09 アンチヒーロー1








   










 定刻通りに仕事が終わってラグが帰宅すると、そこには何故かご無沙汰の筋肉質な肉体があった。
「なんでエッジが来てんの?」
「んだよその言いぐさ。来ちゃ悪りーかよ」
 くるりと振り向いて、相変わらず鋭い目つきに見下ろされる。
 普段自分は長身の部類だという意識があるので、新鮮な感覚だ。
 とにかくも「半年以上連絡がなかった」エッジが突然こうして現れたと言うことは、ただ単に顔を見せに来たわけがあるまいし。
「まあいいか。君が前もって連絡入れるとは思ってないし」
「しょうがねえだろうが。急用だったんだからよ」
 コートを脱ぎながらリビングに向かう。
 手際よくお茶を注いでくれたメイに微笑みかけ、カップに口を付けたところでふと違和感に気づいた。
「あれ、くれは?」
「ミルクが切れたので買いに行かれたんですよ。そのすぐあとにエッジさんがいらっしゃったのでうやむやになっていましたが…帰りが少し遅いと心配していたんです」
 告げるメイの表情はやや落ち着きを欠いていて、何だか本当にあの子に毒されてるなあと思う。
 ラグはふと、お茶をこくこく飲みながらエッジを見やる。
「そういえばさ、エッジ。君何の急用でこっち来たんだって?」
「“ヘヴンズ”だよ。あいつら今度は西の方で好き勝手暴れてて、案の定俺見ていちゃモンつけてきやがったから、やり合ってたらいつの間にかこっちの方に来てたんだよ」
「あーあいつらねーしつこいねー相変わらずー」
「お前があそこのリーダーにベタ惚れされてっからだろー。」
「うん、一生俺の顔忘れられない体にしてやったと思うよ?」
 いったい何があったんだろう、と、グループ同士の確執は知っていても詳しいいきさつを知らないメイは、色々想像しながらふわふわ笑顔を崩さなかった。
「それはそれは大移動だったねえ。で?足取りは掴んだの?」
 エッジは顔面を忌々しそうに歪めて、手のひらに拳を打ち付ける。
「ダメだ。三日前に見失った。この街に入ったのは間違いねえとは思うんだが」
「ふうん…でさあ、君、ここに来る前に赤い髪の女の子見なかった?」
「……!」
 突如、何かを察してメイは口元を手で覆う。
「あ?見たぜ。すっげド派手な赤い髪だった。地毛だっつってた。何お前知り合いか何か?」
「うん。一応臨時の新メンバー」
「っへえ」
「…キング…!」
 そのまま淡々と会話を続ける男二人をたしなめるように、メイの張りつめた声が入った。
 ラグは、視線だけでメイを見て、肩をすくめる。
「さて、どうしようか?たぶん俺と君の考えは同じだよ。でもね、エッジも見失ったって言ってるし…」
「もっと、動揺されたらどうなんですか。あなたが姫さんを連れてきました。キングには姫さんを護る義務がおありでしょう、ウォッツにいる誰よりも」
 すでに、メイの浮かべる表情に笑みはない。
 君こそそう言うのならもっと落ち着いても良いと思うよ?らしくない。と心中で呟きながら。
「けど俺がここでオロオロしたところで紅は帰ってこないだろうし」
 実際の問題としては、紅がいまどこでどんな目に遭っていようが、“砂嵐”が被るダメージは皆無なのだ。
 5年間で積み上げてきた諸々の中に、ホンの数ヶ月前には紅の存在はなかったのだから。
 けれどさすがにそれを口にすれば、自分もメイの扇の犠牲者になると思って、ラグは胸のうちに留めて置いた。
 紅の拳と違って、メイは自分が不快と感じた対象に容赦をしない。
 本当に、自分が五年もかけて作り上げてきたメンバーは、少しの間で変わってしまった。
「…キング」
 なおも言いたそうな目を向けてくるメイに、何となく苛立ちを覚える。
 けれどそれをぶつけるわけにはいかなくて、ラグは早々に自分の部屋へ引き上げることにする。
「そーいや、キングよ。お前イージスの息子ってマジ?」
 ふとエッジに疑問を投げられて、面食らう。
「何、それ。まだその噂生きてたの?」
「ってことは、デマだろ?」
「デマだよー。ヤダよあんな肥えた親父と血が繋がってんの。バカ王子と生まれた時期が同じで、彼がフラフラ神出鬼没だから昔から言われてんだよ。あーやだ、まだそんなこと言ってる馬鹿どいつよ」
「や、だから“ヘヴンズ”だって」
 階段に向かい、リビングの二人からは背を向けたまま、ラグの口元には苦笑が浮かんでいた。
「それは、またまた。ダインは勘違いが好きだなあ」
 ぼやきながら階段を上がる。とりあえず今は自室に籠もって、ベッドに沈み込みたかった。




 しかし。



 扉のノブに手をかけたところで、がたんと、中から響いた物音に、それは無理だと察知する。
 躊躇わずに部屋へ足を踏み入れる。
 明かりのない部屋に、なじみ深い鉄のにおいと、放たれた窓から冷たい空気が流れ込んできていた。
「…カゲロウ」
 静かに呼ばわると、ベッドの脇から応えがあった。
 駆け寄ってしゃがみ込むと、腹部から大量の出血をしている。自分で手当をして血は止まっているようだが、呼吸の乱れから傷が深いと知れた。
「…くれ」
 仮面越しに呟いたひとことは静かで、それでも明瞭に聞き取れた。それだけで十分だった。
 伸ばした手を受け止めると、中には見覚えのある四角い物体があった。
「マスターの録音機?」
 こくりと、仮面を填めたままの男が頷く。頷いて、じっとラグに視線を向けているのに気がつき、顔を寄せる。



 男の呟いた言葉に、ラグの目がすうと細くなった。
「…わかった。メイに上がってきて貰うから、君はここで待っててね?」






 そして、カゲロウが録音してきた内容に、ラグが躊躇するすべての理由はなくなってしまった。








「テイ川のすぐ側あ!?お前何でんな事わかんだよ」
 実質動けるものが少ないのでしょうがないのだが、ラグはエッジと二人でアジトをあとにした。
 いつも持ち歩いている獲物だけを携帯し、特に武装は無しだが、構わなかった。
「これ、連れ去られた紅を尾行したけど途中で見失って、その先で見つけた録音機。たぶん紅は…押さないだろうから勝手に入っちゃったんだろうけど」
 真ん中の中心ボタンを押して、再生する。




『ガサガサ』



『ガサッ、ゴッ』
「途中まで衣づれの音で聞きとりにくいけど、多分ここで録音機落としたんだね」
 説明を交えながらも、通りを避けて最短距離を選んで二人は駆けていた。
『ザーーーーー』
「ほら、よく聞くと水の音でしょ?サーヴに通ってる川はイン川とテイ川だけど、イン川は市街地に入り込みすぎる。しかもテイ川の向こうは街に出るしかなくて、手前の左手には廃工場とか廃ビルがぽつぽつある」
「監禁にはうってつけってか」
 ラグは平然と頷いて、
「不良のたまり場とかにもね」
 付け加えて置いた。エッジが感心したように口笛を吹いて、
「そういやお前何の仕事してんの?」
「建築技師見習い」
 サーヴの地理なら何でも知り尽くしてるよ、とか普段なら言うのだが今はそれとだけ答えた。



『じーーーーーーブツッ』



 録音時間が短すぎたためか、それとも何かの不具合か、録音機がさらに再生をはじめた。
 それはどうやら、以前の録音内容のようだ。
 ラグがまだ、聞いたことのないものだった。
 無機質な物体から流れてきたのは、少し緊張で強張っている紅の声だった。




『ラグ、おかえりなさい。ホットミルクはいつも通りミルクパンの中にあるから、温めてね』

『ぶつっ』


「ぶっ、何だ今の。お前らいつもそんなんで会話してんの?」
「ううん?」
 吹き出したエッジにラグは即答する。
 紅はこんな事を、わざわざ自分に言ったりしない。ただいまと言えばおかえりと返してくれるけれど。



 これは、一体いつ、紅が、遅く帰った日の自分のために録ったものなんだろうと。
 首を傾げて、そのままやや後方を駆けるエッジに声をやる。
「エッジ。とりあえず君の情報からして30人相手になるわけで、大暴れして貰うけどいい?」
「おお、もちよ!奴ら今度こそ袋にしてやる」
 酷薄な笑みを浮かべるエッジに、自分はなんて凪いだ心境なのだろうと思う。





 感情を処理するのも億劫だった。




 ただ、今はひたすら。


















 予想通り、テイ川から外れた空き地の、廃工場のひとつに“ヘヴンズ”の姿を確認した。
 紅の状況を見極めないと奇襲も突入も迂闊には出来ないと、窓から中をうかがったラグは、ほぼ中央に置かれたソファの上で、見覚えのある顔を見いだした。
 見いだして、それがダインだと認識して、彼が押さえ込んでいる少女こそが、赤い髪を持っているのだと知って。
 乱暴に服を引き裂いて、白い肌がさらされた瞬間、ラグの奥で何かが弾けた。




 

 

 

 

 

 


 それ以上、紅に、



















 

 

 

(2005.2.8)

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