19  喜劇

 









 陽が次第に傾いてきていた。枯れ枝も多くなってきたが歩くのが困難なことにさほどの違いがあるとも思えない、茂みをかき分けて山道を歩く。
 先を行くカーロを追いかけていたエイギルは、その、ところどころ血に汚れ破れているローブの背がふらりと傾ぐのに驚いて同じく足を止めた。
「か、カーロ。やはり怪我を?一体だれがきみに傷を付けられるんだ」
 エイギルの声はひどく狼狽え、気遣うよりもカーロが負傷しているという事態に対しての動揺だった。
「・・・てめえも、派手にやったようだが」
 幹を支えに体を起こしたカーロに、橙の眼差しを向けられて震え上がる。一見舞台役者を張れそうな優男だが、睨まれると言いようもない圧倒感にすくみ上がってしまう。
「ええ?え、私かっ?あ、ああ、あのぐらいやっておかないと、主の計画を阻みに来られては邪魔だから・・・」
「見事に女子供だらけだったな」
「あ、ああ、けど誰も殺してはいないし。おかげで何とか楽に済んだ」
 まさか自分が媒介回収の現場に駆りだされるとは思っていなかったエイギルは、心底ほっとしたように息をついた。
 終わったら終わったで痛むらしい胃をさすっている。
 カーロは横目に青白い顔色の呪術師を見、視線を前方に戻して足を進める。
 エイギルに自分の意見というものはほぼ無いと言えた。あると言えばあるが、それは自分の立ち位置をあらされないための自己防衛心だけだ。
 だから職務を全うする。理解はしているはずだがほとんどなんの躊躇もなく主に従う。
 忠誠心ではなく常識に添う気概すらないためだ。女子供を痛めつける、それこそ非常識を正当化してしまう。
 実力の上から行くとカーロの非ではないが、能力はあるのになかなか家督を譲られない、出世の出来ない理由はこういうところにあった。
 誰かにおもねるのは確かに楽だろう。まあ、心労に耐えず悩まされてはいるようだが。
「おい、そこのハゲ。こいつを連れてさっさと転移しろ」
「はげ?え?こいつって・・・ええ!?」
 ようやく足を止めたと思ったら、意識のない少女が地面に直接横たわっていた。
 カーロに指し示され、状況が解らず狼狽えるエイギルだが。
「なに、この子?だれだ?」
「これが例の呪術媒介だ。急げ、来るぞ」
 淡々と告白された内容に、瞬時には理解が及ばずカーロの端正な横顔を凝視してしまう。
 カーロの視線は今しがた来た、あの家の方角に向けられており。
「じゅ!?えええええって、この子!?この娘?これが?」
「チッ、うるせえな早くしろ死にてえか!」
 盛大に舌を打たれて恫喝され、さらにたたきつけられた死、というフレーズにエイギルは全身ごと飛び上がる。
 意味は分からないが従うしかない。この恐ろしい若者にとって殺人など瞬きするぐらい労力無く、成し遂げてしまえるものなのだから。
 カーロの言葉をすっかり自分への殺意に変換して、エイギルは眠る少女を抱えると転移の呪を紡ぐ。
「・・・・・・いいか、なにがあろうがとっとと消えろ」
「・・・・・・!?」
 本人にしては精一杯に急いで呪を紡ぎ、それが後半にさしかかったところで突風が木々の茂みを駆け抜ける。
 なにか来る!
 影は一瞬で森を抜け目の前に姿を現した。
 エイギルは悲鳴を呑み込んで呪を紡ぎ続ける。ああ、と意識の端で思う。
(転移できる!でもカーロ・・・)
 飛び込んできたのは人間の男だった。手に携えた刃物が鈍い光を返して翻る。
 髪に隠れた顔から、その右目がこちらを見据えた。ゾッ、と死の淵をのぞき込むような心地をたたき込まれる。
(カーロだ。こいつもバケモノだ・・・!)
 その視界を振り切り逃げるように、転移の呪を発動させる。
 世界がぶれる寸前に、引き倒され剣を向けられるカーロの背を見た。





 呪術媒介の娘に代わって、今度はカーロが土臭い地面に背を着いて倒れていた。
 左手は追跡者の右手に押さえつけられ左手には右膝が乗っている。喉元には刀の切っ先が突きつけられ、有り体に言うとのしかかられ押し倒されているので身動きひとつ取れそうにない。
 さすがにこの状態で、己が死なずに呪を紡ぐのは無理だ。カーロは間近にある懐かしい顔を見上げた。
 何だかすさまじく久しぶりのような気がした。榛の髪も自分と同じ橙の瞳も変わらないのに、記憶にあるものとは別人のような男になっていた。
「ツグミは」
 真っ先に飛び出した名前に、思わず眉をしかめる。ああそうか、あの娘だ、媒介の名前が確かそんなのだったと思い当たる。
「そうかアレの護衛だったか」
「・・・・・・」
 サザの、無感情に揺るぎない眼差しは、よくよく見ると不安定な怒りが見え隠れしている。
 憎悪か、苦悩か、それともなにがしかの恐怖なのだろうか。
 カーロの上で口を閉ざす男が知りたいことなどたかが知れている。己が言いたいことも。
「俺の呪術だぞ、アレは。無貌むぼうの盾という、どんな強力な攻撃も受け付けない」
「・・・・・・」
 サザの目がすこし瞠られる。カーロは意識せずに口の端を上げて見せた。
「すべての生物の庇護欲も無条件に引き出す。魅了して、攻撃から護ろうという心理状態にする。虜にするまでに時間がかかったりザグルなんかにゃあ刺激が強すぎて混乱させたりもするようだが?最強の盾だろう、俺が紡いで作り上げたんだ。あの娘はただの容れ物に過ぎないが」
 剣の切っ先がカーロの喉元に迫る。命の危機に瀕しても、呪術師は口を閉ざさず気にした様子もない。
 サザがようやく知ったつぐみの呪術の本質には、確かに思い当たる節もいくつかあった。
「いかにも無力な小娘だ、なかなかお涙頂戴悲劇的なシナリオだな。いや、喜劇か」
「・・・・・・」
 ぐ、とさらに剣が迫る。サザの表情はカーロに比べると明らかに苦痛に歪んでいる。葛藤にあらがうように。
「だが安心しろ。お前のそれは呪術の作用じゃねえ。何度か試したが俺とお前にあの娘の呪術は効かない。ほらな――――喜劇だろ」
 ガスッ!
 サザは剣を突き立てた。切っ先はカーロの首筋に添うように地面を抉り、薄く裂けた皮膚から血の一筋が伝う。
「滑稽じゃねえ?どれだけお前が俺を殺してやりたくてもクソ女がそれを許さないとさ」
 カーロはいまだ体を拘束しているサザを押しのけて、半身を起こす。サザは見えない力に押し返されているかのように、じり、と身を引き、剣を引かざるを得ない。
「俺もお前に殺されてやりてえがな」
 たいして情感のこもっていない声で呟いて、カーロは自分の首筋を撫でる。手のひらについた血を、汚らわしいものを見るように一瞥して、自分のローブで擦ってぬぐい去る。
「あの小娘が知ったら、誰の好意も信じられなくなるんじゃねえか」
 カーロは一歩一歩とサザと向かい合ったまま後退して距離を取っていく。
「唯一真実の愛を抱いているのがお前だけだときた、サザ」
 市井で語り継がれる三流の恋愛物語じゃあるまいし。真実だの、偽物だの。
 ――――――虫酸が走る。
「愛しているんだろ」
「だまれ」
 不愉快きわまりない、といった声音はもはや隠しようもない感情で揺れている。
「人を愛して楽しいか、サザ」
 きつく、憎悪の炎すらにじませて警戒態勢を取っていたサザが、一瞬だけ気を取られたようにカーロを見やる。
「死にたくならないか。なあ、息をするごとに死んでいく心地がするだろ」
「―――――ネネ。」
 名を呼んで息をついた。ぽつりと零された言葉が妙に、サザの知る彼らしくなかった。
 どうしてそんなことを言うのか、問うのか、なぜかサザには解るのだ。解ってしまう。
 その感覚、思考の過程を思い描ける。それは不思議な共有だ。
「・・・楽しくなど無い」
 答えを返す。会話なんてはじめからするつもりはなかったのに。
「・・・・・・愛してなど無い」
 思いの外、声に力がこもらない。
 胸の奥の引き裂かれ焼き攣れるような痛みが、不可解でなんなのか分からないまま。
 こうやって姿も見ず触れずに、けれど危機にさらされていると知れば動かずいられない、それでも。
 愛してなどいない。特別な存在なんてない。
 そうか、そうか。認めてしまえば生きていけないのか。それだけは自覚できる。
 だからサザは首を振る。
「バケモノにひとを愛す資格なんざねえしな」
 カーロはなぜか笑って呟いた。サザがはっと気づいたほんの一瞬で、カーロの姿はかき消えた。


「・・・・・・」
 立ちつくし、カーロの血を吸った剣を拭って、サザは再び足を踏み出す。
 


 
 

   








「サザ」
 耳慣れない単語を確かめるように、言葉の通じない少女が名前をはじめて呼んだ。




「サザ、サザあっ」
 足をもつらせながら、はぐれないよう必死についてくる、目には涙をためて。




「サザ?」
 気まぐれに渡した果実を大事そうに両手で抱えて、嬉しそうに笑う。





 すぐに泣く。ひとのマントを掴んで離さない。すこし動いただけでも追ってくる。見るだけで泣く。なにかとすぐに怪我をする。物覚えはいい。手間を省こうと抱えてやると暴れる。次第に慣れたのかおとなしく抱えられる。あり得なく軽い。不愉快なくらい暖かい。脆い。




「あるク、いっしょ」
 一緒、という言葉を使う。




「サザ」
 俺の名前を呼んで笑う。

 

 


 



 いかないで。
 声の残響が、鳴り止まない。







 愛しているんだろう。

 

 

 






(―――――知るか)
 俺は知らない。
 知ってはいけない。だから一人で生きていける強さを求め続けていたのだ。
 これがそういうものならば、カーロの言うこともよくわかる。
 なるほど、生きているのもつらいとはそういうものか。
 けれど少女を置いて、危機を察して世を去ることも出来ない。生き地獄か、と思ってサザの口元に笑みが浮かんだ。歪んだ、自嘲だ。
 心を無くしてしまいたい。




 想う心がこれほど痛いなら、持っているのに死を思うほどならば、最初から要らなかった。
 心を持ち続ける限り、この世は地獄だ。 




 

 


















(2008.3.22)

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