01 あったかい
ゆるやかにうねるカーテンの先にくすぐられて、眠りはやがてまどろみになった。
とろとろと、そのままベッドに沈み込んでしまいたい心地よいけだるさ。
無意識のままに、胸元の柔らかい髪を手で梳くと心から安堵した。
そのままの流れて首を傾けて頭のてっぺんにキスをする。
もっと隙間を無くそうと、きゅうと腕に抱き締めて、それが苦しそうに身じろぐものだから、そこでようやく意識がはっきりしてきた。
「…あー」
思わず苦笑。
あれだけ激しく動いておいて、夜明け前に目覚めてしまうのはどうした習慣だろうか。
その証拠というか、倍はあおりを食った感のある隣の人は、深い眠りで反応もしないのに。
やりすぎた。
抑えが効かないのはいまに始まったことではないが、張り切れば張り切った分興奮があとを引いて、結局いつもと同じ睡眠時間で満足してしまうのだ。
この寝室には、とりあえず、いまの安寧を邪魔する者は入ってこないはずなのに。
「……」
だからいつもの通り、隣の人の頬を撫でる。
顔に掛かった髪をよけて、手のひら全体で柔らかなほっぺたをさする。
出会ったときよりもずいぶん大人びて、女性じみた輪郭をしてきたと思うけど、寝ているときは相変わらず幼い。
無垢で真っ白な、少女だったそのままだ。
思わず、先ほどの乱れ様とのギャップに苦笑が浮かぶ。口に出せば殴りかかられる勢いで怒るから、一度も言わないけれど。
このひとが、よるどんな風にないて求めてくるのか、知っているのは自分だけで良いのだ。
「すきだよ」
小さく、内緒話のように囁いて、鼻先にキスを落とす。
そしてそのままほっぺたをぺたぺたやっていたのだけど、相変わらずいとしい人がくぅくぅ可愛らしく寝ているだけで、物足りなくなってくる。
それが自分の所為だと分かっていても、いたずら心に火がついた。
「えい」
ぷにっと頬を緩く摘んでみる。
すぐに、不快そうに、眉間に皺が寄った。面白い。
よく伸びる、弾力のあるほっぺただ。えいえいとつついたり手のひらで押しつぶしたりさらに遊ぶ。
「う、ん〜」
変なうめき声を上げる。声はかなり不機嫌で、もうこうなると起こしたくて躍起になってくる。
そしてついに。
「…いい加減にしなさいっ!!!」
「お、起きた起きた」
上半身だけ勢いよく飛び起きた人の目の前で、嬉しげに手など叩いてみたりする。
「……っ」
しかし力強かったのは一瞬で、ぱたりとふたたび布団に沈む。髪が踊って白い背中に流れた。
うっとりとそれを眺めながら、甘い余韻を引きずったまま力のない身体を抱き寄せる。
耳元に口付けを落とすと、恥じらう声が抵抗してくる。
「…寝かせてよー…」
「一人で寝ないでくれ。寂しいよ」
じゃあ黙って寝ててよ…と口の中でなにやらもごもご言っているが、強く出ない。
ベッドの中と外では本当に素直さが違って、目の当たりにする度可愛いと思う。
「隣に君が寝てたら黙ってられない…」
「…じゃ、あ。何か話、する?あなたが眠るまで付き合ってあげる…」
未だ眠気と潤みの濃い瞳が、じっと見上げてくる。
眠れなくて寂しいと言えば、それが嘘でも邪険にしない。昔はこんなに真っ直ぐに愛情を向けてくれることなんて無かったのにね。
「うん…君の声、もっと聞きたい…」
どこかねだるように言うと、腕の中の人がもぞもぞと身動きをして、居心地の良い場所に落ち着いたらしく。
「あのね、夢、見たのよ」
少し唐突に話をはじめてくれた。
うん、と声に出さずに言って、はじめてあったときの夢、と彼女も口の中で呟く。
「ほんっと、思い出すだけで気分最悪」
露骨に嫌そうな声が言うので、思わず笑い声混じりで反論する。
「何で。俺かなり格好良くなかった?」
「ろくでもないのに捕まったと思ったわよ」
ぷいと背ける頭を、逃がすまいと抱き込んで引き寄せる。嫌がられなかった。
「じゃあ、忘れろよ」
耳元に口を寄せて囁くようにすると、びくりと肩が震えた。
「昔の俺なんていいよ、忘れて。いまの俺だけ見てればいいよ」
むき出しの肩をそっと撫でて、真っ赤になる顔をくすくす笑って覗きこむ。
相変わらず怯える小動物みたいで、微笑ましい。
「忘れられ、ないわよ」
だってあれがなかったら、いまこうしてることなんて無かったんだから、と、ほとんど聞き取れない声量で呟く。
「それもそうだ」
あの、偶然にしては都合の良い出会いがなければ、何もかもが違っていた。
とっくの昔に死んでしまっていたかも知れない。思いも果たさず、半ばで。
いまとなってはそんな未来、遠すぎて想像しがたい。
この子を手に入れていない自分。満ち足りることのないままの。
あの頃自分は、どうやって呼吸をしていたんだろうと。
遠い遠い、過去になってしまった。
「だから、変な気分なのよ。起きてその…こういう状況…」
口ごもるその人がいとしくて、俯く顔を上向かせる。自分はきっと極上の笑みを向けてる。
「変じゃないよ。当たり前だって」
だって俺は、出会ってすぐにこのひとを手に入れようと思った。甘えるように白い胸に顔を寄せて、鎖骨から喉、顎へ、唇を滑らせていく。
「ちょ、あの…ねえ?」
「すき」
女の子みたいに短く告げて、軽く唇を啄む。
ひるんで逃げようとする腰を掴んで、ぎゅっと抱き締めて何度も何度も繰り返した。
その合間に、好き、好きと、うわごとのように落としていくと、精一杯対抗していた彼女の身体から力が抜けていって。
顔を覗きこむと、もう泣き出す一歩手前だった。
「きょ、うはもう、やだって」
「やだね。眠るまで付き合ってくれるって言った」
だだっ子の屁理屈レベルだと分かっていても、一度火のついた身体はそうそう止まらない。
掛け布団を剥いでもう一度覆い被さると、恨みの籠もった視線に射抜かれた。
「あんだけやっておいて…ッ、変態…!」
「そういう目と台詞が逆に煽るんだぜ?」
いつまでも学ばないままで欲しいけど。
内心呟いて、もう一度キスを落とすと健気に反応を示してくれる。
「ばかぁ…っ」
恥じらう声でそんな罵声浴びせられたって、可愛いだけだ。体内の熱を上げるだけだ。
すぐに何も分からなくなったのだろう。もう怒られなくなった。
いとしい人に溺れているとき、身を焼くほどの熱を感じる。
体温が解け合って、気持ちよくて、嬉しい。どこまでもひとつになれたらと思う。
本能を促すのは身体よりも心だと思う。
こんな風に、胸が満たされることがあるなんて思ったこともなかった。
帰ってきたいと思う場所があるなんて、このひとに出会う前はあり得ないことだった。
このひとがいると心が満たされる。
身体の深いところは熱くても、胸の奥はあたたかさでいっぱいになる。
この名前を知っている。
しあわせ。
いままでもこれからも、ずっと側で、感じて、感じさせたい。
側にいるってことの、あたたかさを。
(2005.1.29)
ある意味エピローグ。