05 なないろ












「姫。ちょっとこっち来て手伝って」
 くれがうさんくささ大爆発の男、ラグと出会ってすでに一週間が過ぎていた。
 フェイから隣国ウォッツに迷い込んだ彼女が、保護されいずれ送り届けられる代わりに協力することになった、レジスタンス“砂嵐”。
 彼らは結成以来、本名を隠しコードネームで呼び合っているらしい。




 洗濯物を畳み終わったところで手招かれて、紅は声の主のところへ駆け寄る。
「なに?」
「酔い冷ましの調合だ。ローザは言っても飲み過ぎるからな。聞きやしない」
 瓶や壺やピンで留めたメモや乾燥させて束ねた薬草やらが散乱しているこの部屋は彼のものだ。色々な独特なにおいが籠もっている。
 砂嵐の最年長、フクロウは作業台の上に置いたすり鉢を無心にごりごりと鳴らしていた。
 フクロウは短身で腹の出た、頭髪の薄い男だ。その名の由来は酷く弱視である事かららしい。
 その実態は、薬草の調合にも長けた腕利きの整体師であるらしい。
 レジスタンスと整体師が何の関係があるのかと紅は最初戸惑ったのだが、そんな一般常識は早々に捨てた方がこの“砂嵐”では有効だとすぐに思い知ることになったが。
「まずは、左の棚の緑のラベル瓶だ」
「うん。…これ?…辛されべる24?」
「そうそうソレだ」
 サーヴでのアジト(ちっともアジトっぽくないが)であるというこの三階建ての家で、日中いるのは紅とフクロウの二人だけなので、こうして家事の合間は整体師兼薬師の助手と化す毎日だ。
 時期と準備が整うまでは普段本当に「普通」の生活をしているらしい。
 ローザもラグも自分の仕事に向かった。
 二人とも日によっては戻らない時があるようだが、今のところラグは夕方までには帰ってきている。
 いわば居候である紅が言える立場でないのは分かっているが、こんな毎日が続いていては本当にウォッツに引っ越してきた錯覚を覚える。
 何というかもうちょっと、仕事がいのある何かを与えてはくれないだろうか。
 こう毎日洗濯して掃除してフクロウとお茶して手伝ってのんびりまったりくつろいでいては、いつか勘違いしてしまいそうで怖い。
 自分はここにいて良いのだと。
 その不満を細部はぼかしてフクロウに漏らすと、彼は褐色の腕を組んでからからと笑った。
「“姫”に家の世話してもらってるんだ。十分だろう。ソレにオレはお前と二人っきりで留守番するのは好きだけどな。そっちは嫌か?」
「嫌ってワケじゃないわ」
「姫は真面目だなあ」
 呟いて紅に渡された瓶の中身をさじで掬ってすり鉢に加え、ふたたび擂りつぶしを再開する。
 フクロウの言い方は他意が無く、どちらかというといたわりに満ちていたので反意は起こらなかった。
 いつものようにがっしと頭を掴まれて、わしわしと撫でられる。
「あんがとな。これが終わったらメシにしよう」
「…ええ」
 乱された髪を複雑な心境でなでつけて、紅はフクロウの部屋をあとにした。
 検討とさんざんな論争の後、紅のコードネームはいつの間にか“姫”に落ち着いてしまっていた。
 ラグはキングとセットでクイーンが良いという説を強く推していたが、紅が断固として拒否し、ローザからは
「この子にはまだそんな貫禄はないわ。プリンセスになさいプリンセスに」
 とかいう恐ろしい提案がなされ、意味は同じだがまだ抵抗のない「姫」にされてしまったのだ。
 さらにフクロウに言わせれば「良いんじゃないか。“砂嵐”のお姫さんってコトで」とか言われるし。
 嫌だそんなの、ガラじゃないし。
 祭り上げられるのは嫌いだ。どうせならみんなと一緒の位置がいい。
「……」
 それも、難しいことなのだろう。
 ここは異国。そして紅は、一人だけ異分子なのだから。




 少し遅めの昼食を終えて、食器を片付けているときに、たんたんと扉のノッカーが叩かれた。
「…来客?」
 紅がここに来てからははじめてのことだ。ラグ達は何も言わずに入ってくる。
 玄関に向かおうとする紅を、椅子に座っていたフクロウが低く留めた。
「待った。扉越しに“おまえのポーンは何だ”と訊くんだ」
「…わかったわ」
 おそらくメンバーかどうかを確かめる手順なのだろう。心得て扉の前へ向かった。
「…あなたの駒は何?」
「5月の女神、あなたに死よりも快い幸福が訪れますように」
 紅は思わず狼狽した。玄関の向こうから返ってきたのは予想外の、鈴を震わすような可憐な少女の声だった。
「メイリリーか。開けて良いよ、仲間だ」
 促すフクロウに頷き返して、紅はそっとドアノブを回した。
 その先に立っていたのは、声の可憐さを少しも裏切らないたおやかな美少女だった。
「まあ、驚きました。あなたはどなたですか?」
 薄茶のふんわりした髪の色は、この地で見るのは何だか懐かしい。
 花をあしらった、鍔の広い帽子を被り、すみれ色のワンピースに白いカーディガンを羽織った華奢な少女は、頬に手のひらを添えて髪と同色の瞳を瞬いた。
「あ、ええと…」
 まさかこんな上品でたおやかな美少女が立っているとは思わなかったので、紅も同様に立ちつくしてしまった。
「とにかく入ってこい、メイ。自己紹介は中ですればいい」
「あらフクロウさん。いらっしゃったんですね。ではそうさせて頂きます」
 室内からフクロウに促されて、美少女はにっこり微笑むと荷物を抱えて玄関を通っていく。
 すれ違いざまに、紅へも上品な微笑みを向ける。
「さあ、あなたもいらっしゃって?お名前をお訊きしたいです」
「……」
 何とか頷いて、あとに続きドアを閉める。
 まさかこんな、レジスタンスのレの字も似合わない美少女までメンバーなのだろうか。



「お久しぶりです、フクロウさん。やっと戻ってくることが出来ました」
「ああ、おかえり。キングも少し前に戻ったし、ローザとずっと待ってたよ」
 荷物を置いた美少女は、帽子を取ると椅子に座ったままのフクロウへ深々とお辞儀をして挨拶をする。
「そうですか…そういえば先ほどカゲロウさんがお手を振ってくださいましたよ。他の方はお見えになってないんですね」
「戻ったのはメイだけだ。エッジなんて連絡よこさないでもう半年以上になる」
「まあ…あらあら?申し訳ございません。お話に夢中になってしまって」
 慣れっこだったので大人しくお茶を煎れてこようとキッチンに向かおうとする紅を、穏やかな声が呼び止める。
「気をお遣いにならないで?それよりも申し遅れました。私、“砂嵐”のメイリリーと申します」
 間近で微笑んだ少女はほとんど紅と身長が変わらず、年齢も同年代だと知れた。本当に若い。
鈴蘭メイリリー?」
 紅が思わず訊き返すと、顎の線までのふわふわの髪を揺らしてはい、と頷く。
「どうぞメイと呼んで下さい。あなたは新しく来られた方ですね?早便の手紙で知っています。フェイから来られたこと、私達を手伝って下さること。“砂嵐”の女性は私とローザさんだけなんです。仲良くして下さいね?」
「あ、はい。こちらこそ…」
 あまりに丁寧に接されると、こちらも恐縮してしまう。
 というより以前に、自由で実力主義だというウォッツで、こういった人とはそうお目にかかれないと何となく思っていたので面食らう。
「けれど私、あなたのお名前、コードネームの方ですけどまだ知りません。教えていただけますか?」
「あー、えっと、ひ、“姫”です」
 これからは名前として名乗っていかねばいけないのだが、やはり口に出すとかなり恥ずかしい。
 思わず目が泳いでしまった。それに構わずにメイは手を合わせて目を細める。
「まあ、素敵ですね。これだけ可愛らしいのですもの。“砂嵐”のお姫様ということですね?」
「分かってるな、メイ」
「ええ、それはもう。」
「……」
 勝手に二人で意気投合しないで欲しい。
 こういう風に話題に着いていけなくなってはじめて、ああ彼らはしっかり同じメンバーなのだと納得するのだった。




「私もフォートでの用事は終わりました。しばらくはこちらにお邪魔になります」
 メイに手伝って貰ってお茶を煎れ、三人でテーブルを囲んだ。
 そうフクロウに告げたあとで、フォートはサーヴに次ぐウォッツの三大都市ですよと紅にも説明を入れてくれた。
「ハイメはどうだ?連絡は」
「少し資材集めに時間がかかると、ひと月前にあってそれきりです。もう追い込みですもの。大変そうですね…」
 そのあとですぐ、フクロウがハイメっていうのはメンバーの一人だと付け加えてくれる。
 話ながら紅にも教えてくれるからかなりこの二人は良心的だ。
 ローザはともかくラグはこの手の話は紅には聞かせたくない勢いで無視のしっぱなしである。
「……」
 ああ今日の夕ご飯に魚料理食べたいなあムニエルみんな好きかなとかすっかり所帯じみたことを考えていると、ふと、耳が違和感のある音を捉えた。
「…雨!?」
 言って慌てて立ち上がると、すごい勢いで外へ駆け出す。
「姫さん?どうしたのですか?」
「雨が降っているの!洗濯物取り込んでくるからごめんなさい!」
 紅の謝罪は席を途中で立つことに対してだったが、頭の隅で「姫さん」はやめて欲しいなとかこっそり思っていた。





 勝手口からサンダルを引っかけて飛び出すと、案の定大粒の雨が地面を叩いていた。
 がんばって今朝干した大量の洗濯物がピンチだ。
「ちょっと、もうー!」
 さっきまで晴れていたのに、俄雨だろうか。
 それならすぐにやむかも知れないが、今取り込んだ方が被害の少ない洗濯物をふたたび濡らすわけにもいかない。
 ばしばしとものすごい勢いでタオルやシーツを取り込んで、前方が見えないくらい抱えて一旦戻ろうと踵を返す。
 ぐき。
「え…っきゃ!」
 何か足元で本当にそう呼びそうな音がして、まともに体勢が崩れる。
 やばい。このまま倒れると洗濯物がダメになる。
 と、当然のように自分よりも布類の心配をしてしまった彼女を受け止めたのは、ぬかるんだ芝生ではなく誰かの体温だった。
「セーフ。しかもすごい役得ー」
「ラグ!?」
 顔を上げてぎょっとする。思わず突っかかる言い方で言葉が零れていた。
「は・な・し・て・よっっ!今はあなたに構っている時間はないのっ!!」
「ええ、惜しいなー。せっかく紅の両手が塞がって俺したい放題やりたい放題なのに」
 そんなことをのたまって、支えていた両手を紅の背に回してぎゅうっと抱きすくめる。
「……っっっの」
 胸に押しつけられた顔が真っ赤で、しかもすぐ側からラグのにおいがすると意識した瞬間、紅の何かがぷちっと切れた。
「変態バカ男!いい加減にして!!」
「いで、ごふっ」
 唯一自由になる足でラグの足を思い切り踏んづけ、手の力が緩んだ隙に下顎へ頭突きを食らわせた。
 見事ラグはダウンさせたが、それと同時にはらはらと舞い散る白いもの達。
「あっ、ああーっ!!」
 哀れ、二人が死守した洗濯物達は、その犠牲もむなしく泥汚れの餌食になってしまったのだった。






 急いで(洗濯物を取り込む)応援に駆けつけたはいいが、ラグに先を越されたメイは、勝手口の扉の影から、
「馬に蹴られては痛いですし…ああでもまだ洗濯物があんなに残って…」
 誤解しながらわりと微笑ましげに見守っていた。



 


「バカねえ、あんた達」
 シャワーを浴びて、ラグとは少しずれて帰ってきたローザに髪を拭いて貰いながら、紅は反論出来ないで項垂れていた。
「いちゃつくならベッドの中でにしなさいよ」
「いちゃついてないわよっ!!」
 否しかしこれだけは断固として否定しなければならない。
「あのね、ラグがどう言っててみんながどう思っているかは知らないけど、私とラグは何でもないの。ただ利害が一致したから私はあの人を手伝っているだけなのよ?聞いてる、ローザ」
「はいはい聞いてるわよ、聞いてるったら」
 それすらもローザにしてみれば照れ隠しにしか聞こえない。
 この子を前にすれば、ラグが可愛くて可愛くて以下無限大しょうがなくて、おもちゃにしてしまいたい気持ちも分からないでもない。
 それがいわゆる愛情からかはローザにも計りかねるが、ラグは確かにこの子を大切に扱っているとは思う。
「あの人の女扱いってのも、本当は嫌で嫌で嫌で嫌で」
「じゃああたし達全員のモノになればー?」
「はあ?」
 背中から降ってきた意味不明の提案に、紅はきょとんとして肩越しに振り返る。
「キングから聞いてんでしょ?ウォッツは一夫多妻も一妻多夫も自由だって。同性愛にも寛容よ。キングの女が嫌ならなっちゃえば?ホントに“砂嵐”の姫に」
「なっ…」
「ああ、いいですね。張り合いが出て。姫さんを一番護れた人はキスが貰えたりしたらみんな頑張りそうですよね」
 メイがにこにこ笑顔で同意するので思わず疑惑の目を向ける。
「だったらオレは不利だな。実戦向きじゃないしな」
 フクロウまで。
「…っっ。そういう、お姫様扱いもきらいよ。誰かのものとかそうでないとか、そういうのも嫌」
 顔を背けて、ローザの手から逃れる。
 子供じみた拗ね方だと思って恥ずかしかった。それでも苦笑した声が詫びてくれる。
「冗談よ。しょーがないじゃない。あんたホントに綺麗なんだから」
「なっ―――――」
 何なんだ本当に、ウォッツの人は口説き癖でもあるのかと、真っ赤になった紅が今度こそ怒ろうと振り返ると。
 ぴっ、と指先が指すのは紅の眉間。
「知ってる?ウォッツの忌色はあか。そんで貴色は蒼なのよ?」
「………」
 貴色。尊い、色。
 だから何だというのだろう。けれどそれだけのことで、その事実を知らされて、紅は言葉を失った。
「そうだよ。だから紅を見れば欲しがる人はウォッツにはたくさんいるよ」
「!!」
 突然背後から現れたのはシャワーを浴びて戻ってきたラグだった。
 慌てて飛び退いて距離を取る。
 濡れた髪から滴る雫とか、くつろげた胸元とか何故か見ていられなくて思い切り顔を背けた。
「紅が守られるの嫌なのは分かるけど、けれど居場所はやっぱり必要だから。保護するってことで、どう?ここは嫌?ちょっとでも居たくないぐらい、いや?」
 いつもより少し、淡々としていない、気遣う声に問われて、紅は顔を背けたままふるふると首を横に振る。
 それどころかここは、居候先にしては十分すぎるほど。勘違いしてしまいそうになるほど。
「そっか、よかったぁ。俺も紅を他の誰にも譲りたくないからさ」
「……っ」
 とたんにいたたまれなくなって、紅は早歩きで玄関から外へ出ていった。



 後に残された3人のメンバーは、何となくキングの方向を見やる。物言いたげな目で。
「あんた、手練手管が劣ったんじゃないの?」
「だからどういう目で俺見てんのローザ。リーダーとして自信持って良いのそれ」




 





 外に出ると空はすっかり晴れていて、もう少しで夕暮れ時だと日差しの強さで思う。
 足元の雫を弾く芝生を足でけっ飛ばして、さっきはサンダルで滑るなんてらしくない失態だったと悔やむ。



 見慣れない風景、見慣れない人たち、馴染みない空気を全身に感じて、ここは果たして自分の居場所になるのだろうかと。
 いつかフェイに戻ったとき、ここを懐かしむ日なんて来るのだろうかと、ぼんやり、考える。




 ラグのものにはなりたくない。
 姫扱いもものすごく嫌だ。
 でも、それ以外のものになるのは、何だかもっと嫌だと思うのは、どういう事だろう。
「くーれ」
 呼ばれて反射的に振り向くとラグが立っていた。
 すぐに顔を背けて不機嫌を前面に押し出す。まだ怒ってるんだから。
「紅。怒った?」
 コードネームが決まって、あれだけ喜んでいたのに彼だけは変わらず名を呼ぶ。
 だから紅も、彼を王とは仰がず名前を呼んでいた。
「ごめんね。帰って紅が洗濯物取り込んでいるの見て、何だか嬉しくなったから」
 そう言われても、紅の方は無性に腹が立ってくる。
 この男の“ごめんね”は大抵が形だけなのだ。分かっているのだ。心から反省などしているわけではない。
「あ、ねえ紅、見て、ホラ」
 それでも促されて、視線が指さす方角を捉える。
 息を呑んだ。



 雨の名残だろう。
 蒼い空に、なないろの、虹。
「フェイでも虹はこんな感じ?」
 どこか穏やかな声でラグが訊いてくる。紅は、それには答えずに、


「私は、あなたのものにはならないわ」
「うん」



「でも、私はここにいる」
 ウォッツにいる間。
「うん」



 ここを離れない。





 顔を背けているのに、余計なことを言って来ないのに、ラグの肯定がひどく嬉しそうに聞こえてそれだけで、紅は今の発言を後悔して苛々するのだった。 







 

 

 

(2005.2.3)
鈴蘭=可憐だけど毒草やで。

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