12 終了
つぐみはしばらくの間、自分で立つこともままならず震えるアニエスを支えていたけれど、やがて手のひらで押し返されてそっと離れた。
心配でのぞき込んだ顔は、美しさに陰を落とすほど憔悴しているように見える。
「・・・平気よ、構わないで」
「アニエスちゃん・・・エト、待ってテ、飲みモノ買ってクル!」
「ちょっ・・・」
言うが早いか、すこし気がかりではあるが踵を返して街中へ駆け出す。
平気という言葉を返されたが、とてもそうは見えなかった。彼女の事情を知らない自分がどう慰めて良いのか思い当たらず、出した苦肉の策がこれだ。
泣いたあとには水分、甘いものがいいはずだ。こちらに来てからずいぶんと泣き虫だった自分を省みて、つぐみは急いで屋台を捜して視線をさまよわせる。
しかし、焦りすぎていたせいかまたしても、注意が足らなかった。立ち止まって辺りを見回していたので、人の流れにうまく対応できない。
何とか避けていたけれど、先ほどより往来の人出は増えていて。
「きゃっ」
「うわっ、あ!?ごめん!」
ちょうど、相手も通行人を交わしたタイミングでぶつかってしまったらしく、やはりつぐみはあっさりと跳ね返ってしりもちをついてしまった。
狼狽えた、男の子の声がすぐに謝罪してくれた。差し出された手のひらに顔を上げる。
「大丈夫?ごめん、見ていなくて」
若い、男の子だ。同年代に見える。黒い髪と深い色合いの瞳が珍しい。日本人みたい。
クラスメイトとして教室にいても、何ら違和感のない、親近感を覚えるような外見の少年だった。表情を曇らせ、つぐみの安否を気遣ってくれている。
先ほどの、恫喝の声が耳に残っている分、優しい対応が染み入るように嬉しかった。重ねて謝罪されているのが解る。
見た目は日本人に見えるけれど、彼の言葉遣いはすごく流暢で聞き取りやすかった。洋画の吹き替え版のような、微妙な齟齬を覚えるほどきっちりしている。
それはともかく、とても繊細に手を引いてもらって立ち上がる。
「アリガトウ」
そんな完璧な発音の持ち主に対してすこし恥ずかしくも思ったけど、微笑んで心からの礼を述べた。
彼は目を瞠って、すこしその深い目をすがめてしまう。優しげな顔立ちが、目つきの悪い印象になる。目が、悪いのかしら?
本当はもっと丁寧にお礼を告げたかったけど、アニエスのことが気がかりで軽く会釈をしてすぐに離れた。
すこし時間がかかってしまって、何とか冷たい飲み物を買うことが出来た。
両手で抱え、取って返して路地に戻る。しかし。
「・・・・・・ア・・・」
金の髪を持つ少女の姿は、どこにも見あたらなかった。
「・・・・・・」
待っていてもらえなかったと言うことより、あの状態で立ち去ってしまった少女の事を思うと不安でたまらなかった。
自分には、どうしようも出来ないことなんだ。そう思ってうなだれる。
胸がぽっかりと、空虚な隙間を開く。また、ひとりになっていた。
「ぴいっ、ぴいーーっっ」
「・・・スクリーン!」
高い鳴き声にはっと顔を上げる。上空には相変わらず滞空し続ける青い識別鳥。
その鳥の声が、ひどくせわしない。切迫したものではなくて、興奮して、声を上げずにいられないと言ったような。
うれしさ、の感じられる声だ。ふと、振り返って。
つぐみは心の底から安堵を覚える。自分でも不思議なくらい、張りつめていた緊張がほどけて、気がつけば駆け寄ってしがみつくように上着を掴んでいた。
「ラシード!」
「ツグミ!ああ、ツグミ。ツグミだ、無事だね、良かった」
軽く、きゅっと抱きしめられて髪を撫でられる。この気安さ、嫌悪感がちっとも湧いてこない穏やかさ、とてもとても懐かしく感じる、ラシードだ。
「ひとりなんだな?何か危ないことはなかった?怪我は?具合は?」
目の覚めるような蒼い髪。柔らかな紫にのぞき込まれ、矢継ぎ早に尋ねられる。
自然顔が緩んで、大丈夫よと首を振る。首が痛くなるぐらい見上げる角度も懐かしい。
「さっきそこでキリーと鉢合わせたんだ。キリーはまだ用事があるから宿に戻ってみるとツグミも出てるって聞いて、捜してたんだけど、サザは?一緒じゃないのか」
「・・・・・・」
とたんツグミは表情を曇らせて、首を横に振った。
どうやらサザの行方は解らないらしく、ツグミは探しにひとり宿を出たのだろうと察しをつける。
「・・・・・・」
ラシードはしばし思案して、手招いて上空にいる彼の相棒を呼んだ。即座に応えて滑り降りてくるスクリーンは、慣れた様子で、そして安堵さえにじませてラシードの肩に留まった。
「側にいてくれたんだな、ありがとう。せっついて悪いけどこれを」
その場でちいさなメモ紙に何か走り書いて、小さくきつく巻く。そして配達先の特定できる、いくつかある小瓶からひとつのにおいをかがせる。鳥は了承したらしくぴ、と鳴く。
「頼んだよ」
すぐさま、羽を広げた鳥は、飛び上がる前につぐみの髪に身をすり寄せて、今度こそ風をはらんで飛び去っていった。
「スクリーン、頭良イ、よいこ」
「そうだろう、うん、自慢の相棒だ」
頭を撫でられる。ラシードにこうされるのもおなじみだったけど、今はただひたすらに懐かしかった。
例の危険な男と出会ったことやいろいろなこと、彼に伝えて核心に迫ることを尋ねるべきだろうか。
つぐみの心はとたん、そう思い当たって逸るのだが、明るく笑いかけてくれる優しい青年を見ていると、今すぐにそうしようとする気持ちは萎えてしまった。
もうすこし、あと。宿に戻って、キリーとサザの顔を見て、今度こそ安心してからにしようと、思い直した。
つぐみはラシードと一緒に、一度宿に戻ることにした。
やはりスクリーンと一緒にいたとき同様、彼の外観は人目を引いていたが、大祭時期に外国人の姿は少ないが皆無でもないと、気にすることもないと本人は平然としていた。
戻る間も塞ぎがちだったつぐみを察して明るい声で話しかけてくれる。
ああ、ラシードだ、優しさを表に出して惜しみないひとだと、つぐみの心を温めてくれた。
ラシードは軽く、つぐみの手を握って引いて歩いた。
はじめは恥ずかしくてつぐみも抵抗を覚えたが、次第になすがままつながれて歩いた。
彼に関しては、ちいさな子供扱いをされても、あまり嫌ではないのだ。単なる子供扱いでないということも、今は解るようになっていたし。
(やさしいひと。ひとに直接触れて、あたためてくれるひと)
私はこんなひとになりたいんだ。
「キリーに、闘威大祭に出場してもらうことになったんだ。今はその手続きをしている。すぐ戻ってくるよ」
宿に戻って落ち着くと、ラシードがそう教えてくれてつぐみは目を見開いた。
いつも通りに穏やかなラシードの顔をひたすら凝視してしまう。
どうして。出ないって、キリーは言っていた。
思いがそのまま顔に出ているつぐみを見つめ返して、ラシードは苦笑する。
「今まで、ずっと、黙っていてごめん」
つぐみの頭を撫でようと伸ばした手を、触れる寸前で止めて、自分の膝の上に戻す。
少女の瞳はまっすぐに、揺るぎがなかった。別れたときのような脆弱さは今は遠い。
子供をなだめるような仕草はすべきではなく、大人同士の話をする場面なのだと、改める。
「だまそうとか、うやむやにしようとか、そんなつもりじゃなかった。けれど言葉が通じないからとか、言い訳にもならないよな。ツグミにはずっと不安だったと思う。すまなかった。頑張ってくれて、ありがとう」
一言一言を区切ってくれるラシードの誠実さに、つぐみは緩く首を横に振った。
「へいき。アリガトウ」
こんな風に優しく言われたのでなければ、平気ではなかったかも知れないけど。
言葉を一番教えてくれた彼が、そう言ってくれるから、過ぎたことはなんて事のないことに出来る。
「・・・キリーが戻るまでにすこし話そうか」
ラシードの言葉に、居住まいを正す。ああ、どきどきしている。
「実はかくいう俺も、すべての事情を教えられているわけではないんだ。けれども一番詳しいことは確実だな。誰に言えなくても、ツグミにはきちんと説明しておくね」
唇の前に指を立てて、そうっと顔を寄せられる。違う意味でつぐみの鼓動は一段高鳴ったが、耳元にそっと落とされた言葉に目を瞠る。
ほんの間近にある彼の顔を見返す。ラシードは肯いた。
「俺はフェイという、隣の国で生まれた。実はこう見えてお偉いさんの密偵まがいのことをやらされていてね。いろいろな国に行っていろいろなことを見てくるのがお仕事」
おそらくはキリーも、同様の任務でクォを訪れたのだろうという確信は出会ってすぐに抱いていた。
「定期的に訪れているんだけど、今回王都ですこし気になる噂を耳にした。カレイスさんって、呪術師の家系の第一層だけど権力はそこそこというお宅があってね」
ほとんど抱きしめられるような形で耳元にささやきが続いているが、少女の身体はときめきとは無縁に硬直していた。ただその、鼓動は反比例して加速していく。
「どうにも次期当主のエイギルさんが、腕の立つ用心棒を求めているらしくて。すでに彼は一部では名の知れている凄腕の呪術師を雇っていたのに。剣士とか、物理的な戦士を求めているらしいって。それはおそらく、物騒な呪術の研究・開発のためだろうという噂」
「・・・・・・」
つぐみの緊張を察して、ラシードは一度だけ細い肩を叩いてあげた。そこでようやく、詰めていた息を吐く。
言葉はところどころくみ取りにくく困難だったが、ゆっくりとした語り口調に、ひとつずつ頷いて先を促す。ひとつの単語も、聞き漏らせ無いと思った。
「クォという国での、呪術に関する新しい噂は聞き逃せない。俺はいつも通りカレイス家に取り入ることに成功した。けれど彼のお眼鏡にかなう実力には遠くて遠くて」
すこし軽口のような口調で話されて、つぐみも小さく笑い返す。相手と受け取り側に寄るだろうけど、ラシードのこういうところは本当に好きだ。尊敬できるし、信頼してしまう。
このひとの話していることばすべてが嘘で、見事にだまされてもやはり納得できるのだろうな、そうつぐみは思う。
物事に対して投げやりなのではない。自分自身が相手に抱く、個人的な感情の問題なのだった。
「そこで、サザとキリーに目をつけて、彼らに指示通りの依頼をした。とある場所に、呪術媒介が現れているから、王都まで無事護送して欲しいのだって」
目があった。紫の色を綺麗だと思う。
「ツグミ。君のことだよ」
うん、とただ素直に頷いた。
ごめんね、とラシードは不意に呟いた。
「カレイスさんがどういった研究で、どういった呪術を編み出しツグミに置いたのか、目的とかはほとんど聞かされていないんだ。はじめ俺の目的は事の調査だった。対象がツグミでなければ、生き物でなければ止めたかそれとも放置か、しかるべき機関に通知か、まあいろいろとあったろうけど、きみは異世界のひとだ。とても危険な呪術に違いはないだろう」
そこでまたかみ砕いて、異世界のものにはこの世界の呪術の一切が通用しない、ということを教えてもらえた。
呪術の影響をまったく受けない、大がかりで兵器級の呪術の台座にはうってつけになる。
というか、異世界のものでなければ「かたち」として呪術をとどめておくのはほぼ不可能と考えられているのだ。
だから、引きずり込まれた。きっと、無作為に選ばれた。
(単なる、容れ物( として・・・!)
ラシードはたまらなくなって、小柄な身体をきつく抱きしめた。
慰めると言うより、自分の感情を抑えるための行動だと知っていて、すぐに身体を離した。
間近にある、額をこつんと合わせる。つぐみの瞳は相変わらず澄んでいた。事態を受け止めて、揺れているけれどまっすぐにラシードを見上げてくれる。
ごめん、と言いたかったけどやめた。それが自分の自尊心を満たすだけのものだと解っているから。
「・・・それで、カレイスさんの計画的にはいろいろと続きがあって、用心棒の実力を測りたいからと、キリーには大祭に出場してもらうことになったんだ」
「キリー、へいき?」
他人の身上に対してだけは間を置かず尋ねてくるつぐみに笑顔を向ける。
「あのひとの強さはきみも知っているだろう?試合ではもちろん、何かあったって大丈夫。ひとりで対処できる大人だよ」
彼女も事態の調査を優先したのか、話をするともう渋ることもなく参加を了承してくれた。ただ、この国で目立つのは得策ではないようだが。
(しょうがない。サザを出場させるわけにはいかないし・・・)
この上ない強力なふたりに話を持ちかけこうしていられるのは、ラシードにとって幸運だった。
(けれど、サザが戻らない・・・なまじ有名人だから諍いに巻き込まれたのかな)
身が損なわれるような心配は無用だろうけど、そうすると逆の心配がある。
「サザ、いなイノ。おしごと?」
タイミング良く察したのか、そう尋ねられて苦笑するしかない。
ただ正直に、違うよ。と答える。しゅんとうなだれる姿に、今度こそ頭を撫でてやる。
「きみが大事だから、危険な目に遭わせたくはないんだろう」
心からそう思って呟いた。つぐみもきっと頭では解っているのだろうけど、その不安はなかなかぬぐい去れないようだった。
それからいまだすこしの余裕があって、ラシードはあらかじめ買ってきていた軽食を取り出した。二人でもそもそと食べていると、キリーが戻ってきた。
「キリー!」
血相を変えてつぐみが立ち上がり、現れた姿に飛びついた。キリーは一瞬呆気にとられたようで、すぐにいつも通り、冷静な様子で眉根すら寄せて。
「なんだ、一人で留守番も出来ねえのかよ」
「・・・!あ、あウエ、えト、おかえりナサイ・・・」
とたん、しがみつくようなとっさの行動に出ていた自分に、顔を染めながら身体を離す。その腕を掴んで引き戻して、キリーは改めてつぐみを抱きしめた。
「ただいま」
「・・・キリー!ワタシ、心配!ひどい!」
笑い含みのからかうような声に、羽交い締め状態のままつぐみはぷんすか抗議するが、キリーの眼差しがひどく優しく穏やかなことを、ラシードだけが確認してこっそり吹き出してしまう。
「お疲れ、キリー。出場は何日目からだ?」
「おうよ、俺は二日目が初戦らしいぜ。時間までに開場に行きゃあいいのか?」
二人揃ってラシードのいる部屋の奥まで歩いてくる。入れ代わりに立ち上がって。
「そうだな、うん、体調を万全にして頑張ってくれ。で、ごめん。キリーが戻ったことだし、俺はそろそろもうひとつの用事に向かう」
「そうかよ、俺の出場中はツグミはどうなる」
「サザがいればな。まあ信頼の置ける助っ人の準備はある。俺も出来るだけ戻るようにする。またスクリーンに連絡させるから、こちらにも報告をくれ」
淡々と事務的な会話を交わす二人を、つぐみは交互に見上げてすこし気圧される。
何というか、雰囲気が硬質だ。特に、こんなラシードははじめて見たような気がした。言葉遣いもすこし荒いような気がする。
「じゃあ、ごめんなツグミ。またすぐに会いに来るよ。同じ王都にいる。すぐに会えるからな」
こちらに視線を向けてくれたラシードの態度ががらりと和らいだので、違和感がさらに強くなってしまった。
一人でいた間に、二人に何かあったのだろうか。
「ラシード、きを、つけてね」
「ありがとう」
こめかみに軽くキスを落とされてビックリした。何でもないように蒼い髪は遠ざかり、退室していったので動悸を意識する暇もなかったけど。
「さあて、メシにするか。土産買ってきたぜ。お前も食うか?」
すでにラシードの用意してくれた食事を終えようとしたところで、申し出につぐみは首を振った。
それでも並んで席について、一緒にお茶を飲む。
しばし間を置いて、あいつから話、聞いたんだなと問いかけられた。だからやはり、素直に頷いた。
「面倒くせえ事になったけど、戦線離脱はしねえ。このまま付き合ってやるよ。護ってやるから、食って体力つけとけ」
フルーツのジェラートを押しつけられる。
すこし困ったような笑顔が浮かんだ。可愛い紙製のカップに盛られたデザートを、しょうがないなあと、すこし横柄に受け取った。
サザは結局、戻らなかった。
その夜は、並んだ寝台に二人で眠りにつく。
当然のようにキリーは武器を側から離さずに、つぐみが寝付くまで意識を保ち続けていた。こんな立派な宿屋で、王都みたいな都会でも危ないことになるの?遠回しにキリーを眠るよう促すつぐみの声は、子守歌がないと眠れねえか嬢ちゃんと揶揄されて遮られた。
気分を害すほどでもないが、釈然としない思いで布団を被る。
いろいろあって、疲れていることは確かだが、逆に気分の高揚の所為で寝付きは悪く思えた。
ラシードは慌ただしく出て行ってしまって、あのひと、たしか、ノースゼネ・カーロ。難しいなまえ。彼のことを言えなかった。ラシードならば何か知っていたかしら。
キリーだけでも報告すべきかと思ったが、一人歩き自体を咎められるのは目に見えていた。結局は何事もなかったのだし、今回のことをキリーに伝えるのはすこし待とうと思う。ごめんなさいと布団の中で手のひらを固める。
怒られるのが怖いのではない。呆れられ嫌われて、面倒くさいやつだと思われるのを恐れている。
何も出来ないのだから何もするなと言われるのが、怖い。
それよりももっと、なんで勝手なことをするのか、お前なんてもう知るかと、突き放されるのが、怖い。
大袈裟に。悲観的な考えだと自分でも思うけど、つぐみはすこしでもその可能性を遠ざけたかった。
膝を抱えるようにして、身を丸める。胸の前で、手を組む。目を、むりやりにでも閉じる。
(・・・サザ、どこにいるの)
問いかけずにはいられない。
(サザ)
初めての、保護者のいない夜は何だか寒い。
「・・・・・・」
深夜のただ中、キリーの目は一瞬で開かれ意識は覚醒した。
物音がする。数人の足音。従業員や宿泊客の可能性も拭えないが、一蹴する。
物々しい気配と、武器の立てる金属音を拾った耳に、そんな楽観視が出来るはずもない。
そっと半身を起こす。隣のつぐみを見る。明かりの落とされた暗闇の中でもあどけない寝顔を確認できた。さて。
この部屋にすこしずつ近づいてきているようだ。キリーは音を立てずに寝台を下り、戸口へ向かった。
まあ起こしちまうだろうなと、普段なら絶対に湧かないような申し訳なさだけがあった。
「ここだ」
「さっさと済ませちまおうぜ、警組や国の奴らが駆けつけてきたら事だ」
「そうだな、さっさとお引き取り願うか」
戸口の前で囁き交わしていた声に、静かに威圧感を込めた声音で割り入る。
「なっ・・・ぅお!!」
扉を開け放ちざま、目を見開いて反応が鈍る手前の男の膝を蹴りつけ体勢を崩し、首裏を鞘に収めたままの剣で叩いて昏倒させる。早業だ。
「て、てめえ!」
「静かにしろよ、安眠妨害だ」
その段になって手の武器を構える、おそらくは傭兵家業をしているたぐいの集まりだろう。この襲撃がもし自国での出来事なら深夜だろうが宿泊施設内だろうが、売られた喧嘩は相応返しだ。ひとり供述のために残してあとは皆殺しのところだが、クォという国では殺人は厄介な事態になる場合が多い。
とくに自分は大祭の大会出場を控えていた。面倒くさいが全員気絶させて役人に任せるのがいいだろう。
剣を振りかぶりがら空きになった顔面に素早く柄をたたき込む。顎にクリーンヒット。一丁上がり。
4人いた男達はそんな有様で、ろくに抵抗らしい抵抗も出来ずキリーに一撃の下で沈められていた。手早く結べる紐を取り出して二人ずつ後ろ手に縛っておく。
「・・・・・・!」
立ち上がったところで室内の音に気がつく。余裕を崩さない表情が歪む。舌打ちが漏れた。
「ツグミ!」
何か薬をかがされているのか、少女の意識はないままだった。割った窓からの闖入者が、抱きかかえ連れ去ろうとしている。
二階である室内にいるのは二人。同じく傭兵のような風体で、暗い色彩の衣装を身に纏っている。
「そいつに触るんじゃねえ」
キリーは、自分でも不可解なほど頭に血が上っていた。大股に駆け寄りながら忍ばせている小刀を投げ放つ。手前にいた男が剣でたたき落とす。
「早く行け!」
つぐみを抱えていた男に指示し、その男はキリーと対峙する体勢で剣を構える。
ああ殺してやりたい殺しちまうかとかなりの暴風がキリーの中を吹きすさぶ。
必殺剣、一撃目の鋭さのあまりその異名のついた、容赦ないキリーの刃が鞘から引き抜かれる。
ギイン!
耳障りな音を立て、その男は受け止めて見せた。切り結ぶ、暇など無い。
いつもなら多少は感心してやれる、そんな余裕なんて、無いのだ。
男の身体に遮られ、奥の様子が見えなかった。つぐみが窓から連れ出される、いつもなら冴え渡るはずの頭は、憤りに染まって正しく機能できない。
ギイン、キン!
二度切り結んだとき、キリーは一気に足を前に踏み出した。男の刃をものともせず、押していく。相手はそれを逸らせずひたすらに後退せざるを得ない。
持ちこたえたが最後、刃はまっすぐに自分の首にいたる位置にある。それほど鬼気迫る押しやる力だ。
「ぐ・・・!」
「おらあっ」
隙をついて頭突きを食らわせてやった。わずかに低い位置から繰り出されたそれは、相手の鼻を見事に潰し、たまらずにたたらを踏む。下腹部に剣の柄で一撃。もんどり打っているところに背中を踏みつけて、両手をきつく縛り上げた。
「手間とらせやがって、二度と俺の前に現れるな。リビット死ね!」
どさくさに紛れて職場放棄している相方(キリーは認めたくないだろうが)への罵倒を吐き捨て、すぐさま窓辺に駆け寄った。
つぐみは窓にかけられたロープから壁づたいに連れ去られていた。思ったより時間がかかっている。キリーは窓枠に足をかける。もちろんここから飛び降りようとした。
しかし、上から見下ろすキリーには見えたのだ。
剣を提げ持った男が、異様にさえ感じられる足取りで建物の陰に、歩いてきている。
悲鳴が上がる。ロープから下り、地面に着地した男も含め、やはり数人の怪しい風体の男達の誰かが、明らかに引きつった声を上げた。
「リビット・・・!」
キリーから見ていても一瞬のことで、やけ気味に襲いかかってくる数人を正確に一撃ずつ、拳で殴って昏倒させていく。
さすがに一撃だけで気絶しなかった者も、地面に這いつくばって悶絶している。その威力を思うとさっさと意識を閉ざした方が賢明だ。さすがのキリーもぞっとした。
最後の一人、つぐみを担いでいる男はその身を前に出して盾にとり、逃亡を図ろうとしている。
サザは構わず前進する。息を呑んだ男が慌てて武器をかざそうとするが、遅すぎる。
「ふぐっ!!」
ひときわ鈍い音がして、顔面で拳をまともに受けた男は吹っ飛んだ。確実に鼻の骨を折るぐらいはしているだろう。
そして、つぐみの身体が支えを失って傾く。地面に倒れてしまうその前に手を伸ばして、難なく抱き留めようとした。
サザの手は空中でさまよった。ためらった。抱き留めることを。
なので。
「・・・っっ、??い、いた・・・」
「ツグミ!??」
ごつんと、石畳に直接倒れ込む。頭は幸い打たなかったようだが、その衝撃で目が覚めたらしい。状況の把握に首をかしげ、キリーの声に顔を上げる。
「・・・きりー・・・え?」
どうして外にいるのか解らない。夜眠りについて、自分の身に何が降りかかったのか、理解が追いつかず、足下を埋め尽くす男達の姿にびくっと肩を震わせ、そして。
「あ・・・」
見下ろすひとに、気がついた。
「サザ」
あんまりに驚いてしまって、名前を呼ぶしかできない。
帰ってきてくれたのだろうか。そうなのだろうか。よく分からないがこの人達はサザがやっつけたのだろう。助けてくれたのだろうか。
なにひとつ解らない。見下ろす表情はとても険しく、いつも以上に睨まれていると思ったけど、顔が見られただけで何だかほっとしてしまって。
つぐみは微笑みかけた。無事で良かった。
「俺は王都を離れる」
端的に告げられた言葉に、表情はそのまま固まった。
「俺がここにいると厄介ごとが尽きない。お前の護衛は続けられない」
「・・・・・・え・・・え」
ようやく頭が起きてくれていた。夢、ではない。だって肌に触れる空気が冷たい。打ち付けた腕や足がひりひりと痛む。
「途中放棄と言うことになる。依頼料は要らない。ラシードにそう伝えろ」
「サザ」
たんたんと、業務連絡を告げてくれる。すこし、待って欲しかった。私の話を聞いて。
言葉が足りない、揺るぎない声というのは、今に始まったことではない。
「サザ」
反射的に、手を伸ばして彼のマントを掴もうとした。今はしゃがんでいるから本当にすがりつくように。
ぱっと、彼は自分の身を引いてマントを引いてしまった。
離せ、と、掴んだあとに苛立たしく咎められた方が万倍ましだと思った。出会った頃のように。
「おわかれ?・・・サザ」
つぐみの声は、はっきりと解るほど震えている。
「ああ」
サザの声はしっかりと返された。つぐみはうつむいて顔を見せないようにしたまま、こっくりと頷き了承を伝えた。
「アリガトウ、たくさン。サザ、お世話ニなりまシタ。えっト、エット。会えて嬉しかッタ」
サザは、慌てたように言葉を募らせる娘の声に耳を傾ける。いつしかこんなに、言葉を話せるようになっていたのかと。
「またね?」
震える声に、わずかに目を細めた。しかしはっきりと告げる。
「二度と会うことはない」
「・・・・・・・・・そ、う・・・ウン」
短く頷いて、サザはつぐみに背を向けて歩き出す。少女の、浅い呼吸が耳をついた。
ちいさな、呟き。苦しそうな。
いかないで。
「リビット、リビットてめえ!」
窓から飛び降りたキリーは一瞬だけ迷いを見せたが、本当に淀みない足取りで門へと向かうサザを追いかけた。
「どういうつもりだ!」
「すでに話した。ツグミから聞け」
「それは俺も聞いてんだよ、どういう了見かって訊いてんだ!」
すさまじいキリーの剣幕に、サザも珍しく触発されたように眉間に皺を寄せた。
うるせえ今何時だと思ってる!とお決まりの叱咤が飛んでくるが、当然二人とも無視した。
「俺がここで傭兵として過ごすにはあまりに障害が多い。今後もこんな事が続くようでは本末転倒だ」
「おお、非の打ち所のないまっとうなお答えをどうも。なら顔を隠すなりしろよそれで十分だ」
「それでも拭いきれない危険に晒してまでツグミを護るのが、“俺”で無くてはならない理由はない」
どうしてもキリーを追い払いたいのか、サザは言葉を惜しまず答えていた。
傭兵として不適切な状況であると、護衛対象に余計な危険を与えるからと男は言う。
それはそのままであれば、つぐみを慮っての行動、選択なのだろう、けど。
「本当か。それは」
「ああ」
すでに用意されていたかのように返事は速かった。間を挟まずキリーも問いを重ねた。
「てめえはツグミを護る気はねえって事だな」
今度こそ返事はなく、サザが足を速めキリーが後れをとる。
これ以上離れるのは。つぐみをあのままにしてはおけないと思った。遠ざかる背に一言。
これはほとんど、嫌がらせのような。サザがすこしでも嫌な顔をすればいい。
「そうかよ、じゃあツグミは俺がもらう。二度とそのツラぁ見せんな、腰抜けが!」
とたん、すさまじい衝撃が来て、目の前に星が散った。
文字通り吹っ飛んで膝をついてからようやく、サザにぶん殴られたと解った。
口の中が血みどろで、明日顔やべえなと思ったが、見下ろす男の眼光に笑みを浮かべる。
「いてーなオイ!」
すぐに立ち上がって殴り返してやった。まさか相手以上に威力があるとは思っていないが、それにしても体勢すら動かさない様子に苛立ちが募った。
「へ、やっぱ、てめえ。ツグミを誰かに託すのは嫌なんじゃねえか。わっけわかんね」
キリーを殴ったあとすぐ、落ち着きを取り戻してしまっていたが、先ほどかいま見えた橙の瞳に宿るのは確かに燃えさかるような激情だった。
「欲しいならとっとと奪い取って邪魔する奴あぶっ飛ばせばいいじゃねえか。危険が及ぶってそりゃ、何の言い訳だ?別にいいけどよ、ここで逃げてみろ、俺は遠慮なんざしねえ」
サザがいなくなったつぐみの一番の信頼を、得ることはもっともキリーがたやすいことだろう。
「・・・欲しくはない」
押し殺した、声がキリーの耳を打って。挑発的な物言いを募らせていた口を閉ざした。
「俺には要らん。お前の言う、情も、想いも、・・・・・・ツグミも、欲しくはない。」
「・・・・・・」
言葉を失って、表情を無くした男の顔面を見据え、やっぱバカだこいつ、と思った。
キリーが戻ると、先ほどと同じ場所でつぐみはしゃがみ込んだままだった。
「ツグミ」
呼びかけると、ぼうっとしていた瞳が焦点を結ぶ。キリーと呼ばれる。
心ここにあらずといった様子。自殺志願者がこういう目をしている。キリーは嫌な気持ちにさせられて、寒さと痛みに震えるつぐみを軽く抱き寄せた。
とたん、弾かれたように少女の全身が震えだした。強い力でキリーにしがみついてくる。
どうして。
少女が呟いた。小さな声。
ごめんなさい。
ついで、悲痛な声で謝罪が漏れる。なぜつぐみが謝るのか皆目見当がつかない。
私がわるいのいつも私が悪い私がいるとだめなの。キリーには解らない言葉。けれど不快になる音の連なりだった。抱きしめる腕に力を込めて。
「あんな奴ほっとけ」
本当はこんな事、言うつもりではなかったのに。つぐみはさらにしがみついてくる力を強めて。
「いかないで」
いかないでいかないで。おいていかないで。
涙はいつまで経っても涸れなかった。
人間ってこんな風に壊れるんだ。つぐみは不思議と冷静に、そう思った。
(2009.3.5)