自由意志を主張する王子とその婚約者の話

4 何があっても

 

 






 ――――――フェイ・ロン新暦575年。
 首都グリディム。重厚な門を抜けた北王宮。国王の親族が寝泊まりをする最奥部。
 もっと詳しく言うと、第一王子ベネディクト・リディオン・フェイロの寝所。
 に、何者かが向かう、早朝。
 軽やかな足音がしている。それはさながら仔猫の足取りのように俊敏で余計な音を立てない品の良ささえ伺える。
 足音の主は迷い無く入り組んだ道筋を進む。何が楽しいのか、ところどころで鼻歌なども口ずさみながら。
 やがて、目的の部屋の前に辿り着くと、やはり一瞬のためらいもなくその扉を開けはなったのだった。
「朝だよ、ベネー!おはよーう!」
 仮にも一応王子の寝所に、断りもなく。
 朗らかに、伸びやかに朝の挨拶を述べつつ目覚めを促す。
 やはり変わらぬ足取りで部屋に進み行って、精緻な作りの見事な寝台に歩み寄る。いつ見ても何人用のベッドだ、と呆れそうになるくらい大きい。
 その上に白いシーツの山が出来ている。
 誰あろう、ベネディクト・リディオン・フェイロは頭まで被っているシーツの上からゆさゆさと揺さぶられてうなり声を上げた。
「ベネー、ベネベネー!起きて起きて起きてー!」
「だあああやかましいっ、朝から耳元で喚くなー!」
 やがて根負けした山が割れて、寝起きのベネディクトが反乱に出た。
 心地よい眠りを妨げられた腹いせに、寝台の側に佇む小柄な人物を引きずり込んで手加減はしつつ締め上げる。
「コートさんあなた俺に恨みでもあんの?ちょっぴりでもさあ、優しさがあるならもうちょっと寝かしてくれてもいいんじゃね?」
「不規則な生活を正してやろうという優しさはある!あはははくすぐったいくすぐったい」
 身をよじってばたばたと暴れるうちに、結っていた桃色の髪がほつれてさらさらとこぼれ落ちた。
 ベネディクトはがしがしとその髪を撫でて乱すと、勢いをつけてようやく起きあがった。
「おはようさん、コートニー」
「おはよう、ベネディクト」
 挨拶を交わすと、ふたり潔くせーので肌触りのいいベッドから飛び降りる。
「今日って何だっけ」
「おひるからホールで西の人たち招いて茶会だけどベネは欠席でいいってビビお姉ちゃんが言ってた」
 クロゼットのある続きの部屋まで寝間着を脱ぎつつ移動するベネディクト。そのあとに衣類を拾いながらコートニーが続く。
「あっそう。じゃ夜まで自由ねっつあー、頭ガンガンする…」
「ていうか朝帰りちょっと控えたら。わたしもいい加減庇いきれないからね」
 ベネディクトはここのところ頻繁に城下まで下りて遊んできている。
 小言というには覇気の足りないコートニーの声音に、ベネディクトは振り返るとうつむきがちの後頭部を眺めた。
「そういや最近つるんでねーもんな。もしかして、寂しかったとか?」
 からかって尋ねると、コートニーはため息すら吐いて口の端を上げた。
「ぜーんぜん!ただベネの素行の悪さのつけが全部わたしに回ってくるのは許せないもの」
 昔はただ無垢だった少女も、最近生意気な反応を見せるようになった。
「あーはいはい。モウシワケゴザイマセンデシター」
 投げやりの謝罪を言いながら、片手間に頭を撫でてやると嬉しそうに笑う。
 ベネディクトもつられて笑顔になる。
 本格的な着替えの前にはさすがにコートニーを別室に閉め出すが、身支度を調えて出て行くとその間に作ってきたのかレモン水のグラスを持って戻ってきた。
「レモンおおめに絞ってきた」
「いつにも増して気が利くなあ、俺の嫁は」
「まあね」
 胸を張って得意げに言い張るコートニーの頭をもう一度撫でてグラスを受け取る。侍女が作るとそうでもないのに、目覚めの悪い朝や二日酔いのあともこれは良く効いた。
「ごちそうさん、ありがとな」
「うん、…」
 軽く頬にキスをして、そのまま離れようとすると、グラスを受け取ったコートニーが何かを思い出したようにベネディクトにしがみついてきた。
「ん?」
「……」
 中腰の体勢でしがみつかれて身動きが出来ない。笑い混じりに引きはがしても良かったが、何か普段と違った雰囲気を感じた。
「コート、どうした?」
「あっ、ううん、なんでもない!」
 コートニーは我に返ったように、慌てて手を離して笑顔を浮かべる。
 いつもベネディクトが勝手にどこへ行こうが、引き止めたり行き先を尋ねることもしないのに。
「…具合悪いのか?」
 額に触れようと手を伸ばすとさっと後ろに飛んで交わされた。
 ベネディクトはさすがにむっとしたし、力ずくで捕らえて調べることも脳裏を過ぎったがやめておいた。
「お前働き過ぎだからなー、勉強もいいけど一日ぐらいゆっくりしろよ。コートが身体壊したらそれはそれで俺に小言が飛んでくるんだからなー」
「そうね、気をつける。…大丈夫よ。ほらっ、げんきげんき!」
 わざと恨みがましく言うと、コートニーもわざとらしいまでに両手を振って健康をアピールしてくる。
(…怪しい)
 じっと睨んだが、時間が経てば経つだけ調子を取り戻すコートニーからはもう隙の一切が消えてしまっていた。
 仕方が無く背を向ける。一度だけ、肩越しに振り向いて。
「ホント無理すんなよな、嫁さん」
「はいはい解ってますっ。行ってらっしゃい旦那さん」
 腕一杯に手を振る、小柄な少女の笑顔を視界に納めて。
 ベネディクトは今度こそ自室をあとにして外へ向かった。



 ベネディクトとコートニーの婚約が正式に決まったのは今年の春だった。
 挙式はコートニーが十六になった二年後ないし三年後には執り行われる予定だという。
 なにせ取りかかりからして早すぎた感のある婚約話だったので、早いような遅いような、判断のつかないところでもある。
 それまでコートニーは王都グリディムの城内で、花嫁修業も兼ねた留学滞在をすることになった。そして結婚を前に控えた一年から二年前にもう一度故郷に戻って、にわかに式までの準備が進められるのだ。
 王族の結婚だからか話が大規模になっているが、フェイではよくある、嫁入り前の慣習のような流れだった。
 違う町などに嫁ぐ場合、花婿の母親、姑に教えを請い家のしきたりをたたき込まれた後、実家に帰って親孝行を終え改めて嫁いでいく。
 必ずしもすべての家でなされているとも言えないが、古くから良くある流れだ。
 ということで、ベネディクトとコートニーは出会ってからはじめて一つ屋根の下で暮らしはじめた。大きすぎる屋根ではあるが。
 おかげでベネディクトの呪いの心配がかなりのところで軽減されている。
 ずいぶん不眠状態にも耐性をつけていたが、相変わらずベネディクトは寝所に婚約者以外を招くのに難色を示している。
 毎晩同衾しているわけではないというか。むしろ同衾する機会は減っていたが、ベネディクトを寝かしつけるのは城内では、コートニーだけに許された大任だった。
 ――――――ひとに触れていないと眠れもしないなんて。
 発現した当初ほどではないが、やはりあまり、知られたくない呪いではある。
 


 グリディムの王城から城下町、市街地まで下ろうとすると徒歩では朝から急いでも陽が登りきる時刻にもなる。
 自ら歩いて見て回った方がよくわかることが多いし、鍛錬も兼ねてベネディクトはいつも走って出かけた。
 十をいくつか越えた頃から、単独でもちろん無断で良く下っては下町の子ども達と遊んだものだ。おかげですっかり王子の気品だとか高貴な気配などを気取られることもなく、町の若者達と何ら遜色もなく溶け込んでいる。
(それってどうなのよ、とかアネキは突っ込んでたけどよ)
 他の国では威信だとか重んじているらしいが、フェイではそうでもない風潮が強い。
 一般国民にも溶け込めるように、気安い雰囲気を醸せる方が万一の際狙われにくいという考えだ。
 まあ、タヌキだキツネだ揶揄されるお家芸ってヤツだよな…。
 かえって王家以下の、地方の領主の方が気取っていたり格式を重んじていたりするからおかしな話だ。
 そんなわけで少年時代から城下に溶け込んでいたベネディクトは、今日も建ち並ぶ商店街を駆け抜けながら店先の店主達と軽い挨拶を交わしていった。
「よう、ベネット!昨夜はどうだった?」
「あらベネ、久しぶりー!あんた最近顔見せなかったじゃない!元気してたー?」
「ベネット坊や。どうせまた朝飯食いっぱぐれたんだろ、持って行きな!」
 と、まあ。身分は知られていないはずだがなかなかの人気振りだった。
「よう!いやあ、あそこのメシはうまいわ。また飲みに連れてってくれよ!ダイアン久しぶりー!相変わらずの美女ッぷりで!また今度お邪魔するぜー!おおっと!ありがとよオヤジさん、いつも助かってる!広場で食うよ!」
 かけられた声にひとつずつ愛想良く答えて、手を振って返す。
 ベネットと名乗るこの青年は、素性を微妙にごまかしている割には神出鬼没でどんなことにも首を突っ込む、お調子者だが憎めない男で通っていた。
 老舗のパン屋から差し入れられた、焼きたてのナプルスのにおいに食欲を刺激されながら、目指す広場までの足を何とか押さえて進む。
 視線はいつも、町の様子を何とはなしに、不自然ではない程度に観察している。
 何も変化はないか。面白そうな話はないか。新しい話題で盛り上がってはいないか。事件はなかったかなど。
「まあ、それはそれで」
 一見のところは、変わり映えのない、平和なグリディムの町並みであった。
 こんな風に町並みを眺め歩きながら、住民達と言葉を交わすと面白い。心が浮き立つ。
 気の逸った若い衆に、飲みに誘われれば明るいうちからでも快く応じてしまいたくもなる…誰だってそうだろう。
 コートニーの穏やかではあるが痛い苦言を思い出して、おお、今日はやめとくからなどとひとり心中で言い訳してみる。
 なんかもう気分的に所帯持ちの亭主だ。
 本来なら今のベネディクトは年若く可愛い婚約者が側にいて、もうちょっと華やかな段階じゃないだろうか。
 年季が入りすぎていると、いろいろと遅すぎるものもあるということだ。
 ぽかぽかとした日差しをいっぱいに浴びて、ここまでほとんど小走りに止まらず来たものだから、足を止めたときにはベネディクトはうっすらと汗をかいていた。
 城下のほぼ中央に位置し、観光地としても有名な中央広場。
 宮廷の著名な彫刻家が掘り起こしたという大きな噴水が一番の目玉で、目印や待ち合わせにも活用されやすい。
 今日も人通りが多いこの場所で、かえって目立つことなく人と会える。ベネディクトは城下に下りると大抵ここで人を探した。
 やがて目当ての人物を見つけ、大股に距離を詰めていった。
 なにせ機嫌が悪いと、ベネディクトの顔を見ただけで逃げていこうとするから。
「カイト!いよっ、しけたツラはいつものことだけどそれじゃ気のいいお嬢さんも引っかかっちゃくれないぜ!」
 声をかけられたのは若い青年で、ベネディクトの顔を見ても逃げ出しはしなかったものの、恥ずかしげもなく絡まれて座っていたベンチから腰を上げると無言で踵を返していった。
「わー待て待て冗談ッつーか社交辞令だろ!オイ!お前ホント男には愛想悪いな!ほらほらカイト君!そこのかっこいいおにいさーん、このナプルス分けてあげるから止まってー!美味しいよ、焼きたてだし!」
 いよいよ本気で突き放しにかかられて、ベネディクトは声色まで使って必死に追いかけていった。
 この面倒くさがりでけだるげな青年からは、「ベネット」は特に煙たがれていた。
 けれど追うのを諦めるわけにも行かず。こういった言い回しがいけないのはベネディクトも解ってはいるのだが、身に付いてしまったキャラは改めるのが難しい。
 結局新緑公園まで追い続け、最後には下手したてに出まくりナプルスとお茶を持ち出すとカイトは止まってくれた。もちろんベネディクトが代金を持つわけだが。
「…で?」
(機嫌わっるー)
 寝起きのベネディクト以上に、険しく不審な眼差しでガンを飛ばされてしまった。
 しかしそんな眼光にひるむほどベネディクトも甘くはない。カイトの不機嫌はある意味元気な証拠だと思うくらいにして(ただし男性限定)、構わず話をはじめることにした。
「まずこの前の続きな。何か変わったことはないか?」
「………秋冬に向けて防寒具の関心が強いな。ティーラの毛皮は保温性が高いとかで業者が目をつけてるんじゃねえ?」
 もぐもぐとナプルスを口に運びつつ、カイトは顔を上げてひとつひとつ思いつくままに世間話に付き合ってくれた。
「ティーラ、ね。確かハピルのはずれに群れが出たとか聞いたな…」
「グランデッドの亭主は事業に失敗して金策に必死らしいな」
「グランデッド…ああ、薬種問屋やってたとこな」
 カイトの話ひとつひとつにベネディクトは相づちを打っているが、ふたりは別に会話をしているわけではない。
 カイト・フィルダーは定職に就けないという難儀な呪いを持つ住所不定無職者だ。
 幸いにも整った容姿と頭の回転の速さに恵まれ、裕福なレディに日々養っていただき暮らしているらしい。
 ベネディクトははっきりきっぱりヒモじゃねーか!とまあ事実以外の何ものでもない指摘を突きつけたことがある。今思えばアレが決定的に、カイトに疎まれるきっかけだったのだろうか。
(まあ、俺もまだ自分の仕事をがっつりやってるわけじゃねーし。誰かがいなきゃ眠れもしないって点ではひとのこと言えねーんだよな)
 結果、ベネディクトはカイトに対し心情的にも下手したてである。
 まあともかく、へたすると後ろから刺されそうな暮らしぶりのカイトだが、じゅうぶんにおもてになるのでそういったレディからの話を仕入れるには事欠かなかったり、同様に関心を引くために流行の話題や情勢にも敏感で精通している。
 下手な情報屋よりも量は多く、またいろいろと面白いものが多い。うわさ程度のものでも様々な市場に影響を及ぼすこともあるからばかに出来ない。
「今回もいろいろ聞けて助かった。ええとじゃあこっちはなあ、次の流行のドレスはさらっとした、アレなんて言うんだ?あの素材の装飾がはやりそうだぜ!」
「さらっとしただけじゃわかんねーよ、バカ。サテンか?」
 冷ややかに罵られてもいまさら動揺もしないほど、カイトの毒舌には慣れてきている。なんかそれもそれで問題がある気がしないでもないが。
「そう、サテン!アレをリボンにして胸元に飾ったり、腰に段を着けて垂らしたりな」
「400年代後半のデザインに近いな…」
 今度はお返しにベネディクトが情報を渡すのだが、これは主にカイトのお得意先へのサービスのためだ。
 上流階級で流行ったドレスの型は素材などは値段も異なるが、すこし遅れて市井に浸透していくことが多い。
 ベネディクトはいつもパーティーで目にしているデザインの推移が、変わっていくようならいち早くカイトに流しているのだ。
 カイトはもともと呉服屋の長男だったらしく、服飾の話となるとベネディクトよりもずっと詳しい。
 いささか男女で対応の違いすぎる男だが、けして悪いやつではないし能力もある。
 呪いの所為で無職のままいるのはもったいない才能だとは思うのだが。
「そんで色はブルーが来てるな。ってわけでアクセサリーはパールとか銀が流行るんじゃね?」
 ベネディクトは一度も本名を名乗ったことはないが、城のパーティーに出入りする権限を持つ人間だと言うことはさすがにばれているだろう。
 ある程度は承知の上で、城内の使用人で城下を良く行き来するものも多い。その点はあまり気にしていない。
 あとはカイトにどう思われているかだが、余計なことを漏らしても厄介だしさすがに確かめようとはしない。まあ、フェイ国民の誰が見てもベネディクトを王子だと気づくものはいないだろう。自覚も自負もある。
「それだけ聞けりゃ十分だ。…ああ、これやる。俺が持ってても仕方がねえし」
 拳を突き出したカイトの、名前の由来になったという鳶色の瞳が一瞬だけこちらを見てにやっと笑みの形を作った。
 すこしひるみながらも差し出されたものを受け取る。
 白の、レースのリボンだった。繊細な刺繍が施されている、見事な。
「なんか、前のお嬢さんが編み針と糸のセットくれて、どういう意図かマジ不明だったけど、つくってみた」
「お前が作ったのかよコレ!」
 思わず掲げて眺めてしまう。前のお嬢さんとか生々しい表現は大人の対応としてスルーさせてもらう。
 しかし器用すぎる。
 刺繍どころか、ぞうきん一枚縫うのにも指を穴だらけにするベネディクトとは大違いだ。
 というか、王子にぞうきんまで縫わせるフェイ王家は実践主義徹底過ぎる。
「―――――てめーの女にやれば」
 ぞんざいに告げられて、一瞬反応が遅れてしまった。
 アレ、俺話したっけ?
 いかにもそんな顔をしていたのだろう、カイトはすこしだけ溜飲の下がった様子で顔を背けた。笑っているのだろうか。
「この季節になると贈り物の流行りしつこく聞いてきやがる。今年はいいのか」
「あ、ああ、ああ…まあ、そうね…」
 思わずオネエ口調になってしまう。
 灯月ドラバイトはコートニーの誕生月だ。今年14歳になる。
 そういえばそろそろそんな時期である。
 いつも贈っていたものは主に限定版の戦術書とか(詩集とか小説ならまだしも)、
 動植物の観測キットとか(愛玩動物とか花そのものならまだしも)、
 はては二千分の一完全スケール戦艦模型キットとか(自分で作るのかよ!)という、
 当時本人の関心事に添ったものを選んでいたら、どうにもこうにも、豪華にはしてやれたが、まるで親戚の男の子用へのラインナップばかりだった気がする。
 ここ近年はベネディクトもようやくおかしくね?と思いだして、カイトにそれとなく女の子ってのは何を喜ぶのか尋ねていたが、まさかそれだけで察しをつけられていたとは恐るべし。
 今年はそう、婚約が正式に決まって初めての、そして手ずから渡せる初めての誕生日でもある。
 ――――――今のコートニーの関心事はなんであっただろうか。
 花嫁修業に取り組んで、各種行儀作法や習い事でがんばっている姿が思い出される。
「…カイト。滋養強壮の薬セットとかって女喜ぶ?」
「………ああー、めんどくせえー」
 なんかすごい疲れたため息を吐かれた。

 

 カイトに別れを告げて時間に余裕はあるが、何となくすぐ戻ろうという気になっていた。
 服屋や宝石店を見ていってもいいが、本人を改めて見た方がイメージも湧くというものだ。
 と、かなり速めに歩いていると、うしろから軽快な足音が響いて、ベネディクトは止まった。
 説明が難しいのだが、足音だけで解る。目をつぶっていても触れられたら解るのだった。
「コート?」
「あ、ベネ、いたっ」
 ベネディクトが立ち止まってようやく追いついたコートニーは、王宮で着用している行儀見習いのドレスではなく、町の子どもが着ているようなブラウスとリボン。プリーツの折り目の揃ったスカート姿だった。
 いつもきちんと結い上げている自慢のピンクの髪は、頭の両サイドに分けられて垂らされていた。普段のすこし大人びた印象が、それだけでずっと年相応の少女に見える。
 コートニーの、いつものお忍びスタイルだ(もちろんグリディムに来て、ベネディクトが連れ出すようになってからだが)
「今日も授業詰まってなかったけ?なんかあった?」
「さぼって、抜け出して来ちゃった!」
 コートニーは朗らかに、にこやかに答えた。
 小さいときからベネディクトのたくらみにも笑顔で付き合ってはいるが、自分に課せられたことはきちんと全うする、基本的にはまじめな性格である。
 こんな事を言うコートニーは初めてだった。
 ベネディクトは内心呆気にもとられていたが、にこにこといつもの笑顔で見上げてくるコートニーを見つめて、脱力して笑顔になった。
「いつの間にそんなワルになったんだあ?俺の一番子分はー」
「うふふー。親分の毒気にやられちゃった!いたいいたい」
 ふらふら揺れているピンクの髪をかるーく引っ張っておく。掴みやすいことこの上ない。
「しかたねえなあ」
 手のかかる子どもに困るみたいな表情を作る。
 本当はすこしほっとしていた。今朝息抜きをして欲しいと思ったのは事実だし、ここのところコートニーと午後のお茶もしていなかったことに気がついた。
「じゃあ、遊んで帰るか」
「うんっ」
 まだよく城下を把握していないだろうコートニーのために、ベネディクトは率先して案内して回った。
 有名な観光地は前回も回ったので、今回は見晴らしのいい高台にある公園とか、うまくてやすくておまけまでしてくれる菓子屋とか、もしコートニーがひとりで訪れても楽しめるように地元ならではの穴場を伝授していった。
 五十年続く出店の揚げポテトを買って頬張る。お城ではまず体験できない素朴な味。作法を気にしないで直接ぱくつく。
「はふっ、おいしいっ」
「なー。やっぱこれだよ。この店はチュロスもうまいから、今度来たとき食ってみな」
「ベネ坊。土産に買ってやんな。けちな男はお嬢ちゃんに嫌われるわよ」
「今度来たときの楽しみってのがいいんだよ!わかってねーなー」
 恰幅のいい女主人にはやされて、ベネディクトは力説した。コートニーはあつあつのポテトを両手で抱えてくすくすと笑った。
 行く先々で、ふたりの組み合わせをはじめて目にする町人も少なくないらしく、いろいろと言われた。
 ベネットが女連れだ、なにどこだ、美人?いやかわいいっつーか子ども?
 ベネディクトと年の近い青年衆に囲まれたときは、ものすごい勢いでロリコンと罵られた。   
 最初に決めてあったとおり親戚の子で妹みたいなもの!と説明するのだが聞いちゃいねえ。事実はともかくベネディクトが可愛い娘を連れている状況をからかいたいだけなのだ。
 まさか婚約者だとか真実を告げてもさらにややこしくなるだろうが、むしろ開き直った方がこちらのダメージは減るのだろう。
「どーだ、お前ら羨ましいか!悔しかったらもっと可愛い彼女連れてきて俺に自慢してみろよ!」
「ぐっ、ベネのくせに生意気だぜ…」
「いやしかし本当羨ましい。可愛いなあコニーちゃん。このろくでなしに飽きたら二年後に俺のとこおいで?」
「わりと飽きないものだから大丈夫よ」
「そこっ、汚い手で触らない!コートもてめええええ」
 相変わらずベネディクトはコート呼びだが、コートニーは普段の愛称と同じくコニーと名乗っていた。
 いろいろな馴染みのひとと顔を合わせて話をして、お店をのぞいて見て、その間コートニーはずっと笑顔だった。
 ベネディクトはその様子を満足げに見守っていた。元気がないと、調子が狂う。
「ん?」
 コートニーの足が止まっていることに気がついて振り向く。様々な小物を扱う露天商の前で立ち止まっていた。
 歩いて戻って、背後からのぞき込む。コートニーはひとつの商品にじっと見入っているらしかった。
 ―――――サルドニュクス。
 視線を追って、ベネディクトの目に真っ先に入ったのは紅縞瑪瑙のペンダントだった。
 ペンダントトップが花をかたどった瑪瑙の彫刻になっている。石は本物だろうけど、つくりは稚拙で安価だった。
「兄ちゃん、コレくれ」
「はいよ。残りモンだし2000カーンにまけとくよ」
「えっ」
 コートニーが戸惑いの眼差しを向けるのにも構わず、さっさと商談を済ませてしまう。
 包みを断って、いまだベネディクトの顔を凝視するコートニーを促して店をあとにした。
「ん」
 人気が無くなったのを見計らって、かがみ込んで首に付けてやった。
 思った通り、社交場に着けて行くには見劣りするだろうが、今のコートニーにはよく似合う。
「ベ、ベネッ。いいの!?」
「お前最近本当によく頑張ってるしな。親分からのご褒美」
「ありがとう!わあ、うれしいなー…」
 2000カーンとか。100倍の価値のある宝飾品だってベネディクトは贈ってやれるのだがコートニーは本当にうれしそうに頬を紅潮させて胸元を眺めているし、その顔を見ているだけで良いかと思う。
「あ、そうだ。そういや知り合いからこんなのももらったんだけど、やるよ。着けるか?」
「わあ、すごい!レースのリボン?これ手作りかしら」
「手作り一点ものらしいぜ。器用だよなあ」
 カイトからもらったリボンもついでに渡してやると、その細工の細かさにしばし見入っている。
「わたしがもらってもいいのかしら」
「いいんじゃね。俺が持ってても仕方ねえし」
 そう言うとようやく納得したようで、うんと頷く。
「えへへ、うれしい。似合うかな?ありがとう、ベネ!ちょっと着けてくるから待ってて!」
 と、すこし離れた店先の硝子窓に顔を出して、今の髪型に着けてみるらしい。
 リボンはひとつしかないが、コートニーは手際よく違和感なく括った髪の片方にリボンを結い着けた。
(ベネがくれた)
 鏡に映すほど正確ではないが、硝子窓に映った自分の姿を見て、どこかくすぐったさを覚える。
 身を飾るものを贈られたのは初めてだった。ペンダントとリボン。心なしかいつもより自分が可愛くなったように思って窓に向かってはにかむ。
「………!」
 ふいに、頭に激痛が走った。しゃがみ込みそうになるのを何とかこらえ、唇を食いしばる。
「…コート?」
 ベネディクトは異変にすぐ気がついて、側に駆け寄った。
 両手でコートニーの身体を支えると、ひどく冷え切っており、額からは脂汗が吹き出している。
「お前やっぱりどっか悪いんじゃねえか!?」
 思わず責めるように声を荒げてしまうベネディクトの追求に、コートニーはただ首を振って、痛みに耐えるようにぎゅうとしがみついてくる。
 動かすのは得策ではないかも知れない。けれどこのまま放ってはおけなかった。
 コートニーを抱き上げて急いで城へと向かう。町にある医院へ駆け込むよりここからだと帰った方が早い。
「コート、しっかりしろよ、すぐ帰るからな!」
 コートニーの身体が以前に抱えたときよりずっと軽く感じられて動揺する。
 ベネディクトの腕力がついたからか、それともろくに食べられないほど具合を悪くしているのか。
「…ベネ、ベネ…怖いよう、やだ、やだよう…」
 首にしがみついたまま、震える声でベネディクトを呼んでコートニーは泣いている。
 肩口が涙を吸って濡れているのが解るほど。これにもすっかりベネディクトは狼狽えてしまった。コートニーが泣くところなどもう何年も見たことがなかった。
「泣くな、コート!俺がついてるだろうがっ」
「ベネ…ふえっ。や、やだ、やだあ…」
 震えるコートニーが何に怯えて泣いているのか解らなかった。
 なんと言って励ましても泣きやまないので、ベネディクトはただひたすらに帰路を急ぐしかできなかった。



 …わたしはね、ベネディクト。何があってもあなたの味方よ。



 かすれる声で、そういった内容の言葉をコートニーが囁いたと思う。
 とにかく焦っていて、そんなこと知ってると答えてやることが出来なかった。
 やがて意識を失ったコートニーが、元気になって目を覚ましたらちゃんと言ってやろう。
  








 

 

(2009.6.20)

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