06 溜息の理由
早いもので、紅がサーヴで過ごすようになって気がつけば一月が過ぎていた。
“砂嵐”が結成以来積み重ねてきたものがやっと実現出来るらしい「決戦の日」とやらは一体いつになったら来るのだろう。
実際問題、紅はその日までフェイに戻ることは出来ないのだから。
「それはあと五月後の王子の生誕式典の日ですよ、姫さん」
その疑問には、あっさりとメイが答えてくれた。
ここ最近、メイが来てからは日中の家事に余裕も出来て、二人でサーヴの街を探索したり店を冷やかしたり道を覚えることを楽しみにしていた。
お陰で少しなら、紅も一人で散歩や買い物が出来るようになってきている。
「五月後?」
今までの五年の歳月からすればそれは確かに「あと少し」なのだろうが、随分と先に思えた。
「ほとんど半年ですものね。姫さんにはじれったく思われるでしょうが、キングの、私達の積年の願いが叶います。どうか待って下さいね。不自由な思いはさせませんし、必ずあなたは私達がお守りしますから」
真摯な瞳に申し訳なさそうに嘆願されて、紅は慌てて手を振った。
「え、それはもう、良いのよ。私も、一度言ったことだし、半年ぐらいなら大丈夫だから」
ここは数年単位ではなかっただけマシと思うべきだ。
ただもう、勤務先のパン屋からは解雇されているだろうと思うと少し気は沈むが。
意識を切り替えて、紅は横を歩くメイの目を見据える。
「それで?その、王子って、今の王の息子よね?」
「はい。現国王イージスの一人息子。国王が自然死を遂げた場合は彼が自動的に次の国王ですね」
「そんな場合は世襲制なのね」
新たなる情報に頷く。今の国王には、息子が一人。
「五月後は彼の18の誕生式典。つまり成人の儀式も執り行われますから、これが終わると王子は王と同じ権限を得るんです」
「えっ、なによそれ」
思わず険しい声音になる紅へ、メイは困ったように微笑みを向ける。
「そういう決まりですから…王族はウォッツでは最大の権力者です。このままではあのバカ親子が二代揃って好き勝手やってしまいますからね」
にっこり笑顔のままメイはさりげなく暴言を吐いた。
この完璧なまでの可憐さの中の、潜む黒い影がいつもながら恐ろしい。
「聞いたこと無かったけど、どうやら今の王はかなりの暴君のようね…」
「ええ。腕っ節だけが自慢で女を食い物にする好色バカキングです」
今花でも散ってそうな上品な声ですごい事言った。しかも何だバカキングって。
「王子の方はどうも情報が少ないのですが、キングの調べによれば、ふらふらと放浪癖のある、父親によく似た色欲にだらしない馬鹿者だそうです。しかもなまじ陰湿な性質で、ひとを殺さぬよう傷付け嬲る趣味もおありだとか」
「それはまた救いようがない…」
紅は頭を押さえてそれとだけコメントした。
彼らを守る王国軍もそういった馬鹿者揃いで、反旗を翻す類の人材はとっくに殺されたか首都を離れラグ達のように反乱の機会をうかがっているとのことだった。
「この五年の間に、他のどなたかがプチッと殺して下さったらそれは楽だったのですが…どうやら私達の出る幕はありそうです。ようやく、この時が来ました…」
感慨深そうに、どこかうっとりとしたまなざしで手を組むメイは、実はやっぱり怪しいひとだと紅は確信した。
「ラグもやっぱり、その王が嫌いで倒したいの?それで、次の国王になりたいのかしら」
どうも今の彼を見ていてそんな野望は感じられないのだが。
メイは少し困ったように、それでもおっとりと首を傾げる。
「どうでしょう…キングが次の国王に、とお考えかは存じませんが。けれど私達のメンバーの中で一番、王に恨みを抱いているのは間違いないですよ」
「……え」
メイの薄茶の瞳が紅から逸らされ、ただ前方を見据える。
「キングのお母上は、現国王親子に殺されたのだそうです」
「……」
紅は何も言わなかった。言うことが、出来なかった。
「“砂嵐”のメンバーの思惑は、それぞれです。それでも私達の思いはひとつです。王子が成人の祝福を受けるその時に、遂げられます。やっと…」
風が前方から吹いて、紅の赤い髪とメイの黄色のケープを浮かす。
冬の訪れを感じさせる、肌に冷たくなってきた風。
メイも目を細めて、自分の肩を抱く。
「この風が…花のにおいで香る頃。国王の首を落とします」
悲願です、と、メイの、花びらのような唇がもらして、ふたたび笑みの形を作る。
紅に向き直った彼女は、いつも通り元通り、花を愛でるにふさわしいような美少女の微笑みだった。
「冷えてきましたね。帰りましょうか。フクロウさんがきっと待ってます」
「いけませんね。寄り道をするべきでしたか」
メイが横道に入ってしばらくして、そう呟く頃には紅も異変に気づいていた。
角という角や屋根の脇、塀の上から等も、ただならぬ雰囲気の男達が顔を出す。
「またですか“ブロウ”」
常にほんわかしているメイも、さすがに呆れた表情で肩をすくめた。
紅に至ってはうんざりと書いてあるのが読めるようだった。
サーヴのごろつきグループ(砂嵐のようにレジスタンスというわけではないらしい)通称“ブロウ”は、紅がはじめてこの街に訪れたときからいちゃもんをつけてきて以来、懲りもせずに絡んではやられて去っていく。
いったい何がしたいのか意味不明だ。
この不屈の根性は、ただ「砂嵐が気にくわないから」という理由だけでは済まされなさそうな何かを感じる。
「あなた達の目的には全く興味関心のかけらもありませんが、邪魔をするというなら今日もさっさとやっつけさせて貰いますよ」
全くもってメイの言うとおりだったので、誰も追求しないが。
「そう連れなくすんなよ、お嬢ちゃん達」
そう言って前に進み出てきたのは頭の横だけ長く伸ばして編み、あとは丸刈りという髪型の男だった。
ブロウには新鋭的なヘアスタイルでなくてはいけないとかいう決まりがあるのだろうか。まあどうでも良いが。
「穏便に行こうぜ?オレたちもお嬢ちゃん達相手に荒事はへぶっ」
にやりと口の端を歪めてまさに今から話し始めようとする男の鼻面を、中途でメイの獲物がへし折った。
「時間がないんです」
ぱたん、と自分の肩に愛用の獲物を乗せて、それでも優雅に少女は微笑んで見せた。
「こ、このクソガキ!人が話し始めようとしたところに!!」
「いくら何でも手が早すぎるだろオイ!!」
「……」
メイの背後で庇われる状態のまま、紅は無言で項垂れるしか出来ない。
面白ヘアカタログ集団のみなさんより、この華奢な少女の方がはるかに血なまぐさく荒っぽく感じるのはまあ、もう一月も経ちゃあ慣れたが。
「ぶっちゃけあなた達と遊んであげる時間が無駄なんです。身の程をわきまえられたら、二度とそのお顔をお見せにならないで?」
私そんな台詞初めて聞いた。
紅はその瞬間覚悟を決めた。
小娘にバカにされたと怒りを露わにした男達が、今日も一斉に襲いかかってきたので。
「まあ、聞き分けがないですねえ。どうしてこうも“ウォッツ”には気の短い方が多いのでしょう」
くるんと片足を軸にして回転したメイは、まるで踊るような体裁きで男達の急所を突いて一人一人確実にのしていく。
その手に持っているのは閉じたオレンジの扇だ。なかなかどうしてこれが恐ろしい威力なのだった(鉄扇らしいし)
「メイも気は短いわ」
「姫さん、なにか?」
「いや、別に」
半眼になって、紅は自分へ向かってくる相手を黙々と叩き伏せていった。
“ブロウ”も特に弱小グループというわけでもないらしいが(なにせ人数は軽く砂嵐の3倍だ)かなりの規模でお話にならない。
「っくしょう、今度こそ!」
と、少し離れた死角から紅に狙いを定めて石弓が投げ打たれる。
焦らず騒がず、紅にはそれを交わすことが出来た。今相手にしている男を盾にする方法をとることも。
しかし。
っぱきん。
「え」
いずれの対策を実行に移すまでもなく、放たれた石弓が空中で崩れて落ちる。
延長線上で、事態に狼狽した男がうめき声を上げて唐突に倒れる。
「…もしかして」
紅はふと呟いて、その先の、角の向こうを注視した。
「あら?」
最後の一人も見事、無事に地に伏せたメイが、やはり優雅にスカートを払い、紅の様子に気づく。
紅は構わず、何も見えない、感じられない角の方角へ、試しに声をかけてみた。
「…“カゲロウ”?」
呼ばわると、一瞬だけびくりと空気が震えた感触がした。
やはり、いるのだ。
「カゲロウさんですか?まあまあ、またお助け下さったんですね?ありがとうございます」
別に“ブロウ”ごとき助けは要らないのだが、町中でどんな些細なトラブルに巻き込まれた場合も、何かしら助けてくれる何者かの気配があるのだ。
紅も今はすでに知っていた。
サーヴにいる“砂嵐”のメンバーで、コードネームは“カゲロウ”。
しかし存在は感じるのだが、姿は一度も見たことがなかった。
一度だけ立ち去る足を垣間見ただけだ。
「…“カゲロウ”は私のことが気にくわないのかしら」
何気なく呟く。どうやら彼はラグをことのほか信頼しているらしいし、いきなり湧いて出てメンバーに割って入った紅を良く思うはずもないのだ。
「まさか。カゲロウさんに限ってそれは有り得ませんよ。さっきも姫さんを助けたでしょう?私ではなくて」
未だ気絶から目覚めないブロウのメンバーが辺りに散乱して凄惨だったが、構わず二人は足を進めた。
この季節に放って置いても凍死はしないだろう。
「カゲロウさんはシノビなんです。隠れるのがお仕事なんですよ」
「…シノビ?」
新たなる未知の単語に紅は眉を潜める。ウォッツの職業だろうか。
「シノビというのは、むかーし実在した職業で、スパイや潜伏、暗殺と、裏工作に長けた兵士だったそうです。騎士とは逆ですね。カゲロウさんはその、技術を受け継いだ数少ないエリートなのだそうです」
それは知るはずがないだろう、と納得して頷く。
「そんなのがあったのね。でも、私、あの家の中ですらカゲロウを見たことがないけど、日常生活でまで隠れなくちゃいけないの?」
「カゲロウさんはとっても恥ずかしがり屋さんですからねえ」
メイはさらりと言ってのけた。
そんな問題で済まされるのだろうか。
一体カゲロウはいつどこで寝泊まりしているのだろう。家はあるのだろうかと思う。
「でも、心配症で、気配りやさんで、ウォッツで生きて行くにはちょっと不自由なくらい、優しいお方なんですよ?」
そう言って紅に向けてくれる微笑みは、それこそメイにふさわしく、やさしさに満ちていて。
紅は少し、赤くなる頬を意識した。
「それは、分かる。わよ…」
おそらくサーヴに訪れてから、一番カゲロウに多く助けられたのは紅だ。
うっかり知らない道に入って困ったときも、良い野菜はどこで売っているのか試行錯誤していたときも、影ながら(わりと結構分かりにくい方法で)助けてくれたのはカゲロウだった。
地理に不利な紅をサポートしてくれたのだ、と思うのは容易で。
嫌われているかも知れない、なんて、口に出して言ってみたのは卑屈だったと我ながら反省する。
だってずっと、会ってみたかったのに。
その後は何事もなく帰宅して、フクロウと話をしに行ったメイと別れ、紅はふとキッチンに向かう。
別に毎日はしないが、時々お茶会のお供にお菓子を作る。
何にしようか結構迷った結果、好き嫌いの少ないクッキーとスコーンを焼いた。
たくさん焼いて、バスケットに人数分盛る。好みもあるだろうからジャムとクリームは別の小皿にわけた。
ジャムは苺とオレンジと、迷ったがリンゴも選んだ。
「フクロウ、メイ。お茶の用意出来たから、良かったら食べてね。私少し中庭に出てるから」
遠くの、フクロウの部屋に声をかける。返事はないが、聞こえただろう。
紅は、小さな籐かごと、お茶を煎れたポットと割れないカップを持って中庭に向かう。
ピクニックのようだと少し笑みがこぼれた。
中庭は広い。
季節や造形を全く無視した植物が無造作に植えられていて、聞けばラグの趣味らしいが。 深まった秋の、午後の日差しは柔らかい。
素敵な天気だと自分らしくないことを思って、それでも何だかうきうきして芝生の上にクロスを敷いて、その上に座る。
カップをおいて、ポットからお茶を注いだ。
きちんと二等分したお菓子を、小皿にわけて、お茶とセットで持つと立ち上がる。
そしてちょうど、良い具合の切り株を見つけてその上に置き、紅自身はクロスの上にふたたび腰を下ろした。
お茶をひとくち、飲んで。
何となく深呼吸。
「カゲロウ」
ぽかぽかした陽気の中、答えるものは何もなかったけど。
「いつも、助けてくれてありがとう」
呟いて、サクリと自分の焼いたクッキーを食べ始める。まるで照れ隠しのように、急いで。
「……」
ふわり、と。
頭の上から髪を滑って何かが落ちてきた。
白く小さな花だった。
「……」
それをひとつ摘んで、ああ何て繊細なひとがこのレジスタンスにもいたのだろうなんて感動してしまう。
久しぶりに“癒し”の空間を満喫しながら、紅は緩やかにお茶を楽しんだ。
一人だったけれど、そこには他に誰かがいた。
時間をおいて庭を覗いてみると、綺麗になったカップとお皿の中身はすべて白い花で盛られていた。
まるでご馳走様といわれているようで、紅の表情が自然と緩む。
私このひとが好きだ。
紅はその心境を、何の抵抗もなく受け入れていた。
良かった、ジャムはリンゴがお気に入りらしい。
カゲロウという癒しを見つけてしまった紅はウォッツに来て以来という上機嫌ぶりだったが、それも日暮れ直前にラグが戻ってくるまでの間だった。
「ただいまー。あークッキーだ、わースコーンだやったー」
子供かあんたは。
呆れつつ、しかもその呆れもあんまり微笑ましくなく、ラグの存在を意識しただけで身体がぴくりと強張るのを感じる。
何というかもう、染みついた反射なのだ。
自分でもどうしようもない、けれど今日は、と、紅は自らラグの方に歩み寄った。
「ただいま、紅」
「…おかえり。ねえ、話があるんだけど」
紅の、眉間に寄った皺に気づいてそうか、とラグも深刻な表情になる。
「やっぱ痴話喧嘩はよそでしないと…」
「い、い、か、らこっち来てくれる?」
埒が明かないので、ラグの無駄に空間が余ってるマントを引っぱる。
そのまま玄関を抜けて、家の外に出ていく。
「え、出るの?」
「中だと落ち着いて話せないわ」
「…俺と落ち着いて話してくれるの?」
振り向いたラグは、意外そうに目を見開いていた。
「不本意だけどね。今日、聞いたわ。少しだけ、砂嵐のみんなの標的の話」
切り出すと、ラグは何故か口元に笑みを浮かべた。
「国王イージス?」
「そう。それとその王子のことと、五ヶ月後に行動に移すってこと。あなたの」
それを口にするときだけは、紅は少し躊躇った。
「お母さんのこと」
「…少しだけ?」
そう、聞いたのはほんの断片。紅はこくりと頷いて、ふたたび真っ直ぐに男の黒い双眸を見据える。
「…信じた?」
しかし男の口は、一度尋ね返したくなるような言葉を放った。
「俺の母親が国王親子に殺されたって聞かされて、信じた?」
「……」
紅は数秒、目を見開いてラグの、何も語らない表情を凝視していた。
ばしん。
そして辺りに響く、乾いた肌と肌がぶつかるおと。
顔を逸らしたまま、いつもの偽物めいた笑顔のまま、ラグが横目に紅を見る。
「紅は、俺のこと嫌いなのに、俺のことを知ろうとするんだねえ」
「……っっ」
顔が真っ赤で、歯を食いしばって、暴れ出そうとする拳を押さえるのに、少女は爪で手のひらを傷付けなければならなかった。
この男は。
こうして、ふいに。
本性をかいま見せる。
「っわたしが、あなたを信じないのは、あなたが自分の口から嘘も本当も何一つ言わないからよ!残念だけど!」
だめだ。言葉を切って、息を吐いて。
あとひとこと言い放つまでは。
「私は、あなたのために、復讐の手伝いが出来る?本当に役に立つのかしら?私はそうは思わない…ッ」
最後はもうほとんど背を向けながらの叫びだった。
走り出す。
暮れかける街を駆け抜けて、走って、走って。
私、あの人のことが何もかも分からないの。
最高に陳腐な言葉で言うとそんな感じだろうか。
うち解けて、ウォッツで過ごす現状を受け入れて、毎日眠りについて朝を迎えても。
そのことが歯がゆくてたまらなかった。
ラグが、分からない
紅が走り去った玄関先で、まだラグは立ちつくしていた。
どろどろと胸の中で渦を巻く、どす黒い感情。
自覚を、している。吐き気がするほどの嫌悪も。
結局自分は進歩をしていないのだ。恐れるとひとを傷付けることで満足をして、遠ざけて遠ざけて、引いたラインの先に来ないように。
けして近づかせないようにと。
紅は危険だなあ。
何となく予感はあった。だからこそ、面白いと思って自分たちのところへ引き込んだのだ。
近づけば遠ざかる子だと思った。だから馴れ馴れしく日々を過ごして途中までうまく行っていると思ったのに。
「ラグ、見ないで、見てはだめよ!逃げなさい、早く!逃げ…ッああ!」
女が必死に叫んでいる。
自分は一種の恐慌状態で、金縛りにあって動けないのだ。
そうしてそのまま、その女がどういう目に遭ってどうやって死んでいったかの一部始終を、まばたきも忘れて見入っていた。
「ああっ、やめてぇええ…っ」
「…っ、かあさ」
暗闇はそこでぶつりと途切れた。
思い起こすことも容易なら、閉め出すことも同様に、彼には出来た。
もう、何度も何度も悪夢にも見た。
「……」
珍しく、無意識のうちに深い溜息をついていたと気づいて、ラグはふ、と笑う。
「やだな、幸せが一個逃げちゃうんだっけ?」
つこうがつくまいが、信じてもいない迷信を。
もうすっかり元の調子に戻った声が喉を越えたので、安堵する。
紅は、あの子は。
いずれあの女のように死ぬのだろうか、そうはならないだろうか。どちらだろう。
その時自分は、果たしてどんな表情でいるだろうか。
(2005.2.5)
彼らにも一ヤマ。