つぐみは待った。本当はすぐにでも問いかけたかったけれど、身動きの出来ない状況ではよくない、と判断したのだ。
善意で助けてくれた、部外者である(つぐみは根拠もないがそう思っている)アサもいる。というかアサの住居の中だ。その中で、尋ねるべきではないことだと。
「アリガトウゴザイマシタ、たくさン」
「ま、世話になったよ」
「・・・・・・」
キリーが調子を取り戻すに至って、三者三様の礼を述べる。アサは一番手前にいたつぐみの頭を乱暴になぜて、鷹揚に笑いかける。
「俺も今年の大祭に顔を出す予定だ。あ、つっても参加じゃねえけど。もしかしたらまた会えるかもな。んじゃ、達者でな、風邪引くんじゃねえぞ」
「ガキ扱いかよ」
「また!アサさん、またね、デス」
アサはずっと見えなくなるまで見送っていたけれど、振り返りぱたぱた手を振るつぐみがおかしかった。
結局彼女を覆い隠すもやの正体ははっきりとつかめなかった。施された構築呪術が、良くないものだと言うこと以外は。
アサの呪術師としての実力はかなりのものだった。だから大抵の予測はつけられる。
彼女のまとうものが、どういうものであるのかの。
(さて、俺も動かなきゃなんねえかねえ・・・)
本当は、自分の役目は最初だけで済ませてしまいたかった。現れたのが人間だと、知らされたときから。
アサと別れ、首都フェドレドまでの道のりは、つぐみに負担の無いよう歩いて五日から六日かかるほどだ。
もうここまで来たか、と思う。途中思わぬ足止めを食ってしまい予定より遅れたが、青い鳥からの便りは一度もない。まあ、ラシードは待たせておけばいいかと薄情にキリーは思う。
「ん?」
やがて向けられる視線に気がついて顔を向けると、緊張をたたえた表情のつぐみが見上げていた。
どこか、決意をはらんだような表情。いつの間にかそうなってしまっていた、自然と和らぐ目元を険しくする。
「なんだ」
「ききたイ・・・ワタシ、なぜ?」
言葉はつたなく端的に過ぎても、その表情と、雰囲気からキリーは読み取ってしまう。
異国の剣士は聡明で、辛辣な現実感の持ち主だった。これが同じ問いでもラシードなら話が違っただろうが。
そしてつぐみは問う相手を間違えなかった。語彙不足と言うことをさしおいても、今も同じく歩いているサザに訊いたりしなかった。
当人は、歩みを止めた二人にようやく気づいてかなりの遠方で立ち止まっている。それだけの距離があっても、彼にも声は届いているだろう。
サザとキリーだったら、多くの問いに答えてくれるのは後者だとつぐみは判断したのだ。
サザだってきっと答えてはくれるけど、その言葉は少なすぎるに違いなかった。
つぐみは、出来るだけ多く、ちゃんと知っておきたい。そう決めたのだ。
「俺も詳しくはしらねえ。ただお前は、お前に刻まれてるその呪は兵器だ。かなり、やばいたぐいのモンらしいぜ」
「・・・・・・」
なんの前置きもなく、核心を告げる。きっぱりと。
はじめて聞く単語が多く、はっきりとはわからないが何となく理解できる。
この身体に刻まれている線は、悪いものなのだ、と。
「何でお前に描かれちまったのかはわからねえ。ただ俺たちはその情報を確かめようとはしてるが利用する気はない。止める、お前を帰してやるってラシードは言ってる。おそらく一番詳しいのもあいつだ。首都に着いたらもう一度訊こうぜ」
「・・・う、うう・・・エット」
端的に言葉を聞き取って咀嚼していく。
原因、わからない、利用ってなんだっけ。グリーィエン、だから、帰す、してあげるで帰してやる。もう一度問う、はわかる。一番よくわかるのはラシードの名前だ。
(つまり、私がこうなっている原因はわかってないけど、とっても危険なものだから保護してくれてるんだよね。それで、今ラシードがちゃんと調べてくれてる、のかな。今から行く首都、でまた会えるから訊こうって言ってる、でいいのかな)
自信はないが、彼女の聞き取り能力もかなり高い。うん、と一度頷く。
「俺たちもラシード、まあ大ボスは別らしいけど、あいつに雇われて始まった縁でな、部外者は部外者だ」
おしごと、そとのもの、そう言った意味合いの言葉をくみ取って、つぐみは表情を曇らせた。口を、つぐもうかと思ったが、やはりキリーの袖にしがみついて。
「外のヒト、違ウ。キリー、サザ、ワタシ、近イ、ズット、今一緒」
今まで一緒にいた、つぐみにとっては一番近い人たちだ。というか、落ち着く暇の無かった今までで、二人(ラシードとアサもそうかも知れないけど)以外に近しい人はいなかった。
今も、こんなに、触れられるほど近くにいるのだから、寂しいことを言われたようでたまらなくなってつぐみは言いつのった。
離れてほしく、無いのだ。自分のエゴだとわかっていても、サザと、キリーと、二人とだけは離れたくなかった。
「・・・ちょっと言いてえ事と違うような気もするが・・・俺も、国が違うしな」
なんだかんだ絆されている自覚もある。自由の身なら自国ウォッツに持ち帰りたいくらいには。
キリーは腕を掴んでじっと真摯に見上げるつぐみに苦笑を向けた。
他人がずっとずっと一緒にいるのは、結構難しいご時世だ。他国人同士なら特にだ。
「こうやって懐かれるのも悪くねえモンだな。だがな、ツグミ。人はいつだって独りだ、いつ誰を失って独りになっても、立ち上がる覚悟をもてよ」
優しさを取り除いた硬質なキリーの眼差しを受け止めて、こくりとつぐみの喉が鳴った。
それはきっと恐ろしい現実だけど、つぐみがすでに一度受け止めたものでもあった。
ただ、未だに物理的な孤独を知らない。もう一度、本当のたったひとりを知ったとき、つぐみは立てるのだろうか。
「覚悟だけでいいさ、今はな。今は、俺が護ってやるから」
今は、今だけは。
頼もしく嬉しいと思うと同時に。その単語をつぐみは心中で繰り返す。
こうして一緒にいられるのも、いつかは終わるのだ。つぐみはもとの世界に帰ると思っているから、考えなくても結果的にそうなるはずだった(帰れるかの問題はさておいて)
一番知りたかった、なぜ私が、どうしてこちらの世界に、といった原因はわからずじまいだったが、状況の把握はやっと遂げられた。
あとは、覚悟だけだ。心の、準備だけだった。
頭に手を置かれる。最近キリーはよくつぐみに触ってくれる。サザが反対に触れてくれなくなった分、気遣いのようで嬉しかった。
顔を上げると、肩越しにこちらの様子をうかがっていたサザと目があった。少しの間を置いてつぐみは微笑んだ。反射的に、笑いかける。
サザの橙の瞳が何だか恋しかった。こうやって意味もなく見つめ合うことも無くなっている。そう、サザが以前ほどつぐみを見張っていないから。
(緊張しちゃうけど、安心できていたのにな)
彼が見ていてくれる、何の心配も要らないのだと。おかしな位に信頼しきっていた。
サザは少しずつ、つぐみから距離を置くようになっている。側にいない、触れてくれない。こうして立ち止まり足が遅れても、戻ってきて抱き上げてはくれない。
寂しい、と思うのはきっとわがままだった。今、独りでも立ち上がる決意を促されたところ。
(寄りかかったら、すがっちゃ、駄目なんだ)
けれど心は不安に満ちて、キリーに行くぞと促されるまで、つぐみはサザと視線を交わし続けていた。
どうしたって、転んで親に助けを求める子供のような、頼りない眼差しだとわかっていながら。
10 開催
人出と喧噪が一歩進むごとに増していく。今は年に一度の闘威大祭を直前に控えた時期で、首都で行われる白熱する試合を一目見ようと国中から旅行者であふれかえるのだった。
いつもは硬派で厳戒な警備を欠かさない外門も、この時ばかりはそのほとんどが解放される。当然、衛兵の数は倍ほどが見回っているが。
つぐみ達はサザ以外が明らかにクォ人ではない外見をしており、受付の場では怪訝な目を向けられたが、ラシードからもらっていた身分証を示すとあっさりと通してもらえた。
(改めて怪しいなあいつ)
キリーは顔色ひとつ変えず、内心で毒づく。
ラシード個人の人格へは特に意見はないが、彼の身分を示すところはかなり疑いの余地が残るところだった。第一、ラシード自身もクォでは珍しい出で立ちをしている。
(おおむね、フェイ人てところか。身分は、まあ俺と差異無いんじゃねえか)
確証のない憶測になんの価値もないことも承知で、キリーは自分の勘にかなりの自信を持っている。
それが正解であれば、キリーとラシードは言うならば商売敵だった。
三人は当のラシードを欠くままフェドレド入りを果たした。いつもは素っ気なく飾り気のない町並みのこの首都は、この時ばかりは露店が建ち並び旗や花輪で彩りに溢れる。
つぐみは立ちつくしてあたりを見渡す。どうしてもつま先立ちになって、全身を伸ばしてしまう。
「おい、先に宿に行くぞ。疲れてんじゃねえのか」
髪を撫でられてようやく我に返る。そう言うキリーこそ病み上がりで本調子ではないのではないか、つぐみは慌てて後を追った。
「?」
真っ昼間の大通りであるためか、こちらに来てから体験したことがないほど人でごった返している。あやうく前から来た男性とぶつかりそうになったが、前に出た背中にかばわれた。
つぐみを押しやるではなく、自分がその男性にぶつかったのだ。榛色の後ろ髪、見慣れた背中をつぐみは見上げた。
「ああ?」
男性はもちろん、自分からぶつかってくるようなふざけた真似をした男を睨み付けるが、その顔を認めたとたん顔面を引きつらせてそそくさと立ち去っていった。
「サザ・・・?」
「俺はよくしらねえが、さすがに首都ともなると顔が売れてるみたいだな、リビット」
キリーの言葉を何とか呑み込んで、再度、サザの背中を見上げる。こちらを、振り向いてはくれない。無事かどうかと、見てはくれないのがやはり寂しかった。
「アリガトウ」
小さく言って、慎重に手を伸ばして、前みたいにサザのマントを掴んだ。振り払われる覚悟だったけど、そのままにしていてもいいというように、彼はそのまま歩き出す。ほっとした。
かばってくれた。かばってくれた。
彼にとっては義務の行動かも知れないけど、ふわふわと心が暖かかった。
なかなか立派な規模の宿で、またもや二階の角部屋だった。この大祭で予約のごった返す時期に。
「訂正するぜ、同じ立場だろうが身分は格段の差だなこりゃ」
「キリー?」
思わず声に出してぼやくキリーに、問いかけはしたが返事がないので、つぐみは再び開け放した窓から街を見渡した。
町並みが、一望できる。顔を上げれば王城へ続く道筋が見え、その先には山岳地帯を背景に広大な敷地の一角が見えた。あれがお城だろう。
一室扱いであるが扉付きで二間の部屋だった。サザは今隣に独りで居る。
キリーも、サザは以前ならばそんな気を利かす(?)様なそぶりも見せずつぐみに着いていただろうにと思うのだが。
「どうする?セッテからの連絡はねえしな、とりあえずメシ食って明日まで待つか?」
「ごはん?」
そうと決まればキリーの行動は早い。汚れのひどいものは(宿だと高く付くので街に降りて)クリーニング屋に出す。不足していたあれやこれやを物色するなど、街に出て出来ることも多い。
最近の情報収集も必要だろう。もちろんこれが重要だが、つぐみを連れ歩いての聞き込みはあまり効率的とは言えなかった。一度戻ってサザに預けるか。ラシードとの合流を待つか。
(今のリビットと二人きりにしちゃまずいか?いやセッテと二人きりにさせるよりましか)
では一度軽く街を見て、つぐみを休ませてから聞き込み開始だ。
「サザ、ごはんっ」
つぐみが隣の部屋に顔を出す。最近以前にも増してつきあいの悪くなったサザは、それでも黙って着いてきた。
「サザ、来た、あル?」
「ああ」
宿から出て、適当なメシ屋を探索していると、キリーの背後で懐かしくも二人のやりとりが聞こえてきた。
フェドレドへ過去、訪ねた経緯を尋ねているらしい。
「えと、おもしロイ、おいシイ、知ってル?」
街の見所、今は食事どころを捜しているからおすすめ料理などを尋ねているらしい。
サザからの返答はなかった。キリーからは様子がわからない。
首を振ったかも知れないし、彼のことだから顔をしかめて見やるだけでつぐみの口を封じたのかも知れない。
「キリー、キリーっ」
「ん?」
なぜか少し明るく弾んだつぐみの声に呼ばれて振り返る。少女は相変わらず保護者のマントを握りしめて(おそらく無意識に掴んでしまうのだろう)ある一点を指さしていた。
その先には、おそらく、店、しかも飲食店と思われる看板が。
「よりによってあれかよ!」
「おいシイ?オオキクワケテ」
たぶんのことか。オオキクワケテってツグミ語でたぶんのことか。
振り返ったキリーの顔色を見てつぐみもやはり不安になったのか、サザが示したのだろう飲食店は、意外にもすぐそこにあったのだが人間の口に入れるものを扱っているとはおおよそ思えない外観をしていた。
看板。これはスラングでそのままの意味ではないのだが、深読みすると、店名、毒素。
・・・・・・・・・。
そして全体的に、きたない。あちらこちらも汚れが放置され、近寄れば異臭がしそうだ。
この外観で、中に入って食べてみれば予想を裏切って美味しかった、と言うお約束の展開であろうとも、何とも許し難いものがあった。
・・・・・・・・・。
結局は入店したけども。
そしてサザは無駄に店主に懐かしがられ歓迎されて、飲食代無料になったけども。
その店主がいかにも全身縫合痕だらけの厳つい目つきの筋肉男だったけども。
しかも注文した煮込み料理がすごく美味しかったけども(あ、穀物を炊いてスープ煮にした料理も美味だった)
「いやあうまかった!店主また来るぜ」
「おう、サザの知り合いならいつでも歓迎するぜ・・・あんたの食べっぷりは見事だった」
一見さんお断りというこだわりらしいが、一般客はまず店主の見かけに引いていくだろう。
渋くかすれた声で呟き、しかし上機嫌でキリーと熱い握手を交わす。二人はなぜか牛すじの話題で意気投合していた。
「ごちそうさまデシタ」
最初はやはり店の内装(これもやはりアレだった)や店主にびくついていたつぐみも食事を終えるといつもの調子で頭を下げる。
珍しくきちんと食べることが出来たらしい。あっさり目の味付けが多く、食べやすかった所為もあるだろう。
「嬢ちゃんも、腹が減ったらいつでも来な。まさかサザが、女連れて来る日が来るたあな・・・」
なんか遠い目をして感慨深げにしている。店主はまるでサザのおやっさんのようだった。
話の種にされている本人は食事を終えてひとりさっさと店外で待っている。もしかしたら彼の驚異的な聴覚では聞こえているかも知れないが。
「あいつはいつだってひとりで居るからな・・・頼むぜ、嬢ちゃん」
ぽん、とつぐみの頭に手を載せる。ここで迷わずそっちに話を振る店主はやはり侮れない。
いや、キリーだってサザとつぐみの関係をはっきりと看破しているわけではないのだが。干渉する気もない。
ただ、少し、なんというか、面白くはないだけで。
「ああ、食った食った。満足したら少し眠てえな、・・・ふああ」
宿に一度戻ってきて、ベッドに乗り上げるとキリーは大口を開けてあくびをひとつ。
ちょっと昼寝させてくれ、と呟いたかと思うとそのまま横になってしまった。
「ツグミも疲れてんだろ、少し寝ようぜ・・・」
あっという間に、寝息が聞こえてきた。口を挟む間もない早業に、隣のベッドに腰掛けていたつぐみはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
キリーの寝顔を見、どうしようか困ってしまって、隣の続き間に、やはり立ったままのサザを見、けっきょく。
「サザも?おひるね」
はにかむように笑いかけ、首をかしげて伺うが、やはり彼はなんの反応も見せず。
寝るなら寝ろ、ということだと思う。
ただ当たり前のように、彼も一緒に寝てしまうと言うことはないのだろう。護衛役が二人そろって休むことはまずあり得ない。
護衛役、そう。つぐみは、二人と一緒に眠ることさえもかなわないのだ。
当たり前のことを思って、少しだけ表情を曇らせる。もそもそとベッドに転がり、上掛けを被る。
確かに気の休まることもない日々が続いていた。ふかふかのベッドに横になると、思った以上に眠気はすぐに訪れ、つぐみを夢へと誘った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・すう・・・」
「・・・」
そっ、とキリーが身体を起こす。ほとんど物音ひとつ立てずに出かける準備を整え、帯刀する。
「・・・・・・」
部屋を出る間際、無言でサザを睨み付ける。わかっているだろうな、と。
二人の間に協定など何もない。けれどキリーはこの時ばかりにおいてサザを疑うわけにはいかなかった。
キリーにも事情がある。つぐみから目を離してでも、動かねばならない時がある。
最後に肩越しに、ちらりと見た。眠るつぐみの小さな後頭部。黒髪は自分にもごくなじみ深いもの。
帰ってこよう、必ず。この少女を護る位置に。
そしてやはり無言のまま階段を下り、宿を出て行く。キリーの後ろ姿をサザは一瞥だけして、改めて少女の眠る寝台へ向ける。
距離はそのまま。一部屋分の隔たりを保っている。
けれど明瞭に認識できる。感じ取ることはたやすかった。規則正しい呼気やわずかな振動。寝ている少女と相対しているときがある意味一番胸の内が凪いでいた。
こちらを見ない、寄ってこない。手を伸ばして、マントを掴むことなど無い。
滑稽な、話だった。
国内の傭兵間で畏怖の代名詞とも言われるサザが、たったひとりの少女に、何というのだろう、ひるんでいる。
おそれているととられても致し方がないような、避けようだった。キリーが睨むのも仕方のない話だった。
動かない、眠る少女に対してだけ視線をまっすぐに向けていられる。以前のそのままに。
サザは、不必要なほどつぐみを凝視していた。今までの不足を補うように、ただじっと、飽きもせずに見続ける。
どれだけの時間が経っただろう。太陽の位置がそれほど変わるほどでも無かろうが、サザが気がついて顔を上げる。
窓の先に色鮮やかな鳥が姿を見せていた。羽毛の色は、とある男を想起させるような紺碧。
「・・・・・・」
かたん、とスライドさせて硝子製の窓を開けてやると、大きな体を感じさせないほどするりと非常にスマートに滑り込んでくる。
「・・・ぴっ」
つぐみが寝ていることを察してか、ラシードの識別鳥( 、スクリーンは控えめに一声鳴いて、足下の手紙をサザへと差し出した。
サザはそれを取って、短い文章のメモに目を通す。
「・・・いいだろう。お前はツグミの側に居ろ」
「ぴ?」
怪訝そうに鳥が首をかしげる。まさか鳥がそこまで頭が良いわけがないだろうがとサザは思うが、本当に受け答えしているような仕草を見せる。
「ここから動くな、ツグミから離れるな」
一方的に告げ、自分の身支度をあっという間に整えると大股に部屋を出て行く。
言葉を解せるはずがないと思っているくせにスクリーンに告げるのは矛盾しているというか、無茶な話だ。
突然の事態にスクリーンは慌ててぴいぴいと鳴いて羽ばたく。どうしたらいいのか、彼のみでは判断が付かないのだ。
かわいそうだとは思いながらも、眠るつぐみの頭に寄り添ってばたばたと羽音を立てた。
「ぴいっ、ぴいっ」
「・・・ん、んん・・・?」
わずかに抜け落ちた鮮やかな羽根が頬を滑り落ちてくすぐったい。つぐみがようやくまぶたを擦って起きると、目の前にはのぞき込んでくるスクリーンのつぶらな瞳があった。
(瞳の色、むらさき。こんな所までラシードとおそろいなのね)
「すくりー、ん・・・?」
「ぴいっ」
いささか見当はずれな事を思いながら名前を呼ぶと、鳥は嬉しそうに一声鳴いて応え、つぐみにすり寄ってくる。
のしかかるようなそれに押されながら、何でスクリーンが居るのと首をかしげ、ついで広々とした宿の一室に視線を巡らせる。
誰も、いなかった。眠る前には居たはずのキリーも、サザも。
「・・・・・・え」
さっと、背筋が冷え、胸のあたりに重石を載せられたような心地になった。
こんな事は一度もなかった。起きたときに、誰の姿もないなんて事は。
スクリーンが代わりにいるけれど、二人が居なくなった事態の説明は付けられない。ぎゅっと、あたたかな羽毛を抱きしめて、鳥の顔を伺っても教えてもらえるわけもない。
「す、スクリーン、キリー、サザ、どこ?いナイ、ノ?」
「ぴい・・・ぴ、ぴぴっ」
つぐみに寄り添ったまま、首を伸ばしてベッドの端を指し示している。それに気づいて手を伸ばす。小さく、きっちりと丸められた紙片だった。見覚えのある、これは。
「あ、ラシード・・・お手紙、きた、ですか?」
鳥を見上げると、うんうんと頷かれて紙を広げてみる。
端的な言葉のつながりのようだが、読み書きは勉強をはじめたばかりのつぐみには良く意味が読み取れなかった。
「んんん・・・行く、待つ・・・?ラシードもうすぐ来るから、それまで待っててって事でいいのかな」
母国語で自分へ問いかけるよう呟いて、それでも自信なさげに首をかしげる。
スクリーンがこの手紙を届けに来てくれた。もうすぐラシードとも再会できるのは嬉しい。
けれどでも、どうしてキリーとサザの姿がないの。
つぐみひとりを残して。
(・・・どうして)
二人がむりやり、(彼らの意志に関係なく)何かに巻き込まれ連れて行かれたとは考えられない。
さすがにそんな騒動があった形跡もない。それならばつぐみも起きただろう。第一そんな憂慮の余地がないほど二人は強いのだから。
では残る可能性はひとつだ。二人は自分の意志でつぐみを残して部屋を、宿を離れたのだ。
その意味は、意図は。
なにか、つぐみを連れていては不都合、または不利になる用件があって外へ出向いたのだ。
(危ないことかしら・・・そもそも私は二人のちゃんとした立場も、職業とかもわかってないけど)
どういった目的があってここまでつぐみを連れてきてくれたのか。護っていてくれたのかをきちんとは知らない。
(・・・要らなかったもの)
理由なんて。べつになんだって良かった。
キリーがキリーで。サザがサザで、そこにいてくれるだけで。一緒にいてくれた事実だけがつぐみにとっては大事だったから。
改めて自分の事ながら、愚直で浅ましいと思うけど、だからこそこの事態は落ち着きようがなかった。つぐみの不安をかき立てる。
書き置きのひとつもない。そもそも二人はつぐみに悟られないよう出て行ったのだから行き先を教える気など無かったのだろう、状況に青くなっていた顔面が熱を持つ。
(置いて行かれたのかしら)
そう言えばここは首都だった。本来の目的地らしい。二人とももう、お仕事が終わったから、もう。
目元が熱くなって、潤むのがわかった。ぐっと歯を食いしばってベッドに顔を押しつける。
(ち、違うもの。絶対そうなったら、これで終わりだよって教えてくれるはずだもの)
真っ赤になっている顔を上げて、つぐみはベッドから飛び降りる。裾を払って身支度をちゃんとして、小さな自分用の鞄を掴む。
「ぴ、ぴいっ」
「ゴメンナサイ、スクリーン。ワタシ、待つ、ただしいね。デモ待つ、やめタノ。行くの。あるク!」
気を抜けばじわりとこみ上げる涙を何度も擦って、洟をすすって、羽ばたく鳥に向けて宣言する。
こんな心配は杞憂かも知れない。おとなしく待っていればキリーもサザも帰ってきて、どうして黙っていったの、とそこで怒って詰ってやるのがつぐみの役目なのだろう。
もういやだ、それはしないと決めた。お城で待つお姫様の役なんて、きっとがらではないし。
「ぴー・・・ぴっ!」
うなだれていたスクリーンが、意を決したように一声上げてつぐみの肩に止まる。
ぴたっと、重さを寄せないで羽をたたみ収まった。
「・・・いっしょ?」
来てくれるの?
「ぴっ」
頼りないからね、仕方がないねと言われているような気がして、つぐみは笑い返した。
ありがとう。ひとりではないというだけでとても心強い。
スクリーンとともに宿を出た。眼前に広がる見知らぬ町並みは、今まで訪れたどこよりも建物がひしめいていて、圧倒される。
首都なのだから、それもそうだと思うのだけど、左を見て、右を見て。どちらに行こうかとまず迷う。
自ら危険に飛び込むのが目的ではない。二人を捜すのだから、万が一見つからなかった場合はきちんとこの宿まで戻ってこなければならない。
向こう見ずに、自分勝手な行動を取るわけにも行かない。きっと、つぐみの身が損なわれると困る人もいる。心情的な理由であろうが無かろうが、それは確かだと思うのだ。
「まっすぐ、ウン」
ひとつ頷いて、まず右手に直進していこうと決める。しばらく歩いて何も見つからなかったら戻って、逆に歩いてみよう。それでも何もなかったら、おとなしく宿に帰ろう。
確かもうすぐお祭りが開催されるのだったか。それとももう始まっているのかしら。街道を行く人々はとても多く、面した店先には花飾りや色とりどりの張り紙。
都会らしいにぎわいと喧噪で、静寂の道中になれてきていたつぐみは少し気圧されながらも、視線を巡らせて歩く。
どうしよう、少しは誰かに尋ねてみた方がいいのかも知れない。
けれどいまだたどたどしい言葉遣いで、不審に思われたら弁解する余裕も策もない。
考えを巡らせるが結局いい案も浮かばずに、街を見渡しながらひとり歩く。こんなにひとりで居るのは初めてのことだ。スクリーンはずっとつぐみの肩に止まっていてくれるけど。
三人で旅しているときも、誰もおしゃべりではなかったから沈黙の道程が長かった。
ラシードが居たわずかな間だけ、明るい声が聞こえていたと思う。
「・・・スクリーン、見られテル」
鮮やかな羽毛の識別鳥は人目を引くらしく、道行く人たちがちらちらと目を向けてくるので、自然つぐみも視線に晒された。
気まずくなってうつむきがちに歩く。余計に情報が遮断される。
「ぴい」
何だか申し訳なさそうにつぐみの耳元で鳥が鳴いた。それでも離れるわけにもいかないんだよと、弁解しているようにも聞こえて、そっとその羽根をなでつけた。
「わるくナイノ、ゴメンナサイ」
ひとりと一羽、身を寄せ合うようにして、見知らぬ町並みをてくてくとゆく。
しばらく歩いて捜してみても、キリーらしき人影もサザらしき気配も感じられず、つぐみはため息ひとつ、引き返すことにする。
横の路地へも目をやってはいるものの、そう簡単に見つかるわけもないのだった。
(結局、意味のないことしかできないのかな、私・・・)
何も出来ないままで居るのはいや、といって行動に出たはいいけれど、結果が伴わなければ、せめて意味のある行動でなければ、無駄な行為になりはしないだろうか。
二人を捜すこの一人歩きも、何か意図があるのならいいけれど、何の当ても考えもなく、ただ無為に。
これではけっきょく、子供の駄々と変わりはしない。
(分かってる、けど・・・)
思考に落ち込んで、再び頭がうなだれてしまう。足も自然と鈍って、少しだけふらふらと頼りない足取りになってしまった。
「ぴいっ」
スクリーンの注意を促す声に、はっと顔を上げるが、もう遅かった。
どんっ、と目の前にあった堅いものに正面からぶつかってしまう。そこまで力一杯の激突ではなかったが、目方の軽いつぐみは衝撃に跳ね返されてしりもちをつく。
「なんだあ?」
低い声に、痛みの残る顔とおしりに涙を浮かべながら視線を上げる。
さっと、血の気が引いた。
革の上着を羽織った、屈強な体つきの男性だった。つぐみは彼にぶつかってしまったのだ。剣呑な眼差しに睨み据えられる。
「見かけねえガキだな」
外見が恐ろしくてもそのひとまで怖いわけではないと、つぐみはもう知っているけれど、それでも全身が震えてしまう。分かってしまう。
目の前の男から発される、不機嫌な気配。怒りの感情が立ち上っている。
「あ・・・あ、ゴメンナサ」
「ああっっ!??」
大きな声で怒鳴りつけられて、目を見開いて身体をすくませる。
(怖い、怖い怖い!!!)
スクリーンが服を引っ張ってくれているが立ち上がることも出来ない。ひどく彼の機嫌を損ねてしまったことだけは分かる。つぐみのすぐ側の木箱を蹴りつける。大きな音を立てて木箱が砕ける。
「どこに目えつけてんだ、ああ?俺はなあ、今気が立ってんだよ!!」
ざわざわと、二人を取り巻く喧噪が騒がしさを増すのが分かるけれどどこからも制止の声や助けはもたらされない。
誰だって怖いのだろう、関わりたくはないのだろう、つぐみだって同じ立場だったら。
(けど、でも、怖いの、どうしよう、どうしよう、何にも出来ないよ、分からないよ)
禁じたはずの涙が、恐怖と混乱のあまりに目の縁まで溢れてくる。だめ、だめ、泣かない。
スクリーンが服が伸びるほど引っ張り、つぐみを立とうとさせている。分かってる、立って逃げるの、人混みに紛れてしまえば逃げられる。けど、でも、膝が笑って。
(馬鹿、私。馬鹿つぐみ。ごめんなさい、本当に駄目な私でごめんなさい、でも、)
呼ばせて、それだけで勇気を取り戻せると思うから。本当に何かが出来る訳じゃなくても。
(・・・キリー、)
男が、ろくに反応もしないつぐみにしびれを切らして腰に提げていた剣を鞘ごと振りかぶる。
目を、ぎゅっと閉ざして顔を背ける。
(・・・サザ!)
キイン、と高い音が響いて。
どこにも、暴力の音はなく、痛みもやってこなくて。
ざわめきが、途切れ、一瞬だけ静寂に包まれた。
つぐみは、緊迫感におびえたまま、けれど戸惑いを色濃く浮かべて目を上げる。
相変わらず目の前には男が居た。自分が持つ、まっぷたつに折れた剣を、信じがたいもののように凝視して。
「・・・え」
折れた切っ先はつぐみの足下のすぐ、石畳に突き刺さっていた。
何が、起こったのか分からない。男も、聴衆も、つぐみも。
「あ?はは、へへへ。いや、わ、悪ぃ、やりすぎちまった、な?たたた立てるか?」
冷や汗を顔面に浮かべながら、男が引きつった笑いで手を差し出してくれる。
男はつぐみが呪術師に連なる者で、かなりの手練れだと思いこんだらしい。聴衆のそのほとんどもそう解釈したようで、少しずつ喧噪が戻っていく。
(・・・何?何が、起こったの)
つぐみだけが、事態の推測すら立てられずに動揺を解くことが出来なかった。
すっかり勢いを無くした男が愛想笑いを浮かべ、じゃあなと離れていく。人垣が先ほどよりも遠くなる。
スクリーンがほっとしたように首をもたげて、こめかみに身体をすりつけてくれてようやく、つぐみ自身も息をつけた。
「・・・ぴい、ぴい」
「教えてクレタ、ネ。ゴメンナサイ」
ちゃんと事前に忠告してくれたのに。自分の迂闊さに落ち込む。
誰かが、何かがつぐみを助けてくれたのかは分からなかったが、それを探る手がかりもないため、困惑したままだがつぐみはとりあえず宿に戻ることにした。
やはり自分は無力でしかないのだ。そんな再認識しかできなかったのが非常に残念ではあるけれど。
「・・・・・・?」
つぐみははたと、立ち止まる。違和感に首をかしげ、
「ぴいっ!」
気がつくのはスクリーンの方が早かった。わずかなものだけど、唯一の私物。つぐみの鞄。
先ほどの騒動の間になくなっている。
振り返った先に、猛スピードで遠ざかっていく背中。
「・・・どろぼうっ・・・」
思わず母国語で口に上らせて、とっさに追いかけようとするが目指す背中は遙か遠く。明らかに無理だ。スクリーンが追おうと羽ばたくが、彼はこの少女と一時でも離れることを逡巡する。
(おばさんがくれたのに・・・っ)
はじめてこちらに来たとき、目覚めてサザとはじめて対面した村。会話もしていないけれど、村の女性がつぐみのために用意してくれたのだ。以来ずっと背負ってきて。
ウルスの騒動でもサザが回収してくれていた。つぐみのたったひとつの持ち物。
追いつけないと分かっているけど諦められなくて走り続ける。
こんな時でも、自分ひとりでどうにも出来ない。どうして、どうして。
こんなにも簡単に、心に湧く言葉。無力な自分が、泣くのを通り越して呆れるほど腹立たしいのに。
誰か、と。
「・・・って、おぶぁっっ!??」
ひったくり犯が曲がり角を曲がった先で、奇妙な悲鳴が響いた。
あえぐように荒い息をつきながら何とかそこまで辿り着くと、どうしてか昏倒して地面に転がる男、まだ若く薄汚れた衣服を纏っている、と、つぐみの鞄が無事に置かれていた。
「・・・・・・!」
駆け寄って抱きしめる。今度は手放すまいと、ぎゅっと。
そしてすぐに視線を巡らせて、スクリーンの先導のもと、見つけた背中を追いかける。
「スミマセン・・・ッ」
はっとするような金髪が、つぐみの目に飛び込んできた。きらきら、きらきら。
歩くたびに緩やかなウェーブを描く髪が光を弾くようで、その輝きに思わず見とれてしまう。
違う、違うの、そうじゃなくて。
「まって、まって、スミマセン」
はあはあと走り通しで息が切れる。早歩きのそのひとは聞こえているはずが立ち止まってくれなかった。失礼になる、怒らせるかもしれないとは思うけど、どうしても諦めきれなくて。
つぐみはそのひとの腕にしがみついた。
ようやく立ち止まってくれる、そのひと。目と目があって、つぐみは今度こそ息を呑んだ。
本物のお姫様がいた。
透き通った白い肌と、長い金のまつげと空色に澄んだ瞳。通った鼻筋と形の良い唇。どこにも欠点が見あたらない美貌の少女。
金髪碧眼の、絵本の世界のお姫様が実在していた。物語のお姫様とは違って、その表情はひどく怪訝そうにしかめられていたけれど。
「・・・きれい」
思わず見惚れて、しみじみと実感を込めて呟いていた。“お姫様”の綺麗な顔がさらに歪んだ。
違うわ、そうじゃないのに。ありがとうと言いたかったの。
我に返って、つぐみはぱっと顔を赤くした。
(2009.1.24)