。
(でも何の因果か、セツナさんの口に入るのは稀なんだよなあ)
他の人が食べたり、不運な事故でせっかくのお菓子が台無しになってしまったり。
そんな報われないレイヴァンのお菓子だが、ルインは大いに興味があった。だって、そのお菓子は初めて見る。
「まかろん?」
「そうさ!西の方ではポピュラーな焼き菓子なんだよ。ケーキやクッキーほど知名度がないから知らない人もいるかも知れないね」
レイヴァンは、すこし離れたところにあるお皿から、さっき焼けた試作品なんだよ、といってひとつルインに差し出した。
ほとんど反射的に目の前に差し出されたマカロンを口に入れる。
あ、いただきますって言うのを忘れてた。そうは思うが自然と口をもぐもぐと動かす。
レイヴァンはあんまりにも普通に差し出してしまったわけだが、指先に触れた唇にほんの少しドキドキしていた。
「ど、どうかなルイン君」
「うん、おいしい」
呑み込んで、こっくりと頷く。レイヴァンの顔が安堵と、よろこびにぱあっと輝く。
「そうだよねそうだよね!このレイヴァンに不可能はないよ!マカロンだろうがタルトタタンだろうがトリエスティーニだろうがお手の物さ!」
「あーうんトリエスティーニ美味しいよねトリエスティーニ」
「ルイン君なんでマカロンは知らなくてトリエスティーニを知ってるんだい」
まあ、世の中そんなもんだ。
レイヴァンは相変わらずルインの不思議っぷりに驚かされながら、じゃあ今度はトリエスティーニを焼こうと思ったりする。
「で、今作ってるのは本番なんだね」
「その通り、セツナさんに喜んでもらえるよう、レイヴァン特製レシピで華麗に美しく、完璧に作ってみせるよ!」
「じゃあボクは出直すよ」
(邪魔になるしね)
レイヴァンならきっと、ついルインを気遣ってくれて、邪険に追い払うことは出来ないだろう。セツナのためのレイヴァンの時間を割いてはいけない。
「頑張ってレイヴァン、マカロンごちそうさま」
「る、るいんくん?行ってしまうのかい?」
レイヴァンはとたん慌て出す。自分は何か、気に障ることを言っただろうか。ルインのことだから他に用事があるのかも知れないが、それでも彼女が行ってしまうのは寂しかった。
「そ、そうだルイン君、急ぎの用事がないのなら一緒にマカロンを作らないかい?」
とっさの思いつきで出た言葉に、背を向けかけたルインの足がぴたりと止まる。
「作ったことない」
(そりゃあ今まで名前も知らなかったのだから)
「ボクが教えるとも!器用なルイン君が手伝ってくれたらもっともっと美しいマカロンが出来ると思わないかい?」
言っているうちに、レイヴァンは名案だね!という気がしてきて熱を込めて誘いをかける。
ルインも、未知のお菓子には興味を惹かれるらしく、じっとこちらを見返してくれる。
「セツナさんにあげるお菓子なのに」
「セツナさんは海のように広い心で受け入れてくれるさ!そうとも!」
実際のところ、ルインも作ったんだと聞けば、セツナはあっさりと笑顔で食べてくれそうな気はした。
まだすこし考え込んだが、結局ルインは調理用衣装を借りてくることにした。
「…美しくない、美しくないよルイン君」
「そう?あったかくていいけど」
なんでかっぽうぎなんだい。愛らしくはあるけれど。
両手まですっぽり覆う白の割烹着に身を包んだルインは、手を丹念に洗うと手の甲を表にして上に上げる。
「先生、何をしますか!」
「ルイン君それじゃあ手術だよ」
ルインはきりっと目を険しくするが、なんかいろいろ間違っている。まあルインは少しわざとやっているところがあるが。
「うん、じゃあ説明するよ、マカロンを作る上で最も重要なのはマカロナージュさ」
「まかろなーじゅ」
レイヴァンがいろいろとすでに作っておいてある生地の入ったボウルを並べてくれる。
これがメレンゲ。これが粉砂糖とアーモンドパウダー。これが以下略。
「マカロナージュは、メレンゲの表面のざらざらの部分をつぶす作業さ。これを怠るとマカロンの美しい見栄えは望めない」
「つぶすんだ」
ゴムカードでやって見せてくれるのを、ルインは熱心に見入る。
「やりすぎてもいけないよ。あくまでほどよい見極めが重要なのさ。そしてこう…」
やがて生地を持ち上げると、ひらひらと生地を伝い下に落ちていく。
「女性の艶髪をすべるリボンのようななめらかさが出れば完璧さ!」
「ふむふむ」
ルインも違うボウルを受け取ってやらせて貰う。
そのあとも生地を絞り乾燥させ、その間にフィリング(中のクリーム)をつくり…お菓子作りはなかなかに根気の要る作業だ。
二人は次第に事務的なやりとりを交わすのみになり、マカロン作りに没頭して、ひたすら焼きまくり練りまくった。
とはいえキッチンの空気は緊迫感より漂う匂いに相応しい程度、和やかに笑顔で包まれていたのだが。
「セツナさんが、喜んでくれるといいね」
「うん、そうだね」
これだけ一生懸命に作っているのだから、いつも通り美味しいに決まっている。
ルインも作ってみればわかる。笑顔が見たい。このマカロンで、セツナさんの笑顔が見られたら、それだけできっとそれ以上に幸せな気持ちになれる。
「レイヴァンはすごいね、魔法使いだけど、魔力を使わなくても魔法みたいなものを生み出す」
ルインが焼き上がるまでのオーブンを楽しみに見つめながらそう言う。
レイヴァンは苦笑せざるを得ない。
あえて台詞をつけるなら、その言葉、そっくりそのまま返したい、といったところ。
「ルイン君、また、一緒に作らないかい」
提案する言葉に、ルインが振り向くより早く、レイヴァンは笑顔になっている。
誰かのために過ごす時間は楽しいけれど、それを一瞬でも忘れるくらい、誰かと過ごす時間は楽しいことを、いつもいつも教えてくれる。
赤い髪の大事な友人。
「トリエスティーニでもいいね。実はまだボクも作ったことがないんだよ」
お菓子でも、お菓子じゃなくても。
キミといるならどんな時間も、楽しく形作っていけるだろう。
(2010.1.21)
実は私はとりえすてぃーに(スイスの菓子パン)どころか、マカロンを食べたことがありませんw
ダックワーズうんまい(唐突)
誰かがいるだけで、何をしていてもひとりよりもっと楽しいね。