自由意志を主張する王子とその婚約者の話

3 おやすみなさい

 

 


 

 ベネディクトとコートニーはそれから毎日走り回って一緒に遊んだ。
 すこし年かさなフロステル夫妻は幼い娘を心配したが、父王オーギュスタンはこっそりと護衛をつけさせていると説得して好きにさせることにしたようだ。
 コートニーはしっかりとした教養を感じさせるのだが、遊んでいるときはとてもそうは思えないたくましさと行動力を見せる女児だった。
 すこし脅かしてやろうと昆虫をつきつけると興味津々にのぞき込んで自分も持ちたがるし。厨房に忍び込んでつまみ食いなどといういたずらにも嬉しそうについてくる。
 服を汚すのにもちっとも構わないので、見かねたベネディクトの乳母が外歩き用の服をしつらえてくれた。
 持参したドレスはどれも一級品で、一点ものばかりだったのだ。
 ベネディクトのお下がりを大事にとっておいた乳母の改良品を身に纏ったコートニーは、一見愛らしい男子にも見える出で立ちとなってしまって、王子をさらに調子付かせてしまった。
 小さくても女はみんな口うるさくて話が通じないものだと思っていただけに、年の近い遊び相手をすっかり気に入ってしまった。
「コート。おれたち大人になったらけっこんするらしい。しってるか?」
「そうなの?」
 使用人達がこっそりと分けてくれた焼き菓子を隠れて頬張りながら、ベネディクトは深刻そうに呟いた。
 コートニーはきょとんと首をかしげる。今までの対応でもしやと思っていたが、よく話されてもいなかったらしい。
 ベネディクトは新しい遊び相手を男の子のように呼んだ。そんな風に呼ばれるのは初めてと、少女はやはり笑う。
 庭の隅にある、人通りのほとんどない柱の影に座り込んで、両家の子息には違いないのだが服の端々を汚した男の子ふたりが菓子をぱくついている。
 万が一通りがかった確かな家柄のものが見たらなんと思うだろうか。すくなくとも行儀がいいとは言えない。
「ベネとコニー、けっこんするの?」
「まだ決まったわけじゃないけど。親たちはそのつもりだろ」
 コートニーよりずいぶん早く、菓子を食べ終えてしまって食べかすを払って落とす。
「おれはけっこんしたくないんだ」
 ベネディクトの言葉を自分なりに考えているらしく、コートニーの動きがすこし止まる。
「あっ、べつにコートのことが嫌ってわけじゃねえぞ、もうそれはない!おれはだれともしたくないんだ!すくなくとも今はまだ考えたくねえっていうか」
「うん」
 慌ててフォローするベネディクトにコートニーはほっとしたように頷く。そしてうん、ともうひとつ、何かを決意したように頷いて。
「じゃあコニー、およめさんにならない。こぶんになる」
「こぶん!?」
 いきなりなにを言い出すのかこの幼児は。さすがのベネディクトも、どこで覚えてきたのか疑わしい単語に目を瞠る。
「子分ってアレか?おれが親分か?」
「うんっ」
 相変わらずきらきらと輝く瞳を向けて、笑顔のコートニーが頷く。
 そんな風に言われて、悪い気がするはずもなく、頭を掻いた。
「うーん、まあ、どうしてもってんなら子分にしてやってもいいけど」
「わあい!」
 いや、絶対子分の意味理解してないだろ。コートニーの喜ぶ様に水はさせないが、ベネディクトは小さく苦笑する。
 べつに、友達とかそういう簡単なものになってくれたらいいんだけどなとも思う。
 この遊び相手との交流が、これっきりとかでないのなら関係は何でも。
「コニー、ベネのいちばん子分?」
「そうだな、一番子分な」
 身分からいってベネディクトの子分と言うべき人間はもしかしたら一杯いるのかも知れないが、そんなことはわざわざ意識していない。
 だから軽く認めてやって、この日からコートニー・フロステルは王子の第一子分になった。
 


 期日が来てフロステル家が領地であるシールヴィルに帰っても、両家の当初の懸念は良い意味で裏切られた。
 けして筆まめでもなく机自体を嫌うベネディクトが送られてくる手紙の返事をきちんと返していた。コートニーの手紙は送られるたび筆致が洗練されていってベネディクトを焦らせもした。闘争心に火をつけたとも言えるだろうか。
 また年に二回はコートニーは父母もしくはどちらかとともに王城に訪れるようになった。反対にベネディクトも年に一度はシールヴィルのフロステル邸に招かれて領地を案内された。
 第一王子が王都を離れられる機会はまれで、ベネディクトはとても喜んだし、何よりコートニーと遊べるのが嬉しかった。
 ずっと城にいればいいのにと思うこともあったが、それを口にすることの重さや軽々しさをベネディクトは察して黙っていた。
 と、子ども達の仲の良さに親たちは胸をなで下ろしたというか、何の心配もないんじゃないかと思わせたが、やはり相変わらずベネディクトの決意は強固だった。
 そして日が経つごとに、コートニーとの関係を指摘されるのが煩わしく感じるようになっていた。





 ――――――フェイ・ロン新暦570年、豊月シェーヴィング
 ベネディクトは十三になっていた。
 月日が経つのは早いもので、大人に分類されても遜色ないほど手足が伸び、さすがにきかん気なところも落ち着いたようで、いたずらは影を潜めていた。
 まあ、それでも模範的な王子とは言えない振る舞いが多く目につくのだが、それもこの王城に仕える者にとっては慣れたもの。ベネディクトらしさということもあって、やはり大体において看過されていた。
「王子ーっ、ベネディクト王子ーっっ!!」
 しかし、それにしても。
「王子ーっ、危ないですからおやめくださいーっっ」
 手すりなどもない尖塔の屋根に寝そべって過ごすのはどうかと思われるらしい。
「うるっせえなあ。落ちやしねえって」
 相手に届くはずもない呟きを上らせる声もすこし低い響きになっていた。
 嘆き悲しみ遙か下の地上で今にも泣き出さんばかりに狼狽える兵は見るからに新入りだろうか。通りすがりの古株が彼の肩に手を置き、首を振るのが横目に見えた。
 ――――諦めろ。王子はああ言うお方なんだ。
 もしくは、
 ――――気にするな。万が一落ちたところであの方なら死にやせん。
 そんなところか。我ながらさんざんな評価だ。
 なおもこちらを気にしながらも促され立ち去る兵を見送る。ようやくあたりが静かになった。
(やっと集中できる)
 ベネディクトの眼前に広がる秋の大空。それを背景に見慣れた筆跡の並ぶ便せんを広げる。
 コートニーからの二月振りの手紙だった。
 いつも通りシールヴィルの様子。近況報告から始まって、すぐに文面は硬くなる。
 ベネディクトとコートニーの文のやりとりは、ここ近年で少しずつ変わってきていた。
 今年の麦の収穫見込み、去年からの推移、民の関心事、近隣の状況。領主の娘らしい正確な数字が綴られている。
 雨期に雨が十分降ったから美味しい果物がたくさん採れそう。楽しみ!最後の一文に目元が緩む。
 二枚目は、完全に今まで通りの手紙。コートニーはいつも報告と個人的なものを完全に分けて書いてよこした。
 一枚目を書いた人物と同じとは思えないほど文字が躍って、なにがきれいだった楽しかった面白かったと書いてある。
 ―――――衣月ジャックになったらまた会えるね。楽しみだねと書かれていて、
 ―――――ベネディクト・リディオンの一番弟子 コートニー・フロステルと、いつものように結んである。
 読み終えてもしばしじっと便せんに目を向けて。
 ベネディクトは息を吐く。
 俺が悪いわけではない。たぶん。コートに至ってはもっと全然悪くない。
 けれど最近心底思う。
(コートが男だったら良かったのに)




 全身がだるく、思うように調子が出なくなったのはそれから間もなくだった。
 ここのところ寝付きも悪いし何をしても何もしなくても身が入らないとは感じていたのだ。
 ベネディクトはいわゆる思春期に入っており、悩みも抱えてはいるがそれほど深刻とは自分では思っていなかった。
 病気ひとつしたことのないベネディクトにはまったく持って意外な事態といえた。
 そしてついに、意地を張って黙って過ごしていたものだから剣の鍛錬中に怪我を負って倒れた。
 診察した医師は、一度言いよどんでから駆けつけた王妃キャサリンに告げた。
「王子殿下に、呪いが発動されたようです」
 ついにこの時が来たのだ。
 フェイの万民に課せられる、戦と呪術の脅威から逃れるためのまじないのくさび。
 発動時期はひとによって異なり、多くのものが少年時期にそれを迎えていた。
 また呪いの効果も様々であるため、自分の不利になりすぎるものは家族にしか言わない傾向にあった。尋ねるのは失礼ではないが、強硬に聞き出そうとするのは、場合によっては罪にも当たる。
 王族ともなるとさらにその傾向が強かった。
 第一王子の呪いの効果がなんであるのか、広く知れ渡るのは当然望ましくない。
 もちろん呪いを誰しも持っているだろう、ということは暗黙の了解ではあるが。万が一にでも王家に不利となる情報は秘匿せねばならない。
 呪術の扱いにも覚えのある王家付きの医師は、ことさら声を潜めてその診断結果を告げた。




「ふざっけんなよ!」
 その夜、診断結果を王妃の口から知らされたベネディクトは顔を真っ赤にして抗議の言葉を口にした。
「でもそのせいでずっと調子が悪かったんだろう?」
 父王オーギュスタンもこればかりは冗談ごとではないのだが、心なしか口元を引きつらせている。
「そうよ、ずっとそのままでいるわけにも行かないでしょう?」
 姉姫ヴィヴィアンナに至ってははっきりと肩を震わせてにやにやと笑いを浮かべている。
「お前らなー!」
 ベネディクトはちっともありがたみのない家族の対応にテーブルをどんと拳で叩いた。
 いつもなら母のたしなめる声がするのだが、今回はその母も顔を背けて震えている。
「笑うな!お前らホント、他人事だと思いやがって!」
 ただでさえ多感な思春期真っ盛りのベネディクトの怒りはまさに心頭といったところ。
 久しぶりの水入らずの家族会議であるが、本気で臨もうとするものなど誰ひとりいやしない(ように見える)
「面白がったりして悪かった。わかった。今夜はわしが一緒に寝てやろう、なっ?」
「ふざけんなー!」
 にこにこと告げる父親の言葉がとどめとなって、ベネディクトは大股でその場をあとにした。
「言うなよ、ぜってー誰にも言うなよ!」
 そんな捨て台詞を吐いて、高く音を響かせて扉を閉めていってしまった。
「すこし言い過ぎたかね」
「でもあの子、これから一生あの呪いと付き合っていくんだから、最初に思い切り笑われておいた方が良くないかしら」
「…それはかえって良くないような気がするけど…」
 果たして家族の、それなりの心配をよそに、ベネディクトは肩を怒らせて自室まで駆けていった。
 一度倒れたときに久しぶりに眠れたのが良かった。けれど頭に血が上っていて、とても冷静な判断が出来るとも思えない。
(ちっくしょー!なんだその呪い!ふざけんのも大概じゃねーか!)
 コートニー。
 桃色の髪をさらりと揺らす、サファイヤの瞳を持つ少女の顔が浮かんだ。
 親分子分と、未だによく解らない関係を喜んで慕ってくる年下の友人。
 こんな情けないのじゃ、あいつががっかりするんじゃねえかな。
 そんなことはないと想像はつくのに、真っ先に思ったのがその懸念だった。




 呪いの発動からひと月が過ぎて、ベネディクトは引き続き寝不足気味だった。
 よく眠らないと身体は成長しないらしい。おそろしい。まだ身長は伸びて欲しい。
 とはいえベネディクトの隙をついて呪いの効果をクリアさせられたりして、眠れる日もある。正直助かっているが、まだまだ納得できない呪いだった。情けなさ過ぎる。
(なんで毎日人間ってのは寝るんだよ、俺一生このまんまかよ…)
 若干やさぐれる。もうすぐ楽しみにしていたコートニーの来訪の時期だというのに。
 今は顔を合わせたくないような気がした。
 せめてもう少し、この呪いとどう付き合っていくかの解決策が浮かんでいれば話は別だったが。
 今日も一日あくびの多い鍛錬や適当な息抜きで日を過ごした。いつも居眠りしてしまう数式学の授業さえも意識は飛びかけるがちゃんとした睡眠にならない。
(命に関わる呪いはねえって聞いてたけど、眠れねえってかなりひどい呪いじゃね?)
 ベネディクトの呪いはとある条件下による睡眠制限だった。
 夜も一睡も出来ないわけではない。けれど成長期のベネディクトにとって、毎日明け方近くなるまで眠れない日々はかなり堪えていた。
 そして夜が来る。どうせ眠れないだろうと解っていても、自室にこもって枕元の明かりを残し、照明を落とす。
 毎日手入れだけは欠かされない、上質のシーツに横たわって上掛けを羽織る。
 身体は疲れ切ってくたくたなのに、眠気はいっこうに来ない。目をしっかりと見開いていても、そのまぶたが重くなっても真の眠りに落ちることはないのだ。
「……」
 毎晩時間を持てあまし寝返りを打ちまくるしかない。結局かえって疲れてばかを見るのだが。最後にはじっと息を詰めて横になっているしかなくなる。やがて。
「……!」
 物音がしてベネディクトは息を詰めた。誰かが来たのなら声をかけるべきだし、もしかしたら呪いのことを配慮して家族かも知れないが、それでも緊張を解くことが出来ない。
「…だ、誰だ」
 暗闇に目をこらし、枕元の剣にすぐ手が伸ばせるよう意識しながら声をかけた。
 足音を殺して忍び寄る影は、問いには答えずにそうっと手を伸ばして、上掛けからはみ出たベネディクトの手に手を重ねた。
 ふうっと、緊張が解けて意識が遠のくような気がした。
 急いで頭を振って、突如訪れた眠気を振り払う。
「なんでいる」
「一足お先に、あいにきたの」
 薄闇の中で、見知った笑顔が白く浮かび上がった。
 コートニーは寝間着姿で枕を抱えてやってきていた。
 オヤジか母さんだな。おそらく手紙で呼び寄せたのだ。どうにも過保護な計らいを素直に喜べずベネディクトは顔をしかめる。
「いっしょに寝よう」
 何でもないようにコートニーはそう言って、そうするつもり万端の出で立ちで、さっとベネディクトのベッドに潜り込んできた。
「なんで」
「お泊まり会みたいで楽しそう」
 一緒にはしゃいでいて、その流れで昼寝を同じくしたことはあるがこんな風に眠ったことはさすがになかった。
 高貴な身分になると基本、一人歩きが出来るようになるとひとりで眠るものだ。
「…聞いたんだろ、俺の呪い」
「うん」
 広いベッドの中でベネディクトは自然とコートニーから距離をとろうとする。追っては来ず少女は屈託無く頷く。
 ベネディクトは思わず呟いた。
「…恥ずかしくね?」
「はずかしくない!寝よ!」
 上掛けの中で迎え入れるように両手を広げられる。コートニーがあまりにもいつも通りなので、湧き出た眠気にも拍車がかかってばかばかしくなってきた。
 ベネディクトは身体を寄せると、コートニーの身体を腕に抱えた。
 ちいさな肩に触れるとすこしだけ緊張したが、気のせいと言うことにした。ベネディクトは年頃の少年なのだから、意識してしまってもしょうがない。
「おやすみなさい、ベネ」
「おう、お休み、コート」
 もしかしたら夢オチじゃねえかと疑念を抱きつつ、その日のベネディクトは久しぶりに熟睡することが出来た。
 やっぱりこんな、変に緊張しなくてはいけないのなら。
 コートが男だったら良かっただろうに。
 そう、思ってしまう。
 ドキドキしてしまう自分が腹立たしくもあった。
  









 

 

(2009.6.19)
恥ずかしい呪い。

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