04 アダムのリンゴ2

 

 





 それから角を何度も曲がって、階段を上がったり坂を上ったりを何度も繰り返して、一回通ったからって同じ道は通れないと紅がひそかに確信した頃、ラグの言う「明るい下宿先」に辿り着いた。
「……」
 何というのか。
 その建物は、隣接するご近所さん同様普通に建っているのだが、やはりこれもウォッツの特徴なのかデザインが斬新だった。
 まっすぐに立つ、四角い三階立てのビル。まあそれが基本なのだろう。
 しかしその二階部分と三階部分の端に、でっかい球体がひっついているのは何だろうか。
 さらに屋上に、渦巻き状の貝殻のようなモノが乗っかっているのだが。
「すごいでしょー、この巨大な壁画ー。メンバー総出で力を合わせて描いたんだよ」
 いや、それは二の次だから。だれも家の外壁に描かれたでっかい絵のことは気にしてないから。
「…って、これ、三階まで描いてあるわ…どうやって描いたの?」
 言われて改めて見ると一続きの絵は足元から玄関の上をも通り、窓を無視して屋上まで届いていた。
「屋上からね、ゴンドラ吊してハケでへばりついて描きましたよー。もう自分が落ちる心配より垂れないように必死」
「……ふうーん…」
 その様子を思い描いて、ちょっと興味心がうずきはしたが、それにしてもと首を傾げる。
「結局ラグって、何なの?まさか壁画絵師じゃないでしょうね?」
「うわっ、すごい!紅が冗談言ったよ!!」
「あっ、あなたがいつまでも説明しないからでしょ!!しかもこんな絵の話いきなり持ち出すから!!」
 ああまた乗せられて顔が真っ赤になっているのを感じる。
 さっきの「キング」の話もうまいこと交わされていたし。
「まあまあ、もうすぐ分かるから。まずは中へどうぞ。お昼にして、お茶にしながらでもね…」
「何年寄り臭い事言ってるの!そんなのはあとで良いから説明して頂戴!」
 ご町内の迷惑も顧みずにぎゃんぎゃんと喚いていたものだから、当然と言えば当然だが、二人の頭上で二階の窓がぎしっと開いた。
「!!」
「あ」
 思わず、見上げた視線と見下ろした視線がかち合う。
「あらぁ、キングじゃないのー。今帰ってきたの?ちょっと遅かったわね。マスターから通信たくさん入ってるんだけど?」
「ああ、ごめん。すぐ行くから、ローザさんも降りてきて。話あるし」
「分かったわ。服着たら行くわね」
 よく見えないが階上の人は若い女性で、しかも現在全裸のようだった。
 そんな姿で気安く窓から顔を出さないで欲しい。
 戸惑いのあまりに呆然としていた紅へ、女性はちらっと視線をやって、なまめかしいウィンクをひとつくれた。
「……ええと」
 とりあえず閉められた窓から視線をラグに戻す。
 もうそろそろこの男も観念して説明してくれないモノだろうか。
「ああ、今のひと?ローザさん。綺麗だけど怒ると怖いから気を付けてね」
 そうじゃない、そういう説明じゃない。

 





「おかえり、キング」
「ただいま。お待たせローザ」
 玄関を開けて入ると、中は意外にも馴染みが深く素朴な木材の家具に包まれた、広々としたリビングに通じていた。
 なにやら得体の知れない、用途のわからないものが色々転がっていたりぶら下がっていたりするが、触れないよう見ないようつとめる。
 そして。
 くだんの女性が、流れるような動きで階上から現れた。
 そのままラグと当たり前のように抱擁して、お互いの頬にキスをする。
 年齢からすれば姉と弟なのだろうが、全く似ていないせいかえもいわれぬ艶のようなモノが漂っていて、一人残された紅は目を伏せる。
 っていうか、さっきはローザさんて呼んでたのに今度は「ローザ」なのか。何なんだこの男は。
「そういえば…」
 ラグから体を離したローザが、ひょいと後ろの紅を見やる。
「…どこの女に産ませたの、この悪ガキは」
 磨かれた爪に容赦なく顎を捉えられて、さしものラグも両手を上げて降参の意を示す。
「待ってローザ。俺こう見えてもまだ17だし。あり得ないし」
「じゃあうっかりあの子を孕ませたの?あれだけ避妊はちゃんとしなって教えてあげたのにこの子は。っていうか子供は悪趣味だから手を出すなって言ったわよね私」
「ちょっと待ってそのに。ローザ俺のことどういう目で見てんだよ酷いよ泣くよ」
「……」
 紅からは背を向けているのでラグの表情は見えないのだが、どうやらかなり困っているらしい。
 あのラグがしてやられている…という快哉よりも、また厄介な人が出てきたという危機感に見舞われる紅は、かなり心労がたまっているようだった。
「ああそうなの。なんだ、そうなら早く言いなさいよ」
「なら言う暇をくれ」
「口答えする暇があったらお茶でも入れて頂戴。あたしはあの子とよろしくやるから」
「ローザこそ紅をうっかり孕ませないでね」
「アンタよりはちゃんとするわよ」
 何か目の前でものすごい会話を交わされて、さっきから言葉どころか反応にも困っているのだがどうしよう。
 そうこうしている内にローザが自分の目の前までやってきている。
「……」
 今度こそ、意識の内から言葉を失ってしまう。
 きつく波打つ豊かな黒髪が、小麦色の肌に流れ落ちている。
 見事なプロポーションが伺える、体の線に沿ったタイトな黒のスリットドレスに身を包んでいる。
 睫が濃く、こちらを品定めするような両眼も濃い漆黒で、肉感的な唇はパープルで彩られていた。
 はっきりとした顔立ちの、蠱惑的な美人だ。
 今までこういったタイプの大人の女性とは縁がなかったので、紅は知れず強張る身体を意識する。
「私は、ローザよ。あなたは?」
 唇が笑みを形作り、柔らかな声が零れた。スタイルも抜群の彼女に覗きこむようにされて、困惑してしまう。
 思ったより優しい印象だったのだ。紅は同じ初対面でもラグの時よりもずっと失礼にならないように名乗った。
「紅、です。っあの…」
 陶器のような長く整った指が、紅の頬をなぞり髪を掬った。
「素敵。赤い髪で蒼い瞳なんて。好事家が見たらベッドに飾っておきたいって思いそうね」
「あっ、あの〜…」
 そのまま頬をさすられてさすがに後ずさりしたくなる。
 その仕草に嫌悪感は感じないのだが、生理的にそう、色々と抵抗はある。
「あらごめんなさい。ここって野郎ばっかりの潤いがない集まりだから。ついつい若い子の肌だと思うとねぇ…」
 そしてすぐに手を離してはくれたが、今度はその手を両肩に置かれ、気がついたときには頬にキスされていた。
「!!!」
 迂闊だった。自分が。交わすことも出来なかった。
「うふふ。キングが連れてきたってことはあなたも一員なのよね。よろしく」
「……ああああの。ローザ、さん。ラグが全く頼りになりたいんで手始めに訊きたいんですが」
 出来るだけさりげなくローザのスキンシップから遠ざかりながら、紅は冷静を保とうと必死になりつつ片手を上げる。
「いいのよー、呼び捨てでタメ口で。あたし気兼ねしない子の方がスキ」
「はあ…じゃあ、ローザ。キングって言うのは、ラグのこと?」
 ああやっと謎が明かされると期待を込めて上目遣いに見たローザは、ぱちぱちと上と下の睫をあわせて。
「ラグ…ああ、キングの名前だったわねえそういえば。そうよ、キングはあの子のこと。コードネームみたいなモンね」
「コード、ネーム?」
 今度は紅が目をぱちぱちする番だった。
「私達“砂嵐”はコードネームでおたがいを呼び合ってるのよ。まあ有名人が何かと多かったりするから、本名じゃやりにくいしね。ちなみに“ローザ”もそうよ」
 一息に言ってのけるローザに割り込む気は起きず、紅は必死に挙手で異議を申し立てなければならなかった。
「なあに、どうしたの。紅」
「“砂嵐”っていうのは、何のことなの?」
「……」
 かなり真剣に見上げた視線をどう受け止めたのか、ローザは無言で奥の間に足を向けていった。
 けぶる様な美女が台無しの大股である。
「ちょっと、キング!このバカ!!あんた何も教えずにこの子連れてきたの!?人任せも大概にしなさいよ!!」
「あーヤダちょっと待って今火い使ってるから。危ないからローザ」
「問答無用よっ!!アンタみたいな子は全裸で外立ってなさい!!!」
「ヤダそんな恥知らずなことローザじゃないし出来なーい。あっ、だめ、本気!?本気で脱がす気ねえさん!!」
「ケチケチするんじゃないわよ生娘じゃあるまいし」
「やめてよ年々親父化していくのー」




「………」
 今すぐ耳を塞いで荷物をまとめて出て行きたくなるような愉快なじゃれ合いが、奥からさんざん垂れ流されている。
 それにしてもラグの声が、始終淡々と棒読みでちっとも危機感が伝わってこないのはどういうことだろうか。
 とにかくどうでも良いから誰でも良いから説明してください。






 


 結局ラグは全裸で立たされる罰から逃れられたらしく、若干着衣の乱れはあるがお盆に三人分のお茶を乗せてリビングのテーブルまでちゃんと帰ってきた。
「ごめんなさいね、紅。あたしこの子で遊ぶのが趣味みたいなモノで。久しぶりだからついつい楽しんじゃって」
 やっぱりそうだったのか。
 色々と余計な疲れがたまってこちらはぐったりしていたが、ラグは涼しい顔で一人先にお茶を飲んでいる。
「まず、そうね。何から説明したらいいかしら。私達は“砂嵐”と呼ばれるレジスタンスのグループなの」
「…レジスタンス?」
 聞き慣れない単語に首を傾げる。
 促されて、紅もお茶のカップに手を伸ばした。
「反抗組織。って言えばいいのかしら。そうよね。紅はフェイの子なのよね。フェイにはそんなの無いのね。平たく言えば今の王をよく思って無くて反対活動やってる集まりなのよ」
「王に反抗?」
 フェイの国王は代々世襲制で、ここ数百年穏やかに賢君が続いていたからピンと来ない。
 そうか。ウォッツでは実力だけで国王にまで上り詰めることが出来るのだった。
「ローザ達もそれを?」
「そう。グループ名が“砂嵐”。名前の由来はウォッツでは有名なボードゲームから取ってるんだけど、だからリーダーであるこの子のコードネームがキングってワケ」
「リーダー!?」
 他の何よりもその事実に度肝を抜かれて、思わず腰を浮かしかける。
「そうよー。5年前に“砂嵐”発足させたのがキングだから」
 5年前といえばまだたったの12歳ではないか。
 話の中心人物を見てみれば、我関せずと言った風情で人型クッキーの首と胴体を割っているし。
「で、私達はキングを中心に集まって、今まで色々やってきてようやく行動に移せそうな時期なわけよ」
「紅には、その最後の仕上げで手伝って欲しいんだよ」
 ぽつりと突然、落とすようにラグが口を開いた。
「それって、何なの?」
 もうここまで来てその内容をごまかされたままではたまらない。
「大丈夫、簡単なことだから」
 それだけ言って、彼は口を閉ざしてしまった。
「…っ」

 いい加減にしてよ、と言うことは出来た。実際、ほとんど喉から出かかっていた。
 けれど、引っかかっているのだ。喉の、奥の、真ん中辺りに、何かが引っかかっているように、言葉は容易に出てこようとしなかった。

「…それまで、ここにいればいいのね?」
「そう」
 ラグはただ静かにこくりと頷く。何だか素っ気なくて物足りない。
 張り倒したくなるぐらいの、あの憎々しさが逆に懐かしく感じるなんて。
「…そうすれば、ラグは私をフェイまで送ってくれるのね」
 そう問うと、ラグははっきりと紅を見た。黒すぎて深い瞳が見て、頷く。
「うん。それまで守ってあげる」
「守ってくれなくても良いわ。…じゃあそれまでは、私はここで何をしたらいいの?」
「好きに過ごしてればいいわよ」
 お茶を一気にぐいっと飲み干して、ローザが立ち上がり腰に手を添える。
「レジスタンスったって、時期がよくなきゃ何もしない普通の人ばっかりだし、紅は巻き込まれただけだから、ウォッツを堪能していけばいいわよ」
 いやあの私にも仕事があって家があって国外旅行を満喫している暇はないんですよ、とは、とても言えなかった。




 紅も、そういうところまで来たのだという自覚があった。
 巻き込まれた、この国の、出会ってしまった、この人達の、行く末を見るところまで見届けなければ、自分はきっと故郷には戻れないのだと。




「あと“砂嵐”には全部でキング入れて9人のメンバーがいるから、みんなにも順々に顔あわせなくちゃね。2年ぶりの新メンバーじゃないの。しかも最年少」
「今サーヴに何人いるのかな?カゲロウはさっき会ったよ。ブロウのメンバー追っ払うの手伝ってくれた」
「相変わらずあの子あんた見つけるの早いわね。この家にはフクロウだけよ。マスターからは相変わらずラブコールが激しいけど。そうねえ、メイリリーも今週中には顔出すんじゃないかしら」
「そっかー全員揃うの難しいかな」




 頼むから説明入れてください。
 などと、無理な願望はもう紅は抱かないことにして、お茶をすするのに没頭した。
 時間は、多分紅がやきもきするぐらい、これからあるのだろうから。




 ラグが煎れた、ウォッツではじめて飲むお茶は、フェイとは風味からして全然違って、それでも胸に温かく舌に優しかった。
 美味しい、と思った。
 故郷から遠く離れて、異なる場所で異なる味でもお茶を美味しいと感じることを、紅は何だか不思議に受け止めていた。






 

 

 


「ねえ、紅。紅は何が良いと思う?」
 ローザが昼食をご馳走してくれるとラグと入れ替わりにキッチンに行ったので、残された二人がリビングで待つことになった。
 さっきのテーブルから少し離れたソファにちょこんと腰掛けて、隣にラグがいるので何となく居心地が悪い。
 こうしてあっさり素性と目的が判明されてしまったが、彼は自分から何も言わなかったので。
 本当に、自分から説明する手間を省きたくて色々と伏せていたのだろうか。
 そんな思案していたところへ先ほどのラグの問いである。
「…なにが?」
 やっぱり怪訝そうに眉を潜めた紅に、気にせずラグは言葉を続ける。
「紅のコードネーム」
「必要ないわよ」
 そんなろくでもないことをさっきから必死に考えていたのか。
 第一それはみんな本名がばれたら困るから付けてるんでしょう。
「私、要らない」
「えー、要ると思うよ。あったら格好良いと思うよ。仲間意識生まれるよ。紅一人のけ者なんて変じゃん」
 何で必死なんだこいつは。
 立てた膝に頭を乗っけて、横目で見ると、ラグは何だか嬉しそうに、ね?と促してくる。
 何かもうどうでもよくなってくる。屋根のあるところでやっと落ち着いて、気が緩んでいたのかも知れない。
「勝手にすれば」
「あーうんじゃあね、じゃあね、やっぱクイーンでしょ」
「…なんで」
 思わず頭を上げて見上げると、何でって何で?みたいな顔したラグは当然でしょと言って。



の女だから王妃クイーンでしょ?すごい分かりやすいよ」
 だから何でそんな得意げなんだあんたは。



 紅の拳は意識するより早くに、ラグのみぞおちに沈み込んでいたというのだから、これはもう立派に夫婦漫才が成立していると言われてもしょうがなさそうだった。









 

 

 

(2005.2.3)
鞭使いってどうでしょう。

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