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この手紙を読む頃には、私はもう死んでいるか、少なくともみんなと笑い話すことは出来ない状況にあるでしょう。
危険な目に遭うであろうみんなに、予測が出来ているにもかかわらず何も出来ないことが気がかりでなりません。
だから、この手紙を残します。
どうか、少しでもみんなの役に立てますように。
ノースゼネ・カーロと、サザーロッド・リビットと呼ばれるふたりの青年のことを、傭兵として有名になる以前から、私は知っていました。
彼らは、とても残酷で強力な呪術に冒されている。
だからこそ得られたその力が、ひどく悪用されないかを警戒してきたのです。
けれどことは起こってしまった。ジョーに調べてもらっても子細は不明のままでしたが、今まで力にたいして興味を示さなかったネネが、どうして今回のような行動に出たのかがわからないのです。
そのきっかけだけでもわかれば解決策が得られるようにも思うのですが。
―――――何しろ正攻法ではまず敵うはずがないほどの実力者です。
私はネネに戦いを挑むつもりです。
もし私に何かあったとき、側に黒色の長い棒があるかと思います。これはネネのような術者にとても有効な武器なので、どうか使ってください。
勝手なことをして、ごめんなさい。けれどみんなは、私がいなくてももう十分にひとりで考えて歩いていける大人ですね?
ですからあとのことは、お任せしたいと思います。
みんなの判断を、信じています。
愛する家族へ
―――――――――シャーロット・クラリティ・ターナー
そんな名前だなんて、知らなかった。
読み終えた手紙を元の通りに折りたたんで、アニエスは知れず息を吐いた。
アニエスだって、今ほどの名の知れていなかったノースゼネ・カーロを知っている。
これからも忘れることはないだろう、脳裏に刻まれた名と、顔立ち。
その彼の思惑なんて知るものか。どんな思いを抱いていようが、彼がアニエスとキニスンの家族を奪ったのに違いはないのだから。
(………)
それだけではない。彼がいなければえのぐり茸のみんなが傷を負うことも、朝と出会うことも――――別れを経ることも、無かったのではないかと思ってしまう。
手紙を持つ手が震え、危うくくしゃくしゃにしてしまうところだったと気付いて力を緩める。
青白い顔色はどうしようもないまま、ただ手紙の後半には頷く。
(ええ、ちゃんとやるわ、シク)
――――――傷つくのは私たちだけで終わらせなくては。
「…アニエス、どうした?」
「!」
声をかけられてようやく、奥の間から知った顔がのぞき込んでいることに気がついた。
よほど周りが見えていなかったのだと思い知って、ひどく動揺する。
「ジョー」
膝をかがめてのぞき込む、紫のいろがいたわりに満ちている。
溺愛する実の弟妹たちのような扱いで、群青( はアニエスたちのこともかわいがるので、彼のことが苦手だった。
「顔色が悪い…シクの手紙、読んだのか」
「ええ」
そんなことを指摘されるのすら歯がゆく感じる。アニエスは顔を背けたが、視線が追ってきているのは見ずともわかった。
「今、みんなのこと見舞ってきたけど、やっぱり俺とアスランと三人で行くことになりそうだ。いけるか」
どうしてそんなことを訊かねばならないのかわからない。
「あなたこそ、どうなの」
「どうって?」
「このまま放っておけば、うまくいけばこの国は転覆するのではないの。それなのにこちらにつくの?」
一息にそういって、アニエスは頬に血が上るのを感じた。いつもの嫌味ではきかない、侮辱を口にしたと思ったのだ。
「そうだなあ―――俺は」
けれどわずかの間を置いて返された群青の声は、どこかのんびりしたものだ。
「みんなが幸せなほうがいいんじゃね、と思うよ。」
たぶん俺の上司もそう、と言い添える。
髪に隠れるようにしてちらりと伺うと、いつも通り、群青は笑顔を浮かべている。見る者を安堵させる笑顔だ。
「………」
そうね、私もそう。誰だってそう。幸せな方がいいに決まってる。
「幸せってなにかしら」
ぽつり、と独白のように零された呟きに、群青は首をかしげた。
「私の幸せは全部呪術師に壊されたわ」
思い出すだけで胃の腑がひっくり返り、あのときの情景に目眩が起きそうになる。
けれど、何なのだろう、と。アニエスはよく解らなくなっていた。
カーロに抱くのは憎悪だろうか。そして無力だった自分へ対する。
再び家族を失うかも知れなかった今は。恐怖だろうか。思考の迷路に惑わされてまともな挙動すら怪しい。
わからない。わからなくなってしまったのだった。
――――朝をこの手で送り返したときから。
「不幸な人が幸せになっちゃいけないってことはない。それはおぼえておいてな?」
頭を両手で、ゆっくりと撫でられていた。うつむいていたアニエスは、髪に隠した顔をふいにゆがめる。
泣きそうだ、泣いてしまいそうだ。キニスンの前でもないのに。
「何をしたらいいかわからないの」
「うん、だよな」
何だか生まれて初めて心の声を口に出したような気がした。そんなわけがないのに。
群青は、うつむいたままじっと硬直したように押し黙る少女の頭をもう少しだけなで続けた。
群青に変わり、アニエスは最後にみんなの顔を見に行った。
イスパルは眠っていたがその顔色は当初と比べると赤みが差すようになったと思う。
シクは相変わらず峠を越えはしたが予断を許せない状態にあって、意識はまだ戻らない。
カノアは近づくとうっすらとまぶたを開いた。
何かを言いたそうな眼差しに、近寄って耳を寄せる。
「預けたの…、持って行って、ツグミを……」
声は断片的なものにしかならずに、けれど伸ばされた手のひらから何か渡されて受け取る。
光沢のない、金属のちいさな円盤だ。鎖を通して首飾りに仕立ててある。
「場所…わかるわ、それで……」
アニエスは頷いた。さすがにカノア、抜け目のないことだが、かろうじて言葉を紡ぐ様を見ていると今はただ休ませてやりたいと思う。
カノアは目元を緩ませて、再びまぶたを閉ざした。
アニエスは受け取った首飾りを大事に懐にしまうと、仕切りの向こうをのぞき込んだ。
ベッドの上でキニスンが身体を起こしていて、その側でミーシャはうつぶせて眠っていた。
(しいーっ)
アニエスに気がついたキニスンが、仕草で促してくる。
「……」
(いってくるわね)
唇を動かして、そういった。何の根拠もなく、彼には伝わるだろうと思っている。
キニスンは数秒だけ悲しそうに眉尻を下げた。けれどすぐに持ち直したように、頷いてみせる。
(おとなしくまってる)
アニエスは頷いた。
素直に聞き分けてくれたことに感謝し、安堵できた。
けれど続けて動くキニスンの口元に、反応に窮して身体をこわばらせてしまう。
(アニエスは、だれにたよってもいい)
――――――そんなこと。
(どうか、ひとりでがんばらないで)
――――――無理よ、だって。
なんて答えていいかわからなかった。ただ、むりやり笑顔のような表情を作って―――出来たろうか―――逃げるように病室をあとにした。
助けてなんて、アニエスは誰にも言えない。
「準備は出来たか」
オセーネの街門の側に群青は来ていた。その背には大きく色鮮やかな鳥を載せて。
彼の愛鳥とも言えるスクリーンだ。今しがた王都からの長旅を終えたところで、主人の側でようやく羽根を休ませている。
彼が運んでくれた手紙を、群青は読み終えたところだった。かけられた声に顔を上げる。
旅支度のアスランがすぐ側に立っていた。
「なかなか似合うんじゃねえの?」
「そうかな、っていうか」
傍らの獲物に一瞥をくれ、群青はもう一度アスランの顔を見上げる。
「俺が預かってていいのか」
「俺ら術師に使い出があると思うか?まあ、無えこともねえだろうけど」
自分で言ったことをその場で否定しつつ、それでもアスランは遠慮がちな群青に押しつけるように、手のひらを向けて押し出す。
「預かっとけや。あの家のモンじゃあお前が一番適役だろ」
(――――俺は、)
浮上した台詞を口にはせず、群青は頷くとそれ( を改めてにぎり込んだ。、、 )
漆黒の長い棒。シクの所有していた破砕呪だ。
これがあれば、確かに朝のような体質でなくともネネの呪術の対抗策として優位にたてるだろう。
しかし、シクほどの使い手ですら破れたのだ。果たして彼を止めることが出来るだろうか。
(できれば、手荒に話を進めたくないんだが)
誰に対しても、そうだ。
けれどそうも言っていられる状況ではないらしい。ではなすべきことを行うだけだ。
「で、その手紙は?」
「キリーだ。ええと、前にも話したかと思うがエイギルのもとに潜入している…ってことでいいのかな。か―――キリーによると、そろそろ大きな展開がありそうだと」
女性詞も男性詞もそぐわないような気がして、群青はわざわざ言い換えていた。
アスランは無言で顎をしゃくって話を促す。
手紙のやりとりはこの一度きりしか叶っておらず、ひどくかいつまんだ端折り書きではあったが、少し癖のある字体でキリーは現状を伝えてくれた。
「ひとの出入りが激しい、屋敷の人間がどんどん解雇されているとかで、もしかしたら自分も近いうちに適当な理由で護衛を外されるかも知れないと。そうなった場合王都に潜伏してもらうようには言ってある。重要な戦力だしな」
(キリーはきっとツグミが連れ去られたことはまだ知らないはずだ。知ればきっと独断で救出に向かってしまいそうだし)
冷静に状況判断が出来る反面、内面の激しさを感じさせる人物だった。
キリーの腕前を信用しないわけでもないが、ひとりでは危険すぎる。
「急ぎましょう。ここからだと強行軍でも王都まで数日はかかるし」
「…だな。ま、移動呪術って手もあるが?」
簡単に言ってのけるアスランに呆れた心境にもなる。以前までの彼なら呪術を頻繁に使うことには難色を示していそうなものだが、今はとにかくやる気なのだろう。
仕方が無く苦笑して。
「それはギリギリまで取っておこう。あなたみたいな術者にこんな距離を移動させるとさすがに軌跡が残るだろう。エニュイ・エルに気取られたら厄介だ」
「お前詳しいな」
まさかそれを考えてなかったというわけでもないだろうけど、群青はのんきな感想に苦笑を深めるしかない。
「けどよ、徒歩で五日かけんのと、一瞬で王都近くまで飛んでまあ一日くらい休んで決行すんのとじゃ、やっぱ天と地くらいの差はあるんじゃねえの。悠長なこと言ってる余裕あんのか」
「……」
正直に言えば、無い。状況的な余裕よりも、個人的な、感情面での余裕などで言えば、砂粒ほどもない。
今、つぐみがどんな目に遭っているのか、寂しい思いや辛い思いをしてはいないかと思うと気が気ではない。
――――けれど、自分はいつだって先のことを想定して動かねばならない。世界規模の騒動が、起こってからでは遅いのだ。
「運んでやらあ、この俺を誰だと思ってる」
はっと、顔を上げるとアスラン・ホーグ・ヨーグの不敵な笑みがそこにあった。
「―――それに、今は術者がひとりじゃねえんだ」
街の方に視線を向けると、ほとんど足音もさせずに近づいてくる華奢な人影がある。
「―――やれるな、アニエス?気取られないよううまく痕跡を消しながらの転移だ」
確信に満ちた問いかけに、白皙の肌の美少女は頷く。
破砕呪を手に、群青はふたりの術者を前に立ちつくしていた。
深呼吸を繰り返す。
そして伏せて開かれた、紫の双眸には、すでに迷いのない決意の光を見ることが出来た。
「頼むよ、ふたりとも」
(2009.7.12)