14 人生最大の賭け

 









 動きがあったのは、もうほとんど明け方という時刻だった。
 エッジが入店してずいぶんの時間が過ぎている。彼はザルだから、どれだけ酒を入れても反応が鈍るということもない。
 ラグはラグですっかり賭場の常連に気に入られて、もうこのままオールで居続けても問題がなかった。
 なので。
「ごっめーん!俺朝市のコジロマグロ競り落とさなきゃ親父にどやされるんだ!」
 かなり場違いな謝罪と共に突然席を立つ。
 まわりの客達は一瞬ぽかんとラグを見上げはしたが、すぐに相好を崩して笑い声を上げる。
「なぁんだてめえ、そんなナリで魚屋か?それとも料理屋かよー」
「おー行ってこい行ってこい、そんだけ勝負強さに恵まれてりゃ何本でも落とせるだろーよ」
「ありがとう!えっと2時からだからピアエールが三本だっけ?」
 慌てて最後の代金を払おうと、愛用のがま口を取り出すが、客全員の笑顔に押しとどめられる。
「ん?」
「いーから。あとはオレたちにおごらせな。楽しかったぜ、また来な、ボウズ」
 思わず呆然としてしまって、ああ、こういう時本物の笑顔の浮かべ方が分からないって不利だよなあと心底思う。
「…ありがとう。また来るね」
 仕方が無く、いつも通りの薄い笑顔。
 それでもその表情は、ラグの嘘を精緻に隠し、端整な顔立ちを引き立てるようで、皮肉だ。
 あの子はいつも、それに騙されることがなかった。













 ところ変わって問題のバーでは。
「っだ、てめぇ!見ねえ顔だが余所モンか?」
「こーこは選ばれたモンしか入れねー特別なお店なのよ?分かるー?」
「…けっ」
 エッジが店の用心棒に囲まれて毒づいたところだった。
 とさかのように立てた髪の、半裸の男と、ソバージュのように縮れた髪がうっとうしげな、化粧の濃い男。
 エッジは心底嫌だという意志を隠しもせずに、ジョッキに残ったエールの残りを呷る。
「うるせぇ、てめえらにゃ用はねえよ」
 エッジが低く、ドスを利かせて言い放った一言に、二人の用心棒は総毛立つ。
 内心ただ者でないという雰囲気を察しはしたが、それでも短気を煽られ、畏怖よりも恥辱が勝ったようだった。
 顔を真っ赤にして、手にしたロッドや棍棒をエッジへ突き出す。
「い、い、か、ら、出てけっつってんだよ、このデカブツが!!」
 ひゅっと風をうならせ振り下ろされたロッドの先を、エッジの手のひらが受け止める。
「ごっちゃごちゃ…」
 ぐいと引けば、力比べはエッジの圧勝で、たたらを踏むとさか男。その顔面を。
「うぜぇ!」
 エッジの硬い拳が叩きつぶした。



 盛大な音を立てて、とさか男が吹っ飛びカウンターに突っ込む。
 とたん騒然となる店内。
 閉店間際らしく客の姿は少ないが、店の奥で多数の女性を侍らせていた男などが驚いて喚く。黄色い悲鳴が響き渡る。
「ちょっとお客さん、騒ぐなら出て行ってくだ…」
 常識的な忠告をしようとしたカウンターのマスターの首元に、ひやりとした感触が突きつけられる。
「誰に指図してんだ?文句があんなら、あの世でいえよ。なぁ?」
「……!」
 酷薄な表情で凄まれて、首の皮に食い込んだナイフに、マスターもさすがに言葉を失う。
「オレはこの店に来る奴に用があんだ。邪魔すんな」
「はい、そこまで」
 エッジの腕がぴくりと引きつる。
 涼しい声がして、いつの間にかマスターに突きつけていたナイフが手から消えていた。
「てめぇ…」
「嫌な予感はしたんだよ。エッジってば、暴れすぎ。目立たないようにするのが俺たちの狙いでしょ〜」
「だってよ、あいつらが…!」
 なおも言いつのろうとする厚い胸板を、どん、とラグは無言で、手の甲で叩く。
「……チッ」
「そう。君が活躍する場はこんな狭い場所じゃない。もっと広くて、高い場所だから」
「…ああ、そうかよ!」
 どうやら頭に上った血は冷めたらしい。ラグから視線を外して店の奥へ足を向ける際に、木製のカウンターを殴り壊していたけれど。
 ラグはそう判断して、この場で血が流れなかったことに安堵した。
 くるりと向きを変え、いまだ怯える声を上げている一角へ向かう。



 店の奥、淡い照明だけの暗い箇所。まるで特別にあつらえたかのような。
「ひさしぶり」
「…だ。だれ、だ…おまえは…」
 細かな振動を伝える声が、一角の中心に座る男からした。
 気付いて貰えないようなので、ラグはなおも近づき、男と自分を隔てる硝子のテーブルに足を載せる。
「きゃああっ」
 侍っていた薄い布を身につけただけの美女達が、震えて身を縮ませる。
 ラグはそのまま足でテーブル上のボトルやグラスや皿を、綺麗に掃除して隔たりを無くす。
 さらに身を乗り出して、テーブルの上にほぼ四つんばいになる。
 男の顔は、もはや目の前だ。
「ひさしぶり?ナイド」
 もう一度、出来るだけ気持ち悪く映るように微笑んで呼びかける。
 男の表情が、今度こそ一致する記憶に辿り着いたのか引きつった。
 いい顔だ。この顔を見れただけでも今日の収穫はあるなどと、私情混じりの感慨に苦笑する。
「てめぇ、ラ」
 すべてを言わす前に、男、ナイドの顔面を両手で挟む。
 そのまま顔を寄せ、耳元で、恋人にするようにあまく囁く。
「もうすぐじゅうはっさいだねぇ。おとうさんはげんき?」
「………っっっっ!!」
 その声音と、籠められた思惑の差異に、ナイドが覚えた戦慄は尋常なものではなかっただろう。
「…離せえ!ッこの…無礼者…ッ!」
 振り払われた腕に言われるまでもなく、ラグは早々に手を離し、テーブルの上で悠々とあぐらなど組んでみせる。
「貴様…、今さらっ、何のようだ!ボクに何のようだ!二度と近づくな関わるなと…あれほど!」
「約束した覚えはないもの」
 滑稽なほど取り乱すナイドの醜態に、ラグはむしろ優しげに答えて首をすくめる。
「ねえナイド。俺お願いがあるんだけど」
 にこりと笑顔を崩さないまま、ラグは腕を伸ばして一番近くにいた女の腕を引き、自分の膝上に抱き上げる。
「貴様、何を…」
 柔らかな肢体を胸に抱いたまま、ラグは片手をそっと女の頬に添える。
「昔は男も女もなくきれいなもの好きだったのに、ノーマルに転向したの?…綺麗だね、君」
「…や、やめて…」
 肩越しに覗きこんで、怯える女性に優しく微笑みかける。視線だけナイドに向けると、その温度が一気に下がった。
「相変わらずベッドを血で汚しながらヤんのが好き?」
「……」
 冷え切ったラグの視線に、未だたじろぎながらもナイドは睨み返す。
「独占欲も人一倍だったよね。ねえ、今この場で俺が君の楽しみ奪ってあげようか。…例えば」
「ひっ」
 頬に添えた手が少しずつ上に動く。
「この人の目を片方ずつ潰す。耳を千切る。鼻を削ぐ。まだ…死ななかったら爪を折っていく?」
「貴様…ボクがその程度の脅しで動じるとでも?」
 強気に言い返しながら、それでもナイドの額には汗が浮く。
「その女の代わりなど、ボクにはいくらでもいる」
「そっかー、そうだね。君の相手した人はほとんど一夜限りの命だものねえ」
 ラグはおっとりと述べる。その顔にはすでに表情はない。
「でも俺には君はたった一人だし。じゃあ、君が俺の相手をしてくれる?…昔みたいに」
「……っ」
「きゃあっ!」
 ナイドはとたん、すぐ側にいた女性をラグの方向へ突き飛ばすと、裏口の方向へ向かって駆け出す。
「逃げる?そうだよね逃げるよね。君は俺のことが嫌いだから」
 ラグは突き飛ばされた女性を難なく交わし、テーブルから飛び降りる。
「残念」
 しかし声音は少しも感情が込められていない。
「俺こそお前なんて嫌いだよ」
 ラグの右腕が空を切ってひらめく。
 風が動く。
「ぐ…っ」
 扉に手をかけたところで足を強打されてナイドは前のめりに倒れ伏せる。
 後方で、エッジが数少ないギャラリーやさらに出てきた用心棒をたたむ騒音が聞こえる気がしたが、この際後回しということにした。
「ナーイド」
「来るな!殺すぞ!」
 てくてくと、その手に長鞭を携えたまま、ラグがナイドとの距離を詰めていく。
 ナイドは慌てて立ち上がると、腰に差していたレイピアを引き抜いて構える。
「こんな室内で?」
「うるさい!この…っ」
 踏み込みと同時の突きをラグは横にずれてかわす。
 次いで薙ぎ払われた剣戟を、鞭の柄で受け止める。
「やはり殺しておくべきだった・・・!」
「落ち着いて、ナイド。俺やっぱり君は殺さないから」
 まだ。
 その一言を飲み込んで、打ち合わせた剣を跳ね上げる。
「話を聞いて、ッてば」
 ギラギラと血走った目を向けられて、それはどだい無理な話だと分かっていながらラグは声をかけ、形だけは説得しながらナイドを嬲ることを楽しむ。
 ああ、この男は本当に、俺を恐怖している。



 異様な高揚感と、優越感が、ラグから冷静になるべき余裕を少なからず奪う。
「ナイド。聞き分けがないと、俺、殺しちゃう」
 その一言は自然と漏れた。
 彼の眼前は黒かった。
 今や、その側にヒギリという名の、止める者はなく。
 胸の裡にたまった黒いモノが、溢れては止まらないほどに飲み込んでいく――――。




 この男を、殺せる。
 今、この場で、可能。
「はい、そこまでです」
 数十分前のエッジの如く、涼しい声と激しい衝撃がラグの腰を強打した。
「……!!!!!」
 まともに食らってさすがにくずおれる。
 誰かなんて確かめるまでもなく、いつの間にかラグの傍らで扇をぱたぱたさせていたのはメイだった。
「な、なにそのカッコ…!」
 この場に及び、涙目であっても疑問は追求するラグ。
 この様子に、ラグがすでに正気に戻ったと知ってメイはふんわりと笑みを向けた。
 しかしその風貌は、ラグの指摘通りいつものメイのものとは違う。
 趣味は良いがけして薄いとはいえないはっきりとした化粧を施し、薄茶の髪はウィッグだろうか、とても長くなっていて高く結い上げコサージュが飾られている。
 纏う服は身体のラインが分かるイブニングドレス。このような場に来るのにはふさわしいのだが、いつものメイとはかけ離れすぎていた。
「何かすごい年上の人みたいだよ」
「キングが仰ったんですよ。私は目立ちすぎると。だから目立たないようにしてきました」
 女の子は化けるよなぁと。改めて痛感するラグはメイと同じ歳だ。
 中身とか浮かべる雰囲気は全く化けてないのだが。
「さて、そこのお方」
 立て続けに起こる事態に、ナイドはすっかり腰を抜かしてレイピアを側に取り落としていた。
 もともとナイドは臆病でも剣の腕も弱くもないのだが、ラグという存在がトラウマに強く作用しすぎたらしい。
 高いヒールでも慣れた様子で歩み寄り、ナイドの目前まで来るとメイはにっこりと微笑んだ。
「お初にお目にかかります。私達、あなたにお願いがあって参りました」
「…な…な…っ」
 何だお前、とも凄めない、ラグとはまた違ったメイの無言の迫力に、ナイドは一瞬で飲まれてしまう。
「どうか、あなたの18のお誕生日を、私達にも祝わせていただけないでしょうか?」
 それはとても分かりやすい提案だった。
 メイは、いっそ清々しいほど優雅に、上品に微笑みながら、「招待状よこせやこらぁ」と脅したもうたのだ。
「…なっ…なん、だと…!」
 ナイドは目を白黒させ、目前のメイと、ラグを交互に伺う。
 ラグが何を望んでいるのかは、火を見るより明らかだった。
「駄目かな?俺と君だって誕生日たった一日違いじゃない」
「……」
 先ほどまでの迫力は綺麗に消えているラグは、以前よりさらに侮れなく見える。
 しかし本当に被害を受けるのは父だ。自分は二の次であるはず。ならば、と、ナイドは考えた。
「…いいだろう。そうだな。4枚までなら招待状を用意してやる。ただしボクの生誕祭へは女性のパートナーが必要だ。せいぜい適当な人材を見繕うんだな」
「…どうもありがとう」
 ラグはすっと目を細めた。とても笑みと呼べるものではなく、ナイドはまた竦みかける足を叱咤して、顔を背けた。
「…父上はお前を待っているだろう。せいぜい、あのひと好みの処女むすめは見つかったんだろうな?」
 最後の捨て台詞のつもりだった。
 ラグは何よりも父の持つ「性癖」と計画を嫌悪していたから、少しでも一子を報いれればいいと。
 しかし。
「―――――さぁ?」
 ラグの浮かべた笑みに、こんどこそナイドは全身の血の気が引くのを感じる。
 何が気に障ったのか、結局彼は分からずじまいに、逃げるようにして店をあとにした。










 生きた心地がしなかった。
 昔はあれほど、自分が優位に立って、命を握っているのは自分なのだと見せつけていたというのに。
 会わずにいたこの数年でラグに何があったのか、それはナイドには知るよしがないが。




 人生最大の賭けに、出ようとしている。




 損ずれば、死だろう。
 地位も何もかも失うことになる。父も、自分も。




 しかし、うまく行けば、父だけを殺し、ラグを仕留めれば。



 邪魔者は何処にもいない。
 王位継承権の儀式は、そのまま戴冠式に転向だ。





 ナイド・カイエは、現ウォッツ国王イージス・カイエの一人息子は口元に薄い笑みを浮かべた。




 彼の生誕祭は2ヶ月後に迫っていた。 








 

 

 

(2005.3.1)
どっちが悪役か分からない彼らが素敵。

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