20  少女

 

 

 

 




 夢を見た。
 関連するものを見聞きした覚えもないのに、動物が出てくる幻想的な夢だった。
 鳥とか犬っぽいのとか種族も様々で、登場キャラクターは豊富だけど、うち二匹がメインの夢らしかった。
 いちばんちいさな小鳥。雀サイズで黒い。
 それに対して前足で叩くだけで小鳥を仕留められそうな、でっかいライオンがいた。
 妙におっかない。けど威張り散らすふうの雰囲気はなくて静かにたたずんでる。孤高の王という感じだ。
(かっこいいかも)
 少女はその二匹の視点で夢を見ている。いわゆる神の視点というものだと思うのだが、時々小鳥やライオンの心境が重なってくるようだ。
(小鳥は、ライオンが好きなんだな)
 おいおい普通食べられるだろ、あんまりにも無防備に小鳥がライオンに近寄っていて危ないよと最初はヒヤヒヤしたのだが、ライオンの方は気にしていないのか、そもそも無視しているのか好きにさせている。
 ライオンが行く先行く先に小鳥はぱたぱたとついていく。一緒にひなたぼっこをしたり、たてがみの毛繕いを手伝ったりしていて、ほほえましい。
 実際にはあんまりあり得ない光景のように思えるけど。少女は動物園でワニの歯の掃除をする鳥を思い出した。あんな感じなのかな。
 そして、気づくのにも、そう時間はかからなかった。
(ライオンくんも、小鳥が好きなんだなあ)
 小鳥がすこしでも側を離れると、じっと視線を向けている。ごはんの調達や、他の動物と話すために小鳥が離れるたび、ライオンは微動だにせず見つめ続けている。
 なにも、無いように、簡単に傷を作るちいさな体になにもないように、見守っているようだった。
 小鳥はライオンを慕っている感じで、ライオンは小鳥を大事にしている感じだ。
 ラブラブには違いないけど、あれだ、なんか親と子みたいだなあ。
 恥ずかしいような思いを感じたのはそれまでだった。
 ある日、ライオンは(少女は)、強烈な飢餓に襲われた。
(―――――――あ…え?)
 夢なのに、ただの夢だというのに少女はもがき苦しんだ。ひとの四肢を持つ自分の肉体を離れ、いまや魂がそのライオンに乗り移ったかのような。
 ひとを、好きになったことはある。さすがに命がけの恋とまでは言わないが。それに家族や友人への好意も知っている。だからわかった。
 わかるけれど、理解できない、、、、、、
 この、狂おしい空腹感が、耐えがたい飢餓の欲望が、彼の恋なのだ。
(うそだ、嫌だいやだイヤだ…!!)
 好きだという気持ちと、あたたかくしあわせで失いたくない想いと、小鳥の死は同意語だった。
 吐き気がこみ上げる。気が、ふれそうだ。
 あたしじゃない、あたしの心じゃない。こんなのはいやだ。こんな気持ちイヤだ…!
(……あ)
 少女の苦悩に同調するように、ライオンは小鳥から離れていった。
 突然の別れに小鳥は悲しそうな鳴き声を上げている。いかないでどうしてどうしてと。一生懸命に追いかけてくるのだがライオンの足は速くあっという間に引き離してしまった。
 二匹が離れた。
(あ…うあ)
 少女は口元を押さえた。夢かうつつかもわからない。溢れるものをこらえようとする反射的な動き。
 一匹になったライオンは、表面的に変わったところはなかったが、その裡は荒れ狂う嵐だった。いっそからっぽの空洞の方が断然ましだった。悲哀、苦痛、失意、憎悪、ありとあらゆる名前の絶望で埋め尽くされているかのよう。
 ―――――どうしてよ。
 問いかける。届くはずのない声を、打ちひしがれ牙をむきだしてうなるライオンへと。
 ―――――なんでそんなことになるの。あんたあの小鳥どれだけ好きなのか自分でわかってるの。離れるだけでこんな、つらいんじゃんか。
(けれど一緒にいても、耐えられるものではないんだ)
 どうしてよ。なんでこんなことになってるの。ねえ。



 ライオンが、ふと顔を上げる。その視線に見覚えがある。
 誰かに似ている、と思って、思い出せない。




「――――――――――…あー…」
 眠る前と、同じベッドで目が覚めた。
 頭が割れるような痛みがして両手のひらで押さえた。手首が濡れる。
 目元が熱く、枕元がぱりぱりと乾いていた。
(泣いてるよ、あたし…うわー)
 誰の夢よ、アレ。誰の想い?胸くそ悪いって言うか目覚めが悪すぎる。涙が止まらない。
 ライオン誰よ、あんた、誰?
「……」
(―――――――ネネに似てる)
 思い当たって、すこしだけ胸のつかえが取れた。
 






 つぐみが目を覚ますと、視界いっぱいに見たことのない、内装の立派な部屋が飛び込んできた。
 きっちりと閉ざされたカーテンに陽は遮られて部屋は薄暗い。ふかふかのソファに横たわっている。そうっと体を起こして、いままでの記憶が奔流のようによみがえった。
「……!!」
 もう一度改めて視線をさまよわせるが、見知った誰一人姿は見えない。もちろんこの部屋、場所にも見当がつくわけもなく。
「おい」
「きゃあああっっ」
 いまさっきまでいなかった場所に誰かが突然立っていたら、その相手が一番怖い人物でなくとも悲鳴を上げてしまうだろう。
 つぐみももれなく声を上げて、カーロに手のひらひとつで口を塞がれ再びソファに沈み込んだ。
「騒ぐんじゃねえよ。ったく、手間のかかる…」
「……!!」
 のしかかると言うほどではないが、カーロに上からのぞき込まれる、逃れようのない体勢でつぐみは震えてすくみ上がった。
 怖い、怖くて仕方がなかった。この男に対しての無条件に沸き上がる恐怖感はどうにも対処のしようがない。
 けれど、彼がなにも言わずに睨み付けて、つぐみが再び叫び暴れないのを確かめているのだろうか。その間にずいぶんと恐慌状態は落ち着いていた。
「……」
 相変わらず仏頂面のまま、カーロの手のひらが口から離れていく。
 慎重に、つぐみは口を開くことが出来た。
「み、みんな、ハ?」
 えのぐり茸のみんなは。襲撃に備えて逃げ出し、冷静さを失ったつぐみは気を失っている。そこまでは覚えているから、きっとキニスン達に止められてしまったのだというのはわかる。
 そしていま、こうしてカーロと見知らぬ場所にいる。では。
「ひどいコト、してたラ…ゆるさナイ」
「全員息はある。死んではいねえよ」
 その表現にはかなり気がかりが残るが、とりあえずは息をつく。動悸はまだまだ収まらない。きっと無傷では済まなかったのだ。
 一度息をついたあと、不安がどっと押し寄せてくる。
 息があるって、死んでないって。どの程度の無事を言うのだろう。
「……」
「どう許さねえってんだか」
 肩をすくめてカーロは、つぐみが改めて座るソファのふちに腰掛ける。こんな状況でなければそれは妙に様になって、見とれてしまいそう。
「さて、ようやく状況を説明してやろうか?どうせよく解ってねえんだろ」
 物言いは不遜だが、どちらかというと怠惰にカーロは口を開く。
「てめえの名前は「無貌の盾」だ。太古にあった呪術に俺が手を加えて作り上げた」
 宣言されて、呆気にとられたように端正な顔を見返す。
「わたし、ソラチ、ツグミ…」
「そりゃてめえのナリの名前だ。ここではてめえの呪術媒介としての話をしてんだよ」
「じゅ、モン?」
「「無貌の盾」は正確には呪式名だ。呪文じゃねえよ。すべての攻撃を受け付けない」
「え…っ」
「そもそも異世界のものはこの世界のすべての呪術効果を無効化する。それに物理的防御に対してほぼ完璧に備えた。限定的ではあるがまあ最強の護りだな」
 つぐみがこの世界で呪術を受けないというのは、幾度か説明を受けて聞いたことがあった。
 カーロが言うのは、つぐみの身体に描かれている線の呪術のことなのだろう。それがあるから、つぐみはすべての攻撃を受けないというのだ。
「……」
「信じられねえって目をしてるな?」
 だって、そうはいっても、とつぐみの戸惑いを見て取ってカーロは体を起こす。腰に提げていたらしい小型のナイフを取り出す。
「えっ・・・」
 一瞬だった。カーロはつぐみの心臓めがけてまっすぐにナイフを突き出してくる。
「…っっ!!」
 悲鳴を上げる間もなく目を堅くつぶる。ばきん、体のすぐ側で硬質な音が響いて目を開く。
「……!」
 ナイフは根本からへし折れていた。カーロが折れた切っ先もお構いなしに、つぐみの胸へと凶器を寄せると、べきべきと、まるで冗談のようにナイフだった物体が持ち手までへしゃげていく。
「こういう事態に、いくらか心当たりがあるんじゃねえか」
「……」
 飴細工のようにねじれ曲がったナイフのなれの果てを見せられて、つぐみはただ呆然としていた。
 そういえば、フェドレドの街で一人になったとき、殴られそうになったとき、その剣が折れたのだ。
 あれが、そうだったのだろうか。つぐみの抱えたまじないの効果。
「で、デモ、わたし、けがを、してタ…」
 こけたり鋭い枝で切ったり、重傷といえるほどは負わなかったが、いつもみんなを心配させるほど、むしろ生傷は絶えなかった。
「ああ、それな」
 次もつぐみが反応する間もなく、カーロが腕を振り払うと頬が鳴った。
(…いたい)
 平手だが殴られた。じんと痛みが熱を持って目に涙が浮かぶ。
 擦り傷や切り傷より、ひとに与えられた痛みは精神的にダメージがきつい気がする。
「明らかに重傷や致命傷と「盾」が反応しない限りは発動しねえんだよ。ちいさな傷は見過ごすってところか」
 カーロの説明を耳に入れながら、つぐみはソファの上に膝を抱えてぎゅっと縮こまった。
「…わたし、なにヲ、まもる?」
「へえ、見かけより馬鹿じゃねえな。冷静なことだ」
 感心されても嬉しいはずがない。そうだったんだ、だったら尚更、この身を盾にして一人でも、痛い思いから守れたはずなのに。
(私、まもれたのに。もっとちゃんとしてたら。きっとみんなの怪我の肩代わりが出来たのに)
 過ぎたことはどうしようもないとはいえ、自分を思いきり苛んでおかなければ気が済まない。悲しさや寂しさよりも、いまは悔しさや怒りで涙が出てくる。
「まあ、呪術兵器だな、威力はあるが本体が脆い。てめえはこれを護ればいい。応用だが、これも異世界から媒介を喚んだ」
 つぐみは目を瞠って、腕を解き姿勢を正すと、カーロの顔を改めて見上げた。
 彼は相変わらず端正な顔を、詰まらなそうにしかめている。彼は高揚しない。常に怒ってもいないし楽しそうでない。
 そうだ、苛立たしそうに見えるときもあるけどあれも怒っているわけではない。特に指向性のある感情ではない。
「ちがう、セカイの。もうヒトリ…」
「そうだ」
 否定して欲しかった。せめて単位は「ひとり」ではないと。
「…どう、シテ、わたし、ト、そのヒト?」
「別に俺がより分けて選んだわけじゃねえ。無作為に条件に合う器を、あえていうなら呪術の方が選ぶ。まあ、てめえの呪式は性質的に弱者向きだ。脆いものがつきやすい。ヒトならば女子供と老人だろうよ」
 単なる偶然だ、と告げられて、つぐみは二の句が継げないでいた。
 もはやなんの躊躇もなく、カーロの辛辣な眼差しを受け止めて見返している。
 まさか何らかの運命的な作用が、などとは思っていなかったけれど、ただの災難だというのだ。こんな、理解の及ばないものを勝手に刻まれて。
 呪式とか兵器とか呼ばれる、つぐみやそのひとを指して。
「あなた、なにが、したイノ」
「…とりあえずてめえとの会話でないことは確かだな。時間だ」
 ふと、無関心とはいえずっとこちらを観察するように向けられていた視線が逸らされる。
 質問を交わされたとも言えるが、本当に会話に飽きたかのように身を翻す。
 カーロはいままで出会ったどの人よりもつかみ所がない。
 とてつもない力を有し、怖いひとだというのは確かだが、本質が激しいのか凪いでいるのかさえ判断がつかなかった。
 扉のない間続きの出入り口を抜け、カーロの姿が見えなくなる。どこも拘束はされていないけどどうしよう、と、改めて不安や寂しさが募り、うつむきそうになっていると。
「ちょっとあんた、ネネっ!」
 部屋の向こうで声が響いた。星をちりばめたような明るい声は、けれど険を含んでいる。
 ネネ。ああたしか、誰かもノースゼネ・カーロのことをそう呼んでいたような。
「あんだけ大怪我で帰ってきてもう動き回るなんてなに考えてんの!?バカじゃない!」
「…いきなり噛みついてきてそれか。バカはてめえだろ」
 応えたのは、カーロの声だろう。そのはずなのに、明らかにいままでと違って、相手に対しての感情的な怒りが込められていた。
「うっわ、久々むっかつくな…そうだったね。あんたはバカみたいじゃなくてバカなんだもんね。あたしが悪かったよ」
「なに言ってんだ、低脳のガキが」
「うわーーーっ!!もう怒った、ちょっと大人になろうとしてやったのに!」
「どこがだよ。頭の中身から凹凸のない体までガキじゃねえか」
「…っっ!!サイテー!サイテー!知ってたけどあんたサイテー!」


「……」
 気のせいだろうか。嘲笑を浮かべてすごく次元の低い口げんかを繰り広げているカーロが浮かぶ。
 つぐみはすっかり、音声でしか拾えないやりとりに困惑していた。
 カーロと話しているのは女性だ。会話の内容からしてもとても年若いのだろうか。声の響きは高めでかわいらしい。いまはすごく怒っているようだが。


「ああもう、あたしはネネなんかに構いに来たんじゃないんだ。無駄な時間過ごしちゃった」
「こっちの台詞だ」
「あんたさあ、女の子連れ帰ってきたんだって?また?」
「は?また、と言われる覚えはねえぞ」
「あたしだよあたし!」
「てめえは女じゃなくてガキだろうが」
「…っっっ、あーはいはいそうでしたー、で、いいよもう。その子は?まさかいじめて泣かせたりしてないよね、この変態」
「…チッ、あとで覚えてろガキ」
「………」




 何だかさらに混乱を深めてしまうやりとりが交わされ、つぐみが呆然としていると、ぱたぱたと軽い足音が響いてこちらへ近づいてくる。戸口の前で足音が止み、すうはあと深呼吸している。
「こ、こんにちはっ」
「!?」
 明るい表情を浮かべて、顔をのぞかせたのは少女だ。
 年齢はおそらく十代の半ばほど。つぐみよりも年下に見える顔立ちだ。
 少女はソファで固まるつぐみを見て、ほっとしたように近寄ってくる。
 すこし勝ち気で吊り目がちな目元だが、警戒心を解こうかとするような人懐っこい笑顔が印象を和らげている。つぐみも気がつくと表情をゆるめていた。
「あの、あのえっと、あなたも、ネネ…あいつにこの世界に、連れてこられたの」
「う、ん…そう、みたイ…」
 なによりも、肩口で揃えられた黒髪と、深い色合いの瞳。なじみある、人種的特徴に目が引きつけられる。
 日本人だ。では、この子だ。
(この子が、)
「ええと、日本人、ネ?わたし、空知つぐみでス」
 何だか狼狽えながらも、名前を告げると少女は明らかに気を抜くように、何だか泣きそうに、一瞬顔をゆがめた。
「なんか変だね、こんなところで逢うなんて。へへ」
 すこし気まずそうに呟き、すぐにそれを消し去って、笑顔になる。
「あたし、早川夕はやかわゆうっていうの!よろしく、つぐみちゃん!」  


 

 

 

 

 

 

 

 

 




(2009.3.23)

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