18 嘘だよ1














 大音声が白亜の壁面を揺るがせ、傾いだ柱から埃が舞い降りては伝った。
「どうしたんだい、“アイリ”」
 急ぎ足で先を行っていた男が、突然立ち止まり視線をさまよわせる連れの少女に声をかける。
 淡い水色のドレスを身に纏った可憐な美少女だ。花飾りで留められた、薄茶の短い髪が耳元でふわりと揺れた。
「…いいえ。何でもありませんよ“ジョイ”。すみません。先を急ぎましょう?」
 いつも通りに優雅に微笑んで、何事もなかったように彼女は男の元に駆け寄った。
 それはとても、徐々に崩れていく城内から逃げまどう人間の姿とは思えないほど余裕のある落ち着きぶりである。
「ずいぶん崩れてきましたねぇ…」
「それはそうさ。最終的には本格的に崩れて貰わなくては困るのだからね!まだボクらがこうして歩くスペースがあると言うことは、これもまだまだ本の序の口なのだよ!」
 急を要する事態にあっても二人の口調には焦るところが一切見られない。
 今のところ計画は順調で、ほころびは見られない。彼らが冷静に徹している証拠であった。




(姫さんはご無事でしょうか…)
 頭の隅で、たった一人場慣れしていないと思われる異国の少女を思い浮かべる。
 先ほど、胸に去来したのはそれを促すかのような予感だ。



 虫の知らせ、とでも言うのだろうか。
 けれど彼女は、勘や天運を信じない。



 過程と結果があって、事実がある。そうして自分が今ここにいるのだ。




 誤算があるわけはない。
 ここまで来て、何者にも裏切られるわけがない。





 それだけの積み重ねと実力が、自分たちにはあるのだから。























 城内のほぼ最奥に、その間はある。
 明かり取りのための窓は嵌め殺しで、今はそれすらもカーテンが引かれ、だだ広く薄暗い部屋は閉鎖的に、滞った空気が充満していて、息苦しささえ感じられた。



 謁見の間、と普段呼ぶその場は、収容人数500余人という容積を持て余し、未だ遠い、地響きのような喧噪が届かない静寂のなかにあった。
「こちらへ来い、ラグ」
 壇上の人物が、声に笑みさえ潜ませて呼ばわった。
 癖のある黒髪を持つ、体躯逞しい中年の男。現国王イージス・カイエだった。
 イージスに招かれ、階下の少年は素直に従い段を上っていく。
 間近に迫ったその顔に、感情の色は一切伺えなかった。イージスと対するときはいつもそうだ。昔のままだった。
「背が伸びたな…あの男に似てきた」
 何故そんな台詞を吐かれているのか見当が付かないまま、ラグはイージスの太い腕に引かれて前屈みになる。
 頬に手が触れ、耳を過ぎ、髪に差し入れられる。
 言葉も感慨もなく、国王は少年の口を己のそれで塞ぐ。



 本人も先ほど口にしたとおり、5年ぶりの、忠誠の行為だった。
 そこには愛も欲もない。この子供を自分が征服しているという確認のためだけに行う。




「……」
「“砂嵐”はお前の元で良く動いたか?」
 情緒が込められていない割に深いそれを解いて、ようやく顔を離すとすぐにイージスは口を開いた。
「ええ。ちちうえの指示通りに」
 おもしろいようにことがすすみました、と、眉ひとつ動かさずに答えて、無礼にならない程度に下がる。
 しかし側を離れはしない。イージスのすぐ足元に再び跪く。
「ですが良かったのですか。この城が被る損害はけしてやすくはないでしょう」
「よい。人手さえあれば城などまたいくらでも立つ。労働力なんぞは作ればいい。それ以上の成果が上げられるのだからな…!」
 左様でございますか。
 ラグは頭を垂れたまま口の中だけでそう相づちを打った。
 イージスは高揚を抑えきれない様子で拳を握る。
「ようやくこの日が来たか…!」
 イージスがラグを使って望んでいたのは正確には王城の瓦解ではない。
 自分の失墜でも、もちろんありはしない。
 ウォッツの古い文献に残る、この地にあるという太古の呪法陣が彼は欲しかった。
「創世の折、新と旧に別れた人々は醜く壮絶な呪法の戦争を続けたという…その技術は今に残るものとは比べものにならぬほど緻密にして凶悪、強烈を極め、ひとつの呪法で国ひとつが滅んだとされる…それが!!!」
 この城の足元に、今も残っているというのだ。
「古代の者…そして代々の国王はその力を怖れて封印を良しとしたらしいが、俺は違うぞ。この力を用いて他国を制し、世界の覇王となるのだ!」
 その為に、自分を打ち倒す反抗勢力すら利用するなど、時間をかけたのにも意味はある。
 この反乱にあっても持ちこたえて見せ、その呪法の力を見せしめとして反抗組織殲滅に使うのだ。
 もう二度と逆らう者が無くなるよう、知らしめておくのだ。
 さらに呪法の完成には、足りないものがあった。
「お前の連れていた少女…珍しい赤い髪をしていたな」
「はい。外国から…フェイから迷い込んできた子供だそうで、上手く丸め込むことが出来ました」
「そうか…間違いなく処女だろうな?」
 イージスの目には下卑たものはない。しかし十分野卑てはいるその両眼を、しっかりと見据えてラグは平然と頷いた。
「おそらくは間違いなく。フェイはウォッツと違い女の人権がことさらに尊重されているらしいです」
 つまりウォッツ国内で純粋な処女を捜すのが至難の業なのだ。外国人ならば問題提起されても上手くぼかすことが可能だろう。
「ふん、噂に違わぬつまらん国だな。しかしそのお国柄に今回はばかりは感謝するか。呪法の完成にはどうやら、処女の生け贄が必要だからな」
 そこら辺ははずせないセオリーらしい。大昔の呪術師のポリシーなんじゃないかとラグなんかは思うのだが、もちろん顔にもおくびにも出さない。
「ナイドもここの所なにやら怪しい動きを見せているからな…あれは気に留めておくほどもなかったが、今回のことのような目に遭えば思い知るか…」
「そうですね。以前久しぶりに会いましたが、まだ俺に怯えてくれました」
「昔はあれほど仲が良かったのにな」
 イージスは低く笑う。ラグには当然、主人に付き合って笑ってやるほどの面白みはない。 身動きが一切出来なくなるまで一方的な暴力を受けることを“仲が良い”というのなら、ラグとナイドはかなりの仲良しだったろう。
 そして五年前、ラグからナイドへ向けて初めて、とてもとても仲良し行為をして城を出て行っただけだ。
 ナイドにとっては随分と忘れられない思い出になったようだが。
「それにしてもあの娘…美しいとは言い難いがなかなか可愛い顔立ちをしていたな。それにあの赤髪碧眼の色がいい。呪法の材料でなければな」
 あいかわらずカイエは女好きの家系らしい。さらにイージスは近年、身体も未発達な少女を寵愛する傾向が強かった。ラグもそれは承知していた。
 だからこそ、彼女を選んだのだから。
「嘘だよ」


 ぽつり、と、もらした一言は静寂に包まれた広間に馬鹿のように響いた。
 イージスは眉間の皺を険しくして、今発言したと思われる従者の少年の顔を凝視する。
 ラグは、イージスの足元に跪いたまま、初めてその顔に表情を浮かべた。
 笑顔だった。
 ただそれは紛れもない嘲笑だ。
「…何だと?」
「…えへ」
 不快に顔を歪める男を見据えたまま、ラグはおちゃめに舌など出してみた。
 異変に気付いたときにはもう遅い。それと同時に立ち上がったラグの長い足が玉座に腰を下ろしたままの国王の肩に掛かる。
 彼の身体は指一本動かすのもままならないほど、薬が行き渡っているはずだから。
「…ラグ…!」
「調子乗って舌突っ込んでくるからだよエロオヤジ」
 薄い笑みを貼り付け、がらりとラグの様子が一変する。
「心配しなくても死にはしない。首から上は動くでしょ?好きなだけ喋ればいいよ」
「貴様、最初から…!」
「そう最初からだよバーカ。両親殺されて毎日毎日毎日毎日あんたにヤられて殺し強要されてその息子に毎朝拷問受けて誰が服従するかよ」
 力は全てだ。
 ラグは何をされても文句の言えない立場にあった。
 しかしそれを享受することと、反目の意志を抱くことは全く別の問題だった。
「俺はそれなりに名優だったでしょうちちうえ、、、、。養子にされてもちっとも嬉しくなかったよあんたもこの国もこの城も俺もいつ消えて無くなったって構わなかった」
 でも。
「俺は出来た子だったから。自分でも驚くほど強くなってねー、地位も仲間も思ったより簡単に集まった。あれ、簡単とか言っちゃいけないかな。普通に考えると結構大変だよねたった5年だもんね俺も子供だったしね。でもこの瞬間にあんたを潰せることを思えば全然全くちっとも苦じゃなかった」
 ラグの手がイージスの前髪を掴み、強く椅子の背にたたき付ける。
 強靱な肉体を持つ国王は顔を顰めはしたが声はもらさなかった。
「ああついでにねえ、さっきの女の子が処女ってのも嘘だよ俺がもう犯したから」
 その言葉にはわずかに反応した国王の性癖が可笑しくて低い笑いが漏れた。
「あんたの初物食いも筋金入りだなあ。近衛時代からそうだったって?それで目を付けてた初心そうな女が国王の妻だったからって国王だまし討ちして目の前で王妃様強姦したってものすごい凶悪って言うかアホみたいだよねーそれ、まだばれてないんだ。金の力って偉大だね」
「それがお前の言いたいことか…!俺をこんな目に遭わすのはつまり、父母の敵討ちだというのだな」
 ガスッ!
「ばーか」
 突き立てた短刀は国王の頬をわずかに切った。
 ラグの目は至って冷静で、見当違いのことをほざく男に心底うんざりとした様子がありありと見て取れた。
 胸ぐらを掴んで玉座から引きずり下ろすと、イージスは足の力を保てずにあっさりと俯せに倒れる。
「…っぐ、がああ!」
 ドスッ、
 鈍い音が立ってイージスの四肢が軽く跳ねた。
 ラグが持ってきていた折りたたみ式の短刀を、その左手に突き立てた音だった。
 彼はそのまま淡々とした動作で、まるで串焼きの下準備をしているような様子で残り三本の短刀を両手両脚にそれぞれ突き立てていく。
「わっかんないなぁ…何が楽しいのこれ?」
 ぼやくラグの表情には喜怒哀楽のどれもない。つまらなさそうな落胆だけだ。
 それがより、彼の狂気を物語るとも言えるのか。
「ぐ…っ、ぐああ…」
 昆虫の標本のように縫い止められ、ただでさえ身動きの取れないイージスはラグの足元で苦悶の声を上げている。
「ねー、おとーさんはしぶとかった?確かこれの倍は剣とか色々ぶっ刺されてそれでもおかーさん助けようとじたばたしてたと思うんだけど。俺あの時の記憶がどうも飛んでて」
 ラグの声はあまりにも淡々としすぎた。
 少なくとも壮絶な両親の死に際を語る少年の声音ではない。
「で、そんなおとーさんの前でおかーさんヤってて気持ちよかった?分かんないなー。そんなん間違いなく恥ずかしくてたたねーよ俺なら」
「…だま…れ…ッ」
 じわじわと広がる赤い染みにも、ラグは一切反応しなかった。
「そうそう、さっきの質問に答えてやるよ。こういうコトするのはおとーさんとおかーさんの敵討ちかってことだけど、違うよ。全然違う。あんたが息をしていることが俺のなかで我慢できない事実だからだ」
 そして、もう一本振り上げる剣。今度は間違いなく身体を狙って。
「………!」











 「ラグ。」







「 」














 がつん 。
















 固い地面を噛んで、凶器は足元を、無機質な音を立てて転がった。



「……?」




 新たな痛みがない我が身を訝しんで、イージスはゆっくりと長身を仰いでいった。
 先ほどまで淡々と凶行に及んでいた男は、両の手を身体の脇にだらりと垂らし、その顔にはっきりと感情の色を刻んでいた。




 愕然。




 そう呼ぶのに相応しい、何か唐突に信じられない事態に直面したような。
「…っ、……っ」
 彼は何度か、息苦しそうに口の開閉を繰り返し、目を伏せ、深く深呼吸を繰り返して、ようやく平静を取り戻したようだった。
 再び瞳を上げた彼の顔は、今までのどれとも違う、イージスが見たこともないような、毅然とした印象である。
「…やっぱり殺してあげないことにするよ」
 ラグは今度は笑わずに、心底嫌悪する目をイージスへ向けてそう言いはなった。
 しかし先ほどの狂気よりも純粋な感情に見て取れた。
「どうせこのまま脱出できなければ生き埋めだ。あんたが大好きな呪法陣と一緒に眠ればいいよ」
「ぐ…がぁッ…!!」
 律儀に縫い止めていた剣四本を引き抜いてやる。
 それだけでもまともに動けはしまいが、未だ薬の切れないイージスはビクビクと痙攣を繰り返してはラグをにらみ据えている。
「じゃあね、おっさん。」
 そしてもう、踵を返す少年は伏した国王を一顧だにしなかった。




 あくまで“砂嵐”の目的は国王を行動不能にすること。
 そして王城を崩壊(半壊だけでも)させ、呪法陣の存在を明らかにし、本格的に抹殺することだ。
 十分遂行した。
 はやく逃げようと思った。




 くれの所へ帰ろうと。








(紅。紅、紅――――――紅)
 国王の喉を突き破ろうと剣を振り下ろしたとき、名前を呼んでくれた。



 幻聴だ。現実ではない。けれど確かにラグの耳に、その声は届いた。
 俺を助けてくれた。





 殺さなくて良かったと思う。
 あのまま一突きにして、それで俺は気が済んだろうか。そうは思わなかった。
 きっと原形を留めなくなっても飽きもせずに突き刺し引っ掻き砕き続けただろう。
 俺はもう、そういう人間だ。分かっているから嫌だったのだ。


 だって俺は、人を殺すのも人を傷付けるのもちっとも楽しいとか嬉しいとかは思わない。
 刺されると痛い。殴られてもやっぱり痛い。犯されるのはさらに上乗せして心が痛かった。
 俺は全部知ってる。だから嫌だ。



 楽しくない。ちっとも楽しくなんて無いのだ。だから。
「…ごめん、おとーさん、おかーさん」
 そして。




「ありがと…紅」
 知らず瞳に涙が浮いた。




 たった一人の少女と出逢えた、その、
 運命でも偶然でも必然でも構わない、ただその事実に幸福を覚える。





 今すぐに声が聴きたい顔が見たい触れたい、と。
 想いを馳せるひとがいる。









 その、表現しようのない幸福。

































 時限爆弾の作動も後半に入ってきていた。
 支柱が倒れ壁が砕け、通行不可能になった通路も随分と多い。
 ラグは地図と照らし合わせて、最短距離を選んで紅達の待つ合流地点へ急ぐ。
(ちょっと遅れちゃったかなぁ、紅怒ってないと良いけど)
 さすがに脱出済みなのか、進行上に立ちはだかる兵は皆無だ。
 行きとは違い悠々快適、とは言えないのだが、心境的には随分と気楽に駆けていく。



 メイはもうすうでに紅と合流しただろう。
 問題はハイメだった。彼の到着が間に合えばいいのだが、なにせ脱出方法が方法であるから。
(マスターも相変わらず無理をする―――――っ)
 しかしそれも今日のこの日まで限りなのだ。
 五年間、利害の一致という間柄で結成された“砂嵐”は事実上今日をもって解散だ。
 彼らには世話になった。結局はカゲロウと二人で、利用してしまった形になるのかも知れないけれど。



 大したことは出来ないかも知れないけど、最後に全員で揃ってどんちゃん騒ぎでもして。 そう、マスターがいつか言ってたみたいに花見でもしたいな。
 もちろん紅も、フェイへ送り届ける前に、みんな一緒に。カゲロウも、仮面付きで良いから引っぱってでも。




 みんなで楽しく、笑って。
 そうして、お別れが出来たらいいな、
 そう思う。







 キングは感傷に浸りすぎた。
 彼とはいえ人間で、目的が達成されたことによる気のゆるみも当然あったのだろう。
 咎は、無い。そう思いたい。
 だが。





 ラグの反応は早かった。




 行く先に、赤い髪を見いだす。
 別れたときと同じ、少しだけ汚れてはいたが、白いドレスを纏った可愛い女の子が居る。
 紅だと、ラグの意識が認識して。
 顔中に自然な笑顔が浮かぶ。嬉しかった。会いたかった。
 側にメイもいた。安堵する。みんな居るのだ、と。




 そして、すぐに、笑顔が凍り付いたように。
 ラグは二人の元へ駆けつけていた足を止めて、とたん振り向いた。




 どっ





 まともな反応も出来なかった。
 それでもラグは、胸のうちで快哉を叫ぶ。






 視線の先には、ボウガンを構えた―――――ああ、そうか、君か。






 それでもラグは憎しみも怒りも覚えずに小さく笑みすら浮かべてみせる。そして視線を下げて、胸のど真ん中、たぶん心臓はこの辺にあるのだろうとふだん思っているところ、に突き刺さった矢に触れる。



 掴む。




 引き抜く。





 血が噴き出した。
 量に自分自身で驚く。







 さすがにここを刺されたことはない。弓でも刃物でも。
 自然と膝を、手をついた。
 喉が熱い。ああ、血を吐くのか。それも久しぶり。







「ラグ!!」
 後ろから声がする。
 俺を呼ぶ。






 紅の声だ。
 嬉しい。聴きたかった。



 良かった。紅は怪我をしていない。











 

 

 

(2005.4.22)

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