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厚い雲に覆われた空は一筋の光すら射さず、今後の展開を不吉に暗示させるように感じ、群青の心にも重く影を落とした。
生国において情報収集能力を買われ外交家として、あくまで秘密裏にではあるが活動をしている彼が、同じくクォでもって能力を重宝されるのはたやすいことだった。
(エイギルさんのところに辿り着くまでは早かったんだがなあー)
その背景に至るのは、なかなか骨が折れた。なにせ情報があまりにもなさ過ぎたのだ。
落葉さえ今や踏み固められた地面には乏しく、もの悲しい山中をひた進む。
群青は首都フェドレドを抜けエニュイ・エルを目指す道中にいた。
城下での活動をいったん中止してでも、こちらの動きを調べてきてくれとのエイギルの命が下ったのだ。
距離的にキリーや、ことの黒幕とは離れることになるのだが、今回に限ってはありがたいことだった。
(うまくすればみんなと連絡が取れるし、それに)
サザの動向が気にかかっていた。
首都や城には、むしろ注意を払う必要はないように思う。こちらは大祭の熱気醒めやらぬ様子で、呪術関連の対応は遅いのだ。
そういった対処をになうのはもっぱら、呪術師協会本部をおく、大神殿そびえるエニュイ・エル側であった。
エニュイ・エルは、クォのほぼ中央にたゆたうカウクス湖のそば、東南にあり、関所を越えなければ入れない厳格な聖地としても有名だ。
フェドレドからは急ぎ北上して二日から三日の日程となる。
サザなら一日かからないんじゃねえかなあと苦笑を浮かべる。
久々の一人の道中は寂しさも募ったが、様々なことに思いを馳せるいい時間となった。
心情的なことはさておいて、今回のことを整理してみる。おそらく群青は誰よりも多くを把握していると自負している。
まずエイギルと、彼の仕える主が異世界から呪術媒介を招いた。目的は定かではないが世界規模の混乱を呼ぶような古代の禁呪だ。
これを喚んだのは十中八九、エイギルと違って傭兵として雇われたノースゼネ・カーロである。
そして媒介として喚ばれたのがおそらくつぐみ、なのだと思う。
いち早くその呪術の出現に気づいた呪術師協会は、詳しい事態の把握に難航したものの重く見て調査を開始。アスラン・ホーグ・ヨーグに協力を依頼する。
ここからシクおよびえのぐり茸の面々も対策の人員として組み込まれている。
ちなみに群青はいつも通りに訪れたところ、偶然と言っていい幸運でエイギルに当たった。
エイギルは何も知らず群青を雇い、人を集める指示を出したものと思われる。
アスランは禁呪の性質から対抗策として同じ世界の媒介を召還。それがひとと知るやいなや一度、これ以上の関わりを拒否して手を引いてしまった。
(そして、トキが来た)
以後、えのぐり茸の家で保護されることになったのだ。
エイギルから依頼を受けてすぐ、つぐみの保護を第一にと群青は動いてきた。
カーロの手に渡るにしろ、協会の手に渡るにしろ、人道的処置はあまり望めないと思った。この国は良くも悪くも呪術の虜だ。
何しろ現れたのがやはり、あどけなささえ残す少女だったものだから。
(助けてあげなくちゃと思うよな、やっぱり)
果たして群青は、シクと書簡のやりとりを交わしつつ少年少女の保護を目的として動いてきたのだ。
どの組織にも明らかになってはいけない。他のものならば違ったと思うのは卑怯かも知れないが、彼らはどちらも健全で素直な子供だった。
けっきょく隠しきれるものでもなく、こうして協会の方には感づかれ余計な手間がかかっているのだが。
カーロほどではないにしろ、呪術師協会および所属の呪術師というのも厄介には違いなく、朝もつぐみも渡せない、危険な目にさらすわけに行かない。
もちろん、この国においてその組織が必要なことも十分に承知しているが。
(サザはそれをわかってて妨害してるのか、ただの偶然か)
ここのところ呪術師協会が調査に乗り出したが、すべて中止せざるを得ない状況に終わってると情報が入ってきていた。
どう考えても榛色の髪を持つ剣士の姿しか浮かばない。ほほえましいことだが、果たして。
群青は我ながらのんきな思考を保ち続ける現状に苦笑を浮かべながら、人の目を避けて山中を歩き続けた。
スクリーンも今はいない。ずっとつぐみの側に置いていたが、色鮮やかで目立ちすぎる彼はどうにも隠密に向かない。今はえのぐり茸の家に向かわせていた。
群青自身も目立つ色合いの容貌と長い手足を持てあましている。一度見かければなかなか忘れられないだろう。
こんな自分を秘密の外交官として重用している自国( に、やはり何度となく呆れてしまう。
けれど不思議なことに、どの国でも群青は不審がられることも少なく信頼を、情報を得てきた。こういう役職は印象の薄い者の方が本来向いているのだろうけど。
今回も呪術師協会をうまく牽制できる情報がつかめるといい。
そしてサザの行方もわかればなおいいのだけど。
さらにしばらく歩いていると関所にたどり着いた。
国教でもあるディオラの紋章が掲げられた門扉はいかにも聖地らしく、間違いようがなかった。
近寄れば当然のごとく衛兵が常備待機しており、群青も呼び止められ身分を質される。
「…はい、結構。フェドレドから来られたんですか。大祭はいかがでしたか?」
証明書の身分の明らかさに、顔をまじまじと眺められるが慣れたもので笑顔を返す。
せいぜい鈍感な旅人を装い世間話に答えておいた。
「ああ、賑やかだったよ。試合も白熱していた」
と、顔をしかめて立っていた隣の衛兵が、わずかに顔をゆるめて会話に加わる。
「ところでお兄さんはこちらに来る途中危ない目に遭いませんでしたか?最近山中じゃあ不審者が出るって話でね」
「不審者?知らないなあどんな?」
群青が顔をしかめ怯えた様子で訊き返すと、衛兵達は弾かれたように説明を続けてくれる。
「なんでも呪術師協会の研究者がさ、調査のため歩いていたら次々と襲われて怪我して帰ってくるんですよ。あんまりにも被害者が続くんで、いまじゃあエニュイ・エルからよそへ出かけようって人間が減っている」
「やられたのは呪術師ばかりって話ですけどね、ディオラの呪いなんじゃねえかって。勤勉な研究者ばかりなのになあ」
ともかく町を出ようとする者は怪我を負い、引き返す目に遭う。
何か金品を奪われたとか死者を出すほどの被害は出てはいないが、襲撃者の正体もいまだ知れずとにかく恐ろしい。
こんな状態がもう十日ほど続いているというのだ。
「俺たち衛兵や自警団も組んで調査というか、山狩りもしたんですけどね、怪しいものは何もないし。あくまで町を出ようとする奴にだけ被害が出る」
「…もしかして俺、来なきゃいいときに来たかな」
「もう遅いんじゃないですかね、ほい、このパスで十五日は滞在可能ですよ」
苦笑して呟くと、からかうように衛兵達は揃って笑う。
彼らはきっとずっとここに駐在の身であるから、そこまで恐慌を来してはいないのかも知れない。
「んー、今はまだいいだろうけど、あんまり続くと流通やなんかに支障が出るだろ?」
当たり前とも言える心配を、なぜよそ者の群青がしているのかは疑問だが、思わず口をついて出た。
そうすると衛兵達は顔を見合わせて、声を揃えて答えるのだ。
「大丈夫ですよ、俺らにはディオラの護りがありますからね」
「何とかなります」
認識上の、あまりの危機感のなさに顔に出さずに脱力してしまいそうになった。
これがエニュイ・エル。いや、クォにおける信仰のつよさの表れだ。
呪術師以外のクォ国民の多くが、何かあってもディオラの護りが、この国に根付く呪術のちからがよき方へ導いてくれると思っている。
自ら扱う呪術師だけが、そんなにうまく事が運ばないと真実を把握している。けれどその事実は蔓延しない。
ここエニュイ・エルが秘匿しているからだ。とはいえ暗黙の了解、というヤツである。
すべてを明かさずにおく方が、人心を掌握するにはやすいということでもある。
(何かが起こってもディオラの怒りとか、ディオラの施しとか理由付けがしやすいんだよなあ)
確かにわかりやすいけれど、いつもこの神殿を有する町にはもやもやとした居心地の悪さを感じてしまう群青だった。
ここまで来た甲斐はあったと実感しながら、どこから回ろうかと白を基調とする町並みのただ中で思案しはじめた矢先、
「あ」
「おっ?」
やはりこんな土地でも顔を隠せず歩けるらしい、アスラン・ホーグ・ヨーグの顔を見つけた。
あちらも群青に気がついたようで、大股に近づいてくる。
これまでの状況と、様々な思惑を一瞬で整理すると、群青は自分の一番の懸念を口に上らせた。
「トキは?ツグミはどうしてる?」
「そっちこそ特に表立った動きはねえか」
即座に疑問を返され、アスランが何を求めこの地にいるのかを把握しようとするが、いや今は正確な情報が必要だった。
「まずお互いの話を順を追って聞くのが先じゃないか。スクリーンをずっと王都に寄せないようにしていたし」
「お、おう。あの鳥な。いろいろ役に立ってくれた。賢いヤツだな」
「そうだね。とりあえずここではいろいろとアレだ」
ふたりとも場慣れたもので、道行く通行人に不審に思われぬよう話の内容とはかけ離れた、朗らかな表情で頷きあう。
まるで偶然再会した知人と楽しく会話する、ありふれた光景を作り出している。
そのまま踵を返すと、町並みからはずれた通りに入っていく。この街ではどこから誰の耳にはいるのか、警戒してもしたり無いほどだった。
とにかく、群青の聞いている話ではアスランは朝( を連れ、彼をもとの世界に帰すように動いているはずだった。とき )
そしてつぐみはシク達と、えのぐり茸の家で今後の展開を考えながらもエイギル達の動きを警戒しているはずで。
「俺が王都を出たのは四日前だ。それまでは特に何も…」
「じゃあええと、キリーか。あいつのほうはもっと把握してるかも知れねえな。ちょうど五日前だ。シク達んとこに呪術師連中がやってきてツグミを連れてっちまった」
群青は黙ってアスランの神妙な顔を見つめた。
「まあそのごたごたに乗じてっていやあアレだがよ、トキは無事帰してやれた」
頷いて、他のみんなのことを尋ねようとした群青は口を閉ざした。顔を見ればわかるというものだ。
「ひとりも死んじゃいねえから、心配すんな」
「心配はするけど、わかった」
そのやりとりだけで話は終わる。いま急いで話さなければいけないのは、一刻をも争うツグミの身上だ。
「で、イスパル達の話に寄るとよ。他にも呪術師協会からの依頼らしい傭兵までやってきてたって聞いてな、もしや調査に進展があったんじゃねえかってんで、ここまで来たワケよ」
「ツグミの呪術?」
軽く頷いたアスランが、ふところから厚い紙束を取り出したのを見て、群青は思わず目を瞠った。
「それ、まさか」
「パチってきちまった。」
クォ国呪術の粋を集めた機関の、厳重に厳重を重ねた警備をかいくぐるなど、アスランには造作もないということだろうか。
それともかつては籍を置いた勝手を知ったる上での、大胆不敵な手口だろうか。
この分ではこの街での滞在は早く切り上げた方が賢明である。というか、未だに騒がれていないらしい町の様子が不気味だ。
「俺もツグミの呪術は直接見たが、それでも十分じゃねえからな。ただ違和感があったんだ。もしかすっと…」
話の内容が内容なので、あたりに気を配りながらも聴覚に神経を集中させていた群青は、ただアスランの背を追っていたので行く先を目の当たりにしてぎょっと目を瞠った。
「アスッ…」
「なにしてんだ、さっさとしやがれ見つかっちまう」
呼び止める声を呑み込んで、さすがに脱力して苦笑を浮かべる。
町を囲う外壁に腕を突っ込み、そのまま通過していくアスランに続き、群青も誰に悟られることなく町を抜けた。
壁を越えればすぐに足場の整えられていない山道に出たが、構わずアスランが歩くので群青もそれに続く。
「で、俺が取ってきたのがツグミの呪術の記録なワケだが、どうにも、俺はやっちまったらしい」
「…やっちまった?」
「俺が、脅威の呪術と認定して観測した呪術は、ツグミじゃなかったみてーなんだ」
群青の足が思わず止まった。
「もうひとつ、あるみてえだぜ。異世界の呪術媒介が」
さすがにアスランの声の調子は変わっているが、その背からは表情は伺えない。
「どうしたもんかねえ」
台詞は間抜けだが、さすがにその声は緊張を帯びている。群青は急いで今までの考えを組み立て直さねばならなかった。
「つまり、異世界の呪術はこのクォにみっつあったと言うことか」
「そうなんだよ。トキを喚んだ指針はツグミじゃねーんだ、もうひとつのヤツだった」
それがひとつの違和感。
「もっと早くに気づくべきだった。詳細は読み取れなかったがツグミに施された呪術はどう見たって破壊の呪じゃねえんだ。確かにその威力は恐ろしいと思うが、大地を焼きひとの命を奪うたぐいじゃなかった」
あんまりにも乱雑に刻まれすぎていたツグミの呪術は、どこかおざなりにも感じたほどだった。
「ツグミを喚んだのは…?」
「それはカーロに違いねえ。ツグミは、そうだな、先に喚んだヤツの補助的な意味でついでに喚ばれたんじゃねえかと思う」
「ついで」
言葉にしてそれを頭に浸透させると、冷静な対応なんて吹き飛ぶのをおそれて、群青は自らの髪をかき乱して気を散らせた。
「トキとツグミが側に寄るとイヤーな気にさせられたのも無理ねえな。ツグミに取っちゃ、トキの持つそれは呼び出された呪術の脅威なんだ。反発もしあうわな」
今それに気づいたところで、本来の対抗策であった朝をもとの世界に帰してしまったので意味はないのだが。
「が、もう二度と喚ばねえ」
群青には相変わらず背を向けたまま、アスランの声は低かった。
そもそも最初から間違っていた。この世界の歪みを、脅威を、なぜ他の世界のものにゆだねて助力を請わねばならないのだろう。
どんな世界の窮地に陥ろうとも、この世界のものが対処すべきだ。
何をやっても解決できないのであれば、滅びるべきだ。
いや、滅びることになったとしても、他の世界を関わらせるのは理に合わないことだった。
知れば欲しくなる。試したくなる。
方法があるならば、どんな手を使っても目にしてみたくなる。
呪術に限らずともひとはそのたぐいの欲求から目を逸らし続けることは出来ない。
良いものをより良いものをと望む。それが呪術であれば他の人よりも多くを叶えられる。
アスランだって呪術師である。自制も知っていたが利便性を優先することはもちろんあった。
けれど彼は、朝と出会い、話をして、心に触れてしまった。
つぐみに出会い、自分を差し置いてでも気遣う優しさを見ていた。
あんなものと出会ってしまったら、誰だってなけなしの優しさを奮い立たされるというものだろう。
一粒の言い訳を自分たちに許すなら、喚ばれたのがあの子達でよかったと、皮肉にも思う。
「とりあえずよ、カーロぶち倒してやろうかと思ってよ」
ようやく振り返ったアスランの瞳は凪いだように静かだった。
それだけに底冷えのする思いになって、群青は何とか笑い返す。
「どうするんだ?」
「サザを引っ張り出す。あいつは戦力になるし、カーロの弱点もわかるかも知れねえ」
サザーロッド・リビットとノースゼネ・カーロの関係について、群青は知らないまでも肌で感じ取ることがあった。
かたや剣を使う、かたや呪術に長けるという差はあるが、どちらも若年ながら出るところに出れば名の知れた凄腕の傭兵だ。
ただの凄腕ならいいが、彼らの実力はひとの域を超えているともっぱらの話だった。誇張だと思っていたが目にすると信じざるを得ない。それはまるで。
「あいつらは呪憑きじゃねえかと思う」
「……」
群青は無言で同意を示した。
群青達フェイの民の、生まれながらに宿す呪のことを一般的に「呪い持ち」と言う。
そのまんまであるが、あまり悪い印象のない呪いを恒常的に身に宿し、心身に異常を来すことなく普通に暮らしていけるひとのことだ。
のろい持ち、ともまじない持ち、とも言われるがこれは本人や周りの認識の違いで、扱いはほとんど一緒だ。
それに対して「呪い憑き」「呪憑き」は悪意や明確な意志でもって呪いを科せられたひとのことを言う。
病であったり災難にあったとき。害意のある呪術にさらされそれが解消されないままだと呪いに「取り憑かれて」いる状況といえるのだ。
他にも、何かと引き替えに威力の倍加を図るものもあった。
呪術師は基本的に、自らの精神力や甚大な集中力を犠牲にして呪術を行使している。
それを他のものでも補えば、さらなる効果向上が期待できる。
古代史では兵器呪術の行使に百人の生娘の生き血を捧げただとか、生け贄などの血なまぐさい記録も残されている。しかも眉唾ではないらしい効果を得ている。
何かを犠牲に、呪力を得るのはこの世界において常識だった。
ただ人道的ではないとして、決められた機関や環境以外での使用は基本的に禁止されている。
「どういう経緯で、どこのどんなヤツが術者かはしらねえけど、アレは呪憑きだろう。俺にもほとんど読めねえぐらいの」
アスランは一度看病をしたことがあるが、サザの身体は普通と変わりなかった。どこかに呪術の痕跡があるようにも見えなかった。
なのにあの身体能力と自己治癒力の高さ。尋常ではない術が施されているとしか説明の付けようがない。
「ってえことは、奴らはそうとうに辛いモンを犠牲に力を得たに違いねえぜ」
こうなってしまったからには、サザもネネも野放しにはしておけないだろう。
そうでなくても、首根っこを捕まえて説教をしてやりたくらいの憤りが、アスランの腹の中で暴れ回っていた。
「ツグミが今頃待ってんだ。サザの首に縄付けてでも引きずり出してやらあ」
「是非、協力させてくれ」
群青は笑ってアスランに続いた。
つぐみのことで、サザの方も辛い思いをしているのも知っていた。
その理由が呪憑きにあるとしても、どれだけの事情があるにしても、もう目を逸らすことを許さない気になる。
そんなことを言っている場合ではないだろう、と。
なにせ相手はあのサザだ。捜索は難航を極めるのではという群青の危惧を、アスランはあっさり破ってしまった。
ちからある者は天運であるとか妙に勘が働くとか、天恵に恵まれ物事を思うとおりに進められる傾向にあると言うが、あながち間違いではないと思わされる。
何よりも今は、アスラン・ヨーグが非常にやる気である。それが最たる結果を生んだようであるが。
サザはアスラン達が近づいているのに気づいたのか、乾いた木々を縫うように自ら姿を現した。
「サザ」
無事を確信していたが、久々に顔を合わせて、まず群青の胸に湧いたのは単純な安堵だ。
よく見ると衣類はところどころ泥や土埃に汚れ、まともに身支度も調えていないのだろう。怪我などはないようだが、接近を一瞬ためらうような風采だった。
「なんだ、すっかり山伏じゃねえか」
「山伏!?」
アスランが揶揄するような声をかけて笑うが、サザはもちろん群青も笑えない。
外見のこともそうだろうが、確かに今のサザは山賊と間違われてもおかしくは無さそうだった。所業は当然、そして身に纏うものに覇気というのが感じられない。
暴虐性をも感じられないだけましかも知れないが、むしろそのほうが問題なのかも知れない。
「もうこんなことやめな、サザ」
アスランの問いかけに、わずかにサザの瞳が向く。
以前までは常に、常に強い眼差しで睨み据えてきたというのに、ずいぶんと衰えた気のする眼差しに群青はかすかに痛みを覚える。
「お前にとっちゃ、どんな方法でもツグミを護りてえって思ってのことだろうが、今はほとんど意味ねえことだ。やめておけ」
「サザ、ツグミがカーロに。王都の術師に連れ去られたんだ」
アスランに続いて群青も声を上げた。サザはわずかに首を傾け、静かに答える。
「知っている」
ひどくかすれた、風邪を引いているような声だ。
「知っているって、じゃあどうして…」
反射的に問いつめようとする群青を、アスランが腕で制した。
「お前らはなんの呪憑きだ?やる気ねえっつうなら無理強いはしねえ。お前無しで行くわ。けどよ、サザ。こいつは答えてもらうぜ」
不穏な気配があたりに渦巻き、脅迫めいた声のつよさに息を呑む。
いや、脅迫している。力づくでも吐かせるつもりだ。
「……」
しばしアスランの眼差しを受け止めて、サザはひとつだけ瞬きをした。
再度目を開いたとき、もともと彼の持つ気迫のつよさを取り戻したように思われて群青はどきりとした。
「俺と、ネネは、幼いとき呪いを受けた」
サザは口数の少なさはそのまま、静かに端的に告げた。
「それが何だったのか今でも解らない。あるいはネネならば知っているんだろうが」
「それ」は、ひとを超える力を授けるかわりに、こども達に呪いを科していった。
「で、その呪いってのは何だ?本当に何も解らねえってことはないだろう」
「……」
サザは答えず、しばしアスランと視線を交差させていたがとたん背を向けて歩き出した。
「サザ!待ってくれ」
本気で彼に走られては今度こそ追う手だてはない。アスランに先んじて群青は駆け足でサザを呼び止める。
「その事はいい、とりあえず。しかし一刻を争うんだ。何か、ネネの隙をつく手だてや情報はないか」
なにも言わずとも、複雑な事情があって口を閉ざしていると言うよりも、サザはネネを庇っているように感じられた。
それを承知で、けれども教えてもらえることはないかと食い下がる。
サザだって、ツグミが危ない目に遭うことは望まないはずなのだから。
「――――ネネもひとだ。刺し貫けば死ぬ」
ふいに、ぽつりとサザが呟いた。
刺したくらいではぴんぴんしていそうなサザが言うと何だか信憑性が薄れるが、おそらくノースゼネ・カーロは呪術行使に能力が特化している分肉体は強固ではないと言うことなのだろう。
「…ツグミは誰からも護られる盾の呪術だ」
「そうなの!?」
「無貌( の盾、か」むぼう )
群青の驚愕にやや遅れて、何かに思い当たったようにアスランが呟いた。
つぐみに刻まれた呪術はどうやらそのような名称らしい。その説明はあとで詳しく聞くとしよう。
ネネは、いざという護りのためにつぐみを喚んだらしい。つまり、つぐみを盾にされればどんな強力な武器を備えていてもネネまで攻撃が届かないと言うことだ(と、サザの端的な台詞から群青は推理した)。
「じゃあ先に、ツグミを助けるなりしてカーロから離す必要がある――――」
群青が結論を口に上らせるより早くにサザの足取りは速くなり、あっという間もなく高い崖を飛び降りて下の窪地まで駆け下りてしまう。
とてもではないがこれ以上は追えない。慌てて遠ざかる背に声を張り上げた。
「サザ!ツグミを迎えに行って!すぐに聞き分けてしまう子だけど、あの子はずっと君を待ってる!!」
――――――留守をたったひとりで守る子供のように。
俺ではだめだ。他の誰でもだめだ。きっとだれを迎えても笑ってありがとうと礼を言うのだろうけど。
群青が望むような心からの笑顔ではないだろう。ほんとうにうれしいのは。
(本当は嫌われてなんか無かったんだと、知ることじゃないのか)
誰かに必要だと思われている。その、確信。欲しいのはきっとそうだと思った。
「……ッ!」
群青は堅い幹にきつく握った拳をたたきつけ、あとから歩いてくるアスランを振り返り再び合流する。もうすでにいつもの笑顔を取り戻している。
「行ってしまった」
「まあ今更素直になるとは期待してなかったが。あいつも難儀だな、まあ、良いことを聞いた。うまくいくかは解らんがね」
「ツグミの呪術のことか」
「ああ。カーロが今までなんかやらかさなかったのはツグミの呪術が必要不可欠だったからだろう。他にもいろいろあるかも知れねえが。ラシード、さっきお前が言ったとおりだ」
アスランの顔を見据え、瞬時に理解する。まあ、早合点は出来ないけども。
「ツグミを先にカーロから引き離す――――」
「そうだ。どっちにしろ嬢ちゃんを盾にされたまんまじゃ仕掛けようもないわけだが」
それもそうだった。ただでさえ親しくなり今この状況で居ても立ってもいられないのに、人質にでもされたら、呪術効果が無くても群青達に手出しなど出来るはずもない。
もしやそれすらも、すぐにツグミを回収せずに泳がせた狙いだったのか、と思うが考え過ぎかも知れない。
(それが、ノースゼネ・カーロに付け入る隙って言うことか)
結論としては単純なことであるが、気の進まないことではあった。
「おう、ラシード。気が進まねえか」
「正直に言うとね。でもツグミを無事に助けるためなら出来るよ」
誰かの犠牲を知っても、自分の大事な人を優先する。
群青はいつも迷い無くエゴを行使できる。
(そりゃあ、みんな無事なのがいいんだろうけど)
サザはネネを庇っていた。そんな風に感じた。
好悪はともかくとして浅からぬ付き合いがあったのだろう。
――――――サザはツグミをとても大切に思っている。
よく似た境遇のふたり。
ネネが大切にするひとも。ネネを大切に思うひとも。
――――――きっといるのだろうなと解っている。
考えなくてもいいことを考えた。
直そうとは特に思わないまでも、昔からの群青の悪い癖だった。
(2009.6.15)