13 朝が来るまで
王の住まうテンブレイヌ山の麓には、ウォッツ最大の都市であり城下街として栄えるトゥエルがある。
中心街に向かえば向かうほど娯楽施設が増え、人口も建物も同様に密度を増していくが、外れともなれば衛兵の目も届かないようなうらびれた土地や施設がごまんとあった。
そんな、けして治安がよいとは言えない灰茶けた住宅地に、こじんまりと、だが堅実な一軒家が建っていた。
「トゥエルは久しぶりだねえ」
「そうですね。以前よりも浮ついた感じがありますけれど…」
2週間の道程を追えて訪れた3人の男女。
一人はいかにも屈強そうな大男。あとの二人はどうも緩んだ雰囲気を放つ十代後半の少年少女である。
ウォッツではたやすく外見で判断は出来まいが、それにしても違和感のある連れ立ちではあった。
「さーて、サブは在宅かなっと」
うち黒髪黒瞳で長身の少年、というよりも、青年への過渡期である男がのんびりと呟く。
目指すはうらびれた住居が点在する、17番街である。
「お疲れですか?キング」
わずか後ろに控えて歩く、薄茶髪薄茶瞳の、おしとやかな美少女が尋ねる。
「え?全然このくらいでヘーキだけど」
「そうですか」
美少女がふんわりと微笑むと、何故かその背後に暗黒の羅刹がひらめいた。
「姫さんに熱を出させてまで出てきたのですもの。これくらいキングには何てこともないのでしょうね?」
「………」
にこにこにこにこにこにこにこにこ。
美少女の微笑みは1ミリたりとも動かなかった。
男は全精神を駆使して何とか笑み返しごまかしたが、やはり不機嫌の理由はそこかと内心冷や汗をかいた。
ただひとり、褐色の肌を持つ巨大なマッチョは面倒くさそうと言うか興味なさげに黙々と先を歩いていく。
男は、少女の視線から逃れるように前を見据えて。
一瞬、目を伏せて溜息を吐いた。
そのたった刹那の間にも、ひらめくのは鮮やかないろ。
紅。
「……」
三人の行く手に、一人の男が立ち止まった。
「・・・・・・」
彼は自分の横を歩く三人連れを、これでもかと言うほどに凝視していたが、見られている方は気がつきもせずと言うか、認識すらしていない勢いで通り過ぎていく。
「……」
果たして呼び止めるべきか、逡巡するように挙げられた手は、やがて諦めてぱたりと下ろされる。
そして彼は、そのまま黙って彼らのあとについて歩き出した。
ようやく辿り着いた、堅実かつ質素かつ、頑丈な一軒家。
これが首都トゥエルにおける、地味すぎるといっていいほどの、レジスタンス“砂嵐”のアジトだ。
「サブ。俺だよ。いたら開けてー」
鉄と木材で出来た扉を軽く叩きながら、ラグは相変わらずに淡々とした声音で呼びかける。
「いねぇみてえだぜ」
素早く室内の気配を察したエッジが、ぶっとく毛深い腕を組んで告げる。
いつもの調子に戻ったメイは、あらあらとのんびり首をかしげていたりする。
「おっかしいなー。この時間はいっつもいると思っ…ん?」
そこで、扉の前にたむろするラグら(主に長身)をかき分けて、中肉中背の男が割って入る。
そして、ラグの前に出てがちゃりと鍵を差し込み、解錠した。
「あれ、サブ。いつのまに」
「いました。さっきから」
ぼそりと男が呟いて、がちゃりと扉を押して三人を中へ促す。
「相ッ変わらず存在感ねーなてめえは。生きてっかオイ」
エッジに肩をどんと押されて、ぐらりと揺らめいた挙げ句にべしゃりと地面に転げる。
「まあまあ大丈夫ですか。サブさん。おけがは」
すかさずメイが心配して手を差し出すのだが、彼はずれたメガネをかけ直してやんわりと首を振り、手のひらを押し出して助けを拒んだ。
「慣れてますんで」
ぼそり。口元で呟く。
砂嵐今の今まで名前が出なかった最後のメンバーは、意外にシャイだ。
サブは黒髪をぴっちりと撫でつけた、(ある意味ブロウのメンバーにいても違和感がない)焦げ茶瞳の色白の男で、無駄に姿勢の良い中背、予想を裏切らず貧弱な体つきをしていた。
何処にでもいるような顔立ちに、黒縁のお世辞にもお洒落といえないメガネを常備している。
ついでに生きているか疑わしいほど存在感が薄く、目の前にいても無視されることが日常だ。本人の寡黙で動じない性格も災いして。
そんな彼も良く年長に見られるが、実は切り捨てればまだ二十代。おそらく独身。
「どう、サブ。進行具合は」
勧められた席について早速ラグは切り出した。
勝手知ったる台所で、メイはお茶を煎れに行ったし、エッジはすぐにでも街の様子を見に出て行きそうな、手持ちぶさたな様子である。
「以前にもローザへお伝えしたとおり」
そんな面々は無視して、サブはテーブルへ身を乗り出し丸めた紙面を広げる。
「現在トゥエルは二月後に迫った王子の成人式典へ向けて警戒を強めているところです。今はまだ山の中腹の二門、正門といった程度ですが、これがひと月後にはトゥエル街内にも王の息がかかるでしょう」
サブのメガネがとたんきらりと光を放つ。ぼそりと落とすような低いしゃべりは変わらないのに、彼の説明にはよどみがなかった。
サブは計画立案や作戦参謀などを担当する、砂嵐に欠かせない司令塔なのだ。
たとえ存在感空気並みでも。脇役間違い無しの顔立ちでも。
「ふぅん…当日付け入る隙は?」
面白そうな笑みを向けるリーダーへ、面白みのない顔を向けるサブリーダー。
「皆無です。トゥエル全域に兵が配備され、その数およそ30万。普段の10倍です」
「で、わがコマンダー殿はどう付け入る?」
「ここですね。山の西側は起伏が激しく人が歩いて登るのは困難。兵の配備も最も手薄です」
間を置かずに入る答えが気持ちいい。
ラグも地図に身を乗り出して、頂点の王城を指す。
「よし、それで城まではたどり着けるだろうね」
「マスターとハイメが間に合えば。」
「そうだねえ。微妙だけどだいじょぶでしょ」
楽観的な口調のラグの声には、一切の疑いもない。
信頼がある。何よりも、これまでの実績が、ここまで来てくじける気など微塵もなかった。
「で、城( はどう攻める?」
上目遣いに向けられるラグのそれは、とても十代の男の備える物ではない。
待ちわびた悲願を目の前にした、積年戦ってきた男のそれに似ている。
今まで幾度となく繰り返されてきたやりとり。
だが攻略法は、サブの願いもあって直前に練られた方がより確実性を増すとあって待ったのだ。
「攻めません」
「…へっ?」
自らが選び抜いて引き入れた、最高の軍師は、約五年の時を経てどのような策を用いてくれるのかと期待していた分だけ、ラグは引きずり落とされて思わずらしくない頓狂な声をもらした。
「攻めないの〜?じゃあどうやっておっさんのとこまで行くのさ」
盗聴の危険を恐れてというよりも、ラグは無遠慮に国王をおっさん呼ばわりした。
サブは感情を表に出さないならラグと良い勝負な、動じない無表情で、ちっちっと指を振ってみせる。
はっきりいってかなり不気味だ。
「普通に入って、普通に行きます」
「…どゆこと?」
「招待状持って参加するんですよ。式典に。タキシードとドレス着て」
ラグはしっかり数秒は瞬きをして、いつの間にか参加していたメイの煎れてくれたお茶をごくりと飲んで、びしりとサブの、1秒見つめただけで飽きてしまう顔に指を突きつける。
「それはいくら何でも無理でしょ!だって君言ったじゃん。警戒厳しくて付け入る隙は皆無って。招待客チェックなんて厳重に厳重を重ねてるに違いねーぜ」
相変わらずラグの口調はてんで無茶苦茶だった。否、それだけ落胆というか混乱しているのか。
「甘いですね、キング。私が最近はまっているシロップスノーマウンテン。ケーキの名前ですが。あれよりも甘いです」
「うわー。何か食べたくないなー。君悪趣味なまでに甘党だし」
作戦のこととなるとボキャブラリーが増えるらしいサブは、それでもやっぱり話し下手だった。
ついでに二人の味の好みは合わないらしい。
「招待させていただくんです。しかるべき、この上ないお方から」
さる「しかるべきお方」は、サブの調べによるとここ数日、とあるバーに出入りしているらしい。
外観は両脇の建物に挟まれ見つけにくいドアのみで、これで夜ともなれば気がつくことも困難だろう。
「なるほど、曰く付き、ね…」
こういった場所では総じていかがわしい会合や取引が行われていると、相場が決まっているのだ。
それはウォッツでも使い古された黄金パターンである。
「要人御用達…とかね」
お目当ての当人が来るまで張り込みすることになって、ラグは隣が賭場場だったことを良いことに二階の窓際を陣取った。
エッジは下の物陰から、店が開店早々に入店する予定だ。
お目当ての人物が表の入り口から入るとは限らないのだから。
メイはサブと共にアジトで待機だ。彼女の容姿はいくら何でも夜の町には不自然で、余計な目を集めては不味い。
「ボウズ、飲みもんは?」
「あれある?クリアス」
あまりにも窓に張り付いていては店の物に怪しまれる。案の定声がかけられ平然と注文する。
ドレッドを編み込んだ髭面の店員は、一瞬目を見張って口笛を吹いた。
「通だな。待ってな。持ってきてやる」
「よろしく〜」
さすがトゥエル。地方の果実酒まで揃えてある。
ウォッツの法律では16を過ぎれば飲酒が許されるので、ラグも咎められない。
「おいそこの、何もやらねーのかよ」
窓際の長身は挑戦状を向けられて、にやりと笑った。
「砂嵐なら誰にも負けないよ」
1時間後、宣言通りラグの傍らには多くのコインが積み上げられていた。
「ここで王手」
「うげえっ!?強えなお前、ここいらじゃ見ねえ顔だけど、どこのもんだよ?」
たった今負かされた相手が、下から覗きこむようにラグの顔を凝視する。
そこへ通りかかった店員がぎろりとひと睨みを利かせる。こういった店で詮索は御法度だ。
「すこぶる調子が良いな。今日の大将はあんただ。飲みな」
その店員がクリアブルーの液体の注がれたグラスをラグの前に置く。
「うわっ、幻のスカイプラア!」
「奢り!?奢り!?」
「店長太っ腹ー!」
すっかり酒の入った面々からどよめきの声が上がる。
酒のまわりはまだまだ序の口なラグは、テーブルの上で組んだ腕に顔を伏せ、下からその青をすかし見る。
「きれーないろ…」
「だろお。こんな色は一流の腕を持ってしか出ねえよ。味も格別だ。いいから飲みな」
「……」
促されて呷ると、涼やかな色からは想像も付かないほどの、喉を焼く、熱。
「…っ、強い、ね」
「心配すんな。高い酒だ。悪酔いはしねーよ」
ありがとーと生返事して、けれどこれ以上口にはすまいとグラスを見つめて思う。
酔うわけにはいかない。
この酒はあまりにも。
(紅に似てる…)
もう少し淡かったらそのままだと思うのに。
尊い蒼は紅の、大きくてつぶらで、それでも鋭さを備えた瞳の色。
口にしたとき、一瞬瞳が潤むほどの熱が喉を通過した。
怒ったとき、真っ赤になって焦ったとき、道に迷って困ったとき、むりやりに傷付けて泣いてたときも、やっぱり紅の印象は、蒼くて熱かった。
考えなくて、良いのに。
もうその必要はないのに。
だってあの蒼はもうこの国にはないのだから。
二度と触れることは出来ないのだから。
それでもラグは、グラスを両手で抱えて、窓際で風に涼む風情で。
目は見張りを欠かさない傍ら、頭はずっと、一人の少女を追っていた。
後悔はしてない。何十回何百回確認してもそれは変わらない。
それでも、あの子を泣かせたことに、強い罪悪感を感じる意識は、どうやっても拭えなかった。
朝が来るまで考えても、次の夜を越えても、いつになれば薄れるのか、全く見当が付かないくらい。
目眩を覚えるくらい。
そうしてラグは、あの蒼を懐かしく思う自分に気がついた。
資格の無さに思い当たって、すぐにくすくすと笑みをもらしたけれど。
(2005.2.19)
落ちていく。