4 同道
つぐみはあれ以来、物静かな娘になっていた。
何か意見があるらしく口を開いたは良いが、あっと気がついたように己の口腔を手で塞ぐ。そんな仕草が何度か見られた。
サザは面倒が減った、と思うのと同時に、律儀な娘だ、と関心もしていた。
こんなに真摯な態度を見せられたのも慣れないことであり、
どんな護送の任務でも、今まで二人きりでこれだけの道程を歩んだことがないから、未知の領域でもあった。
異国の言葉を口にしない代わり、野宿の際ぽつりぽつりと呟くつぐみがいた。
日中の数少ないサザの言葉を拾って反覆しているのだと気付いて、絶句する。
何か言い咎めるべきか。なにせサザの口調は簡潔で粗暴に過ぎて、あの娘が「黙れ」や「動くな」などと口にするのはあまりに異様だった。
ならばサザが丁寧な言葉を教えてやれば良いのだが、一刻も早くこの任務を終わらせたい彼がそんな手間と時間をかけるわけもなく。
結局、次の目的地イーブルを目前に、何の変化も見られず至る。
イーブルには、この任務を依頼してきたあの、ラシードという男がいるらしい。早文で落ち合えるよう連絡をしていた。
この状況、依頼の呪術媒介=つぐみ、という事実確認をせねばと、さすがのサザも思ったのだ。
「サザ」
呼ばわれて視線を下げると、よろよろふらふらしながら水を汲んできたつぐみが不安そうに自分を見上げていた。
この娘、日に日に弱々しくなっていくように感じるのに、だんだんとその行動力は旅に慣れ、逞しくなっていくように見えた。
野営地に着けば水の確保。今では一人で火も熾せるようになって、いつの間にか数種の薬草を見分けられるようになっていた。
師匠が不出来でも優秀な弟子は独りでに育つものだ。
もう遠い昔、死に損ないの老人が言った言葉が脳裏を過ぎる。
つぐみはつぐみなりに、サザから生きてゆく術を学んでいるのだ。
それを見ていると、ふいに、気まぐれを起こす気になった。
「よこせ」
水の張った器をひょいと取り上げて、次は?何かすることある?と言う目で見てくる(言葉が無くても分かり易すぎる)つぐみに指で示してやる。
「細くて、乾いた枝を拾ってこい。ここから見えない範囲には行くな」
「ほそて、かわ」
「細い、乾いた枝だ」
「えだ!」
そこでやっと得心がいったと安堵の笑顔になる。薪に使う木の特徴など、つぐみはとっくに覚えているのだ。新しい単語に、「ほそい、かわひ、かわい?た?」と試行錯誤し呟きながら枝拾いに駆けていく。
気まぐれは連鎖して、サザの目を上へと向けた。いつもなら気にも留めない細い枝振りの幹は、この季節特有の赤くて丸い果実を実らせていた。
足元の小石を振りかぶって見事なコントロールでひとつ、ふたつと打ち落とす。
傷一つ無い瑞々しい実は、サザの手にあっさりおさまって甘く美味しそうだった。
たまには甘味でも与えてやるか。
なんだかんだと、もうすでに心境は飼い主の域に達してはいた。
本人が自覚するまでには至っていないが。
「サザぁっ!」
「!!」
もうこの十日ほどで聞き慣れてしまった呼び声に、反射的に身体は駆けだしていた。
すとんと落下した果物が地面に転がる頃には、とっくにサザの姿は彼方にある。
「グギャア!」
(――またこいつらか)
拾っていた枝を大事に抱え、しゃがみ込むつぐみの頭上を、鳥のザグルが三羽旋回していた。
文字通り飛ぶように現れたサザの姿を認めるやいなや、鋭いくちばしを向けて滑降してくる。
とてもひとに視認できる速度ではないというのに、サザは瞬きひとつすることなく自らに迫り来る鳥の体を引き裂いた。このままでは遺骸となった巨躯と激突するところを、わずかに上体を反らすことで交わす。
「…っ!」
「!!」
つぐみの悲鳴に顔を上げると、無意識に腕が動いていた。
もう一羽のザグルが、つぐみの側に寄ろうとしたところをサザの刀に貫かれてそのまま絶命した。
「ちっ!」
思わず舌打ちが漏れる。自分とは思えない失態。
戦いのさなかに武器を投げてしまった。やむを得ぬ場合無いことではないが、ここにはまだ敵が残っていて、それはサザの手が届く場所ではない。
「ツグミ!」
呼ばれた名前に答えるように、少女がはっと顔を上げて、サザを見た。
目の前に迫る化け物に気がついているのに、彼女は今度は悲鳴を上げない。薄く唇を開いて微かに動く。何か言う。聞こえない。
「グ、ギィ!」
耳障りな声を上げて、つぐみの側に重苦しい鳥の遺骸が落下し、その衝撃を受けて汚れた羽が舞い散った。
何事が起こったのか、事態を把握できない様子でつぐみは目をぱしぱしと開閉し。
「サザ!」
すぐに、我に返ったように保護者の名前を呼ぶと、駆けつけてくれた彼のもとに真っ先に走り寄った。
「サザ、けが、けが?」
おそらく怪我はないか。大丈夫だったかとサザの安否を気遣っているらしいが、もちろん無用の長物だった。
むしろ少女の身体に怪我はないかと慮るべきだが、サザは今それどころではないのだ。
最後のザグルを斬り殺したのは、もちろん彼ではないのだから。
自分に劣ること無い鋭い一太刀。あのような、洗練された太刀筋は、稀に見るものだ。
サザの、温度のない灯火。橙色の視線の強さに気付いて、つぐみもゆっくりと後ろを振り向く。
その先では、ザグルの喉元に深々と刺さったままのサザの刀を、引き抜く、人物がいた。
「見事なモンだ。お前、それでも人間か」
あまりにも無遠慮に不躾な第一声は、意外にも若い男のものだった。
当然サザの眉間に皺が寄る。円月刀を片手で器用にくるくると旋回させ、鞘に収める姿は堂に入っており、あんな一撃を放てるヤツに言われたくないものである。
「…っ、サザ」
くいくい、と袖を引かれてつぐみを見ると、とても申し訳なさそうに眉尻を下げる顔があった。
なんだ、と、訝しがる間もなく、つぐみはサザのもとから離れるとたたっと円月刀の男のもとに向かってしまったのだ。
「おい」
声にはひとことだけ咎めて、サザも仕方がなくその後を追う。彼の視線の先で、つぐみは信じがたいことに男に向かってぺこりと頭を下げていた。
「ああ、気にするな。目障りだから斬ったまでのこと」
淡々とした口調で返して、彼はつぐみを一顧だにせずサザの刀を眺めていた。
「特に銘のある業物とも思えないが」
「触るな」
声にはかなり不快の響きを込めて、もはや威圧だった。
眼を細める男の様子に、間に立ったつぐみは緊迫感におろおろとしたが、意を決したようにさっと両手を差しだした。男に向かって。
「何の真似だ?」
「サザ」
つぐみは、これはサザのものだから、返してくださいと必死に訴えているのだった。
何とか伝わるように、後ろのサザを指さし、刀を指さしして、ぺこりと頭を下げた。
「…口が利けねえわけじゃないんだろ?異国人か?」
「…っ!」
顎を指で捕らわれて、顔を覗きこまれて驚きに目を見開く。
しかし何かされるでもなく、はっとしたときには両手にずしりと重いものが乗せられていた。
「…うう、う〜…」
重い。両手で持って踏ん張っても重心が下がってしまうつぐみを見かねて、サザがさっと取り上げた。落とされてはたまらない。
「…お前こそ異国人か」
「見て分からねえか」
背を向けた男が、冷ややかに言葉を返す。
つぐみには二人がどんな会話を交わしているかは分からないが、痺れる手首をさすりながら不安そうな表情をしていた。
男の短い、耳を隠す程度の長さの頭髪は濃茶。この国では珍しい色合いだ。
さらにその肌の色は浅黒く、均整の取れた長身から、クォ人ではないと知れる。
(ウォッツ人か)
「だったらどうした」
まるで心を読んだようなタイミングで男はつっけんどんに返してくる。サザより年上のようだが、ウォッツ人は好戦的で荒い気性のものが多いと聞く。彼も例に漏れないようだ。
だからどうだと言うこともないが、違和感を感じはする。
異国人が、何故このような辺境の森のなかに。
「あぁ―――」
ふと、思い出した様子で、男がサザ達を振り向く。先ほどまでのぴりぴりした空気が、わずかに和らいだようだった。
「おまえ、リビットだろう。二人連れだから間違ったかと思ったが」
「…?」
ぴくり、と眉根が動く。彼は自分の名前を呼ばれて、良い経験をしたためしがほとんど無い。
「セッテという男から案内を頼まれている。イーブルの牡鹿亭まで同道しろ」
ただでさえものを言わないサザが、今度こそ真の意味で絶句を決め込んだ。
何とも複雑な表情で是も否もいわない相手を、了承と受け取ってじゃ、ついてこいと男はサザらに背を向けて歩き出す。
どうしたの?という戸惑いの表情で先を行く男の背中と押し黙るサザの顔を交互に見ていたつぐみも、ようやく歩き出した保護者に合わせて小走りに歩き出す。
しばらくして一緒に行くのだ、と理解したつぐみは先を行く男へ、物怖じの表情を浮かべながらも真摯に自らを指さし、
「つぐみ。つぐみ」
と自己紹介をした。
「ツグミ?名前か?俺は、お前と似たようなものだな、リビット。セッテに雇われた。名前はキリーだ」
「???」
流暢に言葉を紡がれて、一体どの単語が名前だったのか見当もつかない。それに気がついて、キリーが苦笑する。
「キリー。キリーだよ。こんぐらい覚えろよ」
その口調は案外微笑ましく、サザよりいくらか面倒見があるのかと思わせる仕草だ。
「きりー」
「よし」
頷かれて、つぐみがほっと胸をなで下ろすように微笑む。
その二人を後ろから見ていたサザは、ふと視線を上に向け。いつの間にか拾っていた小石を放った。いや、放ったというレベルではない。撃った。
何の不自然もなく、サザのてのひらに落下してきたのは先ほど彼が調達したのと同じ、丸い果実だ。
先ほど落としてきたものは今頃、森の小鳥たちの胃に収まっているだろうから。
「サザ?」
それを、首を傾げる小娘に押しつける。
貰っても良いの?という目でしばらくサザを見つめていたつぐみは、彼が何も言わないことで納得する。少女も付き合い方を大分体得していた。
果実を両手で大事そうに持って、つぐみがほんわりと笑った。嬉しそうに。否、嬉しい嬉しいと、その気持ちが零れるような笑顔だった。
「……」
それを横目に見たら、先ほど感じた不快な感覚が、あらかた無くなってしまっていた。
サザも基本的に単純なのだ。
イーブルまでの道のりは、キリーが加わったからと鈍るどころか速度を増したようだった。
効率の良い、歩きやすい道を知っているのもあり、何よりサザよりも遙かに気のまわし方が上手いのだった。
「段差だ。ツグミ、掴まれ」
「??っっ」
少し歩いただけでもつぐみの体力が常人以下だと理解して、てきぱきとエスコートをして難関な道のりをクリアしていく。
さすがのつぐみも、これは今までの旅路が遅れたのはもしや自分の所為というか・・・と理解出来たようだ。
決定的にサザの気遣い欠如による結果だろうが、もちろんその本人は、妙に楽だなくらいにしか考えが及んでいなかった。
ただ、つぐみを危なげなく導くキリーを見ていると、なるほどああすればいいのかとは思う。次からは自分もしようとは思わないだろうが。
そんな感覚で半日もする頃には森の途切れが見え、いくらかもしないうちに規模はそこそこで活気のある街。行き交う街イーブルに到着していた。
とはいえすでにあたりは日も暮れ酒場も繁盛する刻限であるが。
「ツグミ、眠くねえか」
まるきり子ども扱いで尋ねられ、当然理解できず首を傾げる。
やはり無害な小動物のような小娘を相手にしていれば誰でも毒気が抜かれるらしく、キリーもずいぶん(彼女に対しては)屈託が無くなっていた。
「牡鹿亭とはどこだ」
「ここだ」
キリーが顎をしゃくって見せたのは、今まさに彼らが通り過ぎようとしていた3階建ての素朴な宿だった。世界的にもよく見る、下で飲み食い、上で宿泊が出来るというシステムの宿らしい。一階の明かりは煌々と街の闇を照らしていた。
「……」
思った通り再び黙り込むサザを喉の奥で笑って、キリーはつぐみの腕を引きながら門戸をくぐる。サザは無視だ。勝手にしろという感じか。
いきなり目映い視界と賑やかな喧噪に晒されて、つぐみは眼をちかちかと瞬く。
「ああ、怯えんな。お前みたいな嬢ちゃんは慣れない場所だろうが」
キリーも当初のサザと同じく、つぐみをどこかの良家の子女と思っているらしい。それが何故サザといるのかといった疑問を追求しないあたり、彼も色々な場をくぐってきた経験者であるのだろう。
肩の触れ合いそうなほど人でごった返し繁盛している店内を、少女を庇うようにキリーは進んでいき、(おかげで絡んでくる酔っぱらいはひと睨みで黙る)角のテーブルに目当ての顔を見つけた。
「よぉ、セッテ」
「よぉ、クアンドラ。おかえりー」
片手を上げたキリーを、同じく片手を上げて軽い口調で出迎えた男は、違う名前で彼を呼んだ。少なくとも「キリー」という音でないことはつぐみにも分かった。
「かわいいお土産だなー。こちらのお嬢さんはどなた?」
「ツグミだ。あとは知らね。リビットが連れてたぞ」
にこやかな笑顔を向けられて、と言うかつぐみは彼の姿に目を瞠る。キリーと年の頃は同じくらいに見える男は、深い空色の髪の色をしていた。
しかも、穏やかな眼差し、その双眸は紫。
もちろん、彼の姿に驚いているのだと知るよしもないキリーは空いている椅子を引きさっさとかけた。つぐみの前のイスも、紳士的に引いてくれた。
「どうした?座れよ」
促されてちょこんと座る。目の前には紫目の、青い男がいて反射的に身が竦んだ。
彼女の常識ではあり得ない、蒼の男。人好きするような優しそうな顔立ちだが、今はじっと探るようにつぐみを見ている。
「なあ、君」
「セッテ」
青い男の言葉をさえぎって、低い声が名前を呼んだ。感情なんて生まれてこの方知りませんというような声音だ。
「やぁ、サザ。おひさー」
青い男は、というかラシードは、キリーを迎えた時とまるで同じように、つぐみの背後にそびえ立つサザを迎えた。
「どういう事か、説明して貰う」
「そりゃあまあまずこっちの台詞だァ」
いきなり要求を突きつけられ、ラシードは苦笑しながら両手を挙げた。
「本当に困りました」と言ったような表情だったし、本当に心の底から困っていた。
サザは焦れたが、眉間の皺を深くしただけで要点のみを告げた。
「ツグミだった」
キリーが水の入ったコップから、サザへと視線を向ける。
「お前の指定したものはツグミだ。説明しろ」
ラシードにはそれだけで十分だった。
(2006.6.28)