6 分離
「ウルス経由でフェドレドへ向かおう」
つぐみの回復も順調の、イーブルの牡鹿亭滞在三日目。明朝出発と決まってラシードがそう告げた。(まあ、大事を取って一日は延びた)
「ウルス・・・?」
広げられた地図を覗きこんだキリーが眉を潜める。外国人であるキリーにも、それが最短ルートである主街道を避け迂回する道だと理解できた。
「人目を避けるためか?」
キリーからしてみれば、つぐみの安全を最優先するならばわざわざ悪路の多い田舎道を選ぶ理由が分からない。舗装された道のほうが治安もよく、人通りも増え欺けるはずだ。
つぐみの外見はいたって普通で、奇妙なところはない。口を開かなければ必要以上に怪しまれないはずだ。もちろん、彼女が衣服を剥がれるような事態になど、させるつもりは毛頭無い。
「まあ、五分五分のところなんだがな、主街道を行けばエニュイ・エルに立ち寄らざるを得ないだろ」
「ああ、なるほど」
キリーは自身のクォに関する情報を探りながら頷く。
エニュイ・エルには神殿があり、その先には王家の息のかかる関所がある。つぐみの安否ももちろんだが何よりも正体を秘して通さねばならないからには、力ある呪術師との接触は避けたいのだった。
対して林業が盛んで、アイアヌよりまし、という規模のウルスは村と言っていいほどの田舎町だ。自然に囲まれた田舎ほど呪術信仰が根強く残る風潮だが、力ある呪術師の存在のみに気を払うなら、さして心配がないように思う。
「わかった。急ぐ旅路で無し、慎重さを取るんだな」
「ん。まあこっちは手練れが二人もいるし?万が一にも危険はないだろ」
ラシードは頼りにしてるといわんばかりに人好きのする笑みを向けた。
キリーは呆れた眼差しを返すだけで視線を逸らし、そんな二人の様子を大人しく見守っている、傍らに座るつぐみの頭を撫でた。手遊びのようなぞんざいな仕草だが。
「?」
「まっ、二人の時より順調に運ぶだろ」
一人離れた場所で黙り込んで座るサザへ、嫌味とも取れる呟きを落とし。
話のほとんどを理解できていないだろう、つぐみの心配を払拭させようという気遣いから来たのだろう。頭に置かれた手はしばしそのままにされた。
早朝、日が昇る頃合いを見計らって宿を出た。
つぐみは少しの間、3人の顔を順に見て落ち着かない表情をしていたが、ラシードが「これから次の町、ウルスに行くよ。みんな一緒だよ」というふうに噛み砕いて説明すると、安心したように笑って大人しくついてきた。
まだまだ言葉のやりとりが困難なため、どうしても幼児を相手にしているような気持ちになる。
キリーやラシードに対するつぐみの警戒が解けるのは存外早かった。サザが相変わらずピリピリしているのでもしやと思ったが、彼女自身の判断で信用してくれるらしい。
少しずつ言葉を覚えているのは先生を任されてしまっているラシードのおかげだし、イーブルに辿り着くまで気を配ってくれたキリーのやさしさをつぐみは忘れない。
だから二人に大丈夫か?といった視線を向けられる度、つぐみは自然と微笑みを返すようになっている。
そんな中でもサザは一人、マイペースに仏頂面だった。
先頭で道を作りながら、キリーがさくさく行く。つぐみを気にかけながらその次を歩くラシードは、しんがりを勤めるサザの圧迫感に冷や汗を禁じ得ない。
(いやあ、ツグミは今まで良く二人きりで耐えられたなあ)
商隊や旅人の行き来の多い主街道とは異なるが、行く先にウルスがあるのだから人に踏み固められた砂利道に沿って歩く。
人通りはやはり少ないが皆無ではない。怪しまれる行動を避けるため表情を硬くすることもないが、もし、誰かひとりでもこちらを見て目に宿るものがあれば、その時は致し方ない、という思いがある。
三人が三人とも呪術のにおいには疎いのだ。だれがつぐみを見とがめるか、見ただけでは解らなかった。
「ラシード、なに?」
その緊張を知ってか知らずか、つぐみがすれ違ったぼろ馬車を引く動物の名前を尋ねている。
驢馬( を知らないのか。それともつぐみの知る驢馬とはどこか違うのだろうか。
本当は、たんに驢馬をどう呼ぶのか発音を聞きたくて尋ねたのだったが。つぐみ本人にとってはどう捕らえられても構わない程度のことだ。
キリーは改めて肩をすくめる。熱心で健気な姿がかえって脆く見えた。この子は本当に、ひとりで放り出されたらすぐに死んでしまいそうだ。
「ここで一旦休憩にするか」
日が真上に昇った頃、どこまでも続く草原を見渡してラシードが提案した。
「必要ない」
町を出てからほぼ一言も発していなかったサザが、眉間に皺を寄せて不機嫌に異論を唱えてくる。
ラシードは思わず気圧されて半歩後退してしまったが、代わりにキリーが一歩を踏み出し鋭い語調で返した。
「お前のそう言うペースでぽんぽんざくざく進んでつぐみがぶっ倒れたのもう忘れたか、病み上がりなんだよ、そもそも基礎体力が違うんだよ、ちったあ頭使え!」
「ちょ、そんな喧嘩腰で」
慌ててラシードが止めに入るがもう遅い。
見るからに気の短いサザはやはり気が短かった。
「ぶっ倒れたところで、なんの不都合がある」
食ってかかられたことがいかにも鬱陶しそうに、だが平然とその言葉は紡がれた。
「っの、やろ。そこまでミジンコか?ああ?一から説教し直すか?拳で黙らすか?いいから休憩だっつってん・・・ああ??」
まさに一触即発火花を散らし睨み合っていた二人だが、ふいにサザが体勢を変えどこかに歩き出したため、威勢の良い啖呵も矛先を失い途切れる。
「うろちょろするな」
キリーとラシードが視線を転じると、いつの間に移動したのか何かを覗きこもうとするつぐみを抱え上げて捕獲するサザの姿があった。
「水、おちル・・・サザ!」
つぐみは下ろして欲しいと全身でアピールしながらも、切り立った崖から見渡せる滝と流れる濁流を示している。
「・・・ツグミが俺たちの誰よりもしっかりしてる」
ラシードは彼女の行動を正しく理解して、しみじみ呟いた。休憩すると察して水源を探してくれたのだろう。出発したばかりなので不足はないが。
「あー。つまりはそういうコトか」
すっかり気勢のそがれた思いで、キリーはヤレヤレと溜息を吐く。
サザのつぐみに対する扱いはまるきり荷物に対するそれだ。疲れて足が鈍れば抱えて運べばいいくらいにしか、今も思っていない。
そこに思い遣りなどは感じられないが、誰よりも早くつぐみの動向には機敏に反応しているこの男に、先程と同じ罵倒は通用するまいとは理解できた。
まずサザには、つぐみがか弱い女の子で、護送対象であっても人間扱いするよう教えなくてはならない。
(面倒くせえなあ〜・・・)
当然、休憩は行われた。
ラシードは真っ先にかいがいしく布を敷いて、つぐみを座らせお茶の準備をする。
キリーも釈然としないままであったが並んで座ってお茶を飲んだ。
天気も見晴らしも良い、暖かな場所で、人通りもなく滝の音だけが静かに耳をくすぐる。
ラシードが笑顔でいろいろな話をしている。キリーはそれにぶっきらぼうに相づちを返す。間に座ったつぐみは、二人を眺めながら大人しく休憩に徹する。話はまだ良く分からなくて首を傾げてしまうけど、平穏を感じる、ピクニックのようなぽかぽか陽気。自然と表情はにこにこと微笑みが浮かんだ。
サザだけが一人、少し離れた場所に立ったまま、やっぱり鋭い目でつぐみを見ている。
まだまだ尻込みすることもあるのだが、不思議な気持ちでつぐみがそれを見返す。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
お互い何かを伝えようとするでもなく、何だか微妙に見つめ合っている。
「何がしたいんだお前らは・・・」
「いや、仲良いよなあ」
キリーがあきれて呟き、ラシードは微笑ましさと可笑しさに肩を震わせている。
ついうっかりと言ったように、ラシードがつぐみの頭をよしよしと撫でているとサザの肩がぴくっと反応する。そういうところも改めて微笑ましい限りだ。
やがてずっと見つめ合っている、と言う事態にようやく気がついたふうで、つぐみがはっと顔を赤く染めてそわそわし始める。
ラシードの側にある水筒と、余ったコップを伺いながら持って、新しくお茶を注ぐ。ラシードは快く了承して頷く。
「サザっ」
自分が何をしたいのか、何を伝えたかったのか、つぐみにも正確には良く分からなかっただろう。それをごまかすためにか、立ち上がるとコップを両手で持って保護者の元へ駆けていく。
「サザ、んん、おちゃ」
目の前に差し出されるコップを、橙色の双眸が一瞥する。その視線はすぐについ、と、目の前の少女へと戻されて。
再び数秒間、無言で見つめ合う。
つぐみはすぐに、その視線の集中砲火に困り果て、眉が下がり大きな両眼が潤んでいく。
サザの表情が怪訝そうになる。泣かないよ、泣いてないよと言わんばかりにつぐみが必死に首を振る。
奇妙としか形容の出来ない、本人達以外からすれば訳の分からないやりとりが展開されているかと思えば、何の葛藤を経てか、サザがようやくカップをひょいと取り上げた。
緊張から解放されたからか、つぐみはぱっと笑顔を向ける。
受け取ったお茶を飲むでもなく、やはりサザは、それを見ている。
―――――訳が分からないのは、サザ自身が一番強く思っていることだ。
少女が不安そうに瞳を揺らしたとき、その顔を見たとき、不快なものが胸に広がった。
けれどその後笑顔が浮かぶと、不快だったものが一瞬で霧散していた。
なぜ小娘の表情ひとつで動くものが、自分のなかにあるのか。
それはやはり不快で、出来れば触れたくない、曝きたくない類の発露だと本能で知っている。
けれど目が離せない。離すことが出来ない。理由を突き詰めるでもなくそれだけは分かっていて、その代わりに固く固く蓋をする。
サザ、という自分自身を封じる。そうして生きてきたように。
「・・・サザ?」
首を傾げて見上げてくる少女の両眼を見返して、渡されたお茶を仕方なく飲み干してやる。つぐみは満足した様子で、空になったコップを受け取るとラシードとキリーのもとへ戻っていった。
「さあて、そろそろ出発するか」
十分な休憩を取って、ラシードがつぐみを立たせてやりながら宣言した。
きっとここからは野営地を見つける日暮れまでは休憩は無しになる。
と、真っ先に変化に気付いたのはサザだった。顔を上げて彼方の空を見上げている。
「サザ、どうし・・・」
問いかけを中断してキリーと同じくラシードも気がついたようだ。何かがこちらに向かって飛んでくる。鳥だ。
「ああ、きっと俺の、ってサザ!たんまたんま!」
問答無用で柄に手をかけるサザにぎょっとして駆け寄る。確かに怪しいのは承知だが、近寄ってくる相手を片っ端から斬ろうとしないで欲しい。
「識別鳥( だよ、サザ!俺に手紙だっ。罪もない動物を斬るのは止めてくれっ」カラリオ )
サザの前に出て、手を広げて滑空してこようかどうしようか、迷う素振りの鳥を手招く。すっかり鳥も怯えさせてしまったようで苦笑する。
鮮やかな青い羽毛、大きな鳥だった。立派な蹴爪ながら、慣れた様子でラシードの肩に止まる。
「わあ・・・」
「よっ・・と。ツグミ、気になるか?危なくないから近くへおいで」
手招かれて、ゆっくりとだが括られた紙片を大人しく外されている鳥に近寄る。
ラシードの顔を見ながら、そっと手を伸ばしてみる。大丈夫、撫でて良いよと笑顔で頷かれ、ゆっくりと豊かで綺麗な羽毛を撫でてみる。
何だかうれしそうにぴいぴいと鳴いている。愛らしさにつぐみの笑顔がふかくなる。
と、サザにあんまりにも鋭い眼差しで睨まれているのに気がついて、鳥さんとつぐみは揃ってびくつき、震え上がった。
「サザ、ツグミまで怯えてるよ・・・」
ばさばさっと落ち着きを無くして羽ばたいた鳥は、手紙を外されそのまま飛び立つかと思いきやつぐみの肩に逃げるように移ってきた。大きな鳥は、小柄な彼女には少し重たいが。
「珍しいな、スクリーンがひとに懐くとは」
感心したようにラシードが目を瞠るが、その表情は手紙を広げて目を走らせたところで、一瞬で変わってしまった。
「・・・ラシード?」
不安そうに呼ばれて、ラシードは笑顔を返してくれる。けれどその表情も、すぐに険しいものに戻る。
「どうした?・・・ってオイ、リビット。何威嚇してやがる。鳥にまで嫉妬してんじゃねえよ」
「・・・・・・」
キリーにまで突っ込まれて、サザの強烈な眼差しは一層凄みを増したが、とたんふいっと身体ごと逸らされる。
嫉妬ではない。そんな感情、彼にはないのだから。
「ごめんな・・・ツグミ」
近寄ってきたキリーにではなく、目の前の小さな少女に向けて、ラシードは告げた。
「俺、行かなくちゃ・・・しばらく、お別れみたいだ」
「はァ!??」
キリーは怒気を交えた声色で突っかかってくる。
「エイギルとやらと面識あんのはお前だけじゃねえか。橋渡しどうすんだよ、言い出しっぺが!」
「ごもっともだ。申し訳ない。フェドレド到着時には、間違いなく合流できるようにする。いや、する!必ず!どうか行かせて欲しい。戻ってくるから!」
ラシードは弁解する言葉もないようで、ひたすらに頭を下げた。
「何かあればこの、スクリーンを寄越す。この子は俺を良く覚えているから、手紙を託して送ってくれていい。クォ国の郵便局に登録済みの正式な識別鳥だ」
「その辺はまあ、テメエも色々あるんだろうがよ」
キリーはひたすら呆れた顔で、紡ぐ声は低かった。もうすでに怒りよりも別の感情が強いらしい。
「俺、お前のこと基本信用してねえんだ」
「やっぱりか」
告げられたあんまりにも辛らつな言葉に、けれどラシードは困ったような笑みを向ける。
「そうでも、仕方がないけど、どうか、頼むよ、ツグミのことを・・・キリーも一緒に、側にいてやって欲しいんだ」
「まー、あー・・・」
まったくラシードの緊急事態に興味のない、顔を背けたままの男に一瞥をやる。
あいつ一人に任せていたのでは、つぐみがふびんだと思うのは今までと同じだ。
彼女の行く末や、禁呪の真相とやらも調べておきたい。キリーはふうと息を吐いた。
「まーいーや。引き受けてやるよツグミの面倒は。勝手にしろ」
「ありがとう、キリー!」
ぱっと、紫の瞳を子供のように輝かせ、屈託のない感謝の言葉が即座に返る。
「ごめんなツグミ。もっとたくさん言葉を教えたかったけど、どうか元気で。また会おうな?」
かなりの身長差があるため、ラシードはわざわざ膝をついてつぐみと視線を合わせた。
くしゃくしゃっと髪を撫でて、笑顔を向けて。つぐみは、何を言われているのか、ラシードがどうなってしまうのか、少しの間を置いてようやく理解したようで。
「・・・っ?ラシード?」
行ってしまうの?と不安そうな眼差しで袖を掴まれる。
キリーの言葉よりも、これはずいぶんラシードの胸を刺した。
「ごめんな、ごめん。また絶対、会いに行くから」
「・・・・・・・ラシード、元気、いテね。えっト、アリガト、いっパい!」
つぐみは一生懸命に作った笑顔と、たどたどしい言葉を一緒にくれた。
何でこんなにつらいのだろう。ラシードは泣いて別れを惜しむ幼い妹を相手にしているような気持ちで胸を潰されそうになった。
ほんの短い間、ぎゅうっとその小さな身体を抱き締める。
「俺こそ、ありがとう。どうか、怪我ひとつしないよう、祈っているよ」
異世界の、不幸な女の子。
不思議で無力な、小さな子。
ただの普通の子な筈なのに、一緒にいるだけで愛しさでいっぱいに満たされてしまう。
「って、スクリーン。いつまでツグミにひっついてる。お前も行くぞ、じゃあな、キリー。サザも!」
離れた背中にも呼びかけたけど、何の反応もない。
少しさみしい。サザはつぐみ絡みだとかなりの反応を見せてくれるけど、それ以外には無感動の、ヘタするとただの危険人物のような男だ。
(ツグミの影響で少しは更生できたらいいのに)
それは少女には少し酷な願いに思えるが。
つぐみにそれほど懐いたのか、いまだにぴいぴいと寂しげに鳴いているスクリーンの身体を抱き上げて、ラシードは早足で目的地へ向かった。
(なんか、ツグミには誰もに好かれちゃうようなところがあるのかもなあ)
実際にはそんな人間、いるわけはないのだが。
ラシードはいつもはなかなかひとに懐かないスクリーンと、他人に興味関心など無さそうなサザを重ねて思い描いてみる。
・・・動物に好かれるフェロモンでも出ているのだろうか。
サザに斬って捨てられそうなので、こわごわとその思考を振り払った。
いろいろなことに詳しいラシードが急遽抜けてしまったが、土地を問わず傭兵をしていたサザが地理に詳しく、外国人であるキリーもぬかりなく十分な知識を備えていたため進行の妨げは皆無と言えた。
けれど道中、最も明るく屈託無く、つぐみに話しかけて、言葉を教えてくれた青年の不在は、その変化を如実に表した。
サザとキリーはどうやらそりが合わない。間を取りなしてくれるラシードがいないので、口を開けば喧嘩のような殺伐としたやりとりになる。自然三人とも無口になって、ひたすら道を行く。
気まずくなってか、それとも気遣ってのことなのか、つぐみがぽつぽつと、未だたどたどしい口調で話しかけた。
キリーは訊かれたことには、内心面倒くさいなあと思いつつも答えてくれた。
サザはやはり、黙れとかうるさいとか返すことは少なくなったが、辛辣な眼差しで一瞥するだけだった。まともな返答はほぼ望めない。
新しい語学教師は、自然とキリーに任されそうだった。
ウルスまでの道程は、木々や山々に囲まれたどこまでも田舎道が続いた。
人家や細々としたものを商う商家など、まばらにしかない、仮にも街道であるのに。
そんなうららかな行程に、キリーがそろそろと飽きたなあとぼやきはじめるころ、ザグルの襲撃が混じりはじめた。
(こんな街道まで出てくんのかよっ)
襲いかかってくる猿のようなザグル。伸ばされた腕をかいくぐり胴をひと薙ぎにして打ち払う。
サザはつぐみの側から離れようとせず戦っているのに、キリーの倍の速度で襲い来る半数の息の根を止めて見せた。
(あのバカ。ツグミのすぐ側で血飛沫飛ばすかよふつう・・・!)
荒事が日常茶飯事の筈の、ウォッツ人であるキリーの方が正論じみた思考でサザをなじる。だが、違ったのだ。キリーにもそれはすぐに知れた。
ザグルの方が、つぐみに群がっていくのだ。
(・・・・・・・・・)
ふたりは出会ってからしばらく共にいたという。ならばそれにサザが気付いていないわけがなかった。
禁忌の、呪術媒介。
呪術に犯され凶暴化したザグル。彼らに理性や思考力は残されないと聞くが。
キリーは自然、ぶるりと身震いする全身を感じた。
何があるのだろう。あの、震えて目に涙を浮かべ、何も出来ない小さな少女の身に、一体どのような呪が刻まれたのだろう。
今更ながら目の当たりにした思いで実感する、それは戦慄だった。
辺りが静かになると、人気のない夜の街道は濃い臭気と少女のすすり泣きに包まれた。
やはりつぐみは泣いていた。恐怖のためか、感情の振幅の激しさによるものか、分からないけれど。
サザもキリーも傷一つ負ってはいない。顔色一つ変えずに刀を鞘に収めた男に少女を慰める心やさしさが期待できるはずもなく、キリーはそっとつぐみの背にてのひらを添えた。
「きりー・・・」
つぐみはこちらを涙でぐしゃぐしゃになった目で見上げたかと思うと、悲しそうにただ泣いた。もしかしたらしがみつかれるかも知れないと思った。そしてそれで気が済むなら付き合ってやろうかとも思ったのだ。
けれど少女は一人で泣いた。誰の胸も借りようとはせず。
キリーが血で手を汚したからではない。自分一人でこの感情の嵐を抑えようとしているのだ。
「ああもう、泣くなよ。調子が狂うよ。お前みたいなお嬢さんは」
キリーは何故か、なんとなく、涙の理由を理解してしまった。
「気にすんなよ。ツグミの所為じゃねえんだよ。ザグルの発生はこの国じゃあ仕方がねえんだ。俺たちだってやらなきゃやられてた。やらなきゃ、他の誰かがやられてたかも知れねえんだ」
まったく、柄にもないことを言わされる。
「俺たちゃ気にしねえよ。お前が泣くとか、水の無駄だ。いい加減泣くな」
自分は清潔なハンカチなど持っていないので、差し出すものがなく、ただぶっきらぼうにつぐみをなだめるしかできない。
指で涙を拭ってやろうとは、思えなかった。少女の頬はすでに真っ赤で、自分の固い手袋で撫でるだけで皮が裂けて血が出るんじゃないかと思わせた。
「・・・は、イ。泣く、なイ。アリガトウ、キリー・・・っ」
途切れ途切れに言って、どうやらつぐみなりに納得してくれたようなのだが、そして泣きやもうとごしごし目元を擦っているのだが、一向に涙が止まる傾向はなかった。
どうやら止まらなくなったらしく、困った表情で、また何だかぶわぶわと溢れていく。
(こいつはいつか乾いて死ぬんじゃねえか・・・)
半眼になってキリーが危惧した、その目の前で、つぐみの細いからだが宙に浮いた。
「ぐずぐずするな」
いつまでも泣くつぐみとなだめるキリーが足を止めたままでいたので、サザがしびれを切らして戻ってきたようだった。
当たり前のように担ぎ上げて、自分の肩につぐみの顔を押しつけ、片手で膝を抱えてしまう。
そしてすたすたと歩き出す。こいつらはこういうものなのだ、と諦めの境地でキリーも後に続く。
今度はつぐみは特に抵抗せず、抱えられたまま涙が涸れてくれるまでじっとしているようだった。
サザに泣くな、と言われなかったのがうれしかった。だから早く、泣きやもうと思った。
そして山間の町、ウルスに辿り着いた。
(2008.5.12)