自由意志を主張する王子とその婚約者の話

2 友達なら

 

 


 




 おれよりもさらにちびじゃないか。
 捕獲され連れ戻されて、ベネディクトは父王の前でそう呟いて特大のげんこつを脳天に受けた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ」
「いいか、ベネ。わしもひとの親だからひとり息子の少々のわんぱく程度、許してやろうという気にもなる。あいつらもアレでベネに振り回されるの楽しんでるしな・・・」
 ぼそりと付け加えられたひとことに驚愕の眼差しを父に向ける。
「おれが振り回してやってんだよっ」
「そーかそーか。しかしな、ベネよ。うちの中とはいえ、お客様の前ではわきまえろ。お前いくつになる」
「九つだろクソオヤジ。自分のガキのとしもわかんねーとはもうろくしたなイテえっっ!!」
 再度ごつんと鉄拳が下る。ベネディクトは毛長の高級絨毯の上をのたうち回るはめになった。
「ああいかんいかん。頭ばかり殴るともともと出来の良くないものがさらに悪くなる」
「ちっくしょー、ざんねんながらできの悪さはあんたゆずりだよったく!」 
 大袈裟に嘆く振りを見せる父親を、地面にあぐらをかきつつ睨み上げる。
 口の減らない子だと、呆れるそぶりながら父王オーギュスタン・フェイロのまなざしはあたたかな慈しみに満ちていた。
「我が子、ベネディクト・リディオン・フェイロよ、改めなさい」
「……」
 ぶつぶつとなおも悪態を吐いていたが、ふいに硬い声で名前を呼ばれてベネディクトは反射的に姿勢を正し、きちんと膝を揃えて父を見上げた。
「幼いお前が王家のしきたりを煩わしく思うのは解る。望まぬものに背こうとする気持ちも。しかしうちは城だ。フェイにひとつしかない」
 父はよく似た面差しの子を見下ろしたまま、ゆっくりと膝を折ってその視線を近くした。
「お前がひとを思いやれる男だということは知っている。だからいずれお前にはわしの跡を継いでもらおうと思っている。そうなると、いつまでも結婚しないというわけにはいかない」
「…アネ、うえがいます。おれはできるならまつりごとよりもせんじょうの先頭に立つ騎士になりたい」
 オーギュスタンは相好を崩して癖の強い息子の髪を撫でた。
「ヴィヴィアンナもしかりだが、おまえも妃をめとって子供をもうけねばならないよ」
 それにな、と頭に置いた手を、そのちいさな肩に移動させる。
「戦というのは、一度起こってしまえば多くの民が犠牲となる。わしらは、おまえは、それを起こさないためにいるのだ。滅多に口にするでない。戦いに出たいなどと」
「………」
 この国は長年の平和に恵まれ、兵役こそ残されてはいるが大きな戦もなく若者のほとんどがそれを知らない。
 大昔の英雄のそれらは吟遊詩人の口上にしか上らず、血気盛んな子ども達は神格化して憧れを抱くのも珍しくなかった。
「ひとが死ぬってことはしってる。だからだよ。もし、いくさなんかがおこったらおれが戦うよ」
「お前は死を知らぬよ。それに何度も言うが、お前は真っ先に死ぬようなことを考えてはならないよ」
「死なねーよ」
「死ぬよ。ものを知らぬお前ならすぐに死ぬ」
 何度となく繰り返したやりとり。剣の稽古など重ねても実戦を知らぬものだから、漠然とした戦いというものに男子はあこがれるのだ。
 この平和なフェイに戦は要らない。そして他の誰よりも、オーギュスタンの息子は戦場に出たいなどと軽々しく口にしてはいけない子どもだった。
「けれど、国のため民のために自ら戦おうという気概は誇らしく思うよ、ベネディクト」
「………」
 穏やかに言い含められて、やはり妙に釈然としなくてベネディクトは押し黙る。
「ともかく、まあ。おまえは他の子よりも色々しなくてはいけないことが多いが、その分これだけ好きに振る舞っても許されているんだ。すこしくらい聞き分けろ」
「…それが見合いかよ」
「そうだ。なにも今すぐ結婚しろとか、お嬢さんと文通して交流深めろとかいっている訳じゃない。それにお前のいうとおり、コートニー嬢はまだ五つだよ。お前より四つも年下じゃないか」
「だから?」
「お前の方が大人だろう。深く考えるな、ただのお食事会だから」
 お食事会、ね。
 その裏の事情を全部ではないが察しているのに、今更純粋に望めるはずもない。
 逆に、すこしだけ解っている子どものベネディクトだからこそ納得できないというのに。
 けれどオーギュスタンの大人、という言い回しはすこし気に入った。
 そう、ベネディクトの方が大人だ。あんなちびに引けをとったと思われるのは、やはりどうにも癪なのだった。
「わかったよ。とりあえず今回はいうこときくよ」
「できれば今回から、にしてくれよ…」
 大騒動を巻き起こし、往生際になってようやく首を縦に振る我が子の強情振りに、さすがのオーギュスタンもため息を吐く。
(しかしベネよ。結婚はしろよ、わしは孫をたくさん見たいんだ)
 これを言うとせっかく説き伏せた息子の機嫌を損ねそうなので、一人称ほどは年老いていない父王は口を閉ざして笑みを浮かべた。





 そして午過ぎにようやく、フロステル家と約束の会食が行われた。
 朝から王子による反乱行為によって一時は騒然となったが、会場や食材は無傷なので一見何の疵もない。両家会わせて二十名ほどの、なごやかで小規模な会食である。
 ただ若干、王家側の面々の笑顔はぎこちなくこわばっていた。つられるように、ひとの良さそうな顔立ち揃いのフロステル家もどこか萎縮して見えた。
 会話をするのはもっぱら大人達で、この場にいる子どもは本来の主役であるベネディクトとコートニー嬢だけなのだが、もくもくとひたすら料理を口に運んでいた。
 大人達の話を聞くと無しに耳を向けていると、今回の話はお互いの祖父がひとりの婦人を巡って恋敵だったことがあり、やがて勝負はついたが友情が芽生え、いつか子が男と女であれば一緒にさせようとか何とか誓い合ったらしい。
(どこの大昔のおやくそくだよ…)
 子どものベネディクトにすら子供だましにしか聞こえない、そんな理由でフロステル家との縁付きが一番に話に上がっていたらしい。
 婚約の理由など、今まで興味もなかったからろくに聞こうとしなかった。なので相手が五つの子どもだと言うことも今日はじめて知ったのだし。
 まあ、勝手すぎるじいちゃん達の約束はともかく、王家の婚約話において順番というのは結構重要だ。今後もいくつか縁談をもたれるとは思うが、何事もなければふつう、ベネディクトはフロステル家の妃を迎える算段になるだろう。
 フロステル家はフェイに七つある皇華七枝こうかしちえのひとつに数えられる家柄なのでそのあたりも申し分はないのだろう。
 年回りも幸いに近い。王家の婚姻は性別が別であれば十も二十も離れていても何の問題視もされないことが多い。
 ベネディクトは十以上離れた花嫁を迎えてもおかしくはないのだから、考えるまでもなく良縁なのだった。
 それが解る歳になってはいたが、素直に受け入れる気にはとうていなれず、ただもくもくと口を動かす。
 国でもより抜きである宮廷料理人の腕前は確かで、生まれたときから王家や客人の舌を楽しませてくれる。
 今日も一応は主役であるベネディクトの好物がわかりやすくメニューを彩っていた。
 途中まで憮然とした顔で料理を口に運んでいたが、はす向かいに座るちいさな参加者に気づいた。
 母親の手を借りずともきちんとマナーを守ってきれいに食事をしている。
 コートニーはスプーンを手に取ったまま、サファイヤの眼差しをこちらへじっと向けていた。
 まともに目があって、逸らしてしまいそうになる心を奮い立たせて受けて立つ。
 ベネディクトの瞳は髪と大差ない、鮮やかさのない深い茶色だ。
(なん日かいるって話だけど、いちど帰ったらおれのことなんて忘れんだろうなあ、ちっさいし)
 ベネディクトはすこし、コートニーの華やかな色合いに目をひかれたけど。
 あのちびもおれとけっこんしたいわけじゃないのにな。ふびんだな。
 「大人」になって見てみると、いろいろと考えることもあるのだった。
 コートニーはしばらくじーっとベネディクトと見つめ合い、何かに気がついたようににこっと笑顔を浮かべてきた。




 食事会の後、改めてフロステル夫妻(コートニーの両親)に簡単な挨拶を済ませると、再びベネディクトは王宮を抜け出した。
 どうせあとはいてもいなくてもいいくだらない茶会に行くのが目に見えていて、無礼な振る舞いとはいえそこまできつくは怒られないだろう。それよりも行きたいところがあった。
「…サムソン」
「おや、殿下。ご用事は済まされたので?」
 中央の宮廷庭園。ありとあらゆる国内外の植物が育てられ、城内に住むものや来客者を楽しませ和ませてくれる。
 これを一日と欠かすことなく手入れを施し丹念に育て上げる庭師や選定師の数だけでも有に十は超えるはずだが、ベネディクトは真っ先にその男のもとへ向かった。
 麦わら帽子を被った、作業着に身を包んだ腰の曲がった老人である。庭師の中でも古株で、彼ら若い者をとりまとめる長でもあった。
 日差しに目をすがめているのか、サムソンの顔はいつも皺に埋もれて表情が読めなかった。それでも気まずい思いで、見上げる。
 突然王子が姿を現しても、庭師はたいした驚きを見せないで出迎える。
「…ごめんなさい」
 なんどか唇をうごかして、探すようにしながら言葉を紡いだ。サムソンの顔の皺がいっそう深くなる。
 庭師は今まさに、王子に散らされた花の手入れをしていた。
「お気になさるな。王子に構われて花も本望やろう」
 ぽんぽんとなだめるようにしわくちゃであるが力強く硬い手のひらに肩を叩かれて、ベネディクトは頷いた。それ以上うつむくような仕草は見せずに顔を上げる。
「お暇やったら草取りでもしますかね。王子がおいやでなければ」
「えー、草取りかよー。あーうん、まあいいけどよう」
 少なからずの罪悪感を刺激されては、ベネディクトに否やは言えない。サムソンの底意地の悪さを感じて若干くさってはいるが、素直に軍手とかごをうけとる。
「おや?そちらのお嬢さんはどうしました?」
「え?うわっ!お前ついてきたのかよ!」
 サムソンの視線を追って振り返ると、そこには息を弾ませ頬を赤く染めたコートニーがちょこんと立っていた。
「うん」
 あたりを見てもお付きの者の姿はない。どうやら抜け出すベネディクトの後をつけてきたらしかった。
 きれいに整えられていた髪は風に乱れ、よそ行きのきれいなドレスがくしゃくしゃになっていた。
「ねえなにするの?」
「なにって、お前何のよう?」
「おはな、みにきたの」
 息を弾ませたまま、コートニーはきらきらと瞳を輝かせてはきはきと答える。
 とっさに無愛想に対応してしまったがベネディクトは気圧された。
「花が好きなのかい?じゃあ好きなだけ見ていくといい」
「うんっ」
「ちょ、おまこのカッコでかよ…」
 ドレスが汚れるだろうとか、ちゃんと親に言ってきたのかとか、サムソンこいつは小間使いのガキとかじゃなくフロステル家のお嬢で、とか。
 いろいろ建前めいた反論が脳裏を過ぎったが、顔を輝かせ駆け出すコートニーを見ると吹き飛んだ。
「よし、この庭は広いからな。迷子になるんじゃねえぞ、おれに着いてこい、案内してやる」
「うん、うん!」
 二度頷いて、当たり前のように手をにぎられてベネディクトは驚いた。
 まあ、案内するのならこの方が手っ取り早く済みそうだが。コートニーはちいさな子どもであるのだし。
「王子、新しいお友達が出来てよかったですねえ」
 事情をたぶん知らないはずのサムソンがからからと笑って、それが何だか揶揄のように響く。
 思わずじとっと睨んだが、庭師はどこ吹く風で己の作業に戻っていた。
「なあに?」
 隣を見ると、不思議そうにサファイヤがベネディクトを見上げている。
「おれは、ベネディクトだ。ベネディクト・リディオン・フェイロ」
「あ、あー、わたしは、コートニー・フロステル」
 小さいふたりが立派な名前を名乗って笑いあう。
 ―――――そうだなあ。友達にならなってやってもいいかもしれない。
 “婚約者”は、思うほどいやなものでもなかった。

 


 

 

(2009.6.18)

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