波打つ地面がふたりの姿を呑み込んで静けさを取り戻すと、あとはすべてがなにもかも元通りの世界がやってくる。
真っ赤に目元を腫らして、しゃくり上げ呼吸を整えようとする、つぐみをサザはじっと見る。
見て、どうしたらいいのか、まったくわからなくなる。
泣くつぐみを前に、いつも以上に、これまでにないほど、戸惑う自分を自覚する。
ただ、何だろう、胸のあたりが、身体の不調を自覚はしているが、肋骨は骨折していなかったはずだ。
胸が、苦しい、何かがいっぱいに詰め込まれたような、息苦しさが。
「―――サザ、あの、エット、ゴメンナサイ…ッ」
必死に瞼を擦って、泣きやもうとしてもなかなかうまくいかないらしく、つぐみは謝罪してくる。
つぐみの言葉。ようやく頭のほうにも浸透してくる。
ようやく、もとの世界に戻れるというときに、少女は、
せかいでいちばん―――――。
……なにをどう反応すればいいのか、ますますわからなくてサザはますます混乱する。
「…ッサザ、サザ、あの、ごめんなさい、…ッ、すてないで…ッ」
「?」
ようやく、何とか泣きやんだと思ったのに、またもや意味不明なことを呟いて、またつぐみは泣き始める。
(捨てないで?)
つぐみの発言はいまいち突飛がなくて意味が掴みづらい。第一、それでは矛盾する。
サザには、つぐみがもとの世界に戻らず、ここに残るという選択をした、その事実が今のすべてだ。
「俺を選んだのか」
つぐみが真っ赤になって顔を伏せる。その反応にサザのなかはますます訳のわからない何かでいっぱいになる。
(―――知らない、こんなものは。ネネ)
小さいときから自分より頭の出来が良かった彼に、思わず問いかける。彼もきっと知ってる。気付かないふりならあえてしていたかも知れないが。
記憶のなかでさえ彼は答えをくれない。けれど自分の心からなら、答えだけならすぐに導き出される。
「―――俺もお前を選ぶ」
涙の残る目元にくちびるを寄せる、二度目の、くちづけ。
つぐみはマントを握りしめて、誓いの言葉に目を伏せてしがみつく。
―――――――これが、獅子と小鳥のハッピーエンド。
愛だよ、愛。
「サザ、あの、こんかいはウマクいったとおもうの!」
「……」
とある昼下がり。アフタヌーンティーになるといつもの恒例行事が待っている。
ひどく真剣な面持ちのつぐみが、サザの座るソファの前にでん、と巨大な何かを差し出す。
差し出された方のサザは、いつも通りに無表情を保ったまま、無言で息巻くつぐみを見、目の前の物体を見、
群青は衝撃のあまりのけぞったし、キリーは力一杯、なにをどう盛大に突っ込んでやろうかと数秒間煩悶した後、指を突きつけて絶叫した。
「てめえ、いくら何でもおかしい!いや、あの物体もアレだがてめえの胃はぜってえおかしい!ひとの人智を越えてやがる!」
「う、うう、ゴメンナサイ…むりしてゼンブたべなくてもよかったのに…」
「い、いや、キリーは言い過ぎっていうか!たしかに灰まだらのフルーツケーキは俺もどうかと思ったけど!なんか鳴き声あげてたしね、アレ?もはや生命体うまれてた?」
「……」
騒ぎ立て青い顔をする面々の横で、サザは平然と食後のお茶をすすっている。
つぐみは精一杯努力をしているのだが、いっこうに上達しない(むしろ進化している)お菓子作りの異常な才覚の産物を、伝説の傭兵はものともせずに平らげる。
「いや、アレで死なねえってリビットマジで不死身なんじゃね」
すっかりその気
「子供の名前とかもう決めた?」
「…ッ!!?」
ごたごたとしていたあれこれが落ち着くと、群青は何だか楽しげにその筋の話をしたがる。
俺子供大好きなんだよなあ、楽しみだなあとにこにこする様子はまるで悪気はないのだろうが、いかんせん気が早すぎるというか。
第一、一緒に生きていく覚悟を決めたし夕にも色々言われたが、サザとつぐみは結婚するとかそう言う約束を交わしているわけではない。
(ぷ、ぷろぽーずとかそういう話も出てないし…ッ)
けれどつぐみだって女の子だ。いずれは好きな人と、結ばれてずっと一緒の約束を交わしたいと憧れるものだ。
「男の子?女の子?ツグミはどっちがほしい?どっちに似るんだろうなあー」
むしろなんでこんなに群青が嬉しそうなのだろう、いや、祝福してくれるのはわかるし、彼の好意(?)は嬉しいのだが。
「サザとワタシ、ケッコン、わからナイよ…」
思わずすねたような声が出た。自分でいってて卑屈な物言いだと恥ずかしくなる。群青が入れてくれたミルクたっぷりのお茶を、ごまかすように口に含む。
「……でも俺はふたりには家族になってほしいな。」
「………」
だから、なんで群青がにこやかにそんな希望を言ってくるのだろう。まるで。
「…おにいちゃん、みたい。ぐんじょう」
「え?違ったっけ。俺今日からツグミの兄貴になるつもりなんだけど」
迂闊にも涙が出てきた。
「すげーな、今日から一気に七人兄妹だぜ、ツグミ」
うつむいてカップに涙の波紋を落とす妹の頭を、朗らかに撫でながら群青は言ってのける。
「新婚旅行に一段落ついたら帰っておいで。君の家族に紹介したいからね」
帰る場所はもう無いんだと思ってた。
覚えている、私、いつまでも覚えていよう、空知家の人たちを。
けれど、いいでしょうか。この世界に、受け入れてもらってもいいですか?
作者が書きたかっただけ
「リビット、殴らせろ、間違えた、斬らせろ」
「……断る」
サザのくせに何か思うところがあったのか、返答はほんのちょっとの逡巡のあとだった。
「その間は何だ、斬ってもいいってことか?いっとくが避けるなよ、俺はテメーを痛めつけなきゃあおちおち国にも帰れねえんだよ!」
むちゃくちゃな言い分を叩き付けられ、サザはやはりしばしの間を置いて、やがて口を開く。
「―――俺に非があるならまだしも、心当たりがない以上黙って斬られてやる訳にはいかない」
もっともな意見である。
キリーは鼻で嗤って、すでに抜け身の剣を肩に置く。
「非があろうがなかろうが関係ねえ!この俺が気にくわねえんだ、とっとと斬られて往生しやがれ!」
「キリーさん本音丸出しー!」
近くで見守っていた群青がとうとう我慢が出来ずに突っ込んだ。
「っていうかアレだよね?キリーが怒ってるのってツグミ関連のことだよね?」
ふたりの間のことなので口を挟むべきか、やや腰が引けつつ群青が間に入ってくる。
「こんなに怒るってことはキリー、本当に君…」
「いや、別に未練はないっつーか、ツグミが誰とくっつこうがあいつの自由でいいんだが、」
「いいんだ!?」
「俺は俺であいつを好きにしたいときに好きにするし、ただリビットのヤツが相手ってのが個人的に気にくわねえ」
「むしろキリーが自由すぎる」
群青はもはや仲裁する気力すら奪われてしまった。
「と、言うわけだリビット、おとなしく死ね」
「…すこしでもツグミに手を出す気があるなら話は別だ」
「唐突にやる気ーーー!??」
いや、完全にサザのほうの言い分が正しいのだが。
これはこれでふたりのコミュニケーションの取り方だ。群青は半ばあきらめのため息をつくと、足早に火の粉が及ばぬうちにその場から立ち去ることにした。
とある弟の話
比較的見晴らしがよい、風当たりの良いところにふたりでお墓を作った。
すこし歩けばあと数年は草木も芽吹かないだろう、白の枯れた世界に埋め尽くされるのだけど、それでも。
「ひとが寄りつかぬ場所のほうが、ネネは喜ぶだろう」
あまり知らない相手だが、つぐみもそんな気がして頷く。
むしろ、墓など喜ぶとは思えないとサザは零しもしたのだが、それでも。
「それデモ、これでいつでもあえルよ」
つぐみの言葉に、そうか、と。
比較的見晴らしがよい、風当たりの良いところにふたりでお墓を作った。
眠る本人さえ喜ぶものがいるかわからない、そもそもこの場に彼が眠っているとは限らない、静かな場所に。
ひとつの、木の苗を植えた。
拾い上げた、彼の杖についていた銀の装飾を鎖でつなげて今はまだ頼りない枝にかける。
版の隙間に字を彫った。
――――我が兄、火点し頃の呪術師
――――本当に、本人が見たら踏みつぶしそうな墓標を。
夕焼けがきれいに見える丘の上に。
(2009.10.3最終)