04 アダムのリンゴ1

 

 









「はぐれないように手を繋ごうよ。それに君が俺のものだってわかりやすいよ?」
「ぜっっっったい、いや。」
 着々と既成事実を積み重ねていこうとする一言を、ある意味これ以上ないほど丁重にお断りした。
 街に入っての第一声がこれであるのだから、色々と思いやられた。
 ウォッツ三大都市のひとつであるというサーヴは、昼日中に着いたためかかなりの喧噪に包まれていた。
 大小様々な建物がひしめき合って、色々な物が散乱しており、ごみごみとした印象は受けるのだが、なんというか。
「思ったより普通?」
 心境を忠実にリポートされて、くれは思わずぐっと詰まる。
「いかにもワルですって顔に書いたやばそうな人が、我が物顔で闊歩かっぽしてるとか思ってた?」
「……」
 顔色をごまかすために、街を見渡す振りをして目を逸らす。
 確かに、整然と整備されたフェイのような、造形美とか爽やかな清潔さは及ばないかも知れない。
 けれど初めて見るウォッツの街は、いろんなにおいといろんな色が、混在して主張して、それでも殺し合わずに共生している、そんな印象を受けるのだった。
 人々の格好も様々だった。
 スキンヘッドに入れ墨をしている女性や、長い髪を編んで化粧している綺麗な男性や、ほとんど半裸で平然としている集団もいた。秋なのに。
「……」
 紅はもうさっきからそれらに目を奪われて、声も出ない。
 少し前をゆくラグが、肩を震わせて囁いてくる。
「言葉もないのは分かるけど…紅。君だってすごい注目浴びてるよ?」
「えっ」
 言われて改めてみてみると、老若男女、問わず歩く二人を、というか本当に紅を無遠慮に見ている。
「な、なんで?」
「やっぱり髪と目の色がすごいんじゃない?」
 いや、そんな、確かに目に映る人々は黒髪黒瞳やモノトーン色調の人ばかりだが。
「髪くらい染めるでしょう?」
 こんなに自由な国なのだから。赤い髪の人もいるはずだ。
「決まりでね、ウォッツでは特別階級の人以外は色をいじるのは御法度。肌は自然にも焼けるから自由だけど、みんな髪と目の色は天然なんですー」
「な」
 によその決まり。と言おうとした紅を、さらにラグのささやきが遮る。
「それにあかはウォッツでは忌色だ。悪者の色なんだよ」
「…はあ?」
 今度こそ裏返った声で訊き返してしまう。やはり動じないラグは歩む足を緩めずに続けた。
「罪人の手錠とか、奴隷の首輪とか、ウォッツでは全部真っ赤。まあこういう国だから気にしないで服とかほら、そこの壁画とかでもいっぱい使うけど、好んで髪染める色じゃないよねえ」
「じゃ、じゃあこの注目って…」
「奴隷か変態か頭のいかれた人とでも見られてるんじゃない」
 今挙げた例の中で一番最初が一番マシだと思ってしまうのはどういう事だろう。
「大丈夫だよ。紅は可愛いから差し引きゼロだ」
 ゼロではダメなのではないだろうか。
 ちっともフォローになっていない気がするが、ラグに手招かれて少し薄暗くなっていく横道にはいる。
 かすかにほっとした。
 大通りから外れれば確かに、人の目は減ったから。
 ふと、先を行く背中を見上げて思った。
「でもラグは、あんまり驚かなかったわね」
「ああ、うん」
 一度立ち止まって、振り向いた男は目を細めた。
 陽は、遮られて届かないはずなのに、眩しそうに。
「俺、あかが好きだから」
「……へえ」
 それは要するに、この男も変態か頭のいかれた人並みの感性だということだろうかと、紅はうなだれた。 




「どこに行くの?」
 だんだんと風景がうらぶれて、暗がりに向かっていくような気がする。
「ちかみちー。この先に俺の下宿?みたいなのあるから。明るいところだから大丈夫よ?変な宿に連れ込んで服脱いでとか昔のモデルみたいことにはなんないから安心して」
 紅は本気で目の前の背中に蹴りをくれてやろうかと思ったが、それすらも無駄な気がしてやめた。
 恐ろしい。まだ出会って二日目なのに自らの適応能力に身震いする。
 出来るだけ感化されたくはないのに。っていうか何故疑問系?
「下宿?ってなに…あなたココに住んでるの?」
「んー、住んでたり住んでなかったり?」
 どっちだよ。
「はっきりしないの?あなた一体何の仕事して」
 ぴたり、と突然立ち止まったラグの足に合わせて、紅も反射的に口を閉ざした。
 そこは細い路地を抜けた先の、やはり日当たりの悪い空き地のような空間。
「今日は随分と変わった毛色の子猫連れてんじゃねえか。なあ、キング?」
 どこからかかけられた野卑な声に、生理的な嫌悪感と諸々の理由から紅は露骨に顔を顰める。
 その声を合図に、ぞろぞろと暗がりから顔を出す年格好は様々な男達。
 しかしその纏った雰囲気は「街のごろつき」としか言いようのない様なわかりやすいものだった。
「どこで拾ってきたんだよ、なあ?」
 四方を囲まれて、じりじり輪を狭めてくる男達は全部で7人いた。
 ラグは顔色一つ変えないどころか、親しげですらある様子で口を開く。
「いいでしょ。森で迷子のところを拾ったんだ」
「おーおー。キングはおもてになるのにわざわざ拾ってきたってか。よっぽど暇なのか、それとも…」
 最初に声をかけてきた、モヒカンに薄汚れたタンクトップの男がずいと太い腕を伸ばす。
「そんなにこの子猫はイイ声で啼くか?」
 紅は目前に迫る腕を即座に払い飛ばそうとした。
 しかしその手すら遮って、背後から抱き寄せられる。
「!?」
「触るな」
 一瞬、本気で抵抗しかけたが、それはラグの声で手だった。
「俺のものだ。勝手に汚すな」
「…っあなたもよ!離して!!」
 はっと我に返って、抱き締めている腕を引きはがす。何故一瞬でも抵抗をやめたのか、紅には理解が出来なかった。
「酷いよ紅。ここは頬を染めて嬉しそうにじっとしててくれないと絵にならない」
「何が酷いよ!このバカ!!触らないで触らないでよ!!バカが移るじゃないっっっ!!!」
「くっ」
 二人が勝手に騒ぐのを見て、モヒカン男は身を折って短く息を吐いた。
「くっ、ははははは!!どんな女でもモノにしてきたキングが、どうやらずいぶん嫌われてるみたいじゃねえか?」
 馬鹿笑いの男を紅は醒めた目で一瞥する。
 そうだ、こっちのバカの方が今は問題だ。
 モヒカン男は何を一人合点したのか、シニカルな笑みで、紅へ手を差し出す。
「よぉ子猫ちゃんよ、そんなバカはさっさと見限って俺たちの仲間にならねえか?イイ思いさせてやるぜ?」
 その言葉に周りの男達もどっと湧く。
 そりゃいいぜとかピーピーヒューヒューとか野次飛ばし放題だ。
 紅は深く深く溜息をついて、腰に片手を置くと半身を引いた。
 ラグも救いようがないほどバカだが、こいつらは話にならないバカである。
「お断りよ。ラグはさっさと見限りたいところだけど、人間と猫の区別もつかないひとよりはマシだわ。それよりさっさと目医者にかかることをオススメするわね」
 そもそも「子猫」だとか言う呼称からして怖気が走るのだ。
 憤然と言い放つと、男達の野次が一瞬綺麗さっぱり無くなった。
「素敵。カッコイー紅。よっいい女」
「よく言うわ」
 ラグもせめてもう少し情感籠めて言えばいいものを。ちっとも嬉しくは無かろうが。
 それにしても棒読みと拍手で賛辞を送られても。



「ってめえら…人が下手に出てりゃあバカにしやがって…」
「あれえ?複数形?俺も一応バカ呼ばわりされた被害者なのに」
「そこでそのコメントはどうかと思うわよ緊張感が5割減するから」
 みんな好き勝手に言いたいことをほざくので、何だかもうわけが分からない。
「ずっと前からてめえは気にくわなかったんだ…ちょうどイイ、こっちは数が揃ってることだしな。ここでやっちまえ!!」
 モヒカンが引きつった笑みで吠えると、辺りの男達が一斉に応と殺気立つ。
「小娘は頂きな!たっぷり可愛がってやるよ!!」
 その一言に色めき立った、一番近くの男が早速紅めがけて飛びかかってくる。
「大人しくした方が良いぜ、お嬢ちゃん。可愛い顔に傷を付けたくはないだろう?」
「余計なご心配ありがとう」
 ぶんと伸ばされた太い腕をすいと交わし、その腕をがっしと掴んで男の勢いを殺さぬまま投げ飛ばす。
「げふっ!!」
 哀れ壁に激突する男をしっかり避けたラグは、その瞳を感動で輝かせていたりした。
「か…かっくいー紅。惚れた。抱いて」
「あなたも投げられたいっ!??」
 全身総毛立ちながら正拳を目の前の男の顔面にぶち込む。
 さすがにその一撃では倒れ無かった男が、よろめきはするが体を起こし、拳に填めたナックルを振り上げる。
「ッのガキ…っ!」
「……!」
 身を落とし構えを取る紅の肩を、そっとラグが押さえて前に出る。
 庇うように。
「何?邪魔しないで」
 怪訝そうに紅はラグを見上げ、彼はにっこり微笑むとウィンクをひとつ向ける。
 本来なら眉を潜めたのだろうに、紅は何故かその動作に気概を抜かれ、あっけにとられてしまっていた。
「キングが前に出た!迂闊に飛び込むな…アイツの獲物は…!」
 モヒカンの忠告は少しばかり遅すぎた。

 ひゅうっ…



「ぎゃうっ!」
「ぐがあ!!」

「!!!」
 びしり、と生々しく高い音がして、一遍に二人が吹っ飛ぶ。
「数が揃ってるって?じゃあ、あと何人隠れてるのかな?これだけってことはないでしょ?」
 紅が横目に見上げたラグは、いつも通りに穏やかな、偽物くさい笑みを口元に置いただけの、変わらぬ表情をしている。
 その右手に持った獲物を、風を切ってビュンと振り払う。
 紅はようやくそれの正体を目にした。
「…鞭…!?」
 それにしては持ち手が長く、しなる部分も長すぎるようだった。
 素っ気ない外見の獲物を、ラグはまるで自分の腕の延長のように鮮やかに扱ってみせる。
「食らえ!」
 死角から放たれたナイフもものともせず打ち落とし、返す動きで狙撃者の顔面も打って叩き飛ばす。
「っっぎゃああぁ!!」
「……」
 鞭と言えば、その見た目もさることながら当たると痛い。とても痛い。
 その昔蔓で編んだ縄跳びで、足を打っただけであんなに痛かったのだからと紅は薄ら寒い思い出を想起していた。
 鞭は生かさず殺さずの代名詞である。言ってしまえば嬲る武器だ。
 今のラグはどうやらかなり手加減して打っているらしいが、それでも男達は派手に痛がって悶え苦しんでいたりする。
 あんなものを見たら尚嫌だ。打たれるのは絶対遠慮したい。
「ちくしょう!」
「っあ」
 ラグに気を取られて完全に失念していた。
 がら空きの脇から男がナイフを手に飛びかかってくる。
 手刀で手首をうまく叩いて、膝裏に足払いをかけてやれば倒すことは出来るだろう。今からでも遅くない。
 紅の頭は瞬時にそのシミュレーションを展開して実行に移そうと身体が動くが。
「!??」
 腰を誰かの腕が抱きかかえて引いた。
 誰かというか、その方向にいるのはラグしかいないが。
「無礼者。さがれ!」
 ナイフ男へ、すごい軽く当てる感じでびしりと打つ。
 その中途半端な痛みがまた嫌で、男は飛び上がってもんどり打った。
「…とか言ってみたかったんだよねえ一度。騎士様みたい俺?格好良かった?」
「無礼者はあなたもでしょ!触らないでって何度言えば分かるの!!」
 とりあえず助けてもらった手前拳は振るえず、ぐいと腕を押して体を離させる。
「なんで?紅って触られるの嫌い?」
「他人に触られるのは普通嫌いよ!」
「えー、俺たちもう他人じゃないだろ」
「会って二日は他人も同然よ!!っていうか男に触られて喜ぶ女の子は少ないの!!」
 襲いかかってくる男達が途切れたのを良いことに、二人は自己主張大会に没頭している。
 紅は足を踏みならして癇癪に耐えた。
「じゃあ、好きな男は?」
「はい?」
「好きな男でも触られるのいや?」
 ラグは子供が大人に問うような、他意のない表情で首を傾げる。
 紅は返答に詰まってしまった。そのわけが分からなくて、喉の奥がむずむずするようなもどかしさ。
「あなたは嫌いよ」
 きっぱりと、目を見て告げた。よどみのない声だと思った。
「そっか」
 ラグはそれだけ言って頷いた。真っ直ぐ、目を見て。
 安堵も落胆もしていない、いつもの表情で。


「そういえば、さっきの人たちはいつの間にいなくなったのかしら…」
 空き地を見渡すと踏み荒らされた足跡があるだけで、元の二人きりになっていた。
「他人に触られるのは普通嫌いよ!の辺りで撤収していったよ。厄介そうなのはカゲロウが片付けてくれたからだいじょーぶ。ありがとうね、カゲロウ、ただいまー」
「??だれ?」
 手を口に添えて壁に向かって話しかけているラグを、とうとうおかしくなったのかという目で紅は眺める。
 露骨に非難されているようで、ラグは傷ついた顔をした。
「正義の味方だよ。まあ近い内に会わせてあげる。にしてもさあ、紅」
 ラグの説明不足な言葉は今に始まったことではないので紅はとりあえず意識を切り替えて、呼びかける男の視線を受け止める。
「君、見知らぬ土地で無茶するねえ。強いのはよく分かったけど、頼るの嫌い?」
「きらいよ」
 憮然として目を逸らす。
 ラグがたとえ自分より強くて出る幕がなくたって、黙って守られているヒロインになるなんて死んでもごめんだった。
 それは紅のプライドが許さない。自分はいつだって後悔をしないように、全力で向かいたい。
「……」
 ラグはその返答を得て、ぽりぽりと自分の髪を掻くのだが、あいにく自分の黒髪は直毛過ぎて、さらさらと指の間を滑るだけだった。
 じゃあ、紅の好きなのってなに?
 そんな疑問が浮かんで、すぐに口に出すのをやめた。
 それよりも先に、紅が物言いたげな視線を投げてきたから。
「…キングって、誰?」



 

 

 

 

 

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