03 一方通行

 

 








 ひんやりとした、澄んだ空気に包まれていた。
 左頬が鮮烈な暖気にやられて少し眩しい。朝日だろうかと、ぼんやり意識の外で認識する。
 何だかぼおっとしていて、少し頭痛がした。
 いつもの柔らかい枕ではなく硬いものを敷いて寝ているからだ、と思って。
「!!」
 ばちっと、目を開けて飛び起きると。
「わあ驚いた。お早うー」
 すぐ横には、胡散くさいを絵に書いたような若い男が肘を立てて転がっていた。
「〜〜〜〜〜〜っっなっなっなっ…!!!」
 手を伸ばせば届く距離。これではまるで添い寝状態。
 仕方がない。一人用の敷物に二人転がっていたのだから。
「なんであなたが隣にいるのよ!!」
 朝から高血圧である。目覚めはすっきり。若さって素晴らしい。
 くれは脱兎の如くその場から遠ざかりたいのを必死にこらえて、震える拳を握りしめた。
 この男は確か昨夜、おなじ幹の反対側で眠りについたはずだ。その筈だ。
「森の朝方ってどうしても冷えるからね。特に君は一日中慣れてないのに歩き通しだったでしょ。風邪でも引いたらいけないと思って。可愛い寝顔だったねえ」
 なんてありがたいお言葉だ。最後の一言がなければ。
 つまり、添い寝して暖を取らせて貰っていた、、、、、、、、、と。しかも寝顔を眺められていたと。
「………っ」
 起こせばいいじゃない起こせばいいじゃない起こしてさっさと出発すれば良いんだわと紅は軽く百回くらい反論をこらえた。
「さあて、すぐそこの川で顔洗って、準備が出来たら出発だ」
 何事もなかったように立ち上がった男は、大きく身体を伸ばしてさっさと活動をはじめた。
「もうすぐ森を抜ける。今日は街のベッドで眠れるから」
 紅はただ、少しやさぐれた心境で頷いた。







 この男と出会ったのは昨晩。つまりまだ半日ほどしか経っていない。
 フェイで生まれ育ち、一度も出たことの無かった紅は、「はじめての道では迷子になる」という呪いを持っていたために、いつしか気づかず国境を越えてウォッツの密林に足を踏み入れてしまっていた。
 慣れぬ土地で現れたのがこの、得体の知れないウォッツ国民である男だった。
 一人で帰ることが不可能な紅に、自分の用事を手伝ってくれたらそのあとでフェイへ無事送り届けてくれるという。
 その、自分の用事が何なのかは一切明かしてはくれないが、紅はともかくこの森を抜けなければどうすることも出来ず、男に着いていくことにしたのだ。
 したのだが。
 この男、若く見えて、自分とそう年も変わらないほどに見えるのに、得体が知れなさすぎて怪しすぎた。
 一見穏やかそうで善良そうに見えるのだが、言動は要領を得ないし都合が悪いと余裕で無視するし自分勝手かと思いきやしっかりと道理は通してくる。
 この男の心の内は読めない。やりとりは本当に気力を使う。
 けれど彼は確かに、条件と引き替えにウォッツのことを教えてくれると言ったから。
 信用はしない。けれどおたがいを必要な限り利用する。ギブアンドテイク。男が言ったとおりだ。
「はい。これが本日の朝ご飯」
 身支度を整えて紅が木の根本に戻ってくると、湯気の立ったカップが差し出された。
 中身は乾燥させた具をお湯で溶かした簡易スープらしい。
 つたない味だったが、あたたかくてほっと身体の強張りが取れるようだった。
「紅ってさあ…幾つ?」
「…15よ。あなたは?」
 突然尋ねられてひるみはしたが、自分も気になっていたので重ねて返す。
 何がおかしいのか、男はカップを両手で支えながら微笑んだ。
「ラグって呼んで?」
「……ラグはいくつ?」
「幾つに見える?」
 紅がふいと視線を逸らすと、少し苦笑混じりの声が追ってくる。
「17だよ。あと半年で18になる」
「…そう」
 それは別に「あと」と付け加えるほどの月数ではないと思いつつ、突っ込みを控えた。
 そうした方が自分に及ぶ被害が減ると思ってのことだったが。
「二歳差だったらちょうど良いくらいだな。俺たちお似合いだと思わない?」
 男の無駄口を減らすことには成功しなかったようだ。









 支度を整えてふたたび歩き出した。
 慣れない状況で眠ったので体中がぎしぎし言うような気がしたが、黙って耐えた。
 ついでに足がぱんぱん状態で、それは一晩眠っても完全には治らなかったようだが、これも口に出すことではないと思って無視して歩いた。
 だんだんと目に映る木々の密度が減っていき、人が通るに支障ない間隔と景色になってくる。
 森を抜けるも時間の問題かと、知れず緊張で心身の不調も吹き飛んでしまいそうだ。
「フェイのことを訊いても良い?」
 先を行くラグが、肩越しに振り向いてそう訊いた。
 ウォッツのことを教えてくれるというのなら、これも当然のラグの権利だと思い、紅はこくりと頷く。
 フェイの国民がほぼ全員持つ呪いのこと、治安のこと、町の様子など、簡単なことを訊かれるままに答えていった。
「そうか。話には聞いていたけどみんな自分自身を呪いの保険にしているんだな。呪われてる間は別の呪いは食らわないから、安全といえば安全だ」
 その保険の筈の呪いで遭難しかけた紅は何ともいえず、明後日の方向へ目をやった。
「ウォッツではね、呪いはすべて動物やモノに行くよう仕組みがされてるんだよ。避雷針みたいにね。もともと人間用の呪いだからおかしくなって凶暴化する動物もいるから、紅みたいに森の一人歩きは危険だよ?」
「あの獣もそうなのかしら…」
 人間の勝手な都合でとばっちりを食らう動物が不憫だが、それもウォッツの方針だというのなら紅には口出しをする権限はない。
 紅の呟きにそうかもねえとラグはただ、曖昧に言葉を濁していた。
 ふと、その瞳が紅へ添えられる。
「それで、フェイの人はみんな紅みたいにいろんな色できらきらしてるの?」
 何気ない口調で言って、伸ばした手が紅の髪を撫でて掬った。
「っ!さわらないで」
 即座に距離を取って睨み付ける。
「ごめん」
 ラグは素直に謝ると、自分の前髪を一房摘んだ。
「ウォッツの人はさあ、俺みたいに黒髪黒瞳こくどうがほとんどなんだよ。他にいても焦茶の瞳とか、ちょっと珍しくて薄茶髪とか、灰瞳とかで。とにかくモノトーンなわけね」
「……」
 そんな人種的なお国柄があるとは知らなかった。
 改めて明るいところで見るラグは、本当に真っ黒の髪と瞳をしていて、光を跳ね返すつよい色をしていた。
 こうして見ていると普通に好青年に見えないこともないのに。
 気にしていないようだが、謝られてこちらも何だか悪い気がして、紅も口を開いた。
「そうね。いろんな人がいるわ。あなたみたいな黒髪黒瞳の人もいるけど、ひとそろいは確かに珍しいかも。青い髪とか極端に白い髪の人もいる。紫の瞳をした人もいれば猫みたいなオッドアイの人も、突然変異で生まれることもあるみたいよ」
「すごいなあ、それ」
 目を見開いて、純粋に感心した風にラグが言うので、ちょっと気持ちが良かった。
「実は今言ったの、うちの家族全員よ」
「ええ!?」
 その驚き具合に、とうとう紅はくすくす笑いをもらした。
 紅のうちはある理由によってみんな様々な色を持っている。


 父は金髪碧眼でそう珍しくないが薄い色彩で光っているようだし、母は銀髪に紫の瞳をしていて、話に出てくる精霊のようだとか身内ながらに思う。
 ちなみに青い髪は長兄。白髪は次兄のことで、いつ見ても不思議だと思うオッドアイは末の妹の持つものだった。
 実は、別にオッドアイはそう珍しいことではない。人間の顔身体は完全な左右対称ではないのだから、茶と焦げ茶とか赤とピンクとかそういう人は捜せば結構いるのだ。フェイに限った話かも知れないが。
 けれど妹は紫と緑でかなり目立った。
「やっぱり俺たちとは、ものの見え方が違ったりするのかな」
 真剣な表情で、子供みたいな事を言うので顔を背けてまた紅はくすくす笑いを隠さねばならなかった。
「でも紅はすごい。こんなに鮮やかなあかい髪と蒼い瞳で。対照的な色で、目立つよね」
 このお陰であの暗い森でも見つけられたようなものだよ、とラグは笑う。
 紅はなにやら居心地の悪い心境になる。
 家族の例えで話すのは構わなかったが、矛先が自分に向くと何だかたまらなかった。
「すぐ上の兄だって、私に負けず劣らず対照的だけど。オレンジの髪に緑の目で、私よりずっと綺麗よ」
 ああしまった何だかブラコンっぽい事言ったかも知れない。
 自ら掘った墓穴に頭を抱えたくなる。ラグは構わずに、真っ直ぐに視線を向けてきた。
「でも俺は、紅の色が好きだな。宝石みたいで自慢したくなる」
「……あのっっ!」
「なあに?」
 あまりにも言われ慣れない歯の浮くような台詞に、全身の鳥肌が拒否反応を示していたりする。
「何でそんな、あの、誉めるのよ?」
「え、だってそっちの方が恋人らしくて気分出るじゃん。君のいろが気に入っているのは本当だけどさ」
「だから…その…!」
 「じゃん」じゃないだろう。「じゃん」じゃあ。
 紅は震える肩を隠そうともせず、びしっと指を突きつけた。
「昨日からきちんと聞きそびれていたけれど、どうして私があなたの嫁とか恋人とか女にならなくちゃいけないのか、順序立てて説明して欲しいわ」
「えー?」
 小首を傾げて不思議そうにするな。可愛くない。ちっっっとも可愛くないから。
「しょうがないなあ。あのね、例えば君がウォッツの街に一人で入るよね。で、フリーだと思われて、どっか怪しいところに連れ込まれてたくさんの男に順番にまわされて、いかがわしい店に売られるか、薬漬けにされて快楽殺人者に生きたまま切り刻まれて死んじゃうのとどっちが良いと思う?」
「……」
 いきなり「順序立てて」無い上に、話の内容に眉を潜める。
「ウォッツはね、そういう国なの。力のない人は力のある人に何でも奪われてしまう。それで文句が言えない国なんだ」
「…それで、国がうまくいくはずがないわ」
 あっという間に不整が蔓延し、国が根幹から腐り傾いてしまうだろう。
 秩序などあってないようなものだ。
「うん。でも一応ね、ウォッツにも決まりがあって。法じゃなくて“決まり”って言っちゃった方が良いようなちゃちなものだけどな。強盗・殺人・脅迫・強姦と、まあ、ふつうに人としてダメっぽいものは当然禁じられてるんだ。破ったら有無を言わさず私刑」
「私刑?」
「盗みと殺人が同様の処罰じゃ問題だろうって事で、軽い犯罪者はリンチと賠償金」
 理屈は分かるが、リンチという言葉がまた薄ら寒い。
「第一級犯罪者はほぼ死刑か終身刑だから、みんなせっぱ詰まらないとやらないよ。そんなことしなくても、一定の手順を踏めばウォッツでは殺人も許されてるから」
「…一定の手順?」
 生まれ育った国のことだからか、変わらぬ声の調子で語るラグが少し恐ろしかった。
「一対一の決闘とか、あとは正当防衛でやむなくの場合ね。そういう決まりだから、みんな相手を殺したあとに言うんだよ。これは決闘だった。向こうも了承してのことだった、って」
「……」
「そんな青い顔しないで。聞くだけ聞くとそりゃあ物騒な国だけどね。とにかくガチンコ勝負の国だから。荒っぽいけどみんな、自分の腕だけを頼りに信じて、結構楽しくやってる。その点ではみーんな身分も差別もなく平等なんだぜ。王様だって今この瞬間に殺されてりゃ変わるし」
 そう言われても、しばし返すべき言葉が浮かばない。
 何もかもがフェイとは違いすぎる。閉鎖国ウォッツがそんな内乱で手一杯な国だったなんて。
「そこまで自由で、国としてよくここまで保ったわね…」
 ようやくそれだけ呟くと、ラグは肩をすくめる。
「わかりやすく言って実力あるものが上に行く社会だけど。みんながみんな気に入らない人を殺していくわけじゃないよ。ある程度はわきまえてるよ。極論をたくさん言っただけ」
「…それで、結局どうして私があなたの女なの」
 そうだ、あまりにもウォッツの話が強烈すぎてまた聞きそびれるところだった。
「ここまで言っても分からないかなあ。女の子も弱いからって差別されない。たとえ強姦されたって男側は「勝者が敗者のものを奪うのは当然の権利だ」とか主張するワケね。それが通る国なの。だから女の子は父親とか兄弟とか、恋人とか、何なら友達でもいいや。そういう存在を主張するの。それがあるだけで勝手に奪ったら“強盗”になるんだ。その子は彼のものだから」
 紅の眉間に、嫌悪感を隠さない皺がぎゅっと刻まれる。
「女を何だと思っているの」
 ラグは不思議そうだった。
「どうして?“みんな平等”の当然の結論だと思うけど。フェイでは女性の立場を尊重しているかも知れないけど、それが高じると男性に対する差別になるでしょ。ウォッツではね、女性は“弱者”じゃないの。弱者だとしても誰も構わない」
「……」
 理屈は、そうなのだろうが。
 こんなにも異なる価値観。
「当然、男性より強い女性もたくさんこの国にはいて、守って貰う必要のないひともいるけど。ほとんどは男の人に守られるよ。女の人だけが持つ魅力とか、色香とか、そういうの磨いて、出来るだけ強い人の心を射止めるの。それがウォッツの女の人の戦い方」
 ああそういえば、昨日もそういうことを言っていた気がする。
「でも、紅はウォッツで生まれたワケじゃないし、フェイに帰りたいんでしょう?だったら男の人を落とす必要はない。手っ取り早く、俺の女って事にしておけばいいよ」
「……ええ、とりあえず、話は分かったわ」
 頭痛はかなり酷くなったけれど。
 重い足を引きずりながらも、紅は真っ直ぐにラグの背中を見上げる。
「…でもかなり迷惑な話よね」
「そうだねえ」
 同意するなと言いたい。迷惑なのはこっちだ。
 だが、ふと思う。期間限定とは言えそういうことになるのなら。
「…ラグには恋人はいないの?形だけでもそういうことにしたら、困るのはあなたなんじゃ…」
「あははは。大丈夫。自分でうまくやりくり出来るならウォッツは一夫多妻、一妻多夫もオッケーだし」
 なんじゃそら。
 質問のちゃんとした答えになっていないし。
「…その、もちろん、形だけなのよね?私があなたのものになるって…」
 言ったあとで失言だったかも知れないと口を押さえたが、後の祭り。
「既成事実作っても俺は認知しませーん。後腐れはない方が良いよねえ」
 何を言っているんだこの男は。
 何もかもが確かでない。きちんと答えて貰っていないような気がする。
 それに何より。
 極力、ラグには頼るつもりはないが、牽制だけでもなって貰わねばならないのだから。
「ラグって、強いのっ!?」
 少し開いた先の背中に声を投げる。
「どうだろう?無駄な闘いはしない方だけど、もしかしたら君より弱かったりしてね」
 振り返らない男の表情は、分からない。声だけが楽しむような響きを持っていた。
「何それ・・・!」
 唇を尖らせた紅は、ふいに腕を引かれてつんのめる。
 何をするのと声を上げようとラグを見上げて、広がる景観に声を奪われた。
「…わあ…!!」
 少し高台に立っている自分たちからは、その風景が一望出来た。
 フェイとは違って緑よりも茶色の多い、硬くて平らな台地が一面に広がっていた。
 ラグの指さす先には確かに、街と思われる建物群がわずかに視界に移る。
「ウォッツの三大都市のひとつ、サーヴだ」
「三大都市…」
 呆然と目を奪われている隙に、ラグによしよしと頭を撫でられた。
 すぐに身を離して睨んだけれど、やはり彼は動じた様子もなく
「大丈夫。弱いのは弱いなりにココを使って戦うから」
 と、自分の頭を人差し指で叩く。
「紅のことは誰より優先して守ってあげる。俺の宝石だから誰にも渡さない」
「……なっなに言って…!」
「さあ行きましょうかハニー」
 笑い含みのその声に、今までのラグの軽口はすべて紅をからかってのものだとようやく気づいて、顔面に一気に血が上るのを感じた。
「気安くさわらないでっ!何がハニーよバカッ!!」
 差しだされた手のひらに、容赦ない平手を食らわせてやる。








 どうにもこうにも、一方通行。



 噛み合わない、かりそめの恋人。
 









 

 

 

 

(2005.2.1)
ラグによるウォッツ基礎知識。

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