19 スノードロップ2
場所が以前と同じくなってしまうのは必然か。思わず苦笑が漏れる。
キスですっかり息の上がってしまった紅を伴って部屋に入り、半分以上は防犯のために施錠も怠らない。
本当はシャワーとか浴びた方が良いのだろうけど、間を開けると自分の決意がくじけそうで怖かった。
足元がおぼつかない紅を抱き上げて奥に進む。
軽い身体は拒まずラグの首にしがみついてくる。抱きしめた身体は先ほども思ったが熱かった。
「紅、もしかして酔ってるの?」
緊張をほぐしてあげたくて、否、柄にもなく緊張しているのは自分の方かも知れない。声をかける。
紅は真っ赤な顔のまま首を傾げた。分からない、という意味らしい。
「もし酔ってても、朝になって怒らないでね」
苦笑する。紅は気分を害したのかむっとしてしまった。
本当は、怒られたって殴られたって、好きな女の子を抱ける口実が得られたそれだけで、普通の男は喜ぶものだ。
それに、相手の愛情が伴わなくても。それが、別れの際のことであっても。
紅の望みならなおさら。ラグは、彼女に優しくできるなら方法はなんでも、それだけで構わない。
アジトとは別に賃貸しているこの家屋は、ホームヘルパーを雇った甲斐あって塵ひとつ落ちてない。
当然、皺ひとつ無いシーツの上に紅を抱き下ろしても、清潔なにおいがするだけだった。
「何かあったらすぐに言って?紅のしたいようにするから」
縁に腰を下ろした紅の前に膝をついて言う自分は、まるで従者のようだと笑みが浮かんだ。
なんというか、この状況もその気になってみれば遊びのようで楽しめる気もした。
「だめよ。ラグが考えて動いて。こ、こういうことって、知らないんだから、いつもするみたいでいいから」
「……」
真面目な紅に訂正されて困惑する。
とりあえず並んでベッドによじ登ってみる。
いつものように、とは、また困った。
「俺ってそんな、経験豊富みたいに思われてるの?」
この歳で。複雑だ。確かに自分では初心だとは思ってはいないが。
どちらかというと総合的な回数では確実に抱くより犯される回数が多かったはずだ。
だからこの行為に欲求の解消以上の執着を見出せなかった所為もある。
しかし今回ばかりは勝手が違う。今までと、全く違う。
「…俺だって、好きな女の子をするのは生まれて初めてだよ?」
だからこの緊張も仕方がない。どきどきして、触れるのも躊躇われるようでいて、初めて女を抱いたときの余裕のない心境のように、急いで事を進めたい気持ちが混在している。
「だから、たぶんどきどきしてんのは紅と一緒だよ」
ほら、と教えるために紅の頭を胸に抱き寄せる。
逆らわず、大人しく寄っかかってきた紅は、耳を澄ましてやや驚きの視線で見上げてくる。
「ね?」
笑うと、今から情を交わさず紅を抱くことへの背徳感が薄れていく気がした。
気休めかも知れない。躊躇うことは、ラグの傲慢かも知れない。
自分はただ、この女の子に優しくしたいだけなのだ。
「だから、俺も一生懸命するけど、嫌だったらすぐ言ってね。それだけは省かないでね。約束」
「う、うん…」
何とも間抜けな約定だが、それどころじゃない紅は素直に頷いてくれた。
「じゃあ、しよ」
ベッドのスプリングがわずかに傾ぐ。紅はほとんど反射的に身を引く。
怯えさせないように、まずは抱きしめる。ぎゅうっと。体温を伝えあって、少しでも安心して貰えるように。
「怖くないから」
「こ、怖がってなんか無いわよっ!いまさら…っ」
「怖いときもちゃんと怖いって言って良いんだよ」
頭のてっぺんにキスを落として、髪をすく。間を置いて、顔中にキスを降らせていった。
抱かなくても、こうやって一晩中キスしているだけで自分は満たされる気がする。しあわせで窒息できそうな気がする。
好きな女の子相手とはこういう事なのかと、青年らしくない感覚に笑みが漏れた。
老獪な年寄りじゃあるまいし。
再びキスを繰り返す。出来るだけ(想像の域を出ないのだが)甘い、恋人同士のように。
紅の目が潤みを増したのを見て、様子を見ながら身体を撫でていく。
次第に際どいところまで手が触れるので、ぎゅっと紅の両手がしがみついてくる。
それが、耐えるような、ではなく、本当に羞恥に困窮する、追いつめられた小動物の仕草に見えて、嬉しくなった。
清らかな感想を抱いておいて、ちゃっかり欲望が首をもたげてくる。
もっと見たい。
「…あ、えっと」
服に手をかけると視線を彷徨わせる。迷いが出る前に下着姿にしてしまってから、ラグも自分の上着を脱いだ。
「……!」
紅が、息を呑んだ。
初めて家族以外の男の上半身を目にする動揺からではなく、ラグの身体自体に対する反応だったのだろう。
「…ひどい…」
どんなときも長袖を手放さない彼の肌は酷い惨状だった。
はっきり傷とわかるものから、何が何だか分からない痕まで、無事な肌の方が少ない。
「…怖い?」
ラグは苦笑する。他人に肌を晒すのは一体いつぶりか。あれ以上の恐怖を与えたくなくて、一度目の時は極力服を脱がないままだった。
「怖がらせたいのならお生憎様。私の感想はこの傷を負わせた相手への怒りで一杯よ」
怖くない、と紅は答え、さらにラグの傷を不憫だと言ってくれる。
「ありがとう」
嬉しかった。好きな人に拒まれなかった、少年としての素直な喜びだった。
直接肌を合わせて抱き合うと、隔てる距離がもっと近くなった気がした。
「ねえ、痛くない?」
「痛くないよ。すごい昔の傷だもの」
「違うわよ…ここは?」
そっと、紅の手のひらが押さえたのはまだ真新しい傷の残る、胸の中央。
“ここ”が、打たれた傷を差すのではないことは分かった。その、まだ奥のこと。
「うん、なんかもう、だいじょうぶみたい」
全部、君のおかげ。
もう一度抱きしめてキスをして、ベッドの上に倒れ込む。
顔だけじゃなくて、身体にも少しずつゆっくりとキスを降らせて手指でそっと撫でていった。
一度目はわざとみたいに、一回もキスをしなかった。
それを取り戻すかのように、数え切れないくらい、いっそしつこいくらいくちづけを繰り返した。
紅はとても敏感で、どこに触れても目を細めて小さく震える。
漏れそうになる声を、必死に手のひらで押さえてこらえるのがいじらしくて、意地悪したくなる。
「なんで声、がまんするの」
「だって…ヘン、じゃない、の」
息が上がっている。うっすらと汗を掻いた前髪を撫でて、優しく笑いかけてやる。
「へんじゃないよ。ききたい」
恨みがましい目で睨んでくる紅の反論をまたキスで封じて、大人しくなる少女の素直さに錯覚しそうになる。
まるで本当に、恋人同士の睦言のようだ。
丹念な愛撫を経て纏う衣服を全て取り払っても、紅の抵抗は最小限だった。
逆に不安になりながらも、様子をうかがうことだけは怠らないよう、ゆっくりと、気遣う事を忘れず進めたかった。
「きれい…」
一糸纏わぬ紅を前にして、見惚れるように賛辞を口にした。
それは本心からの言葉で、言わずにおれなかったという方が正しのか。
「……っ」
紅からの叱咤するような反論はない。何馬鹿なこと言ってるのよくらいの突っ込みは覚悟していたが、どうやら彼女にはもうそんな余裕もないらしかった。
もう逃げ場が無くなって、身を縮こませることも出来ず、ぎゅっと目を閉じ震えている姿を見ていると、こっちが虐めている気分になる。まあ大差はないのだろうが。
「だいじょうぶ?」
もう一度、身ひとつのままで抱きしめる。
密着すると、自分がどれだけ興奮しているのかが彼女に伝わると思ったが、今は構わなかった。
「あのね、紅」
髪を撫でながら、呼びかける。
これを言うのは卑怯かも知れない。
「すきだよ」
ゆったりと、キスと愛撫を再開していった。今度は、深いところまで。
「ん…ぁっ」
紅は、相変わらずラグにしがみつくようにして震えながら、少しずつこわばりを解いていってくれた。
声をかけると安心してくれると分かってから、積極的に名前を呼んで、すきだよの言葉を繰り返した。最終的にはその言葉しか知らないみたいになる。
いよいよという時に、身体で感じ取ったのか、紅が「まって」と呟き、ぎゅうっとラグの首にしがみついてきた。
肩と、背中と、頭をぽんぽん叩いて、優しくあやすようにゆらした。不安が少しでも拭えますように。
どうか、この夜が、紅の未来にプラスになっていきますように。
俺のことは忘れても構わないから、どうか。
「怖い?」
首を振る紅の髪に頬をくすぐられて、目を細めた。
少しだけ身体を離す。
「いい?」
頷く、素直な反応にたまらなくなる。
軽く、羽のようなキスをした。
ひとつになるとき、紅が少しだけ辛そうな声を漏らした。
伺うと、濡れた瞳がじっと見つめてくる。哀しみでも苦しさでもなく、感傷で濡れた色をしていた。
大好きないろにくちづけた。
紅はびっくりしたのか何度も瞬きをして、また、大きな目がじわじわと濡れていく。
なかないで。
世界中で今、お互いの一番近くにいるのは当然相手で、きっとこれ以上近寄れないほど距離を無くしているのに、泣かれるとどうしようもなく悲しくなる。
「紅…っ」
だから、その瞳をもっと別のもので濡らそうと躍起になる。
少し乱暴にしてしまうのを承知で紅を抱くことに夢中になる。
セックスがこんなに気持ちが良いとは知らなかった。
否、好きな女の子と結ばれるのがこんなに満たされることだとは知らなかった。
気持ちが良いのか、紅が相変わらずラグにしがみついて声を漏らす。
感じてくれるのが分かって、素直に嬉しかった。
「ら…、らぐっ、ぁのねっ…!」
苦しい息の合間に、紅が切ない声を上げる。
ラグは動きをやめずに、聞き漏らすまいと耳をそばだてた。
「あの、ね…っひとりごと、だから…っん。あっ、したになったら、忘れて?やくそく、ね?」
声をきこうとする気持ちの方が働いて、動きを緩めると紅はほっとしたように笑って改めて声を紡ぐ。
ラグは紅の耳にキスをしてから、うん、と答えた。
「ずっとね、ラグのこと、すき、だったの」
涙が出た。
それをごまかすために、再び紅に夢中になった。
言って安堵したのか、比べものにならないほど少女の身体は素直にほどけていった。
涙が出たのは、言葉に感動を覚えてからではなくって。
朝が来ると同時に忘れなくてはいけない、その残酷な事実からだ。
(2005.6.10)