首都フェドレドまで北上する旅は、五日間に渡り、ときには初めての連日野宿の旅になったけれど、予想以上に何の困難もなく乗り越えていけた。
 今までたいして感じたこともなかったが、やはり体力が付き身体も丈夫になったのだろうか。一日中他の面々に合わせたペースで歩いても、疲れはしたが明日に引きずるほどでもなかった。
 群青ぐんじょうの土地や自然解説、雑談が耐えず観光ガイド顔負けの楽しさで続いていて、気を紛らわせてくれていたこともあるだろう。それ以外にもキニスンやミーシャといつも通り戯れていた。
 時間に余裕があると群青も言っていたし、何の苦難もない行程だった。
 ひとつ今までと違い残念に思ったことは、イスパルの料理が食べられないことぐらいか。
 天気もおおむね晴れていた。夕立に遭えば大木の木陰に集まっての雨宿りも風情を感じて感慨を覚えた。朝は良く笑っていたと思う。
 けれど、意外なことというか、発見もいくつかあった。朝は今になってシクの台詞を思い知らされた。
「アニエスはぼんやりしているところがありますから」
 アニエスは、実は本当にうっかりドジッこさんだったらしい。
 相変わらずみんなと少し離れたところをむっつりと黙って、しかし遅くはなく歩いているのだが、こそっとそれを見ていると、注意すれば気付く木の根っこにつまづいて良くたたらを踏んでいるし(転んでしまうことは3割ぐらいか)食事は手づかみのものが多くなるのだが、穀物を固めて蒸したもの(ちまきのような保存食)をいざ食べようとして落とし、あっとそれを目で追っていたり、唐突にキニスンが大声で歌い出したりするのだが、結構よく見ているとその全身がびくっと震えていたり。
 …確かにぼんやりしている。
 普段ならそうはならないだろう場面でもこうなってしまうのは、やはりえのぐり茸の家を離れたからなのだろう。
 いつもと違う状況は、いつも通りの自分のスタイルを崩してしまう。
(小学生の初めての合宿で熱を出してしまう子供がいるのと同じだ…)
 朝は一人で、やはり本人を前には言えないことを思い納得していた。
 しかしそうやって、ことあるごとに転びそうになっていたりされると心配で目が追ってしまうが、やはりきつく睨み返されるので見守ることもままならない。
 だのでこっそり、先行くうちに小石を蹴り飛ばしておくとか、前持ったフォローを心がけてみた。さりげなくできているのかは疑問だが。
 他にも、もう一人の少女に発見があった。
 道中に遮るような大木が倒れていた。落雷か何かの影響かと根元を見た群青が言ったが、またいでいけるような胴回りではなく、通行の邪魔だった。
 横の森を回り込んで通過してもいいのだが、今後ここを通る人のためにも木をどけておこうと言うことになった。当然男性陣三人がかりでも幹はなかなか動かなかった。
 というか、成人男性は一人きりで全員筋肉タイプではないが。
 そこにミーシャがおずおずと進み出て、三人に並んで木を押しにかかった。
「ミーシャ、手伝ってくれるのはうれしいけど危ないよ。下がっていないと」
 朝は慌ててそう言ったが、
 ごすん。ごすん。ずりずりずりっ。
 大きな音を立て、木は転がり道の端まであっさりと移動した。
 あんまりな急展開で、朝は木を押した体勢のままそれを呆然と眺めていた。
 ほぼ一人で幹を押しやってしまったミーシャは、手をぱんぱんと叩いてふうと息を吐いた。そしてこちらを、伺うように見上げてくる。
「ミーシャ、おつかれさまね。手、大丈夫、怪我してないかね」
「うん…平気。これで通れる?」
 やはりまだ、どこか伺うような上目遣いでミーシャが聞いてくる。それはどこか申し訳なさを感じるものがあった。
 キニスンは普通に、そんなミーシャを労って頭を撫でてやっていて、群青もすぐに持ち直したらしく、
「ありがとう、助かったよ」
 そう言ってミーシャを撫でた。朝もようやく気がついた。
 ミーシャはたぶん、こんな所を見せたくなかったのだろう。
 それでつらい思い出があったのかも知れない。もしかしたら、女の子として恥ずかしいだけかも知れないけど、助けようと思って頑張ってくれた。
 だから笑顔になって、ミーシャの頭を続いて撫でた。ミーシャはようやくほっとしたように笑い返してくれた。
 背後で、アニエスもミーシャの頭を軽く撫でているのをのぞき見た。小さい女の子はきょとんとしていて、かすかにはにかむ。アニエスは短く、お疲れさまと言ったようだった。
 何だか微笑ましくなった。


 そんなふうに今まで知らなかったことを知りながら、みんなともっと近くなったように感じ、和やかに旅路は進んだ。
 気がつけばあっという間に立派な舗道を歩いていて、景色に民家が増え、出店も増え、人通りも増えていった。
 フェドレドの地名を記した看板が増えてきた。




10  首都

 






 遠くからでも広大な都の様子が見えるようになると、行く手にいくつもの門が立ちふさがった。
 今は祭り期間だからほとんど開かれているというが、普段ならばこれがすべて閉じられ厳重な守りとしているのだろうか。数えれば十もあって軽く目眩がした。
 さすが首都だ、王城へ赴く際もこの門を越えねば行かないと言うことなので、普通の街とは根本からして違うらしい。
 そして11番目の、一等大きく立派な門構えだけは、今でも固く閉ざされていた。門の天辺まで見ようとすると首が痛い。
「旅人か。お前が保護者か?」
 警備兵が3人ほど控えていて、来訪者にいくつか質問をしているようだった。
 滞在の目的は、予定の日程は、武器の所持は、後は軽い荷物検査と、全員の歳名前、出身地を聞かれた。一人机についている兵士はそれを書き留めているようだ。
 パスポートみたいなものは要らないようで、朝はほっと胸をなで下ろした。ちなみに群青は偽名を名乗り、朝と同じくえのぐり茸の家出身ですと告げておいた。
「嘘じゃないしな」
 群青の耳打ちに朝は苦笑して頷いておく。
 しかし思ったより軽い検査で首都入りできたとはいえ、来訪者の全員を書き留めていくとなると大変な労力だろう、と思った。
「まあ、首都の大祭と言っても外部からの来訪者はせいぜい一万人程度じゃないか?」
「……」
 一万人を程度扱いかよ!と全力で突っ込みたくなったが、それはしょせん日本人の感覚なので控えておく。
 製図の技術もまだまだ発展途上らしくはっきりとは言えないが、クォの人口は日本国と国土が桁違いに広い(はず)に関わらず、二千万人前後ではないかと言われたからだ。
 開催が一ヶ月にわたる大祭に、来訪者が一万人というのは確かに少ないかも知れない。
 コンピュータもない世界観で一万人の来訪者の情報を書き留めた紙。それだけでも膨大なものになりそうだが。とりあえず脱線の思考はそのくらいで留めておこう。
 朝はこれから、もっと膨大なものと立ち向かわねばならなくなるのだから。



 首都入りできたのがもう夕刻過ぎ、しかも祭開催直前であるのに、なんとか郊外の宿で二部屋確保することが出来た。そちらでも食事を用意して貰うことも出来たが、こういった時期は街並みに立ち並んだ屋台の方が手軽で安く済むと群青に教授して貰い、一同は揃って街に出た。
 もう視界も狭くなってきているが、少しでも地理を把握しておきたかった。
 群青は明日別れると言うことを加味してか、いろいろなことを教えてくれた。中心街のことは各掲示板を良く読むように、と告げ、(なにぶん首都なので街を端から端まで移動しようとすると半日以上かかってしまう)こういう界隈には近寄らないように、ああいう街並みは高級住宅街、ウロウロしてると怒られるから。これはフェドレドの名物料理、今日はこれにするか。などなど。
 お祭りの屋台と言えば観光代も兼ねてか割高な印象があるが、こちらでは土地のものが素朴な味付けで食べられてしかも安いと利用しやすくなっていた。
 ナッツ類を砕いたものをまぶした焼きそば。と言えばいいのか。フェドレド名物カシュバはもちもちした麺がうまい。焦がした具材とスープも風味が利いて美味しい。
「っとお、人捜しだがな。情報不足は分かるがあんまり聞き回ったり込み入りすぎたりしないようにな?変なのに怪しまれると危ないから」
「う…うん。それは分かってるんだけど、しらみつぶしでもしないと、後はもうどうすればいいのか…」
 歳などは聞いているが、朝はアスランの外見特徴すら詳しくないのだった。どうやって尋ね歩けばいいのか見当も付いていない。
「うーん、情報屋、捜してみ?いい情報屋は少々値は張るが代わりにきちんと調べてきてくれる」
「じょうほうや…」
 それは確かに有効な手段だと思うが(ある程度お金は持たされているし)、朝は腕を組んで項垂れてしまった。
 良い情報屋を見抜く目利きも、仕事を請け負って貰うコネも、それどころか信用を示す立場さえ、朝にはないものだ。一朝一夕でどうにかなるとも思えない。
「ぐ、群青さん。時々で良いので俺に付き合ってくれませんか。情報屋を得るには俺にはないものが必要すぎると思うんです」
「それもごもっともだ。」
 ぐっさり。そんな爽やかな笑顔で告げられては、乾いた笑顔で涙を呑み込むしかない。
「んん、そうだな…この街にもがめついヤツが多いからな…んん、俺が着いててやりたいのも山々だが」
 群青は、プライドを横に押しやって縋る目を向ける朝を哀れに思ってくれたのか、さじを口に咥えたまま足をぶらぶらさせて考え込んでくれた。
 男二人がうむうむと唸っている間、アニエスを含む子供達は大人しくピクル(果物ジュース)を飲みながら露店見学をして待ってくれている。
「クワイラ、を」
「え?」
 群青が、絞り出すように呟いた単語に、朝は耳をそばだてた。
「クワイラ・ナソリーを、捜してごらん。ちょっと変だけど、気に入って貰うことが出来れば、あるいは」
「情報屋、ですか」
 うん…と一応は頷いてくれたが、珍しい歯切れの悪さに朝は嫌な予感がしたのだが、完全に情報不足である朝は、今はもう藁にでもすがらなければいけない。
「ありがとうございました。こっそり捜すことなんて見当も付きませんが、えっと、クワイラさん、捜してみます」
「うん。俺も時間が作れたら様子を見に来るよ。シクさんにも頼まれているし…そうだ」
 すっと、紙切れを差し出される。名刺のように、名前と身分階級、身体的特徴、現住所(えのぐり茸の家だった)が書かれている。ちなみに名前は、見慣れない群青の偽名。
「この通りに書いて、文報を飛ばして。フェドレド内ならすぐに着くだろう。郵便の仕方、分かる?」
「…他のみんなに訊きます」
 郵便局の見分け方なら分かるが。文報とは確か電報のようなもので、各地にいる配達員や識別鳥カラリオがすぐに届けてくれるのだ。
 電話やメールのないこの世界。遠くの人に事情を伝えるのはこの文報が最も早いのだと聞いていた。
「分かりました。困ったことがあったら呼びますね」
「うん、不慣れなみんなを置いていくなんて本当、ごめん。頑張れな」
 申し訳なさそうに謝ってくれるが、朝は実は、少しうれしいのだ。もちろん不安も大きいけど、こうして一人で挑戦するべきだという状況が作られるのは、頼られているのだと錯覚できた。
 一人として、少しは認められているのだ、と。
 


 食事を終えるとまだまだたくさんの明かりが点され賑わう街並みを逆行して、5人は宿に戻り、疲れを取るためにも早くに休んだ。
 久しぶりにお湯で身体を洗えたのがうれしく、緊張感もどこへやら、朝はあっさりと眠りに就いてしまった。
 翌朝、いつもの習慣で日が昇ると同じく目が醒めて、みんなで体操をする。今日の予定を話し合う。
「とにかくみんな一緒で行動しようと思う。他に何か、見たいところとかしたいこととか、遠慮しないで言ってくれ」
 朝が主体の首都訪問なので、仕切るような感じになってしまい内心恐縮する。
 ふたりは非常に素直にかわいらしくはーいと答えてくれ、
「おれらはおれらで勝手に楽しくやるからね。ねー」
「うん…気にしないでね、トキさん」
「それはそれで切ない返事!」
 逞しい付け加えに笑いながら荷物の整理を続ける。アニエスはずっと無言だったけど、反論がないと言うことはきっと着いてきてはくれるのだろう。
「よー、みんな早いなあ。朝メシ行くー?」
 支度を終えたらしい群青がノックをしながら入ってきて告げてきた。子供達は揃って囀る。
「いくー!」
 朝食は一階に下りて、従業員に言って用意して貰う。焼きたてのパンとサラダ。お茶。格安なので良心的だ。この食事で群青とはしばしお別れだけど、やはり楽しい食事タイムになった。
 朝の他にも旅行者(旅人と言った方が適切か)の宿泊客は数組いるようだった。こじんまりとした宿なので多くはないが、同じく朝食を食べている人達の姿もある。
「若い衆大祭見学?参加者はいるかい?」
 お茶のお代わりを注ぎ回っている中年の従業員、貫禄から言ってこの宿の主人だろうか。が唐突に話しかけてきた。動じずに群青が笑って首を振る。
「みんなかわいい子達だろ?まさか大会には出させられないよ」
 俺はてんで弱いし、と冗談めかした口調に従業員も笑う。いやなにね、今大祭の参加者で誰が優勝候補かって方々で予想を立て合ってるらしいんだよ。
「…大祭で賭博の類は禁止じゃなかった?」
「そりゃあおおっぴらにはしませんがね、そのぐらいもしなきゃあ観る側は盛り上がりに欠けるってもんで」
 少しばつが悪そうに声を潜め、従業員は辺りを見回しつつ、群青の耳元にささやきかけた。
「…で、勝ちそうなのがいたら教えてくださいよ。一勝するだけでいくらって、大会後半は参加者一人ずつにかけられるみたいですから」
「ふうん…」
 国の方針として、偉人祭の催しには低俗であると賭け事は全面禁止の方角だ。
 けれどこういった動きがある以上、一つか二つ、それ以上は大本締めが存在しているのだろう。莫大な金額が動くことになるのだから。大体の見当は付くけれど。
(フェドレドも年々腐ってきたものだなあ…)
 そう言ってやるな、娯楽のない生活なんて、貴族にとっては地獄も同じだ。
 群青は自分へそう諌めて、良さそうなのがあったら教えるよと生返事を返して従業員を追い払った。自分で見極めてみろってんだよ、なあ。
「…分かってるとは思うけど、君達はああいうのには関わらないように」
「とっ、当然ッ。。第一そんな無駄遣いするお金もないっっ」
 何故か代表してなのか、朝に忠告が来て慌てた。
「いや、無茶な料金を要求されて、一山当てようとか考えないように釘刺しておかないと」
「何か危惧が的確で怖い!…分かりました、そんなことにならないように気をつけますっ」
 財布の紐はきつく!朝は自分に言い聞かせておく。
 大会そのものは口実のようなもので、朝は自分が直接関わることはないと考えているので、それらの会話はすぐに頭の隅に押しやられた。
 そして荷物を整えて、群青一人が精算を済ませ、全員揃って宿を出た。
 じゃあな、と保護者を務めてくれた群青が立ち去ってしまうと、とたん不安の波が押し寄せる。
「まずはクワイラという情報屋を捜すのだね?」
「あ、うん。アスランを捜すのに手伝って貰おうと…で、群青さんに進められた店があって、そこでクワイラさんのことを聞こうかと思うんだ」
 何だか非常に複雑な状況だ。
 アスランを探す情報を得るためにクワイラの協力が要って、クワイラを捜すためにお店で情報を得る。こんなたらい回しには覚えがあった。
(ああ、うん、ゲームでもこんな一幕が良くあったなあ)
 この街の事件や有名人の動向など、最新情報が自然と集まってくるお店なのだという。
 中心街から少し外れたところ、少し寂れたようなたたずまいの、店名は「天球石」。それしか分からない。何屋かさえも群青には訊いていない。
 なんか、店主の気まぐれで店が変わるらしいのだ。定食屋、旅行代理店、防具屋、古着屋。訪れる度に店が変わっているらしく慣れない内は再度の訪問に戸惑うらしい。
 そんなので仕入れとかちゃんとなるのだろうか。あいかわらず脱線してしまう思考に頭を振って、向かう店が何屋でも気を引き締めていかねばと思う。
 昨夜は陽が落ちていたためか、街の印象はまた違って見えた。建物は飾り気が少なく、真っ直ぐで四角く、白い塗りのものが多かった。
 それぞれの建物に個性というものが少ないのだ。気をつけて歩かないとすぐに迷子になりそうだった。
 祭の間のためか幸い露店は多く、おかげで道の見分けが付いた。
 早朝から人通りは多く、朝達とは逆の方向に人々は向かっていくようだった。
 首を傾げていると、
「今日は大祭の開会式ね。みんなそれが目当てなのだから、きっと見学に行くんだね」
 キニスンが教えてくれた。なるほどと頷く。
 やがて店番の人にも道を聞きながら、天球屋に辿り着いた。
 下げられた紺の看板には大きく、「何でも屋」と書かれている。
「………」
「ある意味斬新ね!」
「そうね・・・」
 言葉も無く朝はそっと、脱力した。ミーシャがぽんっと腕を叩いて励ましてくれた。
 店に近寄ると、本当に何でも屋だと言うことが分かった。一見して雑貨屋だが、蝋燭やマッチ、花瓶の横に普通に魚が丸まる一匹吊られている。
「腐らないかな…」
 むしろ臭くないかな…。
「きっと干しているのだね」
 なるほど…天日干しか。内臓とかはきちんと抜かれているようだった。うん、どうでもいい。
 植物で編まれたのれんをくぐっておそるおそる覗きこむと、薄暗い店内はシンとしており客はだれも居なかった。
 意を決して入ってみる。やはり雑然と棚に積まれた商品達は秩序も分別もなく混沌としている。
 野菜、書籍、お菓子、ぬいぐるみ、化粧石けん、食器。もはや何がなにやら。
 物凄く散らかった物の多いお宅に不法侵入した気分にもなる。
「朝はやーくから何ねー?丸飴はひとつ52カーンー」
「うおっ!??」
 足元から低く這う声がいきなり上がってきて朝は仰け反った。朝のお腹くらいまでしかない、小さなおっさんがそこにはいた。
「開会式ば見に来たとやないかー?帽子立ては800カーンー」
 絶句して硬直したままの朝達に話しかけてはいるようだが、たいして興味は無さそうにそこかしこから飛び出している商品を整理している。
「あ、あの、あのっ。俺たち、いや俺っ、クワイラさんを捜しているんですがっ」
「俺じゃあ分からん俺ちゃあ何やー、レリリの整髪料は300カーンー」
 どもりながらも話しかけると、一応会話をしてくれる気はあるような、無いようなだらだらっとした返事が返ってくる。
 それにしてもこの店主(?)の語り口調は妙になまって、朝の耳にはどこかの方言のように聞こえた。ちゃんと意味を成しては聞こえるが。
「あ俺、はやか…トキ・ハヤカワです。えのぐり茸の家、オセーネの東から来ました。クワイラ・ナソリーのことをご存じでしたら教えてください」
「トーキー、ハアカワちね。けったいな名前やねえ、客やないんかーこの黒炭はー67カーンー?」
「は、や、かわです。ええとその、買い物客では、無いんですが、ご存じじゃないですか。クワイラ…」
 だんだん焦ってきながらも、朝は必死に会話を続ける。キニスン達はその頑張りに口を出すまいと思ったらしく、店の入り口で黙って見守ってくれている。
「トーキ、そこーにあるペーパーナイフ、取っっちゃりい」
「え、あ、はいっ」
 主人からは手を伸ばしても届かない位置のナイフを手渡す。オッチャンはん、と頷いて受け取り、色紙の切れっ端をちまちまと切り始める。
「あの…」
「次はそっちぃや。二番目の棚に布の切れっ端入れた箱あるんよ、取っちゃらんね」
「え、ああ、はい」
 きっと彼では背伸びしても取れない高い場所から、言われたとおりに箱を取って渡してやる。おっちゃんは同じくん、と頷いて受け取る。
 そのやりとりは、朝が呆然としたまま何度か続く。
「むう、いかんいかん。綺麗なお客さんを前にお茶も出しちゃない。トキ、茶ッ葉を買っちゃあこんね。駄賃やるけん、そこの店ば行ってこい!」
「え!?この店にないんですかっ」
「ばあかたれっ。店の商品に手えつけられるかね!早う、早ういかんね!」
 勢いに押されておつかいに出される。さすがのキニスンも呆気にとられた様子で、
「行くかね?」
 と顔を出してきたが、朝は苦笑混じりに首を振った。
「もしかしたらこれって試されてるかもしんない。もうすこしあのおじさんに付き合ってみる。すぐそこに店あったし、大丈夫」
 頷いて駆けだした。いや、もちろん店主にからかわれていたり、全くの見当違いという場合も考えてはいるけれど。
 そして、「そのすぐそこ」のお茶屋さんに向かう道で、朝はいきなり横の路地に引きずり込まれた。
「……!!!」
 言葉もなく、ただ凍り付く。
 アレですか旅行者を狙った窃盗グループとかなんかですか。俺の所持金5000カーンしかないし身代金を要求されようにも身内も貧相なので勘弁とか、混乱する思考ながらしっかりとポーチを手で押さえている。
 悲鳴も上げられず埃っぽい大きな手で口を塞がれ、屈強な肉体の持ち主に抵抗もままならずずるずると人気のないところ(最も今はどこも人気がないだろう)に、どんどん連れ込まれていく。
(ああどうしよう、キニスン、ミーシャ、アニエス。すぐに気がついてくれると良いけど間違いなく罵倒される金髪のお嬢さんに特に)
 一人になったとたんにこれだ。自分で良く分かっているのだが、みんなで行動しようと偉そうに告げていた朝自身が一番ヤバイのだった。
「良いか、動くんじゃねえぞガキ…」
 喉元に当てられた硬い物が冷たいです。動かないのでそれ押し当てるのやめて下さい。
 正直、朝は押し寄せる緊迫感と現実感が遠すぎる程の恐怖で泣きそうだ。
 こわい、誰か本当に助けて。
 やがて、辿り着いた袋小路に展開される光景に、朝はさらなる恐怖と驚愕に震え上がった。指一本動かせる状況ではないけれど、自由の身であればその場にへたり込んでいただろう。
「へへへ、これが見えねえか、分かったら往生して、剣を捨てやがれ」
 いかにも野太く乱暴な声で、朝を押さえつける男が視線の先にいる人物に脅しかける。
 袋小路に追いつめられ、立っている男性がいる。こちらに背を向けている。彼は左手に剣を持っていた。そのまわりを、小型で敏捷そうな体躯を持つ、犬のようなザグルが取り囲んでいる。
(じゅう、すう、ひき…!?)
 目眩がした。自分の置かれた状況もいまだによく分かっていないが、目の前の、顔も分からない男性の立たされた危機に、今はただ背筋が凍る。
 数秒遅れて、荒い息のさなか人質に取られていると理解する。もちろん死にたくない。
 死にたくないけど、その所為で他の誰かが死ぬとか。死ぬ?
 目の前で、俺の目の前でこの人、殺される?
 頭ががんがんがんと鳴り響いている。なんのおと?聞いたことある。遮断機?しゃだんきってなんだっけ、あ、電車。
 もうかなり思考さえもまとまらない。
 けれど自分と、誰かの危機に心臓はうるさく鳴り響いて、吐き気がする。
 目の前の誰かもだけど、このままだと俺も死ぬ?駄目だ、こんな訳のわかんないところで。
 そうだ、落ち着け、落ち着こう。死ぬわけにいかない。死んだら、いけない、帰れない。
 出来れば彼が、あの十数匹のザグルを倒してしまってこっちも助けてくれると有り難いのだが、それはいくら何でも無茶な願いだろう。だからせめて自分は何とかしよう。それで、助けを、呼んでこよう。
 荒い呼吸を繰り返す。ふかく、深呼吸。拘束している男は恐怖で震えているのだと、そう思っている。
(俺は、頑張る、だからあなたも、どうにかしてくれ!)
 未だ背を向けたまま、一言も発しない誰か。榛色の髪が、細く陽を受けて金色にも見える…と、
 彼がようやく肩越しにこちらを向いた。息を呑む、朝と目が合う。
 夕陽の色。橙の眼光。けれどその眼差しは、あまりにも固く冷たい。
「そんなガキ、知るか」
 朝からすればあまりにも非情な一言を吐いて、榛色の髪の青年は剣を持つ左手を一閃した。血が舞う。
 もたらされた衝撃の、殺戮の映像に朝の全身は凍り付きそうになる。
「何!??」
 しかし背後で拘束している男の動揺も、同じく伝わってきた。迷いは一瞬だった。
「っぎゃあっ」
 朝は渾身の力を込めて背後の男の臑を、踵で蹴りつけた。力が緩む。その場にしゃがみ込んで、標的を見失ったと錯覚させてその隙に男の脇をすり抜ける。
「…!!!」
 息を一度に吸い込んで肺が痛い。けれど振り向いては駄目だと駆け出す。
 けれどすぐに服の首もとを掴まれ、ぐんと喉が仰け反る。あっさり捕まった。
 この時の恐怖と言ったらない。
「ってめえよくも…!殺してやる」
「っひ、わああああっっ」
 もうじたばたと暴れるしか混乱する頭では出来ない。ぎらりと鋭い刃物が向けられる。
 駄目だ、死んだ、死んだ。強く目を閉じ、顔を背ける。
「が、はっ!」
 死んだのは朝ではなかった。
 ずんっと、身体に重量がかかる。慌てて目を明けて、訳が分からないままのしかかってくる男の身体を押すと、どさっと足元に巨体が転がった。背中の真ん中に大きな穴が空き、血がだらだらと流れていた。
 見開かれた目は白くにごり、大きく開いた口から舌が覗く。驚いた顔のまま、絶命していた。
「ううわあっっ!」
 慌てて飛び退く。足元から急速に、立ち上ってくる恐怖。
 今まさにこうなっていたのは自分だったかも知れなくて、助かった安堵よりはじめて目にする死体の現実味。さらなる恐怖が重ね塗られるばかりだった。
 耳の奥でゴオオ、と耳鳴りが強くなった。耳鳴りってもっと高い音じゃないっけ。
 まるでそれは頭の先まで水に浸かったときのような轟音。
 目の前で、殺戮は続いていた。
 あれほど恐ろしく感じた獰猛そうなザグルが、子犬か何かのように斬っては捨てられ動かなくなっていった。
 榛髪の彼は、朝のすぐ側にいた。もう悲鳴も上げられずに、臨場感と言うには酷すぎる圧迫感にその場に膝をつく。
 血が、飛び散る。
 彼はやはり朝の存在など知らぬというように、背を向けたまま剣を振るい、ひたすらに生き物を屠っていた。
 なんというS席の、殺戮観劇。
 いつもならとっくに吐くか気を失うか、していてもおかしくないが。
 朝は目を見開いて、呼吸も忘れてそれを観ていた。気持ちが悪い、気持ちが悪いと。頭の中でそればかりを繰り返す。
 やがて、最後のザグルの首が舞った。
 返り血もろくに浴びていない彼は、相変わらず朝の目の前にいる。
 まるで、朝を庇って戦っていたようだ。
 そんなわけはない、やさしい人ならば、今すぐそこで息絶えている男より、今まで見たどんな凶悪なザグルより、この男が振り返るのを、
 こんなに絶望の心地で迎えることになるはずがない。
(ひとのザグル)
 朝は胸のうちで、殺戮者、や死神、などというものよりもっと、相応しいと思う呼び名で呼んだ。
 振り返った男の目の色は血の色などではない。やはり、穏やかにすら称される橙。
 けれどやはり彩りに乏しい。



 こうして二人は出会ったけれど、朝は間違いなく、次に殺されるのは自分だと確信したという。


  









 

 

(2008.4.21)

TOP ◇ 世界呪頁 ◇