16 家族
ほとんど初対面の人たちに囲まれた道中は、再び一人きりになったつぐみにとってけして気楽なものではなかった。
けれどことさらに落ち込む様子を見せるわけにも行かない。
もう泣いてはいけないという自戒をさらに強固にする。
一緒にいたのは銀髪の婦人、ラシードの同僚であり今後つぐみの後見人であるシク。
目もくらむような金髪の美少年、キニスン。引っ込み思案なのか目が合うとぱっと離れていってしまう黄色の髪のちいさな女の子のミーシャだ。
こちらに来て自分より明らかに年少な子達との接触は思えば初めてだった。いつもなら、もう少し前だったら、仲良くなれるかなと期待と不安で胸を弾ませるような、かわいらしいふたりだ。
「アニエスちゃん?」
「・・・うん、アニエスは俺の姉だね」
あんまりにもキニスンの容姿が、ほんの少しだけとはいえ、ともに過ごし強烈な印象を覚えた少女と似通っていたので、告げられた関係に驚いた。
大祭中に助けてもらったの。告げるとキニスンはそうかね、と苦笑する。
元気の足りない笑顔は、華やかな外見の分もったいないような。こちらまで悲しくなってしまう。
キニスンとミーシャは常に行動をともにして、手をつないで寄り添っているところをよく見かけた。
何せ会ったばかりで普段を知らないのだが、ふたりともずいぶんとしょんぼりとして見えた。お祭りを満喫して楽しんだ、その帰りにする表情とは、とても思えなかった。
何かが欠けたようで、寂しそうだと感じた。鏡に映した自分もきっとあんな風だろう。
よく解ってた。
知り合ってすぐつらい出来事を興味本位で荒らすような真似は出来ない。気になっても尋ねなかった。シクにもなにも訊かなかった。
だから道中はとても静かに、四人とも黙々と歩んだ。
フェドレドから南下して、五日ほどでシク達の住居というえのぐり茸の家に到着した。
えのぐり茸の家、というのは便宜上ついた建物の名前らしい。学校名としても通用する。
そう、そこはふだん老若男女問わず生徒として受け入れる校舎として使われているらしいのだ。
その家にたどり着くまでも、常連の生徒らしい中年女性が驚いた顔をしてシクに話しかけてきた。
「シク先生。今日は授業やっていますか?何だかずいぶんお休みだって聞いて・・・いつ頃から再開なんですかね」
「ごめんなさい。早く再開したいのは山々なのですが、何でも屋の方のお仕事が込み入ってきまして。他の方にも伝えていただけますか?再開のめどが立ち次第街にも知らせに行きますから」
シクは本当に申し訳なさそうに頭を下げて、休校の継続を告げる。
残念そうにする女性の顔からも、たくさんのひとが信頼を置き、授業を楽しみにしている様子が伝わってくる。
「本当に先生達も大変ですねえ。でも、みんないつまでも待ってますから、また学校開いてくださいよっ」
「それはもちろんです」
(私が来たからだ)
つぐみはたまらない思いになって、ぎゅっと服の裾を握りしめる。
「おや?そっちの女の子は?見ない顔ですねえ。トー君にすこし似ている」
女性が気づいて、つぐみを興味津々の様子でのぞき込んでくる。反射的にびくっと肩が震える。その肩に、あたたかな手が載せられた。
「ツグミです。今日からうちの子です」
シクがやわらかな声で告げた。
(どうしよう)
恐ろしい予感に震える。
いや、予感ではない、もうそれは確信に近いものだ。
きっと私は、この人達のことも心の底から好きになってしまうんだ。
店舗や住宅街が整えられた街から歩いてしばらく、穏やかな道が続く森を進むと、住居がようやく姿を現す。
手作り感の溢れる、木製の大きな家だった。森の中にたたずんでも違和感のない、自然と調和の取れた設計に見える。
(かわいい家)
すっかり落ち込んでしまった心境でも、感慨深くその家を見上げて、気がつけば見とれていた。
その横で、今の今までおとなしくしょんぼり歩いていた子供達、とりわけ金の頭がいきなり大きな動きを見せた。飛ぶように駆けだしたのだ。
それを見て、合わせるようにミーシャも。
「イスパルーっ!カノアーっ!ただいまー!ごはんー!」
「ただいま・・・キイ、いきなりおぎょうぎ悪い」
つぐみがぽかんとしている前で、子供ふたりはぱたぱたと、勢いよく戸口をくぐって中へ入っていった。
家に着いたとたん、元気が出たのだろうか。あんなに、さっきまで落ち込んでみたのに。
「家に気鬱は持ち込まないんです。子供に気を遣わせてばかりですね」
シクがつぐみの戸惑う様子を見て取って声をかけてくれた。困ったような微笑みにはっとなる。
あのまま帰ると、お家のひとに心配をかけるのが解っているから。
「・・・スミマセン!」
とたんつぐみも自分の顔をぱたぱたと叩いて、頬をぎゅっとつねって。
シクににこっと笑顔を向けてみた。
「ツグミでス。ツグミ・ソラチ。言葉がヘタクソで、スミマセン。よろしくおねがいしマス」
頭を地に着くほど下げて、恥じ入って顔が赤くなるのが解る。私は、きっとあのふたりより年上なのに。
まともにこんな挨拶も出来ていなかった。ここに来るまで!
「丁寧にありがとう、ツグミ。頭を上げてください」
ぽんぽんと肩を叩かれて恐縮しきりで顔を上げる。
「いらっしゃい、ようこそ。ツグミ。歓迎します。好きなようにくつろいでくださいね。気楽にして」
それこそ丁寧に、手放しで歓迎されて困惑してしまう。
「明日からはいいですよ、明日からはただいまと言ってください。私たちはおかえりなさいと答えますから」
涙が出そうになったけど、これ以上自分の弱さで誰かを心配させたり、慰めの言葉をもらうことは出来ないと思って笑顔を浮かべた。
とはいえ緊張が解けたわけでもなく、シクに続いて戸口をくぐり、お邪魔しマス、と言って足を踏み入れるとさらに全身がこわばってしまった。
「ただいま、みんな。留守中ご苦労様でした」
「ホントだよったくー。シク、おかえり。手紙は受け取ったよ、お疲れさん」
「おかえりなさい、シク。ところでトキはいつの間に性転換したの?」
シクは声に出して吹き出した。居間に当たるらしいその広い一室で、ふたりの若い女性に出迎えられた。
出かけたときから、ふたり、帰る人数が減ることや、また違う子を連れて帰る手紙を先に出していた。
「馬鹿じゃないの、カノア。トキが性転換したところであそこまでちっこくなるわけない」
ココアブラウンの髪の、気の強そうな美人がもうひとりを呆れた目で見る。
「それもそうね。残念。トキが女の子になったらあれこれと試したい薬があるのだもの」
薄金髪の神秘的な少女、つぐみよりわずかに年上だろうか。が、くすくすとちいさな忍び笑いを漏らしている。
「トキに試す意味があんの?」
「トキに試すから面白いのよ、イスパル。それともあなたが代わってくれる?」
げ、ととたん自分へ向いた矛先にイスパルは顔をしかめる。
つぐみはただふたりのやりとりにぽかんとするしかない。置いてけぼりにされているつぐみとふたりを交互にシクは微笑んで見守っているだけだ。
「あの、エット・・・」
意を決して声を出してみると、言い争っていたふたりはぴたっと会話をやめて一斉につぐみを見た。瞬時に顔が熱を持つのが解った。
「あたしはイスパル。イスパル・サンシェーン」
「カノア・ワヌエル」
それぞれに、イスパルは不敵ににっ、と。カノアはにまーといった様子で微笑まれる。
「エト、ツグミ。ツグミ・ソラチ」
つられたように名乗ってにこっとしてみる。ちょっと引きつっていたかも知れない。
これで全員と顔合わせがすんだ。
あらためて、6人揃って今後のことが話し合われた。
つぐみが認識できている程度の、現在の立場。呪術媒介であること。放置していては危険なこと。王都(召還した呪術師側)から求められているが、目的も判明しておらず引き渡すわけにはいかないこと。さらに、もし知られれば国の機関からも狙われるだろう事。
「呪術師の協会は調査と対策を依頼してきただけで、まだつぐみの存在は知られてはいないと思うのです。厄介なのは有権者の耳にはいること」
有権者ならずとも、悪用や取引、研究の対象など、どこに知られてもいいことはない。
「つぐみの安全と身上が第一。早く帰してあげられるよう、全力を尽くします」
真摯な眼差しに、ただ頷く。つぐみの抱える呪術が、どう考えても穏便なものではないのが問題なのだ。
彼女は危険物扱いであり、それを望む危険人物に喚ばれてきてしまった。
つぐみが万が一軍事利用されるようなことがあれば、国の大事にも関わるのだ。
怖く、不安な思いをさせるだろうけど自分を責めたりせずにいて欲しいと言われる。
「何があったって、あなたはなにひとつ悪くはない。私たち、この国を恨んでもしょうがない」
「・・・・・・」
つぐみはほとんど反射的に首を振った。もしかしたら、頭に理解が、未だに追いついていないだけかも。
実感できていないだけかも知れない。我がことと思えず。もうちょっとちゃんと考えた方がいいのかも知れないし、言われることもよく解っている。
「きもち、暗いハ、よくナイ」
恨むとか憎むとか、暗い感情を積み重ねても良いことはあまりないように思う。
つぐみを囲っていてくれる環境はずっと優しかった。彼女を一個の人格として認め、接してくれている。
それを相手に感情的に当たるのは、理性的ではないと思う。事態が好転するはずもない。
つぐみがこうなってしまったことに、彼女たちに責任はないようだ。それどころかむしろ、やっぱり煩わせてしまっている、と言う気持ちの方が強いのに。
「めいわく・・・」
「言わないでください、ツグミ。あなたは何をしてもいい。ここで好きなように。けれどこの件に関しては謝らないで。危ない真似はしないでください。約束してくれますか」
シクの声が張りつめて、強くつぐみに訴えかける。
薄緑の瞳は不思議だ。優しいと思うのに有無を言わせず萎縮させてしまう、きっとこの人が強さを秘めたひとだからだ。
「あなたの気が楽だというのなら私はこうも言えます。この国を平和なまま保つために、協力してもらいます、と?」
そういう言われ方をした方が、確かに気楽だった。笑顔すら浮かべて頷く。
シクはほんの少し悲しそうに微笑んで、すぐに今まで通りの穏やかな笑顔に戻った。
どうか、巻き込んだとか私のことに対して気に病まないで欲しい。
自分はどこかおかしいのだろうか、とつぐみはここのところ思うときもある。
故郷から引きずり込まれて勝手に体に呪文を刻まれて、ひとりぼっちで怖い目にもいっぱいあって、ひどい、こんなのってあんまりだ。そう思っている。今だって思っている。
でも、だからってこの世界や人たちに怒ったりしようとは、思わない。
不満だってもちろんある。悲しいことやつらいことを、好きこのんで長らえたいと思うほど自虐的でも不幸に陶酔しているわけでもない。・・・終わらせたいと思っている。それは本音だ。
けれどこの状況で、つぐみがただずっと思っているのは、誰一人傷つけたくないし傷ついて欲しくないと言うことだけだった。
偽善だろうか。自分のことだけれど判断が出来ない。それはしっかりとした真実だけど、欺瞞( だろうか。
妙に、ちやほやされているように感じる。それもそうかと思うけど(何せ扱いの難しい兵器なのだ。ぴんと来ないがそう考えると笑ってしまいそうだ)、慣れない待遇にいまだとまどうが、ずっと嬉しかった。大事にされているように錯覚する。
そうすると相手にいやな顔ひとつされるのも怖かった。無意識に、いいこでいようとしているだけかもかも知れない。やはり自分は偽善者だ。
けれどどうすることも出来ない。役立たずの現状が変えられないなら、せめて負担が減らせるようおとなしくいようと、この家に来て改めて思った。
そんな考えはこの家では甘かったと、滞在二日目にして思い知らされた。
この家に二日以上滞在したものはもう、「客人」ではないらしい。それ相応の態度に改めてもらうよう、各人から厳しい指摘が飛んできた。
まず、家のことはほぼ完全分担で交代式。家事担当のイスパルの指導が入るが基本的にはすべて一人きりでやり遂げねばならない。
今日のつぐみは家の中のお掃除を任じられた。掃除方法と道具の場所を教えられ、解らなければ随時聞けと言われる。ひたすら必死になって頷く。
家は広かった。今日は初日だからイスパルが手伝ってくれるが、一部屋綺麗に仕上げるのにかなりの時間がかかってしまった。
「ご、ゴメンナサイ。たくサン、おそイ・・・」
「ん、終わった?おお、やるなあ!」
青ざめて、ようやく終えた一部屋から顔を出すと、イスパルはすでに他の部屋のほとんどを終えてしまっていた。それを見てさらに落ち込んでしまう。
「丁寧に出来たじゃないか。あれ、なんで落ち込んでんの」
「・・・えと、時間・・・」
けれどイスパルはつぐみが担当した部屋の様子に満足した様子で褒めてくれた。いつも通り謝ってしまいそうになる口を閉ざす。言葉を変えた。
「ツギ、もっと、がんばルよ!」
「おう、頑張れっ」
ばっしと背中を叩かれて磨かれた廊下に転げてしまった。からから笑われて、踏ん張りたらねえなー、後は外で遊んどいでーと言われる。イスパルはそのままご飯の準備らしく再びキッチンへ向かっていってしまった。
「・・・・・・」
背中をさすりながら体を起こして、何だか呆然としてしまう。
ここは、なんだが今までと違うような気がした。
つぐみがいようがいまいが、つぐみがどこの子だろうが、きっと同じような扱いなんだろうというのが解る。
今日の分担されたお仕事が終わると、自由時間らしい。けれどすることが無く、言われたとおり外へ出てみる。家の前で、なにやら数人の子供達とキニスンが話し込んでいるのが見えた。
子供達はいろいろなお家の子らしく、服装も年齢もばらばらだ。けれど浮かべる表情は皆一様に、残念だと肩を落としたり、不満そうに唇をとがらせていた。
「いつまで学校やらねえのー?」
「っていうかトキいつ帰ってくんだよー」
「それはお仕事次第だね。というかね、お家の人が言わなかったかね。しばらく遊びに来てもだめ。おれたちはお仕事中だからね」
一番上の子よりも、キニスンがやや年上だろうか。声は笑っているがたしなめるように言い含めている。
とたん囲んでいる子供達からブーイングの嵐。笑い出す子もいる。
「おっかしいの、キニスンがお仕事中だって!」
「・・・気持ちは分かるけどね。おしおき」
「わーいでででででで!!」
何だか大喜びでじゃれている。ほほえましい思いで、つぐみは離れたままその光景を見守ることにした。
「ねえねえキイ、トキにーは?」
一番ちいさな女の子が足にしがみついて尋ねてくる。キニスンは笑顔で頭を撫で、その子をひょいと抱き上げてやる。
「お家に帰った、かな」
「えーーー!」
「えーーー!!」
「えーーー!えーーー!なんだそれなんだそれ聞いてねーぞ!!」
とたん一斉に抗議の声が四方から響き渡る。中でも坊主頭のやんちゃそうな男の子の反応がすさまじかった。
「おれ、まだトキとダルマサンガコロンダの決着つけてねーんだぞ!」
「あたしボウタオシ教えてもらう約束したのにー」
「んー、まあトキもお家に帰りたがってたからね。ほらほら、みんなも帰るね。黙って出てきたのもいるんだろ」
どうどうとなだめ、なおも不満そうに頬をふくらませる子達を街の方へと促す。
「ちゃんと寄り道せずに帰るんだからね!」
「わかってるよ!何だよ、トキの奴、勝手に・・・」
なおもその男の子はぶつぶつともらしながら、足下の小石を蹴って駆けていった。あっという間に賑やかだった玄関先に、もとの静けさが戻ってくる。
「・・・ふう」
ぼうっと突っ立っていたつぐみは、キニスンが急に振り向いたことで我に返って硬直した。当然顔を上げた少年と目が合う。
「ええと、ツグミ?」
「・・・ハイ。」
こくりと頷いて、何を言うべきか困ってしまって、結局気になっていたことを口に上らせる。
「だるまさんがころんだ?」
「ああ、うん、ツグミはやはり知ってる?トキの世界の遊びね」
つぐみの世界の遊びにもある。同じ名前のものが。頷いて。
「たぶん同じ世界のひとだよね。ふたりは」
キニスンは、きれいな顔立ちがいっそう輝くような笑顔になる。
「トキさん?」
「そう、ハヤカワトキ。おれより少し年上の男で、大祭前まではここで暮らしてたね」
つぐみは思わず目を見開いて、キニスンの顔を凝視してしまっていた。初耳だ。
同じ世界の、同じように喚ばれた日本の子が、いたんだ。
つぐみのために改めて喚ばれることになった少年の存在を、周りの大人達が伏せていたのも当然のことだった。あえて気に病むようなことを言う必要はない。
結局ふたりが会うことはなかったのだから。
「けれど少し前、準備が整ったのでもとの世界に帰れるようになったんだね。だからもういない」
キニスンもそれを察してはいたけれど、屈託無く話に上らせる。本題は避けるけど。
「かえれる、ウン、よかっタ・・・」
そのトキさんもいろいろ大変だっただろうけど、彼は無事帰ることが出来るらしい。ならばいつか自分も、という希望につながるものだ。
「みんな、トキさん、スキね?」
「うん、そう、トキは自覚無かったけどね、面倒見が良くて人気者だったね。おれも大好きだった」
にこにこと話してくれる少年の顔が、ふとかげる。
ここに向かう道中に、浮かべていたたぐいのものだ。
「たくさん遊んでもらってね、つきあいは長くなかったけど兄さんみたいだった。さみしいね」
「そう・・・ウン」
自分のことのように思って、こくりと頷く。
ゆっくりと歩き出したキニスンが手招くのでついていく。家をぐるっと回っていくとかなりスペースのある庭が広がっていて、これも手作りと思われるベンチがあった。
キニスンがぴょんと勢いよく座る。隣をぽんぽんと叩かれて座った。
近くで見ると改めて、つぐみよりも幼い顔立ち、女の子のような甘さが残っている。きれいで、かわいいという印象の男の子だ。
「そういえば前にも聞いたけどね、アニエスにフェドレドで助けられたのだったかね」
「うん」
いきなり話が変わったので驚いたが、こちらが訊きたかった本題になるのだと思った。
少し、体がこわばってしまう。あのときのノースゼネ・カーロとアニエスの様子を思い出すのは。
「ア、アニエスちゃん。元気、あっタ?おわかれのとキ、たいへん?」
文法がうまくまとめられずに焦る。未だに長く喋ろうとすると難しい。
アニエスと別れてしまったときの様子があまりにも普通ではなかったので、ずっと心配だったのだ。
「ああ、もしかしてあのときかね・・・」
思い当たってキニスンの目がぱっと開くが、すぐに考え込むように口を閉ざし、
「アニエスになにがあったかわかる?」
真剣な眼差しで尋ねられる。わずかに緊迫感を覚えながら、頷いて、落ち着いて話そうとする。
「エト、キニスンくん、ノースゼネ・カーロ、わかる?」
「わかる」
答えの速さと、声の硬さにびくっと肩が震えてしまった。
わかるんだ。この子もあのひとを、あのひとの怖さを知っているんだ。
「うん、そうだったの。あいつと会ったんだね、アニエスは。ツグミも?」
ただ頷く。太陽のような笑顔を向けてくれていた子が、冬空のように表情を曇らせてしまった。
つぐみの戸惑いに気づいたのか、キニスンはまた笑って、無事でよかったねと冗談めかして告げる。つぐみの方は、動悸がなかなか収まりそうにない。
「そうか、それで。アニエスはトキと行ってよかったかもね」
「・・・あ、アニエスちゃんモ」
王都で別れたのは元々の住人からふたり。それがトキとアニエスのふたりだと気づいた。
ではキニスンは親しい姉と兄のようなふたりと離ればなれと言うことだ。ますます他人事とは思えなくなってきた。
つぐみは解っていたことだけど、キニスンは一緒に暮らしていた人たちとの別れだ。
「さみしいね」
「うん、そうだね。ふたりのことはあまり心配はしていないけどね」
小さく、しみじみと呟き合って、しばし沈黙が流れる。
「怪我はなかったかね、ツグミ。あいつと会ってアニエスが暴れないことはないと思うんだけどね」
少し、明るいけれど抑えた声音の問いかけがあって、つぐみは即座に首を振った。
キニスンは少しビックリしたようで。それはよかったと、やはり笑いかけてくれる。
「ありがとう。少しの間でもアニエスの側にいてくれて。おれがいてもきっと一緒になって怒ってしまうしかできないから、アニエスを無事に帰してくれてうれしいね」
カーロと対面して何事もなく、ふたりとも無傷だったのは確かに幸運だったけど。
心の方はそうはいかなかった。アニエスの様子を思い出してうつむく。
「アニエスはおれが守らなければいけないのにね。あいつはあのこの親の仇になる」
「!!」
つぐみは反射的に、キニスンの言葉を紡ぐ整った唇を塞いでいた。手のひらが唇にふれていて、慌てて離したけれど。
「イ、言っ・・・ダメ」
私なんかが聞いていいことではない、と必死に訴える眼差しを向けて首を振る。
キニスンは口を覆う手をそっと外して、きょとんとする。少しだけ年齢通りの印象が戻る。
「言ってはいけないかね?」
「ふ、ふたりのコト、大事。大事なコト。きくコト、できナイ、よ」
「聞いてはくれないかね?」
「・・・・・・」
上目遣いに見られてたじろぐ。なにもしてあげられない自分が聞いていい話ではないと思う。
でも、そうだ、つぐみもいずれいなくなる。そういうことで、誰かに話せば楽になることがあるのなら。
「わたし、きいていいノ?」
「普通は聞きたがるものだと思うけどね。ツグミは変わってる」
そんなことこそ無いと思う。間違いなく笑って話せることでもないだろう。
キニスンはそれをつぐみの了承と取って、ベンチに手足を伸ばして姿勢を正すことなくだらりと座る。
「アニエスは本当のおれの姉さんではないんだ」
「エエエ!??」
こんなに似てるのに。双子といわれても納得できそうなほどに。
さすがにこの告白には驚愕して目を瞠ってしまったつぐみの反応に満足したようで、キニスンはにっこりと笑う。けれどその笑顔はそこまでだった。
「血のつながりはあるけどね、アニエスはおれの姪と言うことになるのかな。年の離れた姉さんの子供」
そこで、彼がずっと姉と言ったひとを名前で呼んでいることに気がついた。先ほどはあの子とも言っていた。
「年も近いし確かにおれが下だから、姉弟みたいに育ったのは間違いないね。ただおれは叔父で男だから、守ってあげなきゃとは思ってた」
容易に思い描ける気がした。金髪碧眼のよく似た男の子と女の子、仲良く遊んでいる姿はきっと誰が見ても笑顔になってしまうくらい可愛かっただろう。
ヴァリアンは呪術ではちょっと知られた血筋だった。アニエスの母とキニスンは片親が違って、アニエスのところは特別だった。いわゆる直系という形で。
何かあるたびに頼られて、その実績もかなりのものだったけど、恨まれたりおとしいれようとする動きも絶えなかった。あの日もそれが引き金となった。
一族の暮らす街のすぐ側で火の災害が起こった。最初は火の不始末が原因の山火事と思われたが、自警団の手にも負えなくなりヴァリアン家も駆りだされた。アニエスの両親、下ふたりの兄もほとんど総出で対応に当たった。調べると呪術の炎が暴走していることが解った。小さいアニエスとキニスンだけが留守番だった。
「おれとアニエスは家族をそれで全員亡くした」
大まかなところをかいつまんで話したキニスンは、そこで一度息をついた。
つぐみの蒼白な顔に気づいて、それを和らげようとしてかキニスンは小さく笑う。わずかに申し訳なさの漂う顔。
本当は話したくないことのはずだと思った。止めた方がいいのでは。
言わせて欲しい、というかのように、固めすぎて白くなっていた手のひらを握られる。
キニスンの手も冷たく、震えている。いまつぐみに出来ることは、その手を握り返すことぐらいだった。
ヴァリアン家に私怨を持つものは多いが、真っ向から太刀打ちできるものは少なくいままで脅威と呼べるものはなかった。それを覆したのがノースゼネ・カーロだ。
彼は精巧で、入り組んだヴァリアン家の結界や警戒の包囲網をかいくぐり、呪術師の一族をほぼ壊滅に追い込んで見せたのだ。
彼自身の怨恨ではなく、他者に依頼されての凶行だった。供述はあったが証拠が不十分すぎて告訴も出来ない。そしてアニエスは彼が法に裁かれることをよしとはしないだろう。自らの手で裁くのだと、いまも瞳の奥の誓いは衰えていないようだ。
「・・・あいつは、見てた。燃える街の中に立って、苦しみながら火だるまになって死んでいく、おれたちの家族をただ、見てた」
それが忘れられない、とつげて、ずっと詰めていたのだろう、息を深く吐き出した。
「おはなし、終わり。うすきみ悪い話を、ごめんね」
笑いかけられてつぐみは反射的に首を振る。表情が、こわばったりしていないといいけど自信はない。
「思い出すのもこわいけど、時間が経つごとに忘れてしまう方がこわい」
話し終え脱力して伏せられる眼差しは、ひどく傷ついているように見えた。握る手にぎゅっと力を込めて、そうっと金の髪を撫でてみた。くるくると巻いていたアニエスと違ってさらさらとしている。
「ツグミはふしぎ。いっしょにいるとほっとする。トキと似てるけど、トキともちがうかんじがするね」
そんなことははじめて言われた。ほっとするだなんて。
胸の裡を吐き出すことで、少しでも助けになれたのならよかったが。ただつらいことを思い出させただけではなかっただろうかと不安にも駆られる。
「・・・もっと一緒にいて、いろいろ話したかったね」
うつむいて呟く言葉の向く先は、トキだろうか。それともなくしてしまった家族だろうか。
つぐみも少し、深呼吸して、こわばった声を出した。
「・・・わたし、も、いるヨ。おねえちゃん。ほんとうじゃ、ナイ」
キニスンの目がこちらを向く。それこそ、いいの?と伺うように。
つぐみは笑って頷いた。
「わたし、ちいさいとキ、すてられたノ。そうイウ子たちのお家、そだっタ。おとうさんとおかあさんになってくレタ、ソラチさん」
養護施設の先生に聞いた話。桜の咲く公園に3歳のつぐみはひとり置き去りにされていた。出生届も親と名乗る届け出もなく、警察とかに依頼すれば解るのだろうけど時期を逃して結局両親も判明しないまま。
「お家、おんなのこがイテ、ひばりちゃん。おねえちゃん」
小さかったのに、あのときのことはちゃんと覚えている。2年経って、5歳になっていた。
つぐみちゃん、つぐみちゃんね?あたしがきょうからあなたのおねえちゃんよ。
にこにこわらって、ひとつ年上のひばりは不審感と緊張でがちがちのつぐみの頬を包んで、そう宣言した。
「なかよくしてくレテ、やさしい、わたし、だいすきだっタ」
いまだって、それは変わらない、会えなくて胸が詰まるほど寂しいのは姉ただひとりだった。
「おとうさんと、おかあさん、は、ぎくしゃく、だっタノ」
養父と養母は、つぐみを引き取ったのも善意もあったのだが仕事の関係でという理由が主だったようだった。大きくなってから知った。
姉と物理的には分け隔て無く育ててくれたが、テストで頑張っても誉められなかった。ひばりよりいい点数だったから。それが三回続くと、つぐみは悪い点数を取るようにした。
表だってひどい待遇を受けたことはないが、本当の子じゃないという隔たりはぬぐい去れず、無関心とも取られる関係が続きいつまでもぎこちないままだった。
「おとうさん、おかあさん、とモ、もっと、なかよくなりタイ・・・」
もう遅いだろうか。間に合うだろうか。空知家に自分の本当の居場所はないと思ってきた。
18歳になれば、当たり前のように出て行くつもりだった。13年間の恩を、一生かけて返していくんだと。何のつながりもない子供をここまで育ててくれたのだから。
要らない子だという目で見られるのが恐ろしくて、びくびくと過ごしてきた。
ふたりと目を見て話したのはどれだけ前だろう。今更なんなんだ、とかえって煙たがれるだろうか。
けれどいまは、思うのだ。誰も傷つけたくないし傷ついて欲しくない。そして自分が傷つくのも、怖くて逃げていただけだ。
傷つくのも覚悟で、向き合うことが出来るだろうか。私を見てもらうことが、出来るだろうかと。
やり直したい。まだやり直しできるだろうかと、思うのだ。空知つぐみをもう一度。
「どうしよう、おと、おとうさんおかあさんニ、ホントウにきらわれテイたらどうしよう・・・」
とたん、涙が目元にこみ上げてきた。ぎょっとするキニスンを前に、慌てて拳で押さえつける。泣いてはだめ。困らせてはだめ。
でも、気づいてしまった。
つぐみはずっと、ふたりと仲良くなりたいと思っていたんだ。目を背けすぎていて、自分のことなのに知らなかった。
(すきだったんだ、私。おかあさんの作ってくれるホットケーキ。おとうさんの新聞をめくるおと。ほっとしてた)
私の家だった。どうしよう、あの家に、もう私の部屋がなかったら。
胸が苦しくて涙をこらえるために、息を止めっぱなしにしなきゃいけなかった。
「ツグミ。自分にうそはつけないね。あっ、と気がついたときにはなくした後で、よくあることだけどね、きっと自分をきらいになってしまう。簡単だからね、すこし正直になるがいいね」
大丈夫だよ、お前まだ生きてるんだから。
ふと過ぎったそれはアサの台詞だった。キニスンも勇気づけるように言ってくれる。
気持ちを正直に。口を開けば嗚咽になるから言葉に出来ない。
けれど、宿で尋ねられたときと違って、いまは胸一杯に湧いてくる。抱えきれず溢れそうな、願い。
(かえりたい、帰りたい、ひばりちゃんに会いたい。お父さんとお母さんの娘にちゃんとなりたい。いっぱい話したい、家族に会いたい)
つぐみのちいさな体に収まりきらない。本音。
まだあるんだ、どこまでも貪欲に、願いは尽きない。
(キリーと一緒にいたい。群青と、スクリーンと、みんなで。いろんなところをまた旅して、離れたくない)
本当の親の顔は覚えていないけど、つないでいた手を離された、その、母親だろうか、手の感触はあって。
夜の闇に取り残されて泣いて泣いて、寂しくてたまらなかった、捨てられたそれはつぐみのトラウマだ、色濃く根付く。
自分が駄目な子だったからという思いが拭えないままだった。実の親に捨てられるような自分はとても悪い子だから、必要以上に望んではいけない。
欲張れば、きっとまた捨てられてしまう。手を離されてしまう。
変わりたかったけれどその奥底は、3歳の時から少しも変わっていないのだ。私は欲しがってばかり。
(サザ)
気持ちを正直に。では、そうなのだろうか。
最初に出会った人だからなのか。自分でもちっとも解らない。
けれど彼は違うのだ、明確に、つぐみの心が求めてやまない。まっすぐに意識が向かってしまう。
じっと目を離さずに、危険はないか、異常はないかと見ていてくれた。仕事上のことだと解っていても、安心していた。そうだった。気がついた。
この世界で彼はつぐみの母親だった。父親でもいい。離ればなれが何より怖かった。
おいていかないで。どこかに行くのなら連れていって。
私も行く、あなたの行くところに一緒に行く。それが叶うなら、やっぱり泣くだろうけど他の願いを諦めても。
わたしにはあなたが必要です。誰よりも、側にいたいです。
(2009.3.12)