突如、平凡な日常生活から引きずり出され、異世界に召喚されて、丸一日街を徘徊した後、不良警官に殴られ気絶したところようやく保護され、勇者やって下さい、魔王をやっつけて下さい。それがあなたのお仕事です。出来ないなら死んで下さいと言われる。


 ……どんなフィクションだそれは。
 残念ながら現在進行形でときに降りかかる現状は現実以外のなにものでもなかった。
 ようやく事態が展開しそうな人物が迎えに来てくれた(?)らしいのだが、日本人特有の微妙な矜持と遠慮しいな性質が、口火を切ることを躊躇していた。ことは急を要するというのに。
 しかし口よりも目よりも、朝のからだが正直にものを言った。

 ぐうううううううう……。


「……」
「……」
「………」
 それは腹の虫と言うよりも、腹がひん曲がるようないびつな音だったが、その場の全員が同時に事情を察知してくれたらしい。






3 姉弟






 あちこち自由に育った結果、と言うのが見て分かる、木々の茂り具合が見事だった。
 手入れを怠った分、天然の隠れ蓑の如く奥から現れたのはこれまた、自然に溶け込む住居だ。
 けして、狭いとは思えない。蔦の絡まる土壁には細かな罅が無数に走り、年季も雰囲気も十分に伝えてくる。
「…スゲー」
 朝はただ、その一言を吐いた。
 枝葉と、竹を編んだ天蓋の隙間を縫って、柔らかな陽光が降り注ぐのも、そのままに顔に、全身に受け止めていた。
 地面に直接腰を下ろし、組んだ足の膝の上には空の皿が載っている。先ほどまで野菜スープがいっぱい入っていたのだが、すっかり朝の胃の中に収まった。
 街から引きずられるようにこの家の前まで連れてこられ、スープ皿を差し出され今に至る。
 シク達は何故か朝を玄関前に置いたまま、中に入ってなにやら話し合っているらしいのだ。
 朝としては右も左も自分の現状も分からぬ異世界。下手な動きも出来ないとじっとしていることにした。
 どちらにしても、命すら、己がままにならないのだ。知識も何もかもが、小さな子供に劣るのだから。
 それがどうして、この世界の命運を委ねられるものか。
 だがしかし朝は無心に、景色を見上げ続けていた。
 街中では、心中の混乱は今とそう変わらないはずだが、この自然に囲まれた家屋の玄関先に、一人取り残されて。
 不安や諸々を取り去って、葉陰が陽を受けてきらめく様や、知らない鳥類の羽ばたく気配に落ち着き無く視線を彷徨わせた。
 故郷では映像としてすら親しむ機会の無かったそれらを体験し、朝なりに世界を受け入れようとしているのだ。もちろん無意識下であっても。
 実際それは、多感な年頃の朝にとって、始めて「この世界」を認識した時間だった。
 それほど光景は美しく、限られた場面ですら鮮烈だったから。
 だから朝は長い間待たされていても焦れなかった。空腹が満たされたからもあろうが。
「そんなに面白いかね」
「!!」
 そこに突然声をかけられて、慌てて振り向くと、片手に底の丸い陶器の皿、もう片手に円柱のコップを手に持った美少年が家屋の裏手から顔を出していた。
 それそのものが光を縒ったような金髪が光を反射して眩しい。僅かに目を眇め、座ったまま朝は彼を見つめ返した。
「ええと、確か…」
「キニスン。確かに“トキ”は二音で覚えやすいね」
 屈託無く笑う彼は、朝の向かいに座り込むと皿とコップを差しだした。受け取って再び、キニスンの顔を見つめてしまう。
「一緒に食べないかね。おれのおやつだけどね」
「あ、ありがとう…?」
 何故か疑問系の語尾になってしまう、戸惑う朝に、キニスンはふはっと笑った。
 見た目中学生くらいに見える彼は、どうやら朝に対して初対面から最も好意的な態度と言えた。
 差し出された調理器具のボウルサイズの皿には、しろくて寒天状のものが張られ、ふるふると怪しげに揺らめいていた。
「……」
 果たしてこれは杏仁豆腐ですか。牛乳プリンのようなものですか。
 物言いたげな朝の眼差しを綺麗に無視し、キニスンは尖った楊枝に見える何かで寒天状を一口サイズに切り、カップの液体に浸す。
「こうやって食べるね」
「チーズフォンデュプリンのような…?」
「それはトキの世界のおやつかね」
 曖昧に笑って朝もキニスンをまねて食べてみる。甘さ控えめ。食感的には餅に似ている。
 インターナショナルだ。グローバルだと苦笑が漏れた。食文化の違いに触れに、ここに来たわけじゃあないだろうになあ。
「いつになったら」
 ふと漏らしたような声音に、キニスンはついとおとがいを向けてきた。真っ向から見ると左右対称の綺麗な顔立ち。映画でもろくにお目にかかれない金髪碧眼。白皙の肌にはほくろもそばかすもなく、一気に非現実が押し寄せた。
 だってそれはもう、朝に言わせればまんがとかゲームの世界の容色に見えたから。
「話は、聞かせてくれる…んですか」
 だので思わず、敬語の問いになっていた。トキはじゅうご?じゅうろく?いきなり問われても意味を取り違えずに、16、まだ。と答えることが出来た。
「おれは14になったばかり。普通に喋るがいいね」
 その笑顔が目の保養的な意味で、かわいいと普通に思えたので、朝は自然と顔を笑みの形に作った。夕と同い年だと重ねて思う。
「じゃあ、キニスン、は教えてくれる?知っていることでいいんだ」
「何が知りたいね。おれは頭が悪いからね。説明はシクにして貰った方が懸命ね」
「ああ、じゃあ。君たちはどういう集まり、とか?聞いても良ければ」
 この期に及んで控えめな物言いの自分に苦笑が漏れた。それを自嘲と正しく見て取ったらしく、キニスンも小さく笑う。けれどいやな印象はない。
「ここは、学校ね。立場や年齢事情様々なみんなが、シクに教えてもらう」
「…何を教えてもらう?」
 思わず鸚鵡おうむ返しに聞き返していた。キニスンの冬空みたいな瞳が得意げにきらめく。
「ことわり」
「理?」
「でもまあうん。律とか業とかおれはしっかり理解できているとは言えないからね。基本的に数式学、国文学から、体術、樹の上り方、野菜の切り方、洗濯の仕方とか。およそまあ大体ほとんどは請えば教えて貰えるかね」
「…ハァ…」
 理だとか前半は良く分からなかったが、えらく意義の広い、定時制高校みたいなものか?と解釈しておく。
「で、シクが先生。おれと、ミーシャと、ねえと、イスパルと、カノアが寄宿生?でここに住んでるね」
 指を折って説明してくれた側には申し訳ないのだが、朝はやはり突っ込まずにはいられなかった。
「ごめん、話の腰折って。シクと、キニスンと、ミーシャはオッケー。ネーと、あと、二人?どなた?」
「まだ会ってないかね?」
「無いよ確実に」
 キニスンはきょとんとした様子で朝を見返した。おかしいね、とつぶやき。
「姉には会ったね?おれの姉さん」
「え?あ、ああ。もしかして街に一緒に来てた」
 自己紹介されないので不思議に思っていたのだが、なるほど最後の一人はキニスンの姉だったらしい。
「道理でよく似てた。血縁だとは思ってた」
「百人が百人そう言うね」
 キニスンはこだわり無い様子でにっこりと頷く。キニスンの姉という少女も、金髪碧眼の文句なしの美形だったことを思い出した。弟のような笑顔は一度も見なかったように思うが。
 どちらかといえば、不機嫌な。
「キニスン、トキ」
 突然背後からかけられた声に、朝は飛び上がるようにして振り向く。
 そこには笑顔のシクが立っていて、キニスンの方は驚いた様子もなく、話は終わったかねと尋ねていた。
(何なんだ。シクさんは、背後からいきなり生える人なのか)
「お待たせしましたね。二人とも中へ」
 促されて立ち上がり、ズボンの土を払う。改めて、自分はまだパジャマで裸足のままであった。
「キニスン、ごめん。図々しいんだけど着る物って余ってたり、しない?俺ずっと寝間着なんだけど…借りられる?」
 後ろめたさから小声で尋ねれば、キニスンは何だそんなこと、と快活に笑う。
「おれのでは少し足りないかも知れないから、聞いてみるね」
「ありがとう、ごめん」
「そうですね。トキは先に着替えて埃を落としますか?」
 前方を歩いていたシクに相づちを打たれて、またもや飛び上がる。
「おああ、ああじゃあ、おおねがいします」
 声が無駄にどもってしまった。
 どうも、この銀髪のご婦人を前にすると緊張する。
「…必要以上に心臓に悪い」
「慣れないと早死にね、トキ」
 からからとキニスンから笑われて、朝はがっくりと項垂れながら、シクの押す扉をくぐった。緊張を通り越して目眩がした。
 中は土壁と木の柱で出来ており、(もちろんコンクリートみたいなものはないだろうが)ひろびろとして涼しかった。
 キニスンに廊下を通されて、奥の部屋に招かれる。
「ここにお下がりとか、授業料代わりに貰った服とかあるからね。えーとそうだね…」
 文字通り右も左を分からないために、ファッション事情や着こなし方に何も言えるわけが無く、朝はじっとタンスやクロゼットを引っかき回す細身な少年の背中を見ていた。
「ああ、じゃあこれとこれね。部屋着だけど動きやすいし、構わないかね?」
「あ、もちろん。ありがとう」
 下着とかはまたあとで見繕わねばねえとか、妙に気の利くことまで言って服の上下を差し出される。
 何か、少し嬉しいかも、と思った。
「キニスンは、何で、よく、してくれる…?俺がその、救世主とかだから?」
 思わず口から出た言葉に、青い双眸がまん丸に見張られる。
「俺はきっと、みんなが望むような、すごい奴じゃないよ。全然、何も出来ない、ただのへたれた学生だし」
「……言ったね。おれは頭が悪い。“ヘタレタガクセイ”がどれだけ落ちこぼれかは知らないね」
 もちろん出会ったばかりだしねとキニスンは静かに言って、こちらを真っ直ぐ見てくる。
 目を、真っ直ぐ見て話すことは気恥ずかしく、勇気が要る。けれど朝は何とか踏みとどまって見返した。
「でも今のところ、探してたから、ではなくおれ個人が、トキに興味を持ってるね」
「き、きょうみ…」
「ただの物珍しさ程度だから、そう気にすることはないね!」
 ばっしばしと肩を叩かれ上半身がぶれる。
 ああそうですか。異世界人ウォッチか。転校生に質問攻めみたいなもんか。
「あとやはりね!ここは嫌だな嫌な奴ばっかりだなと思われてはいやだからね、点数稼ぎみたいなもんかね」
「…そか」
 朝は何とか笑顔で頷いた。
 あとは、純粋にキニスンの人柄なのだろう。微笑ましさに、ほっとする。
 逆に警戒心と懐疑心でがちがちだろう自分の状態にどうしても苦笑が浮かんだ。せめてこの少年とうち解けられたら、少しは緩和されるのか。



 朝はてっきりそのまま、居間か客間のようなところへ通されるのかと思ったのだが、違った。裏口のドアから、また外へと連れ出される。
 入ってきたときとは全く異なる巨木の連なりと緑が、視界を埋め尽くした。
「どこへ?」
「この道を真っ直ぐ行って下さい。アニエスが待っていますから」
「アニエス?」
 初めて聞く名前にシクの顔を見つめると、彼女はやんわり微笑むだけで、朝を促す。
 説明は、まだ無いらしい。
 仕方がなく頷いて、獣道とすら思えない、どうやら「道」だという、かろうじて草の根を間を分け入っていった。
 びしびしと葉の先が顔や手に刺さっていたい。傷が付くほどではないが、ビルやマンションに囲まれ雑草の除去は業者さんがやってくれた現代で生きてきた彼にとって、コレはなかなかに骨の折れる作業だった。
 ただでさえ視界が足らずに注意を払っているため手間取った。
 ようやく変な虫にビビリながらその茂みを抜けきると、不思議な空間に辿り着く。
 今までに感じたことのない感覚に襲われた。
 何というのか…ぬるい。温度ではなく感覚的にそう感想を抱き、いきなり違う土地に来たかのようだった。
 ぽっかり雑草や木々を排除したような、丸い平地に、小さな、泉とも呼ぶに足らない水溜まりがあった。不自然なほど澄んでいて、顔が映るほど。よく見ればうっすらとピンクがかった色をしていた。怪しい。
「ようやく来たか」
 驚いて顔を上げれば、水溜まりの根元からそびえる大樹の枝に、誰かが腰掛けて朝を見下ろしている。
 繊細な日差しの逆光の所為で顔は分からない。しかし凛とした少女の声に、朝は自然と尋ねていた。
「アニエス?」
「名を許した覚えはないが」
 肯定の意を一応は示して、頭上の人が何か身の軽い動物のように降り立つ。
 朝は改めてその容貌を改めた。ゆるく巻いた豪奢な金髪に、冴え冴えとした碧眼。
 キニスンの姉が、アニエスという名前なのだとこの時初めて知らされる。
 しかしこちらを一瞥しただけで逸らされた視線は、弟とはまるで異なり嫌悪の感情すら見て取れた。
(…なんで?)
 こちらは名前を知るのも初めてで、何か不快な思いをさせた覚えはないが。否、これからさせるのかも知れないが。
「あ…俺は、と」
「あなたの身上になど興味はない。早くしてくれないか」
「え…あ…」
 きっぱりと朝の言葉をさえぎって、アニエスは手に持つ短い杖(麺棒くらいの長さだ)で背中を押す。
 ぐい、と前に、水溜まりの方に突き出され、戸惑いながら後ろのアニエスを見やる。身長はほとんど同じくらいか、いや朝が若干高かったので見下ろす形になりながら。
「ちょ、いきなり何!?」
「そこに落ちる。早く」
「って、この水溜まり!?何かやばそうなんですが!どはあ!?」
 抵抗する間もなく、アニエスが朝の背中を足蹴にし、水溜まりに突き落とす。
「水溜まりじゃない。カニサの湧水ゆうすい
 べちょ、とものの見事に突っ込んだ朝は、しかし溺れるなど不可能な水溜まりに膝から下を突っ込んで、ああああと嘆いた。
「いきなり何するんですかい!!」
 思わず敬語。しかしかなり驚いたため、振り向いた両眼にはうっすら涙すら浮かんでいた。
「…って、え?なんだ、これ…」
 朝はじりじり、自分の身体に視線を移した。全身びしょぬれとまでいかないが、湿気を含んだ服、いや、自分の身体が、水滴を受けてうっすらと燐光を放っていた。
「何だコリャ!キモ!俺キモ!蛍光マーカー!??」
 一種のパニックに陥る朝を、冷ややかな目で見やり(おかげで朝は心神喪失状態から即座に立ち直った)、アニエスは独白のように言った。
「では認めざるを得ない。コレが白」
 かなり嫌そうな呟きに、さすがの朝も眉根を寄せてむっとせざるを得なかった。がばっと立ち上がって、アニエスに近づく。
「さっきから、何なん、ですかっ。いい加減、説明してくれたって良いだろ。いきなり水浸しにされて!」
「それは私の仕事じゃない」
 鬱陶しそうに顔を背け、アニエスはぴしゃりと言い放つ。
「それと私に必要がない限り近寄るな。話しかけるな。いっそ息をするな」
 ………何ですと?
「……」
 朝は茫然と、すたすたと去りゆくアニエスの金髪を見送った。
「必要以上に嫌われた」
 本来なら、何だとこのー!くらい言い返したかったのだが、というかそんな度胸はないが。アニエスのあまりの険悪な態度に毒気を抜かれたというか。尻込みしたというか。
「…何なんだよ、もー」
 うずくまって頭を抱えた。嫌になるのはこっちだって言うのに。
 今度こそしっかりとした説明を望むため、朝が家に戻るまで、三度立ち止まっては落ち込みから回復せざるを得なかった。

 

  

 

(2006.8.4)

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